第壱夜(2)
先程も言ったが、生憎と今日は法具を一切持ち合わせてはいない。
と言うよりも、そもそも普段から持ち歩いて等いないのだが…
予想の通り、この先に妖気溜まりでもあろう物ならば、最終的には専門家を呼ぶか、法具を持って来させるかしなければ、正直手の打ち様が全く無い。
だが所詮、客観的な予想に過ぎず、実際この先に予想以上の何かが在った場合、二度手間に成る可能性だってある。
逆に予想以下の事態ならば、現状で手を打って解決出来るかもしれない。
まぁ何にせよ、この先に何があるのかを、この目で確かめてから動いても遅くは無い…と言う事だ。
しかし…
―やはり件の伝承絡みと考えるのが、一番無難なんだろうか…まぁ、面倒事には、変わり無いか。
妖気溜まり、或いは霊気溜まりとは、条件さえ整えば、自然発生する事もまま在る現象だ。
だが今まで、報告された例を元に挙げるならば、圧倒的に第三の要因が元で、偶発的或いは人為的に、発生した件数が多い。
その発生する1つの条件として、トップに名を連ねるのが、供養していない人間の死体を、放置すると言う物だ。
これは人間に限らず、動物にも言える事だが、生物は個体差による大小は在るものの、必ず霊気・妖気を宿している。
それは生物の、肉体の内側に宿って居るのだが、当然肉体が崩壊すれば、霊気・妖気は、自然と霧散し自然界に帰る。
だがここで問題になるのは、肉体の残り滓…つまりは骨だ。
これにも当然、霊気は宿って居る訳だが、肉体という霊気の許容量を、決定する為の器が無くなってしまったらどう成るか…互いに呼び寄せる霊気と妖気の性質を考えれば、察しが付くだろう。
無尽蔵に、周囲の気を呼び寄せる、呪具の出来上がりと言う訳だ。
つまり、葬式という儀式は、それを防ぐ為の処置なのだ。
もしも、力量不足な坊様が供養しようものなら、その寺の墓場は、漏れなく妖気溜まり・霊気溜まりに成る事だろう。
実際、前例が何度も起きているのだから困る。
今挙げた話を元に考えれば、この先に在る妖気溜まりは、数百年前から伝わる、伝承の痕跡と考えられ無くもない。
幾つか疑問が浮上するが、それも実際に見てみなければ、答えは導き出せ無いだろう。
道無き道を、黙々と進んでいく。
その現場と思われる場所は、ここからだと、まだ距離が在ると判断し、俺は脳裏を過ぎった、幾つかの疑問を整理する事にした。
まず1つ目の疑問。
伝承では、生け贄にされそうに成った者が、鬼と成って旅の僧により退治され、人身御供という儀式が、絶えたとされるのが、江戸中期頃…1700年代とすれば、今から300年も昔の話だ。
だと言うのに、何故今まで放置されていたのか…明らかに、時間が開き過ぎているのだ。
その周囲に存在する霊気・妖気のバランスによって、発生迄の時間が左右されるとは言え、あまりにも時間が掛かり過ぎている。
それに、何故この土地の条件で、発生し得たのか…と言う2つ目の疑問。
この山は、富士山程とは言わないものの、霊山の類に分類されており、その筋では有名なのだ。
幾ら今の時期が、霊気寄りに傾いたバランスをしていても、逆に妖気寄りに傾いている時期に入ったからと言って、通常の場所に比べ霊気の質という物が極めて高い場所なのだ。
つまり、条件が揃い発生したのならば、本来なら霊気溜まりが出来る筈の土地柄なのだ。
そして3つ目、先も述べたが、過去数十年この土地周辺で、浄化等の依頼がされた記録は、報告されていないのだ。
酸素濃度が高すぎれば、人体に悪影響を与えるのと同様、霊気・妖気の類も、濃度が高くなれば、人体に悪影響を与える。
霊気は神気へと変換し、妖気は瘴気へと変質する。
その空間周囲を気溜まりと呼び、その空間内へと、抵抗力の無い人間や動物が入ると、神気は焼き爛れた様な火傷を、瘴気は内側から腐って行くという症状が出る。
そんな症状が出た患者を診れば、どんな医者とて公的機関なりに相談するだろう…
にも関わらず、それさえ無いのは、何者かの思惑を匂わせる。
まぁ、この辺りは深く考え過ぎだと祈りたい所だが…
兎にも角にも、状況を確認しなければ何も解らない。
気がつけば、妖気溜まりの中心地点と思われる場所の、すぐそこ迄やって来ていた。
道路から山道を登り約20分と言った所か、この辺り迄来ると、瘴気に当てられてか、見るも無惨な姿の木々ばかりで、草も枯れて生えていない。
俺は瘴気への抵抗力を上げ、枯れ木を避けながら、問題の妖気溜まりの中心地点が、視界に入る場所迄進む。
そして、其処に存在するモノを見据え立ち止まった。
「…こいつは、想像外だな…」
そう呟いて、問題のモノを凝視する。
其処に存在していたモノ…それは、赤白く揺らめく柱の様な存在だった。
柱と呼ぶと語弊があるか…正確には『出来損無いの、等身大人形の様なモノ。』俗に、幽霊と呼ばれる類の存在だ。
一般に幽霊と呼ばれる存在は、人の魂だと思われがちだが、それは全くの間違いで、今目の前に在る其れに、魂と呼べる物は存在していない。
では、目の前に存在しているモノは何かと言えば、『物の記憶に、妖気を肉付けされた物体。』と答えるのが妥当だろう。
この国では昔から『思念体』と言い、欧州では、この手の類を『精霊』と呼んだりするが、其処に存在して居るのは、その一歩手前と言った所か。
人間に限った前例だが…記憶というのは、当然脳に保存されている。
しかし、必ずしも脳にのみ保存される訳では無く、移植手術を受けた患者が、移植後に提供された臓器の、元の持ち主の記憶を、一部受け継いだと言う症例は、案外よく聞く話だ。
そう考えれば、放置された人骨に、生前の記憶が残っていたとしても不思議ではない。
だが…
―参ったな。これはどうやら、思っていたよりも複雑そうだ…
そう心の中で呟き、俺は赤白く揺らめく人形に近づいて行く。
妖気溜まりや霊気溜まりの発生に、必要不可欠な要素が在る。
妖気や霊気が溜まる場所なのだから、当然一定水準の気が存在していなければ成らないのだが、それだけでは、気溜まりという現象は起きないのだ。
それ等は、空気中に存在している物質なのだから、当然常に対流している。
対流しているそれ等の中から、同質の気だけを、選りすぐり一定の場所に停滞させるには、その中心地点に核と成る物が、存在しなければならない。
俺はその核が、この辺りに伝わる伝承に出てきた、人身御供にされた者達の、供養されていない亡骸だと考えていた。
だが、目の前に存在する妖気溜まりの核は、亡骸に遺された記憶の様だった。
これが何を意味するのか…人の記憶が、時間の経過と共に、曖昧になって行くのと同様に、物に宿る記憶は、時間の経過と共に劣化して行く…と言えば解るだろう。
つまり、この妖気溜まりの核と成っている記憶が、300年以上経過した人物の記憶で在る可能性が、極めて低いのだ。
最近なのかもしれないし、或いは十数年位は経っているのかもしれない。
だが、こんな場所で行き倒れて亡く成った…と言う訳では無さそうだ。
問題のソレのすぐ傍迄近寄った俺は、揺らめく人形をじっくりと観察する。
胴体と思しき部分に、腕と思われる分岐は見当たらず、頭と思われる場所には、目と口と思われる部分のみ確認出来た。
やはり出来てそう間もなく、思念体へと成る一歩手前の状態だと言った所か。
口と思しき部分が、僅かに動いている様だが、声として聞こえる事は無い…
当然だ、物体としての肉体では無いのだから、空気を振動させる術が無いのだ。
口と思しきと言うだけ在って、ハッキリとした動きでは無いので、唇の動きを読んで、何を言っているのかを、判断する事も出来ない。
だが、非業の死を遂げたのであれば、恨み辛みの類なのかもしれない。
―…見た目だけでは、性別も死亡時期も判断出来ないか…仕方ない。
そう心の中で呟き、その人形の頭と思しき部分に右手を翳す。
そのまま、ゆっくりと目を閉じて深呼吸をすると、意識を集中しソレの記憶を読み取る。
―…相当記憶が劣化しているな…大凡10年位か…名前…ミサキ…女か。巫女…耶麻津神祭…死因は…ッ!
リーディングによる、記憶の読み取り作業の途中、劣化した断片的な記憶の中から、幾つかの単語を読み取る事に成功した。
が、彼女…ミサキの死因に迫った瞬間、翳していた手を引き離した。
リーディングとは、自分の意識を対象と同調させる事により、記憶を読み取る法術の一種なのだが、同調の深度が深過ぎると、対象の経験を、体現してしまう場合がある。
特に今回の様な、劣化が進み過ぎた記憶は、断片化した記憶をパズルの様に、組み合わせて読み取る為、自然と深度を深めないといけない。
故に、一歩遅かったら、危うく彼女の経験を、俺も追体験していた所だった…
「…危なかったな…そうか、彼女は首を…」
背中に冷たい物を感じつつ、先程迄翳していた右手で、自分の首を数回撫でる。
すると、ぬるりとした生暖かい感触が、首の裏から伝って来た…多少斬れている様だが、それ程深くはない様だ。
指に絡まった血を振り払い、判明した幾つかの事実と、先程整理した疑問との、比較検証へと思考を切り替える。
彼女が亡くなったと思われる時期は、大凡10年前…300年前の遺体で無い事が判明した。
妖気溜まりが出来た原因も、自然と見当が出来る…霊気が充実している霊山で、妖気を掻き集めて、形を肉付けするのに、10年掛かったのだろう。
相当強い怨念を抱いて、亡くなったのだ…記憶を読み取って、真っ先に感じた感情は、恐怖では無く憤怒だった事からも、その事は容易に想像出来た。
そして判明した2つの単語『巫女』と『耶麻津神祭』…
―まさかとは思うが…だが、そう考えればこの辺り一帯で、何か異変が起きたとしても、何者かの圧力で黙殺される事は、十分考えられる…うん?
顎に手を当て、思考を巡らせていると、不意に何かの気配を感じ取り、俺は肩越しに振り返る。
俺の居る場所からかなり後方、辺り一帯に充満した妖気と、この山全体を覆う様な霊気との境界線、そこに居たのは…
「…子供?」
俺の前で揺らめく、赤白い柱の様な人形とは対照的な、淡く青白い光を放つ、半透明な姿の幼い少女だった。
その子供は、俺が振り返った事に気が付くと、傍にあった木の陰へと姿を隠してしまう。
が、その体が放つ淡い光が、木の陰に隠れていようと、十二分に彼女の存在を主張している為、全く隠れる意味が無かった。
徐に、彼女の方へと体を向け、ゆっくりと歩き出す。
暫くして、俺が近づいている事に気がついたのだろう、彼女は木の陰から、こちらを覗き込む様に伺っていたが、逃げようとする素振りは見せ無かった。
すぐ目と鼻の先迄来た俺は、その場でしゃがんで、怯えさせない様、出来うる限り優しく微笑み、右手を彼女へと差し出す。