:序
『昔々…』
多くの物語の語り出しが、『昔々』で始まる理由を考えてみると、至極簡単な答えに行き着く。
その答えとは、フィクション・ノンフィクションを問わず、物語にはそれを構築する本流とも言える流れが存在し、その流れを遡れば必ず『起因』という物が存在する。
そしてその『起因』は、必ずしも1つとは限らず、幾つもの蜘蛛の糸の如き細い『起因』が、うねり重なり大河をも凌駕し、全てを飲み込まんとする本流へと変貌する事も在る。
そしてそれは、ノンフィクションに限った事ではなく、フィクションであったとしても、十分に起こりうる現象である。
何故ならば、物語を創造する作者は、幾重ものイメージを想像し導き、ノンフィクションをも凌駕する主流を、彼らは作り上げるのだ。
その幾重ものイメージが全て、物語の『起因』で有り、物語を複雑に構築している。
これから語る物語もその例に漏れず、幾つもの『起因』が存在し、永き時の流れの中で、様々な人物を飲み込んできた濁流である。
故に問う、幾つもの『起因』が存在すると言うので在れば、この物語の始まりは、果たして何時であったのか…と。
遙か昔、この物語を生み出す、切っ掛けとなった、最初の『起因』を作り出した事象か…
或いは、1度はその物語の流れを、断ち切ろうと奮闘した、1人の僧侶が現れた瞬間か…
また或いは、1度は断ち切れた筈の流れを、繋ぎ止めてしまった人物の存在か…
或いは…
『在る所に…』
此の物語を語る上で、必要不可欠とさえ言える青年が、その濁流を前にした瞬間か…
過去に起きた幾つもの『起因』が、巡り辿り今を紡いでいくのだ。
そして、全ての物語には、『起因』が存在すると同時に、いずれ訪れる『終着』という名の未来が存在する。
これは、『起因』が発生すると同時に内包され、何時爆発するかも判らない爆弾として、本流という物語の根底を、根刮ぎ抉る瞬間を、今か今かと待ち続けている。
この爆弾に信管は存在せず、時間と共に発生し続ける、『起因』を信管代わりに爆発する、ある種の時限爆弾なのだろう。
物語とは、外的・内的、第二・第三、ありとあらゆる要因を吸収し、『終着』へと行き着くのだ。
物語とは、語られた瞬間に、既に何かしらの完結を遂げていると言えよう。
故に、全ての物語は、昔々で始まるのが妥当であり、此の物語もまた、その例に漏れず昔々で始めるべきなのだ。
ただし、『在る所に』の次に続く台詞に、生憎と老夫婦は登場しない上、民衆が望む英雄も、万人が愛すだろう平和の使者も出てこない。
登場するのは、世界を善と悪で分けるならば、恐らくは後者であるだろう、意固地な迄の信念を持ち合わせた暴君のみ。
これから語る物語の主人公は、果たして『終着』を迎える為の、爆発を誘発する信管へと成り得るのかどうか…
これより語ろう、BlueNote.と呼ばれる、巨大外部記憶装置に書き込まれる事となる物語、その一部始終を…
語り部:蒼月蒼天