第五呪 盲目のハチワレ
「助かったのだ。この屋敷は居心地がよいが、気を抜くと他の同胞の下敷きになってしまうのが難点なのだ」
「気を抜くって……寝ちゃってただけでしょ? 嘛气ちゃん」
番長猫屋敷の庭にぽつんと置かれたベンチに座る少女と一匹の猫。僕の共犯者の減尸哭栖と搦鮫嘛气だ。
二人が座るベンチは薄緑色の木造で、横幅がそこまで長くなく老朽化によって所々木がささくれている。僕はベンチの前に立ち、ベンチに座る二人……一人と一匹を眺めている。
「仕方ないだろう、吾輩は猫である。猫は寝子とも書いて、一日に何時間も眠る生き物なのだ」
「言い訳はいいよ嘛气。今日は公園で待ち合わせって言ってただろ? なんで屋敷に来てたんだよ」
「そうだよ嘛气ちゃん、そもそも公園とは逆方向だし……」
「何を言うか! 吾輩のヒゲセンサーに反応があったから屋敷に来たのだ! 何も同胞に囲まれてひと眠りしたいから来たわけではない!」
嘛气はこの番長猫屋敷をとても気に入っている。彼女が行く場所と言えば、ペットショップかこの屋敷かのどちらか。彼女自身が猫大好きだということがあり、ペットショップも猫コーナーのあたりをぐるぐるうろついていることが多い。しかし猫が好きな猫というのは、なんとも不思議な言い方だ。
「良いか呪錄、吾輩のヒゲが幸運と不運を探知することは知っておるだろう?」
「右のヒゲが幸運センサー、左のヒゲが不運センサーだっけ? それがどうしたんだよ」
「吾輩の右ヒゲ、つまり幸運センサーがこの屋敷に働いたのだ。きっと今日はこの屋敷に居ればいいことが起こるぞ」
「嘛气ちゃんのヒゲセンサーって、ほぼ確実に当たるもんね」
嘛气は自身のヒゲが絶対だと言い張り、ベンチに座り込んだまま動こうとしない。まぁ今日は三人で話すだけだから、別にどこにいようが関係ないんだけど。だけど嘛气が僕たちに連絡も無しに集合場所に来なかったのは事実だ、僕はそのことに少し腹を立てている。だから僕は、目の前にいるハチワレの猫にちょっとした仕返しをしてやろうと、ベンチに浮かび上がる00:00:00:08のノイズの事を黙っていた。
「哭栖、ちょっと立ってみてくれない?」
「え? こうですか?」
哭栖がすっとベンチから立ち上がると、ベンチはみしみしと軋みだし、そして真ん中で綺麗に真っ二つになるようにバキッと崩れた。やはり老朽化でガタが来ていたんだ、庭に置いてあるベンチなんて、雨の日は雨ざらしになるだろうし。
崩れる寸前に立ち上がった哭栖は何事も無かったが、座ったままだった嘛气はなすすべもなく、ベンチの崩壊に巻き込まれてしまった。
「んにゃあ!?」
「うわっ、だ、だいじょうぶ嘛气ちゃん!?」
ベンチは地面に対して角度の緩いVの字になるように崩れたので、嘛气は体勢を崩してそのままベンチの真ん中に転がっていった。まぁ猫なんだからちょっとやそっとの衝撃じゃ怪我なんてしないだろうけど。
「にゃぁ……おい呪錄! お前はその眼でベンチの寿命が視えていたのだろう! なぜ教えなかったのだ!」
「ごめんごめん、言うのが遅かったよ」
「哭栖ちゃんには立てっていったじゃないか! わざとだろう! わざとなんだろう!」
「まぁまぁ嘛气ちゃん……ほら、木の破片が毛についてるよ」
顔を舐める彼女の身体についた木片を哭栖が丁寧に取りはじめる。嘛气の毛並みはそこいらの野良猫よりも格段に艶があって綺麗に整っている。しかし長毛種なのか、毛がもふもふと長いため木片は毛の間あいだに入り込んでしまったようだ。哭栖が片腕だけで器用に毛をかき分けて取る姿を見ると、やはりこの二人……一人と一匹は普段から仲がいいんだなと感じる。
哭栖も嘛气も同じ高校に通っている、同じクラスのクラスメイトだ。普段から一緒に過ごす時間が多いだろうし、猫の嘛气とも長い時間付き合っているのだろう。毛をかき分ける動作や、彼女を撫でるときの動作がとても手慣れている。
「まったく……もういいよ哭栖ちゃん。元に戻るからさ」
「あ、そう? 嘛气ちゃんの毛並み手触り良いからずっと触ってたいんだけどなぁ」
「また今度いっぱい触らせてあげるから」
嘛气は身じろぎをして哭栖の手を軽く振り払った。さぁ、今から目の前にいるこの一匹の猫が、一人の人間へと変化をしていくぞ。猫が人に変わるというのは、漫画やアニメでよく見る場面だ。忍者のような人が、変化の術とか言って狐やらの動物に変化するのと、そもそも猫自体が特殊な力を持ってして、人間に化けるという二パターンが基本だと思うが、嘛气の場合は前者に近い。
猫の姿になれる。それが搦鮫嘛气の呪われた体質だ。彼女は元々ネコが好きなタチだから、自分自身が猫になれるという体質については呪いだなんてネガティブな表現を良しとしていないが、非現実的な異常体質は総じて呪いだ。
彼女の身体が光に包まれる。随分とあっさりした表現だとは思うが、それ以外に言葉が見つからない。彼女の猫型のシルエットが見えなくなるくらいまでに真っ白な光が球状に彼女を覆ってしまうのだ。一体どういう風に変化していくのかは光に阻まれて見ることが出来ない。そして球状の光は猫一匹がおさまる小さなものから、どんどんと大きく膨らんでいき、人一人分が入るくらいの大きさになっていった。きっと人型への変化が中では終わっているのだろう。白い光が薄らいでいき、人の輪郭がはっきりとしてくる。
光が完全に消え去ると、そこには嘛气の本来の姿、学校の制服を身にまとった細身の少女の姿があった。
「―――ふぅ、身体が重い」
「しばらく猫の身体に慣れちゃうと、重く感じるのもしょうがないね……なんてったって体重が十倍くらいになるんだもん」
「吾輩はもともと痩せているはずなのだが……それでも重く感じてしまうものだな」
嘛气は常に両目を閉じている。それもそのはずだ、彼女は猫になれる体質を発症した際に、視力の全てを失っているから。猫の姿のときも、元の人間の姿のときも、彼女に世界は見えていない。色も、形も、何もかもが暗い闇に閉ざされている。彼女が感じられるのは、音と匂いと味と感触だけ。目が見えないという不自由な生活を彼女はもう二年以上過ごしている。
「……それで呪錄よ、哭栖ちゃんの呪いを解く方法は見つかったのか?」
「残念ながら方法はまだ見つかってないよ。けど手がかりみたいなのはお前も知ってるだろ? 石柄の七不思議とかいうやつ」
「あぁ、学校で流行ってるあれか……確か、怪しげな研究機関の話だったか? あんなもの、七つに合わせるためにでっちあげた架空の話じゃないのか?」
「僕だってそう思ったよ、けど縋れるモノには縋ったほうがいいだろ? とにかく、七不思議についてはお前たちの方が情報集めやすいんだ、そっちの方でいろいろ調べてみてくれよ」
「よし、わかった。吾輩と哭栖ちゃんで調べるとしよう……で、呪錄よお前は何を調べるんだ? まさか引き篭もって何もしないつもりではあるまい」
本当はそうしたいところなんだけどな。実際、僕は自分の呪いを解くのにあまり積極的じゃないから、そのために行動するのも面倒だし。そう、だから僕が行動するのは僕のためじゃない。共犯者のために行動するんだ。僕は他人の不幸を喜ぶなんてことをする趣味は無い。それどころか困っている人がいたら助けてあげたいと思うくらいに善良だ。だから行動する。他人の為に。
「―――蜂惑怠躯に会いに行く」
■
家篭と別れた二人の少女は、自宅である寮に向かい帰路についていた。両隣に並び手を握り合って歩く姿は、まるで二人が仲の良い姉妹のようにも見えるだろう。しかし、手を繋いでいる理由はただ仲が良いと言うだけのものではない。
目の見えない搦鮫のために、手を取ってあげているというのが理由だ。実際は、搦鮫も番長猫屋敷から寮までの道は歩きなれているので、道に迷ったり電柱にぶつかったりということは無いのだが、それでも不確定要素、つまりは工事や他の通行人、走る車などがある。そういったものから彼女を守るために、こうして手を取り合っているのだ。
「ね、ねぇ哭栖ちゃん」
「なに? 嘛气ちゃん」
「……あ、あの……手を繋いでくれるのはありがたいんだけど……その……て、手つきが……」
「えー、だって嘛气ちゃんの手、柔らかくて気持ちいんだもん」
「うー……」
「……それより、どうするの。呪錄さん、あの男に会いに行っちゃうよ」
「大丈夫。あの男のところに、死晴喰怒を向かわせてるから」
「あー……蜂惑はともかく、それじゃ呪錄さんも死んじゃうんじゃないの?」
「それも大丈夫。喰怒は呪錄を殺さない。そういう風に、【彼】に命令されてるから」
そう言って、搦鮫嘛气は瞼を開いて光の無い瞳を晒す。
「それよりもどうして、呪錄は蜂惑のところへ向かうんだろう?」
「どうしてって、別れるときに言ってたじゃない。蜂惑自身は呪錄さんに友好的だから、少しでも情報が貰えるかもしれないって」
「『理由』じゃなくて、その『意思』の働きのこと。彼は蜂惑に対して敵対心を抱いているはずでしょ?」
「……もしかすると」
盲目の猫人間と、略奪されし少女は不穏な表情を浮かべて黙り込む。
まるで思い通りに事が運ばずに、ふて腐れる子供のように。