第十五呪 4枚の切り札
「蜂惑怠躯の用意した、切り札の一枚や」
目日臼勹牢と名乗った彼女は、自分の事を切り札と言った。
「……切り札?」
「アンタはうちのことを知らんかもしれへんけどな、うちはアンタのこと知ってんで。蜂惑サンから聞いたさかいな」
蜂惑が用意した、と言っているということは、彼女は少なくとも私の殺すべき相手じゃないという事になる。
私の名前を知っていたことといい、彼女の言っていることには信憑性がある。
「……私たちの事情、どこまで知っているのかしら?」
「蜂惑サンがほぼほぼ教えてくれはったわ。なにせほら、うちは正義の警察官やから」
上着の内ポケットから先ほどの警察手帳を取り出してひらひらと見せる目日臼。
「家篭呪錄くんが、赫遺鴉とかいう奴に誘拐されたんやろ? これも立派な犯罪や、うちかて見過ごす理由はあらへん」
「『アレ』のことは聞いてるの? 赫遺の目的も?」
「あー、なんや詳しい事は教えてくれへんかったけど、ようは赫遺っちゅう男は呪錄クンと、秘密の某を狙てるんやろ?」
「……そうよね。蜂惑もそこまで口が軽い男じゃないだろうから」
私はそこでようやく刀を鞘にしまう。穴を開けてしまった目日臼の帽子を切っ先から抜いて、彼女に手渡す。
「ごめんなさい。帽子をこんなにしちゃって」
「ええよええよ、風通しがようなっただけや」
目日臼は髪を大雑把にまとめて、帽子をかぶりなおす。
彼女、目日臼勹牢が私たちの切り札の最後の一枚。赫遺から家篭くんを奪り戻すために集められた呪質持ち。
家篭くんが攫われてから一か月後、私たちは蜂惑の事務所へと集まった。この期間のあいだに襲撃された事務所内は修復、整頓されている。とはいえ、夥しいほどのノートやスケッチブックがあちこちに積まれたままで、整頓とは言いにくいかもしれない。
集まったのは私を含め全部で五人。蜂惑と乂真、私と目日臼、そしてもう一人。
「さて、あれから一か月が経った。こちらの準備も全て整い、ようやく呪錄を奪還する日がやってきたというわけだ」
[蜂惑怠躯 呪質『記憶』]
「黒雨流は常に私と共に行動をしてくれ。残念ながら、このメンバーの中で一番頼りないのは私だからな」
「勿論です。蜂惑さんを守るのが私の使命ですから」
[乂真黒雨流 呪質『不可死』]
「刕琵道は目日臼とタッグを組め。向こうにどんな呪質持ちがいるのかはっきりしていない現状、一人で行動するべきではない」
「……足だけは引っ張らないで。……というか、私に触れないで」
[刕琵道尼静 呪質『欲求』]
「わかっとるって。そん代わり、うちを巻き込んで大暴れもせんといてや?」
[目日臼勹牢 呪質『拘束』]
「そして終……君は前に話した通りに頼む」
「……あまり運動はしたくないからね。怠躯に従うよ、よろしくね黒雨流」
[曄衣葬終 呪質『記憶』]
白髪の曄衣葬が気だるげに返事をする。彼女の瞳は髪と同じような色合いで、いつもどこか遠くを見ているよう。ソファに深く腰を下ろして足を放り出している彼女からはやる気のようなものを感じられないが、家篭くんを助け出すために、もしかすると彼女は一番重要かもしれないのだ。
「赫遺が根城にしている場所はこの一か月で調査済みだ。……ディスオーダールームと呼ばれる地下室、そこに呪錄は囚われているはずだ」
「……本当に、よく調べ上げたわね」
私は素直に蜂惑の情報網に感心した。私は家篭くんが攫われてからずっと一人で手がかりを探していたが、全くと言っていいほど足取りはつかめず。途中で目日臼と出会ってからは、彼女の警察という立場を利用した情報網も活用してみたけれど、それでもだめだった。
一か月のあいだに赫遺の居場所を突き止め、さらにその場所の名前までも調べ上げている。完全記憶能力という便利な体質を持っている彼だからこその芸当だろうか。
「知り合いに有能な情報屋が居てね。彼にずいぶん世話になったものだよ」
「……それで、私たちはどう動けばいいのかしら。出来ればはやくそのディスオーダールームとかいう場所を教えてほしいのだけれど」
今すぐにそこへ行って、家篭くんを助けてあげたい。こうして蜂惑の話を聞いているあいだも、身体が疼いて仕方ない。
「私と乂真、そして終は別行動をとる。刕琵道と目日臼は直接、ディスオーダールームに殴り込みに行け。場所はすでに目日臼に伝えてあるからな」
それを聞いて、私は目日臼の服の袖を引っ張って外へと連れ出した。彼女が行くべき場所を知っているなら話ははやい。蜂惑たちがどう行動するかなんて聞く必要はないし、関係も無い。
「ちょちょ、そんな急かさんといてや刕琵道!」
「いいから。はやく案内しなさい」
「はぁ……ほな行こか。こっちや」
目日臼の後ろについて行きながら、目的地のディスオーダールームへと向かう。
この一か月は、私の人生の中で一番長い日々だった。家篭くんが無事なのか、毎日毎日精神を削られる思いで過ごして。その苦痛を紛らわすために、何人も何人も殺した。
「……刕琵道、ひとつ言いたいことがあるんやが、ええか?」
「歩きながらなら聞いてあげるわよ」
「……知っての通り、うちは警察官や。犯罪者を捕まえるんが仕事。連続殺人鬼を目の前にしてうちがアンタを逮捕せえへんのは、蜂惑サンに頼まれてるからや。……呪錄クンを助けたら、うちは真っ先にアンタを捕まえんで」
「……たぶん無理ね」
「なんや? うちならアンタを捕まえることなんて簡単なんやで、この手でアンタに触れればええだけなんやからな」
首をひねり私の事を見ながら、目日臼は左手を上げてみせる。たしかに、彼女の手にかかれば、どんな人間でも拘束されてしまう。
彼女の呪質は、まさに人を捕えることに向いていると言えよう。彼女の両手は、触れるだけで人間を完全に動けなくしてしまう。そういう呪質持ちだ。
「私を逮捕できるのはあなたしか居ない、それは私を捕えておくことのできる人間はあなたしか居ないということよ。……捕まえたあと、誰が私を捕え続けていられるというのかしら?」
「……うちらを蝕んどるこの呪いさえ解ければ、関係ないやろ」
「呪いを解く? そんなこと、出来るわけないでしょ」
「いーや、出来てなんぼや。ろくに話も聞かずに出てきたからうちから言うといたるけどな、蜂惑サンらは呪いを解くために動き始めてるんや」
「呪いを?」
「せや。まぁ、うちらは向こうの事は気にせず、呪錄クンを助ければええだけや。……それまでは、うちも殺人鬼に渋々付き合うたるわ」
目日臼は振り返り、にんまりと笑う。
……たしかに、私も不思議な気分だ。彼女は警察官、そして私は殺人鬼。この二人が一緒に歩いているというのはありえない光景だろう。
彼女は、家篭くんを助けたら私を逮捕すると言った。それは当たり前のことだ。彼女は自分の仕事を果たそうとしているだけなんだから。それでも彼女が私に協力してくれるのは、それもまた、彼女の仕事だから。
彼女にとって今回の事件に協力する理由は、誘拐された家篭くんを助けるため。警察官らしいもっともな理由だ。それに彼女の呪質は使える。これ以上ないほどの力になってくれるだろう。
私も、協力してくれる目日臼には少なからず感謝をしている。
だけど、私は捕まるわけにはいかない。家篭くんを助け出して、また二人きりで生活したいのだから。
私はきっと、家篭くんを助け出したあと、彼女を殺すだろう。
「……なぁ刕琵道、ちょっとお腹空かへんか?」
「空いてないわ。そもそも私に食欲は無いから」
「そう言わんとさぁ。ほら、ここの蕎麦屋、有名なんやで」
「お蕎麦なんて食べてる暇はないわよ、はやく家篭くんのいる場所まで案内しなさい」
「ちぇっ。ノリの悪いやっちゃなぁ……まぁええわ。目的地になら、もう着いてんで」
「……?」
そう言って目日臼は蕎麦屋の扉の前に立ち、両手を大きく広げる。
その動作が示すのは、この場所が目的地であるというアピール。
「蕎麦屋つばき。この店の地下に、ディスオーダールームはあるんや」