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「………………っ」
最初は、犬だと思った。
実際それは、犬に酷似したフォルムを持っていた。
四本足で、黒い姿をした、人の膝ぐらいまでの大きさの、何らかの動物。
だが、すぐに犬でないことがわかった。その4足の間には、地面に届きそうなほど長い、骨のような突起物が四本ほど、腹部からだらりと垂れ下がっていたからだ。
そして、何より違うのが、その頭部。
本来、目や鼻があるべきその場所には、先程の巨人のように縦に裂けた巨大な口だけが開いていた。
「……な、なんだこりゃ……?き、気持ちわりい……。つ、作り物……?」
「……閉めろ!扉を、閉めろ!」
呆然とそれを見つめながら呟く父親に、俺は咄嗟に叫んだ。
入れてはいけない。あれを、入れてはいけない……!
動かない父親の代わりに玄関扉に飛びつきそれを閉じようとしたが、それよりも早く
「Guuuuuuuuuu!」
と、金属がこすれるような不気味な叫びを上げて、それが飛びかかってきた。
「ひっ……」
ドンッと衝撃が走り、思わず吹き飛ばされる。
小柄な体からは想像できないほどのパワーでそれが閉じかけていた扉に追突し、俺と、後ろにいた親父までをも吹き飛ばしたのだ。
そうして化物はそのまま部屋の中に飛び込んでくると、(目がどこにあるのかはわからないが、恐らくは)こちらを睨み、縦に避けた口中の牙をカチカチと鳴らした。
まずい。入られた。入られた。逃げなければ……!
跳ね起き、化物に背を向けて廊下を駆け抜けようとした瞬間、背後から親父の悲壮な声が飛んできた。
「ユウヤッ!助けてくれ!」
ぎょっとして振り返ると、半泣きになった親父が俺に向けて手を伸ばしている。
腰でも抜けたのか、立ち上がることが出来ないようだ。
助けないと、だが、こいつを引きずって逃げられるわけが……。
そうして俺がどうすべきか躊躇しているその一瞬に、化物はその親父の足に勢い良く飛びかかり、凶悪な牙をがぶりと突き立てた。
「あああああっ!痛い、痛い、痛い!ユウヤ!助けてくれ!助けてくれええええ!」
「そっ……そんなこと、言われたって……!」
そんなこと言われたって、こんな化物相手にどうすればいいというのか。
どう見ても、素手でどうにかなる相手じゃない。
武器もなしに、どうにかできるような……。
「……そうだ、包丁……!」
うちは、玄関の横に台所がある作りだった。そこには、包丁が置いてある。
あんなでも、刺せば怯ませることぐらいはできるはずだ!
懐中電灯で照らし、見つけ出したそれを勢い良く掴む。
激しく頭を振りながら親父の足を『食っている』化物のおぞましい姿に一瞬躊躇したが、覚悟を決め、倒れ込むようにしてその背中に刃を突き立てる。
「死ねっ……!化物!」
黒い皮膚に、鋭い包丁の刃が深く突き刺さる、と思った。
……だが、実際にはその刃は、化物に傷をつけるどころか、当てた瞬間に、いともあっさりと中頃からへし折れてしまった。
「……うっ……嘘、だろ……?」
馬鹿な。なんだこれは。
相手の皮膚が固くて折れた、と言うよりは、包丁がまるで砂糖菓子ででも出来ていたかのような折れ方だった。
「ユウヤ!痛い!痛い!ユウヤ、どうにかしてくれ!ユウヤッ……!」
親父が泣き叫び、助けを求める。言いながら自分でも必死に化物の頭を殴りつけているが、効いている様子がない。
無理だ。どうにも出来ない。どうにも……。
そうしているうちに、外からまた別の唸り声が聞こえてくる。
「Guuuuuuuuuu……」
……一体ではない。恐らく、複数だ。
……血の匂いにつられて、集まってきているのか。
外には、こんな化物がまだまだいるということか。
こんな、一匹だけでも敵わないのに、何匹も、何匹も……!
「…………!」
「!?おい、ユウヤ!?ユウヤ!ユウッ……」
堪えきれなくなって、俺はついに逃げ出した。
後ろからは親父が何度も俺を呼ぶ声が聞こえたが、心のなかですまないすまないと繰り返しながら暗い廊下を懐中電灯で照らして走る。
自室に飛び込み、襖を閉め、耳を閉ざす。外からは、親父の悲鳴が響き続けていた。
それだけではない。窓の向こうからは、沢山の人の怒声や悲鳴が飛び込んでくる。
あたり中で、同じことが起きている……!