5
これから、ずっとこんな殺し合いを続ける……。
自分で考えておきながらぞっとしたが、とにかく犬の口に手を差し込み、それを力任せに開く。
自分の体から牙が抜ける時に自分の命も飛んでいきそうな気分になったが、歯を食いしばって耐え、それが終わったら苦労して立ち上がり懐中電灯を手に、飛んでいった無事な方のナイフを拾う。
そして、それを手に玄関に向かった。
(……玄関の扉を閉めなくちゃ……)
開けたままでは、血の匂いにつられてさらに化物がやってくるだろう。
外からの絶叫はまだ続いている。
今も沢山の人が似たような目にあってるのだ。
果たしてどれぐらいが、自分と同じようにステータスを開いて難を逃れられるろうか?
こんな状況にいきなり放り込まれて、どれだけの人間が機転を利かせられるだろうか。
そう考えたが、
(……人のことなんて、どうでもいい。自分が生きないと)
そう思い直して、考えるのをやめる。
壁にもたれかかるようにして、一歩ずつ進む。
歩き慣れた狭いはずの廊下は、恐ろしいほどに長く感じられた。
しばらくの悪戦苦闘の末、俺はどうにか玄関にたどり着くことが出来た。
見たくはなかったが、照らしてみると、やはりそこには無残に食い散らかされた親父が転がっていた。
(…………)
当然ながら、とうに絶命している。
助けてあげられなかった、といったような感情が湧くかと思ったが、そうではなかった。
ただ、冷静に、『こいつはこの状況に対応できなかったんだな』という思いがあった。
そもそも、もし助けられていたりしたら、俺はこの後もこいつを守って化物と戦うことになっていたかもしれない。冗談じゃない。
これ以上、寄生を続けられてたまるか。
我ながら最低だと思ったが、それは嘘偽りのない感情だった。
「……はあっ……」
もたれかかるようにしてどうにか玄関の扉を締め、へたれ込み、ようやく一息をついた。
ここを閉めたところで安全とは到底言えないが、それでも、外界から隔たれたという事実は俺に僅かばかりの安心感を与えてくれた。
同時に痛みも我慢できないほどに激しくなってくる。放っておけば、なにもなくとも出血で死ぬかもしれない。
「……ステータス、オン」
それでも俺にまだ余裕があるのは、先程、武器を選んでいる時にある項目を見つけていたからだった。
ショップの中に、そのままずばり『回復アイテム』の欄があったのだ。
開いてみると、その一番上には安っぽい演出で飾られたおすすめ品があった。
「……完全回復薬……初心者サービス、100ポイント。……はは……どこまで、ゲームだよ……」
使用すれば、たちどころに怪我も病気も完治いたします……。
たちの悪すぎる冗談だ。どうも、新世界では健康までポイントで買えてしまうらしい。
いや、もしかして世界は最初からゲームだったのか?俺はゲームの登場人物で、実はたった今生まれたところで、死ぬまでの間プレイヤーを楽しませる道化なのかもしれない。
色々な益体もない考えが浮かんでは消えていく。
購入ボタンを押すと、小さな小瓶に詰められた薬が光とともに手元に現れる。いまさら中身を疑う必要もあるまいと、蓋を開け一気にそれを飲み干す。
ひどく甘ったるいそれが喉を通り過ぎて胃に到達すると、体から鈍い光が湧き出し、幾つもの傷から出血を続けていた俺の手足は見る間に元の状態に戻っていった。
「……治っちまったな。本当に……」
ものの数秒で俺の体は完全に痛みから開放されていた。
立ち上がるにしても何の問題もなく、その上で軽く跳ねてみても、むしろ快調を感じるほどだ。
「……さあ、どうする」
考えるだけ無駄だと悟り、とにかく今の事を考える。
このままここに籠城するのは、決して得策とはいえないだろう。
なにしろこの家には血の匂いが染み付いている。
俺のものと、親父のもの。それに、化け物のものだ。
犬の化物──影犬と呼ぶことにした──程度なら殺せることはわかったが、他にもっと凶悪なやつがいないとも限らない。
いずれにせよ、外に出ることになるだろう。
考えただけで気持ちが沈むが、今は生き残ることを考えなければいけない。
どうにか、奴らが通らない場所……例えば、屋根を伝って進めないだろうか?
そう思ったが、巨人のことを思い出してその考えを捨てた。
屋根の上は、あいつにとっては一番見つけやすい場所だろう。
それに、空を飛ぶ化物がいないとも限らないし──空を飛ぶ化物だって?悪い冗談だ──とにかく、屋根の上で襲撃を受けたら身動きがとれないのはこちらの方だろう。
瓦の上は滑るだろうし、場合によってはそれを踏み抜きかねない。
となると、やはり道を走っていかねばならない。おそらく化物の徘徊する道を。
戦ってはいけない。勝てるとも限らないし、そうしているうちに囲まれかねない。
となると……奴らから逃げられる速度が必要になる。
「……車や、バイク……」
うまく誰かのものを手に入れられるだろうか。
親父は何も持っていなかった。
いや、そもそも車などの乗り物を手に入れたとして、走ってくれる保証はない。
チラシに書いてあったではないか。現存する燃料はすべて使えなくなると。
この懐中電灯も今は使えるが、徐々に光が弱くなっていっている気がする。
そうなれば、暗闇で視界を得る方法もない。
外ならば、月明かりで多少はマシだろうが。
自分の自転車で移動するにしても、どこかでそれを止められた場合の事を考えると、自分自身が敵より早く動けたほうがいい。
ならば。
「……能力を、上げるしかない」
先程開いたステータス画面に、そのままの意味の自分のステータスが乗っていた。
チラシによれば、あれもポイントで上げれるはずだ。
早速ステータスを開いて、その項目をチェックする。
「……筋力、頑強、敏捷、耐久、反応。これだけか。……少ないな」
それは、ゲームでよく見るステータスの項目だったが、主に肉体的なものだけだった。
魔力だとか精神力だとかの項目は見当たらない。魔法の類はないようだ。それはそうだろうが。
さらに、器用さや知力と言った項目もだ、
つまり、武器の扱いは自分で練習して慣れるしかないということか。知能も、自前のものでやっていかなくてはいけないらしい。
まあ、ポイントを割り振ったからと言って自分の知能が向上していったら、それはそれで自分ではなくなっていきそうな不気味さがあるが。
能力の数字は、筋力3、頑強4、敏捷4、耐久3、反応3。
どれも高くないであろうことは容易に察せられた。
初期の能力は恐らく元の能力から算出しているのだろう。なにしろ、自分の体が軽く感じるなどの変化は感じない。
恐らく3か4ぐらいが平均で、自分は恐ろしく平凡な能力をしているのだろうと思われた。
「……逃げることを考えるなら、敏捷だな」
とにかく相手より早く走れないと話になるまい。
そう思って『ステータス上昇』のボタンを押してみると、確認画面がポップアップされた。
『この能力を1上昇させるには500ポイントが必要ですが、かまいませんか?』
「……500……」
500。500か。高い、と思った。
なにしろ今は1000しかポイントがないのだ。その半分をこれで持っていかれてしまう。
しかも、あげたところでどれ位の速度が向上するかわからない。
運動部に入っている奴らぐらいには上がるだろうか?もしそうなら助かる見込みは増すかもしれない。
が、もしかしたらそういうやつらは10だとか20の数値を持っているのかもとも思う。1の重みがどれほどのものなのかどこにも書いていないのだ、測りようがない。
なにしろ情報が足りないのだ。迂闊に使ってポイントをなくしどうにもなくなる、という手詰まりな状況も考えられる。
その上。
「……そうだ、まずいぞ。ナイフを2本に、回復薬を買っちまったんだった」
しかも、ナイフは値段をしっかり確認すらしなかった。
安かったのは覚えているが、果たしていくらだったか……。
恐る恐る確認すると、ナイフは一本150ポイントと表示されていた。となると。
「……2本で、300ポイント!しまった……!」
貴重なポイントの半分近くを費やしてしまった。
回復薬を含めて、400ポイント。残りはたったの600ポイント……。
なんということだ。
「これじゃ、敏捷を上げたら100しか残らないじゃないか……!」
思わず頭を抱えそうになったが、はたと思い直す。
そうだ、俺は黒犬を三匹殺したじゃないか。
あいつこそがチラシにかかれていた敵なのだろうから、倒した以上ポイントが加算されているはずだ。
あんな化物と殺し合ったのだから、かなりの量をくれていないと割に合わない!
それで能力をあげ、まともな武器を持てば、状況は相当に改善されるはずだ。
そう思い所持ポイントを確認した俺は、
「……は……?」
と、思わず言葉を失うことになった。
右上に表示された俺の所持ポイント。そこに表示されていたのは……690ポイントだった。