9 芸術と爆発
9 芸術と爆発
高嶺の荒れ具合は酷く、一緒に家にいることに危険を感じた私は極力学校や路上で時間を潰し、普賢象と深山の親密な間合いにいらいらしながらも普賢象と会話し、路上では河津くんと無為な遊びに没頭し、時々スーパーで丁字に出会った。丁字は高嶺と一葉の一件をどこかで知ったらしく、「おう、お豆じゃねえか」「どうも」「高嶺は最近どうだ、元気か?」「元気、とは言い難いですね」「そうか」と言いながら頭を掻き掻き言うのであった。「なんかあったら真っ先にオレに教えてくれよ、あいつとは付き合い長ぇからな」
てっきり下世話な好奇心満々で詮索してくると思ったが高嶺の心情を真摯に慮っている様子で、私は以前よりも親しく丁字と言葉を交わすようになった。
滅入り、というのは伝染するもので、家にいるとくさくさしてくる、なんでもないことが腹立たしかったり妙に胸を打ったりする、とにかく感情の振れ幅が大きくなる、そんな状態を見て取ったのだろう、普賢象が「学校主催の芸術家のサロンに、一緒に行きませんか」とチケットを渡してくれた。会場は町の文化会館で、頑張れば歩いていける距離だ。当然私は行くことに決めた。
河津くんと遊び適当に時間を潰してから会場へ向かった。
会場の正面玄関、扉の横に垂れ幕で掲げられた銘を見る。『不幸の展覧会』。チケットにも同じ名が記されている。私は扉へと進み、受付の者に券をもぎってもらって中へと入った。
入ればすぐに「どうも」と普賢象がやって来た。「どうも。お招きいただきありがとうございます」「調子はいかがですか?」「高嶺さんがあの調子ですから」「ああ、なるほど」と普賢象は苦笑して、「当分高嶺教授はあの調子でしょうから、一つの解決法をご提示したくて」と言う。この『不幸の展覧会』というのがその解決法らしいが、よく分からず首を傾げると、「不幸自慢。ありますでしょう」と普賢象が言う。「不幸に浸る、というのはある種の高級ワイン、有用な安定剤、そこはかとなく心地よい行いです。だからそれは、高嶺教授のそれは、自分とは何ら関係のない、ただの風景に過ぎないと考えればよいのです」
「……どういうことでしょう?」意図を掴めず私が聞き返すと普賢象は微笑み、「とにかく、見ていきましょう」と言ってまっすぐ先の展示室へと誘導してくれた。
「これらが、桜の精のうちの芸術家と呼ばれる類の、自らの不幸の展示です。創作です。こちらは聴力を失った作曲家の悲嘆のレリーフです。彼は音は振動だと表し、自らを『振動派』などと称してところかまわず歪んだひっかき傷を描いていますが、それは我が国の一流画家の表現の剽窃にすぎません、パクリというやつです。人間界のムンクにもどこか似ていますね。どうです?」
言われてみればムンクに似ている。「そうですね、一応苦悩らしきものは伝わってきます」
普賢象は次へと進む。「こちらは完全にスランプに陥った作家の自画像です。わざと顔をどす黒く塗って、ほら、背景のあそこには輪になった縄が吊るされているでしょう? あれが彼の苦悩の表象なのです」
「へえ。つまりは自殺したいという懊悩の表れですか?」
普賢象はにやりと笑って次の展示へと移る。「これが、パトロンに捨てられた女性陶芸家の作った、『愛の宴』です。資金難を表すために粗悪な土を使い、焼きの温度を急変させてわざとひび割れを入れています、自らとパトロンのひび割れと、彼に対する明確な怨念を表しているのだそうです」
「なるほど。由来を聞けばそんな感じがしてきます」
「次は怨嗟の絵画、その次は自殺志願の小説、と続いていくのですが」
「ずいぶん暗いですね」
「不幸自慢ですからね。しかし、大事なのは」普賢象が人差し指を立てる。「どんなに不幸を嘆くあるいは自慢げに披瀝したところで、これらの芸術家は決して自殺などしません、生を厭んで見せても結局生にしがみつくのです、いかに哀れっぽくとも。次第に哀れであることが心地よくなって、そしてこのように形の分かるものに現したがるのです。怨嗟怨念であれば表現した段階で満足してしまいます、現実世界で恨みを晴らすことは極めて稀なのです、なんせ、そういった負の感情を昇華するのが芸術ですからね。さらには、どんなに苦悩を叫ぼうと、作品に表そうと、それはたいてい、誰かが先にやっている物で、既出の表現で、偶然の一致でなければただの二番煎じ、最悪剽窃と見做されてしまいます。そんな風に、不幸は終いには表すだけの価値を失い、鑑賞者にもたいして影響のない、特に意味のない物体に成り下がります。どうです、高嶺教授のこれ見よがしの呻吟も、身体を使った不幸の展示物だと考えれば実に凡庸で、たいした苦悩じゃなく見えるでしょう? 三流の苦悩を抱えた酔っ払いなら、そこら中に居ますしね」
「それは、そうかもしれませんが……」
「この国では自殺願望を抱くのが芸術家のステータス、といった面があります。英雄的苦悩こそが好まれるのであって、これ見よがしな忍耐も称揚されます。しかし、結局のところ誰もが苦悩を演技的に演じてみせているだけであって、誰も真摯な自殺へとは決して走ろうとしないのです。そう考えると、苦悩など実際は何もなかったのだと言えませんか?」
「何もない、とまでは言えないとも思いますが……」
「結局、不幸自慢とは、私のほうが不幸の度合いにおいて優れている、お前は劣っている、というのを有為無為にやってみせているだけなのです。するといかに不幸自慢が中身のないものかが分かるというもので、ここに在る多くはゴミです。ここはゴミの山ですから」
「ゴミ、だなんて」
私は普賢象の強い物言いに狼狽え、次の瞬間背後から飛んできた大声に私の心は跳び上がった。
「普賢象くん!」
振り向くと間近に染井が立っていた。「その物言いは酷いじゃないか!」と、もそもそと籠もった声でまくし立てる。「まるで私の作品が顧みる価値のない駄作かのように言ってくれるね! 私の『ピアノソナタ論』は大著だ、大著なのにそのような言い種は――」
「これは、染井教授」普賢象は特に焦った様子もなく挨拶し、私に向き直り「すべてがすべて空疎な不幸自慢作品ではなく、染井教授の書くような論文も出展されているんですよ」とのんびりした調子で言う。その口調に引っ張られるように染井の口調ものんびりとしたものとなる。「そうです、分かっていただければいいんです」
「染井さんは、どんなものを?」別に普賢象は染井を褒めたわけではないな、と思いながら、私は染井に尋ねた。
染井が喜び勇んで答えようとしたところを普賢象が横からかっさらう。「染井教授は音楽科の教授で、ピアノが専門です。理論が専門で、前年から執筆に入った『ピアノソナタ論』は計七百ページを超える大著だそうです。あちら、ですかね?」
普賢象が指さした先に、本と呼ぶより箱と呼んでしまいそうな四角い物体が置いてあり、近づき開いてみれば文章が改行も少なくつらつらと、悪く言えばだらだらと羅列してある。いかにもこの蓬髪の冴えない染井らしく、私は口元に浮かぶ笑みを必死に堪えねばならなかった。
これはですね、と染井が嬉しそうに自著の説明を始めたので、七百ページも見せられあるいは説明されるのは遠慮したいな、という気分を私がそこはかとなく漂わせてみせると、普賢象が「あ、吉備さん」と染井の後方へ手を振ってみせ、それに気づいた染井が話を止め振り返り、それに気づいた男が笑顔でゆっくりとこちらに歩いてくる。
「おお、吉備くんじゃないか」「どうも染井さん。ピアノの論文で?」「そうですそうです、吉備くんは?」「雑誌と、小説を先月上梓しましてね」「おお、そうでしたかそうでしたか」と染井は言い、「お豆くん」と私に向き直り、「こちら、文士の吉備くんです。私とは長い付き合いでね、吉備くんとは――」と話し止まないところを「ライターですよ、文士なんて偉そうなもんじゃなく」と吉備と呼ばれた男が割り込み訂正する。
吉備は雑誌編集者でもあり、自ら筆を執り記事を書いたりフィクション・ノンフィクションの区別なく本を書くことを仕事としているらしい。話によるとあの大島に関する記事も取り扱った経験があると言う。
「支持させるこつは簡単さ」と吉備は笑顔で言う。「とにかく良い印象の記事を書く。マイナスのイメージを喚起させる言葉は記事から排除するのは当然として、記事の周りからも排除する、思考が引っ張られるから。そして周囲を良い印象の記事で囲むのさ。すると幸福な気持ちで読めるだろう? 自然といい気分で読むから紹介記事が好印象となり、大島さんの好印象、支持に結びつくってからくりさ。それを応用して」さらににやりと笑う。「対立候補の記事の周りには悪い印象の記事を立てる。隣接する部分に殺人事件を持って来たり、なんだったら名前の真横に死体画像を持って来たりね。これがけっこう効くんだよ、深層意識に嫌な記憶としてこびりつくわけさ」
雑誌はまだ生き残っていけそうか、と私が問うと吉備は大きく頷き、「そりゃそうさ。電子化して日刊にしたいぐらいだよ。なんせ精の変わり身は素早いからね、昨日まである事物や話題に心酔していたと思えば、今日になったら徹底的に非難批判する。くだらないと軽蔑してみせる。ある瞬間、唐突に飽きがきてしまうんだねきっと。流行に対する否定が一度生じると、それが周囲に瞬く間に広がって以前の流行を軽蔑しだす。その伝染力には、言うなれば我々の軽薄さには伝染病だって敵わないさ。脱皮できない蛇は滅びる。受け手側も書き手側も、内心、時代遅れにならぬよう戦々恐々しているわけですよ。しかし電子化、どうもあれを嫌う芸術家が多くてね、なかなか移行が進まない。芸術家は頑固でいけない」ちらっと染井を見た。嫌な視線だった。
しかし染井はそれに気づかず、楽しげに喋り出す。「頑固? まさか。それより、芸術に携わらない者に辛抱の心が足りないと言うべきでしてね、やはり芸術は心を豊かにすると言いますか、我々を夢中にさせると言いますか、争いなんぞにかまけている暇があったら芸術に時間を費やしたくなるもので、そういえばお豆くんの住む人間界には紛争やら戦争やら不可解な争いが絶えないそうですね?」「まあ、はい」「愚かなものです、芸術に時間を費やして、あのピアノの音が、だの、あの映画の終盤は、だの、そんなことを考えていれば争い事を起こそうなんて気は起り得ない、なぜならばそんなことをする暇がないんですから。それを、人間は自ら火の粉を撒くんだから、実に愚かじゃないですか」「まったくですね」と私が適当な相槌を入れると彼はますます増長して、「そうです、まったくもってそうなんです。ところで、吉備くん」「何か?」「あなたのとこが出版した詩集ですがね、この三十六ページ」とポケットからよれよれのメモを取り出す。覗き込めばこう書いてある。
全ての生きとし生けるものを救うため
神秘主義の内奥へ
神の奥義の指す方へ
我 救世主として立たん
かの者どもの破綻
我 浄めん
かの血塗られし手を
我 掲げん
青く滾りし報いの火を
我 相放てん
この身に憑きし裟婆鬼と
Saviour of the failure
Governor of the prisoner
「これですがね」染井はやや高慢な口調になる。「これ、五味川という作家の作、となっていますがね、たしかこの、神秘主義の内奥へ、神の奥義の指す方へ、我 救世主として立たん、という部分が、ドス子・F・スキオの盗作じゃないですかね?」
「それはですね……」吉備がうんざりしきった様子で答える。「さんざん世間でも言われていて染井さんに指摘されなくとも分かっていますがね、これは第一に、偶然の一致にすぎません。それからもう一点、作家に限らず創作者皆、結局誰かの作品を参考にこれまで創作してきたんです。先人たちの歩みがあって今の創作があるんです。だったら、それはいわゆる学術論文で言うところの参考文献に位置するのであって、声高に指摘するほど大きな問題ではないんですよ。一番の問題は自分の作品が過去の誰の作品にも立脚していないかのようなお偉顔する奴が問題なんです」
「しかしですよ」
「しかしも何もありません」と吉備は苛立たし気に断ち切り、「それを言うなら、あなたのこないだの論文、ありゃ先行研究者の論のアレンジじゃないですか。おまけにそれらの論文を出典として参考文献に記していない。それこそ問題ですよ」と刀を返せば染井も「なんですと!」と憤激し、「し、失礼じゃないか! そ、即刻取り消したまえ!」「取り消すならまずあなたの非礼を詫びてからにしていただけますか」「ひ、非礼! そ、そっちが非礼なんじゃないか!」「誰が非礼ですって? 冗談は休み休み言えよ!」と二人でエキサイトし始めた。私は染井が争いについて弁術したくだりを回想しながらにやにやしていた。二人は掴み合いの寸前、吉備などは染井の蓬髪を握りこぶしに握っていて、いつ殴るか、いつ殴るか、と思っていた、瞬間。
ぷさあ。
染井の頭頂の、枝の根元から音がして白い靄が微かに噴き出した。「あ!」「あ!」と普賢象と吉備が叫ぶ。
「天狗巣病だ! 天狗巣病だ!」
耳をつんざくような悲鳴を上げながら吉備が腰を抜かして尻もちをつく。普賢象の顔色も違う、いつもの柔和な笑顔でなく焦った様子で「救急! 救急お願いします!」と叫んでいる。染井は狼狽しながら吉備を見、普賢象を見、それから私を見て、そしてその場に失神した。