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桜源郷  作者: 犬山 猫海
8/12

8 デートと映画

8 デートと映画



 ショッピングモール、これは必要と欲望の結節点で、桜源郷にあるショッピングモールも人間界のそれと変わらず衣料品店や雑貨屋が多数入り、意匠は絢爛豪華、まるで御殿にでも迷い込んだかのような風情で、これが汝の欲するところを為せ、つまりは欲望のままに生きた際の産物なのであり、いつだか、過剰に装飾的ではないかと高嶺に問うと高嶺は、なんでも過剰なぐらいが適当なんだよ、ははっ、と笑っていた。たしかに桜源郷の産物に瀟洒なものはなくどこかゴテゴテで、しかしよくよく観察すればシンプルな木造建築などもあり、それは自分たちが他の植物を支配している象徴なのだから飾りすぎないことが飾っていることになるのだ、と理屈にならない理屈を高嶺は唱えていた。

 欲望の集積所たるショッピングモールの、CMの大音響のして耳の痛い映画館前で深山を待てば彼女は二十分遅れてやってきた。ただ一人でのご到着で、普賢象を紹介してもらいたいと言っていた友人が、急に行けなくなったと待ち合わせをすっぽかし、それで集合時間に遅れてしまったのだと言う。「遅れて来る女の子を待つのも男の甲斐性よ」と深山は私に言い、それからくるっと私に背を向けて「初めまして」と普賢象と会話を始めた。普賢象はそれに応じてぺらぺら喋りながら私にウインクをして「行きましょう」と言外に合図する。私は深山が普賢象にばかり話しかけるのを面白くない思いで見ながら先ほどより耳を聾していた電子広告にまともに見入る。

 戦争映画。どうも戦争映画では桜の精と人間が戦っているらしく、人間界なら人間対宇宙人に相当するのかと普賢象に尋ねれば普賢象は「ちょっと待ってくださいね」と喋り続ける深山を遮り「まあ、そんなところです。イメージトレーニングと言いますか、イメージというのはやはり大事ですから」と答えた。

 恋愛映画。桜の精の男女が枝と枝を近づけ、その先端の花と花が交接しそうな位置に太陽の明かりが入ってホワイトアウトしている。これはキスのようなものなのかと普賢象に尋ねれば普賢象は「ちょっと待ってくださいね」と喋り続ける深山を遮り「子供のできるキスだとお考えいただければ」と答えた。

 よく分からない、社会派のように見える映画。たしか大島の選挙ポスターに写っていた男が予約予告なしの突撃取材を敢行して不正を暴いていく内容らしい。なんだか妙に気分が高揚するのは私だけかと尋ねると普賢象は「ちょっと待ってくださいね」と喋り続ける深山を遮り「感知できないほど瞬間的に画面をフラッシュさせているからです。サブリミナル効果を取り入れてスリリングさを出すんですよ、こういう宣伝映画は」と答えた。

「当然恋愛映画だわ」と、深山が語尾を甘ったるく発音して普賢象に媚を打っている。誰が普賢象を紹介してもらいたがっていたのか、私は段々と理解してきた。

 普賢象もそれでよいと言ったので三人で恋愛映画を見ることにした。帰ろうか、とも思ったが逆に居直り強盗、二人きりにさせないことが私に唯一できる嫌がらせのように思えたので、私も堂々と場を受けることにした。チケットを買った一瞬、私が引き下がらないのを見て深山が露骨に嫌そうな顔をした。

 スクリーンのある部屋に入った時点から異様だと思った。部屋の中はすでに暗く、足元に注意して自席へ歩まなければならない、というのはたいした問題ではなく、すすり泣き、悲恋ものなのかハッピーエンドなのか知らないが部屋の中は恐ろしいことに観客のすすり泣きで満たされているのだった、映写二十分前から。

「どういうことだい?」と普賢象に囁けば普賢象は「ま、映画館の中自体が作品のようなものなのですよ」とよく分からないことを言い、それからいつの間にか泣き始めたそばの深山にハンカチーフを渡しながら補うように付け加えた。「戦争映画は勝利に酔いたい精に、社会派は憤り溜飲を下げたい精に、そして恋愛映画はとにかく涙したい精に向けて作っている、というより、有るんです。この場にいる精全員、内容は二の次でとにもかくにも泣きたいわけなんです」普賢象に引き連れられて私たちは座席に座る。「そんな中」と普賢象が私に目薬を手渡してくる。「醒めている精がいると興醒めですから、豆さん、上映が始まって数分の間は目薬で泣いているかのように誤魔化してください、そうしないと横に座った精から突き上げを食らわない可能性もなくはないですから」

 わたしは泣けない人なんて許せないわ、と涙声で訴えてきた深山を手と笑顔で制し普賢象は続ける。「大丈夫です、初めの数分は皆そわそわとお互いの様子を探っていますがそれ以降は泣くのに没頭、完全に自己完結の世界に没入してくれますから、なんだったら欠伸だの寝るだのしてもまったく問題ありません」

「幸福に陶酔している時は他人なんていらない、一人で完結している、ってやつですか?」

 私の問いに普賢象は微笑みながら「はい」と首肯した。

 時間は刻一刻と過ぎて行き、鼻をすんすん言わせながら普賢象にしつこく話しかけていた深山はやがて上映時間となり映画のタイトルがスクリーンに映し出されると、嗚咽を漏らし始めた。館内のあちこちからも堪えきれない嗚咽が漏れ聞こえる。私は目薬を使って泣いているように偽装した。横を向けば普賢象も冷静な顔つきで丁寧に目薬をさしていた。目から液体が、義務的に流れていた。


「良かったわ、上溝がヒロインを強く抱き寄せるシーンが、ヒロインからは行けないもの。けど、最後に上溝の手に飛び込んで、自らを刺して死んでしまうのには驚かされたし、何より美しかったわ」

 映画が終わり陶酔的に話す深山に普賢象が相槌を打ち、横で私が聞いている状態で映画館を出ると、出ようとすると、入り口でもめ事でも起きているのか人だかりができている。「何かしら!」と芝居的に言う深山と少し鼻で笑ったような普賢象に何事かと尋ねると、「見れば分かるわ」「見れば分かりますよ」と二人は言い精が蝟集している先に割り込んでいく。私も後を追った。

 私は思わず驚いて少しばかり足がすくんでしまった。人垣の中では男の精が短いナイフのような刃物を持ち女の精と対峙している、二人でわいわい叫び合っていたのだ。すわ、刃物男の乱入かと思い深山を見れば彼女はまた涙を流しており、普賢象を見れば通常と変わらぬ微笑みで、冷静さの戻って来た私もようやく事を飲み込む。あの男女はさっきの恋愛映画の真似事をしているのだ。

「誰もがヒーローヒロインに、英雄になってみたいと思うのは、桜源郷でも人間界でも違わないと思います」普賢象が言う。

「英雄的な……恋愛?」と私は問う。

「恋愛も含めて、人生に英雄的一瞬間を求めるきらいがありますね」普賢象は前髪を少しいじりながら言う。「誰だって自分の人生が凡庸な月並み俳句から脱する瞬間を見たい、だからこそ恋愛映画や小説というものが産出されるのでしょうが、何せ劇的なほうが面白いし、英雄的喜劇だけでなく英雄的悲劇だって、時には英雄的悲劇こそが幸福であったりしますし、何より神経の興奮は健康に良いですからね」

 男は女と二言三言怒鳴り合いを交わすと前に突き出していたナイフを降ろそうとした、しかし女は男に駆け寄り降りつつあった男の手首をつかんで自らに引き寄せ、結果自らをナイフで刺してみせた。人垣がどよめき、女性の金切り声に似た悲鳴が聞こえたと思えばそれは深山で、彼女は口元に両手を当てて目を見開き事件の推移を凝視している、と、男女は抱き合い泣き合い、床に血が数滴垂れ始めたところですぐに救急隊員が駆け付け、女性は担架に乗せられ連れ去られ、当然の如く男もそれに付き添って行った。号泣しながら。

「嗚呼」と深山が、感に堪えぬと言った感じの声を漏らした。「愛だわ」

「救急隊員の到着がいやに速かったのは、自作自演とでもいうか、演劇的要素が強かったからですかね?」

 私が些か皮肉を込めて言うと深山が「あなたはなんて冷淡な男なの!」と猛り立ち、困ったので普賢象に助けを目で求めると彼は目薬を目に入れてから「英雄的悲劇、特に恋愛における英雄的感興は、男性より女性が好みますね」と言う。その言葉を醒めていると取ったのだろう、深山が私から急反転して普賢象に食ってかかろうとし、しかしその頬に液体の流れているのを見て、「嗚呼」とまた感嘆した。普賢象は許されたようだった。

 蝟集していた精たちもばらけて行き、普賢象が「事件までありましたし、帰りましょう」と言う。深山はやはり深々と頷き、「ええ、そうしましょう」とうっとりと言った。普賢象ほど怜悧な人物が深山の好意に気付いていないはずもなかろう、それをうまく転がしているのであって、私はその立ち回りに感嘆するのと同時に、好漢に思われた彼の黒い部分が仄見えたような気がした。生卵を勢い余って叩き割ってしまったような、嫌な感じがした。


 帰り着いた家には電気が点いておらず、まだ夕刻ゆえに点灯せずとも問題ないということかと思い玄関を開けてみれば様子がおかしい、「ただいま」と言っても応答なし、私は強盗でも入ったのだろうかと恐々と、映画館のあの男女の流血の、床に垂れた鮮血を思い出しながら家の奥へと入り、ついに食卓で高嶺を見つけた。

 飲んでいた。へべれけに飲んでいた。ビールが三缶食卓に置いてあり、一度倒してしまったのかテーブルクロスに大きなシミができていた。

「ああ? ははっ、お豆くんか、なんだお豆くんか、お帰りなさいませ、ははっ」と高嶺は酩酊して頭を揺らつかせながら言う。

 私は訊いた。「ただいまです。何か、あったのですか?」

「ひひっ」と、まるで車に轢かれた蛙のような声を出して高嶺は顔を歪め、「何、たいしたことじゃない、妻の、いや、一緒に住んでいただけの一葉がね、どうも出て行ったらしいんだ」

「どこから?」

「この家からだ!」

 ガツンと高嶺は手にしていたビール缶をテーブルに叩きつけ、それから神経質そうに笑った。「きひひっ、ここを去るってね、この家から」

「直接そう言ったのですか?」と尋ねると高嶺がテーブルの左手に置いてあった紙を私に向けて投げる。が、紙は空気抵抗に負けて舞い上がって後ひらひらと床に落ちた。高嶺のヒステリックな笑いが聞こえる中私はその置き手紙を拾い、目を通した。一葉らしい丁寧な字で、他に愛すべき男ができたのでここを去ります、何か御病気がありましたら今まで通りわたしの医院へご来院を、特別料金で診療します、豆さんにもよろしく、今までありがとうございました、と記されていた。一葉はオス的女性だったのだろうな、と私はぼんやり思った。

「法的な制約を受けない婚姻は、やはりリスクが高いのでは?」私は少し意地悪な気持ちで尋ねた。

「馬鹿な、ははっ、ははははは」と高嶺は哄笑する。「そんな状態で家庭を維持するなんて、一葉が辛いだろうし、何より私が不愉快だ、法的義務から仕方なく一緒に居てやる、だなんてね。いいさ、これで遠慮なく好きな時に好きなだけビールを飲めるぞ! さあ飲もうじゃないかお豆くん。これから始まる新生活に乾杯だ、カンパーイ!」

 高嶺が勢いよく掲げた缶ビールから黄金の液体が飛び出す。前方に散ったそれは音もなくテーブルクロスに吸い込まれる。高嶺が、興奮しきった幼児が出すような笑い声を上げる。私は高嶺の差し出した缶ビールに手を付けず、立ったまま、その光景を見つめていた。


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