11 葬式と宗教
11 葬式と宗教
煩雑な形式は排除する。だから通夜は行わず葬式のみを行う。そう高嶺から聞いていた。のだが。
確かに通夜は省かれたが葬式が実に形式的で、来賓のスピーチが始まってから一時間近く経つのに一向終わる気色がない。今現在長々と喋っているのは同僚の音楽科教授で、高嶺が言うには「あの教授は過去に俳優を目指していた時期があってね。だから追悼文を読んでいるうちにどうしても芝居になってしまう。会議でもそうさ。自分の演技に酔ってしまうんだよ」とのことで、恍惚としたスピーチは未だ終わりそうにない。
会場には見知った学校の教授以外に大島の姿と、一葉の姿もある。高嶺は一葉と一言二言交わしたが後は互いに干渉せぬよう気を遣っているらしい。一度砕けた関係はおそらく修復不能だろう。あるいは『結婚』という完成された形態に至っていなければまた元の鞘に収まるのだろうか。
読経が続いている。仏教に似た不明瞭な音声が流れているのだが、音の発生源はラジオだった。「昔は人間界のように様々な宗教が流行していたんだがね」と高嶺が言う。「今や国民は完全に二分されている。無神論ともう一つ、数学教さ。無神論は分かるね? 一時は神秘主義も虫の息だったんだが、しかし現代風にアレンジされてね、数学を、つまりは自然の摂理を取り込んだわけさ。あらゆる事象を自然法則を基に演算して未来に何を行うべきかをあのラジオに乗せて託宣する、という仕組みになっているんだが、ここが面白い点なんだがね、たしかに数式は使う。しかしその数式の使い方が適切かというと大いに疑問があって、中には誰かが創作した数式が混ざっているらしくてね、数学を取り入れたはいいものの計算式が眉唾なんだ。というより、ぶっちゃけてしまうと数学教は、適当にそれらしい数式を引っ張って来て適当な値を代入して計算しているに過ぎないと判明している。その数値を基に明日は洗濯すべからず、なんてお告げするわけさ。機械の申し子たるラジオを使っているのは実に利口だが、要するに出てくるお告げはすべてインチキ、幼児の思い付きと何ら変わらない単なるあてずっぽうにすぎないわけなのさ。それをだね、人々は明日、下手すると自らの生の指針として行動するわけさ。君たちの好きな星座占いが数値に変換されて、それを人々が頼りに生きていると考えてくれればいい、かな。どうだいお豆くん、そんなものに人生を任せるなんて狂気の沙汰だろう? しかし、だ、頭の弱い精はね、数学で証明されています、科学的裏付けがあります、なんて言われると、それが真実であるかのように短絡的に信じてしまう者がいるんだよ。つまり、染井さんもあのラジオを妄信する短絡的な奴だったって話になるんだがね、ちなみにそれがインチキだと気付いた精は何一つとして信じるもののない無神論を信奉する。これは、いざという時に支えとなるものがないのだから、苦しい生き方だ、何者も切羽詰まれば神の名を呼びたくなるものだからね。数学教の偽りの信頼か、無神論の孤独か。凡そこの二つに分かれているんだがね、あるいは、だ」高嶺は嬉しそうににやける。「優秀な精は、もう一度言うが、優秀な精は、やはり数学教を信じるのさ、安寧の数学教と言って信奉するのさ。彼らはね、ラジオの告げる言葉がすべて嘘、無意味だと知りつつも、それを本気でありがたがってみせるのさ。たとえ天気予報で明日雨がほぼ間違いなく降ると知っても数学神が、おラジオ様が洗濯せよと言うのならば洗濯する、どう見ても胡散臭い男であってもおラジオ様が仲良くすべしと伝えてくるのであれば水魚の如く親密に交際してみせる、どう考えても負ける賭けだろうとそちらに賭けてみせる、などなど、お告げをありがたく拝聴、そして生真面目に実行し、失敗したところでそれが運命だったのだと文句一つ言わないどころか寧ろありがたがってみせる、これこそが我が国における真の賢人のあり方、なのさ。偽りの神を本気で信じたふりをする。なんせ、祈る相手のみならず生きる指針まで与えてもくれるのだから、狂気のようでいてこれこそが最も正気な、安楽な生き方なのだよ」もっとも、私はまだ無神論者止まりだがね、と高嶺は皮肉気に笑う。「なぜ無神論かって、それは、なぜなら、疑ってみせることが賢く見える、ひいてはかっこよく見せるコツだからさ。私だってかっこはつけたい。ただ、ついには自分自身を疑い始める者もいてね、そういう奴は大概発狂して終わるんだが、あるいは苦悩してみせる自分に酔いに酔う性質の悪い連中も現れてね、不幸が募れば募るほど彼らは愉悦を覚えるんだ。君が行った不幸の展覧会に出品するような連中の話さ。まあ、私の無神論に関しては、染井さんや他の数学教の教授に言わせると、嘘に陶酔するだけの度量がない、ということになるらしいがね」
読経が続いている。追悼文と銘打ったスピーチもまだ続いている。ラジオが時折ズガーガッ、ガガガと鳴くようになってきた。腕時計を確かめると葬儀が始まってかれこれ二時間近く経つのに盛大な追悼文から一向に式が進まない。が、高嶺に言わせれば染井の式は桜源郷内ではだいぶ短いものになるだろうと言う。「なんせ、直接の死亡原因はショック死だけども、どうやら天狗巣病のほうは本当だったらしいからね、空気感染の恐れがある伝染病を媒介する死体と同室になるなど、本当はみんな嫌なのさ、スピーチに陶酔している者だって内心帰りたくてしょうがないはず、ま、自分の演技はきっちりやるんだがね、というわけだから式自体はするすると手早く進行するはずだ」
「なんというか」私は考えてしまう。音楽の授業を取っていなかったので染井に教わったことはないが、それでも高嶺がらみで何度か挨拶を交わした仲だ、その精との、今生のお別れとなる葬式は、しっかり執り行って欲しいし参列者の一人としてきちっと見届けたいと思う。しかし。
高嶺が大口で欠伸する。「それにしても、退屈も退屈だね。そうだお豆くん、私は、せっかく教授方が集まっているんだ、この場で会議でもやってしまおうと思う」
「しかし今は葬式中で」
「あの男のスピーチが長すぎる、しかも終わる気色がてんで見えない、私も染井さんに義理立てして真面目に聞いていたがね、もうあの男の朗読自慢に付き合う気もない。じゃ、また家に帰る時は私の車で、駐車場に集合。他に何かあったら私に声をかけてくれ。ただ会議中だからね、君の与太話に付き合うつもりはない。時は金なり、だ」
高嶺は小動物を追い払う仕草で私に手を振るとホール内、学校の教授が小さく集まってがやがやさざめいている方角へと向かう。いつぞや高嶺と話した桜の精の死生観、天国と地獄などの話を思い返す。桜の精にとっては死など、たとえそれが親しく付き合っていた者の死であれつまらないものでしかないのか。会議を優先するような、つまらないものでしか、ないのか。
私は延々続くスピーチに神経を傾けた、が、いつからか染井の話ではなく話者のエピソードを語り始めていて聞いたところで故人を偲ぶことにはなり得ない。私は遺影を見た。染井が、こちらを睥睨している。笑顔の、あるいはせめてもっと安らいだ顔にすればいいのに、と思うも、染井はだいたい目を細め睥睨する表情でいたがために他にどんな表情をしていたか今では思い出せない。あの蓬髪が菌床となり天狗巣病への感染に繋がったのか。あまり清潔感を感じない精だったが、と思いながら私は遺影に手を合わせてみた。
「やはり人間は手を合わさずにはいられないのですか?」
横から普賢象の声がした。彼はいつになく生真面目に口元を引き結んでいる。
「人間、どうしても死者を見ると手を合わさずにはいられないというか、祈りのポーズになってしまいますね」
私は普賢象に微笑みかけた。が、普賢象はいつもと違い微笑みを返しては来なかった。
「どうして、あなたはここに?」
普賢象の問いかけは簡潔で、私は意味が分かったようで、その真意には気づかなかった。
「なぜって、染井さんとは一応面識もあるし、高嶺さんが懇意にしている相手だし――」
「人間のあなたが、なぜわざわざ桜の精の葬式なんかに出てくるのですか?」
慇懃無礼と言うのか、普賢象の落ち着いた口調に研ぎ澄まされた刃を感じる。
「それは……行きたいと思ったからです」
私が答えると普賢象はいつものように微笑み、「そうですか」と言って私の横に並ぶ。
「突然、どうしたんですか?」と私が聞くと
「何がですか?」と普賢象が訊き返してくる。
「いえ……特には」と私は返した。
次第次第に、ラジオの読経が大きくなってきた。
「染井教授、音楽科のくせしてピアノが下手くそでしてね、理論偏重だったくせにその理論も珍説か過去の誰かさんの論文とさほど差異のないものでした。それが一定の地位を占めていたのですから完全な老害でしたね」
「そんな!」
思わず私は声を上げ、近くにいた数人がこちらを振り向いた。私は彼らになんでもないと軽く会釈し、それから普賢象を睨みつけた。普賢象はにこりと清楚に笑い、
「高嶺さんが、そう言っていましたよ」と言う。
私は高嶺の言に狼狽えつつも、なぜそんなことを普賢象が私に伝えるかは明らか、私を挑発するためだからで、極力何でもないように装う。「ずいぶんな言い分ですね」
「高嶺教授も容赦ないですから。ことさら老人に対してはね。普段から、年寄りはプライドばかり高くていかんねと、あなただって聞かされてきたんじゃないですか」
「まあ、はい」
ラジオの読経は相変わらず不明瞭な音声だ。それがわずかながら大きく、大きくなっていく。
「あれ? 染井教授のために怒らないんですか?」普賢象がくすくす笑う。
「怒ってはいますよ」と私は応じる。
「内心では染井教授のこと、見下していたくせに?」普賢象の顔がいやらしく歪む。「だってそうじゃないですか、あなたはあの冴えない音楽教授のことを、どこかで馬鹿にしていたでしょう? 不幸の展覧会で吉備さんと口論になった時、あなた、鼻で笑ってたじゃないですか。馬鹿にするのを許しているんじゃないんですかね?」
「それは……」
私は言葉に詰まる。追悼文の読み手が激情的に台詞を語る声が聞こえる。
「ま、人間というだけでやたら見下されるあなたには、見下せる相手が必要だったのでしょうけれど。それにしても高嶺教授も高嶺教授です、この若さで大学教授だなどと権威ぶっているけれどその実力はたいしたことない、桜源郷が国として人間界への侵略を考えているから重宝されているものを、自分の純粋な実力だと勘違いしている」
「人間界への侵略?」話の途中だったが私は思わず聞き返した。
「そうです。いずれ最強を名乗っている人間を我々の支配下に置かなければなりませんからね」普賢象は、ふん、と鼻を鳴らし、「どうせあなたにどうこうできることじゃないですから忘れてください。さて、高嶺教授の話に戻りましょうか。彼は最近、妻の一葉さんと別れたらしいですね。それがなぜだか知っていますか? 一葉さんが政治家の大島さんと会っていたんです。君たち流に言うと不倫です。面白いですね、不倫。倫理だなんて、人間は守れもしないのに倫理を掲げるんだから性質が悪い。それは置いといて一葉さん、いつも仕事で忙しくしていたんじゃないですか? それは家の外で大島さんに会っていたからですよ。小旅行なり何なり二人がお楽しみのところ、高嶺教授は家で何も疑わずに優雅にソファーか何かにくつろいでいたわけです。実に滑稽でしょう?」
私は一葉が、染井の運び込まれた時やけに暇そうだったのとその割に連続する休日出勤を思い出した。
遠くで会議をしている高嶺の、甲高い笑い声が聞こえてきた。
「ま、高嶺教授と一葉さんの別れは必然だったとも言えますがね。彼らの間には息子がいたのですが、小学、たしか三年生の時だったと思いますが、とにかく小学生のみぎりで二人の息子は自殺したんです。自分のようなのろまはこの世のハイペースについていくことができません、リタイアします、というようなことが遺書にしたためられていたそうです。高嶺教授が河津くんを気にかけるのも息子を重ねているからです。息子の自殺以来夫婦仲も冷え切り、舌鋒鋭い高嶺教授ものろまにだけは同情するようになったんです。例えば染井教授のような、ね。理知的を自ら誇る高嶺教授も所詮同情に流される精だったってことです。そんな彼が三原則、ゴミはゴミ箱へと唱えるんだから、滑稽でしょう? それを唱えることが彼の擁護するのろまを否定することになるのだから、矛盾ですね、ははっ」
私はもう、これ以上普賢象の話を聞く気はなかった。彼を片手で制し、離れる。と、大声で「天狗巣病だ!」と聞こえた。もちろん普賢象の声。葬儀場が一瞬沈黙し、それから一気に騒然となる。「なんだって?」「天狗巣病だって」「そんな馬鹿な」「伝染したんだ!」「逃げろ!」
それまで欠伸している精すらいたものを、全員が全員眼を血走らせて出口へ殺到し、「どけ」「外に出せ」「押すな苦しい」と大混乱の中普賢象は高嶺を見つけ出しそばに寄り大声で「教授! 天狗巣病です!」と叫ぶ、途端に高嶺は慄きの表情となり、そこに加えてさらに普賢象が「高嶺教授! あなたには天狗巣病の可能性が!」と追い打ちをかける。
慌てて頭頂部の枝を触ったと思うと高嶺は、ああ、とつんざくような悲鳴を上げその場に卒倒した。
普賢象がこちらに振り返る。どこか淫靡な、恍惚の笑顔を浮かべていた。
私は染井のそばで天狗巣病を連呼する普賢象を思い出した。あれはわざとだったのだ、わざと連呼して染井を参らせたのだ。以前、校内で地学教授と決闘騒ぎを起こした普賢象を思い出した。そして今。普賢象は、この男は、優等生のように見えてその実、悪意の塊だったのだ。
私はすぐに倒れた高嶺の元へ駆けた。その横で普賢象はいつまでも声なく笑っていた。




