第八話 かゆ、うま
途中の段落に記憶の考察がありますが、シナリオ上はあまり重要ではありません。
退屈な方は◆のマークのあるところ、「さて、記憶の考察はここまで!!!」まで読み飛ばして下さい。
2016/10/2 誤字修正。
奴隷生活を始めて十日が過ぎた。
厳しい生活に変わりは無いのだが、スキルシステムを発見したことで
俺にはやる気がみなぎってる。
みwwwなwwwぎっwwwて来たぜー! ヒャッハー!
上手く立ち回って、まずはこの屋敷から逃げ出してやる。
最終的には日本の我が家に帰るのが目的だが、この屋敷の奴隷ではそれも不可能だろう。
従って、当面の目標は、暗黒のワダニ家からの脱出だ。
方法はすでにいくつか考えているが、失敗が怖い。
完璧に大丈夫だと自信を持って判断できるまで、色々な準備が必要だろう。
そのためにもスキルを鍛えることは大事だ。
モンスターを倒さなくても経験値が貯まって技が上達するんだから、これは安全だ。
ただ、ゲームと違って、どの程度、スキルが上達したか、細かいポイントの数字は分からない。
ステータスが見えると良いんだけどね。
呼んでも念じても出てこない。
そこで俺は、上達の違いを把握するために日記を付けることにした。
紙なんて上等なものはこの世界には存在しないだろうから、
いや、あるのかも知れないが、奴隷の俺には入手不可能な気がするので、
暗記術を使って脳内ストレージに記録することにする。
ここで少し、記憶について考察してみよう。
記憶とは即ち繋がりである。
どういうことかと言うと、例えば俺はこの世界に来てワダニに鞭で打たれている。
「ワダニは危険だ」
と、俺の体が覚えている。ヤツの顔を見るだけで緊張する。
これは、俺の脳が、ワダニというあのブルドッグ野郎の顔のイメージと、鞭で殴ってきて痛いぞという情報を結びつけているのだ。
脳は微弱な電気信号をやりとりしているが、その回路を構成しているのが神経細胞であり、この回路はモノを覚える度に変化していく。
では、意識的にこの回路を操作できれば、記憶力を飛躍的に向上させることができるのではないか?
「いや、脳の回路なんて、手で触れないし、目に見えやしないんだから、そんな事は不可能だ」
と思う人もいるかも知れないが、回路をつつくのに何も本体をいじる必要は無い。
パソコンのハードディスクにメモを入力するのに、
ハードディスク本体をいちいち分解する必要性が無いのと同じ事である。
個々の神経細胞は電気信号のやりとりを繰り返すことで成長し、より、繋がりが強化され、さらに電気信号が流れやすくなっていく。
従って、覚えたいことを繰り返し反復学習すれば、その記憶に必要な神経細胞の回路が強く構成されていき、「覚える」という変化になるわけだ。
1 何度も繰り返す。
2 教科書を声に出して読む。
3 ノートに書いて覚える。
見るだけより、声に出したり、イメージを思い浮かべたり、手を動かす方が、使う神経細胞が多い。
脳の神経細胞は一つが死んで駄目になっても、周りの神経細胞がカバーしてくれるという特性もある。
なら、五感の神経細胞をフルに使った方が覚えやすいだろう。
人間は本能により、危険を記憶する習性がある。
条件反射、パブロフの犬だ。梅干しを頭に思い浮かべるだけで、唾が出てくるのは、本能的に外界の変化に対処しようとするからである。
嫌なことが忘れられないのは、繰り返し思い出して回路を強化するからであり、定期的に思い出していれば、忘れにくい。
逆に、好きこそ物の上手なれ、と言うが、人間、興味が有ることには時間を忘れて集中し、思い出し、自動的に反復していく。
教科書の歴史の人物は全く覚えられないのに、好きなアニメの登場人物や戦国武将の名前をやたら覚えてしまっているのはそういう理屈だ。
4 語呂合わせ。
5 物語付け。
人間は、無意味なランダムの数字を覚えたり、興味の無い分野を覚えるのは苦手である。
なぜならば、あなたにとって不要なことであるから。
いや、勉強は必要なんだよ!
と言うかも知れないが、円周率を覚えられなくて鞭打たれたり、死ぬことは無いだろう。
ここで、どうしても覚えたい場合には、ちょっとしたテクニックが必要になる。
1192造ろう頼朝さん、化学式の「水兵リーベ僕の船」、と言うアレだ。
自分の覚えやすいイメージとイメージを繋げて、物語形式にするのも同じ事だ。
桃太郎やさるかに合戦、あるいは神話が言い伝えで伝承されていくのも一つのテクニックだろう。
6 イメージトレーニング
さらに弁論が発展した古代ギリシャでは場所の視覚的イメージを利用した記憶術があったという。
例えば、手のひらを使って、人物の順番を覚えることにする。
親指は短いが太くて横幅があり、お父さん指だから、ワダニとしてみよう。アイツ小太りだからな。
人差し指はお母さん指だから女性のレダ。
中指は長身のロブ。お兄さんだ。
薬指は俺。オネエよ、うふっ。
小指は子猫のクロ。
親指から順に、ワダニ、レダ、ロブ、俺、クロ。
不動の順番が構成された。
次から手のひらを見て人物の順番を意識すれば、迷うことは無い。
くそ、こいつめ、こいつめ。
親指を指で弾いたが、自分が痛いだけだった…
さて、記憶の考察はここまで!!!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
日記だ。
暗記術を駆使して、定期的に思い出せば、俺の頭脳ならやれると思う。
十日目。晴れ。季節は春。
夜はロブとしりとりをやって遊んだ。
トランプとか有れば面白いと思うのだが、日が沈むと暗いし明かりは無い。
猫の実は八つ取った。サロン草も集めまくった。
十一日目。曇り
ワダニが新しいロドルをもう一匹、連れてきた。
労働力が増えるのは良いんだが、俺が世話係になってしまった。
面倒臭い。
猫の実は八つ。近場は取り尽くしてしまったので、別の場所を探さねば。
サロン草は近場でも大量にあるし、集めまくる。
十二日目。雨
ここに飛ばされてきて、初めての雨だ。
この世界ではそんなに雨は降らないらしい。
とにかく畑仕事はお休み。やったね!
…と思ったら、家の掃除をやらされた。
小屋と母屋を移動するときに服が濡れてしまって、じめじめして気持ち悪い。
薬草は外に出なかったので取りに行ってない。
十三日目。晴れ
頭がかゆい。
ロブに言うと、川で洗えと言われた。
水浴びするような季節じゃないんだけどねえ…。
づべだい…。
猫の実は別の場所の木を見つけた。九つ。
サロン草も集めたが、ロブがそんなに集めてどうするんだと言う。
どうするも何も、スキルを鍛えてるんですのよ。
十四日目。
まだ頭がかゆい。
背中や足のすねもかゆかったので、サロン草を貼ってみた。
すっとして気持ち良かった。
猫の実は十個。順調だ。
十五日目。
昔、この屋敷にいた奴隷が逃げ出して、のたれ死んだと聞いた。
逃げるときに、食料をどうするか考えねば。
体全体がかゆくなってきた。
猫の実は十個。
十六日目。
体を洗ってやろうと川に入ったが、そのせいか、風邪を引いて熱を出してしまった。
小屋で寝る。
何もやる気が起きない。
十八日目。
やっと ねつ ひいた けど とてもかゆい
十九
かゆ、うま
「ええい! かゆいんじゃあ!」
風呂に入りたい。
ここに来て、ずっと風呂に入ってない。
そりゃかゆくなるのは当たり前だっつーの!
ロブは濡れた布で体を拭いたり、たまに水浴びすれば平気なようだが、
俺の場合、水浴びすると風邪を引く。
困った。
ここから脱出するよりも切実な問題だ。
「ロブえもん、どうにかならないの?」
「コーワ草の実をすり潰せば、かゆみ止めになる」
対症療法だ。根本の解決になってない。不衛生でしょ。
「うーん。石鹸になる草とか無いの?」
「…アリエ草、服に使う」
レダが使ってる洗剤系の薬草だ。
前にどんなモノか見せてもらって、集めて持って行ったら喜ばれた。
でも、あれは、人の頭や体を洗うと、かぶれそうだよなあ。
レダも手荒れが酷いので、回復系のアロエ草を毎日手に塗っている。
いっそのこと、ワダニに頭を下げて、お風呂やお湯を使わせてもらうか?
いやいや、駄目だ。アイツは奴隷に優しくない。
しかも、ワダニは桶にお湯を入れて体を拭いているようだが、お風呂はこの家にも無いと言う。
風呂というのは、大量のお湯が必要なため、貴族階級しか使わないようだ。
ご主人様も使わない風呂に入れろと要求したら、どんな目に遭わされることか。
作戦その一
ワダニが出かけた時を狙って、お湯を使う
作戦その二
アリエ草で無理矢理に頭を洗う
作戦その三
親切な貴族を探す
それぞれに困難があるが、まず、作戦その三は実現の可能性がかなり低い。
川と畑の往復でこの村も見てみたが、この辺には貴族はいない様子。
だって見た目からしてド田舎だもの。
となると、その一かその二だが、
その一はリスクがちょっと大きすぎる。
ワダニに見つかろうものなら、鞭打ちは必至だ。それ以上のことをされるかも。
レダもチクりそうなんだよな…。
ほとんど家にいるレダの目を盗むのも難しい。
「よし、決めた」
もうアリエ草で洗ってしまおう。コーワ草でかゆみを止めても、どこまで効果があることやら。
日常的に使われているアロエ草はともかく、他の薬草は注意が必要だろう。
薬の効果が強いということは、それだけ副作用も強いということだし。
コーワ草を常時使用するよりは、アリエ草を何日か一度の方がマシな気がする。
川に行き、ついでに持ってきたアリエ草のすり潰したモノを桶の水に浸して、石けん水を作る。
レダがやっているようなそのままのぶち込みではなく、量も少量に留める。
「ふむ、くんくん、臭いも洗剤だなあ」
それだけに不安が残ってしまうが、泡立っているし同じ界面活性剤なら、洗うという効果は期待できる。
タオル代わりの布とファイアスターターの枝と薪も用意して、風邪引き対策も万全だ。
「ふーっ、心頭滅却すれば火もまた涼し。きえええい!」
さて、気合いも入れたし、行くか。
…いや、心臓麻痺を起こしてもあれだし、準備運動をしておこう。
「おいっちにっ、おいっちにっ」
さて、準備運動も終えたし、行くか。
…いや、洗った後ですぐ暖が取れるように、先に火を付けてしまおう。火打ち石もバッチリ、借りてきている。
ファイアスターターの枝にカチカチと火打ち石を打ち付けて火花を飛ばしてやると、すぐに燃え始める。
これだけ火の点き方が良いと、山林火災が心配になるが、良く出来ているもので、
ファイアスターターの幹は難燃性で、枝も折ってから乾燥させないとここまで燃えないそうだ。
さて、暖も用意したし、行くか。
…冷たいんだよなあ。
「洗わないのか?」
「ニー?」
付いてきたロブとクロが疑問に思った様子。アリエ草は目に入るとヤバいらしいので、手伝ってもらうために付いてきてもらっている。
「いや、洗うけど、心の準備ってものがさ、あるでしょ」
「準備?」
「そうそう。別に嫌らしい意味じゃないけど初体験のことだし」
「だが、洗うだけ、だろう?」
「そうだけど! 後でスゲーかぶれるんじゃないかとか、水が冷たいだろうなあとか、また風邪引いたら最悪とか、色々さあ」
「なら、止めれば良い」
うん、それはそうなんだけどね。
まあいいや。
ロブを待たせちゃってるし。
「じゃ、ロブさん、お願いします」
「ああ、任せておけ」
「じゃ、そうっと…」
頭を桶に半分だけ突っ込み、髪の毛を洗う。
「お? おー、これこれこれ。あー、汚れが取れるぅ」
泡立ちが足りないし、冷たいが、汚れが取れる感覚がある。
目を閉じて、水を髪の毛全体に行き渡らせてゆっくりめにマッサージ。
かゆいところを重点的に。
「ふう。じゃ、ロブ、お願い」
「ああ」
ロブが川の水を別の桶で掬って、俺に頭から掛ける。
予想通り冷たい。
しかし、アリエ草の成分はしっかり洗い流しておかないと。
「もう一回」
ザパー
冷たっ。寒っ。
「も、もう一丁!」
ザパー
冷たい…。
「よし、来いや、オラァ! かかってこいやぁ!」
「落ち着け。もういいだろう。ほら、拭け」
布を渡してもらい、髪を拭く。
タオルではないので、水の吸収が悪い。
早く現代文明に戻りたい。
こまめに絞って、拭く。
焚き火の側で拭く。
「ふう」
漢、ユーイチ、やり遂げました。
まあ、季節は春で、そこまで寒いわけじゃないんだけどね。
「ニー。ニー」
クロが桶に体をこすりつけている。
「なんだ、お前も洗うのか?」
「ニー!」
洗いたいようである。でも、猫って、舐めちゃうじゃない?
アリエ草は飲み込んでも体に悪いと思うんだ。
「ニー…」
「分かった分かった。じゃ、目は閉じてろよ?」
背中の方から残ったアリエ草の水を掛けてやり、手で洗ってやる。
「お客さん、どこかかゆいところはありますかぁー? 遠慮無く言って下さいねー」
「ニー」
「む、膝ですか、畏まりました」
「ニ、ニー」
違うみたいだが、クロちゃんの言葉、俺にはわかんないもんね。
いや、伝説のビーストテイマーなら、あの人なら、会話もできるだろう。
ちょっと頑張ってみるか。
ビーストテイマーのスキルあるかもしれないじゃん?
「ここ?」
「ニー…」
「ここか?」
「ニー!」
「お、ここか。と言うか、なにげにお前、賢いよな」
ちゃんと目を閉じてるし。
「ニー」
翌日、俺はしっかり風邪を引いてしまった。
なぜだ…
2016/4/21 他の方の作品を読んで無知な私は衝撃を受けたのですが、界面活性剤ってムクロジ、ソープナッツ、サイカチなど天然植物で地球に存在し昔から使われていたんだそうです。(´Д`;)