第十三話 出発
2016/10/2 誤字修正。
純粋に記録の魔法を開発していた俺は、ほんのちょっとした軽率さのせいで失敗し、ティーナにこってり絞られた。
美人が怒ると本当に怖いですね。
細剣を鞘から抜いて鼻先でちらつかせながらの説教だったので、俺は生きた心地がしなかった。
しかも、ティーナ、笑顔で怒ってたし。
だが、鞭打ちは無く、暴力も振るわれずに済んだ。
やはり、ティーナはまともだ。
奴隷が粗相をしたら、一発殴るくらいは当然だよね、と思ってしまった俺は、こちらの悪い慣習に相当染まってしまっていたようだ。
うん、相手が本当に反省して、二度とやらないというのであれば、暴力では無く諭しで、寛容さをもって機会を与えるやり方で行こう。
そう心に誓った。
もっとも、再発の恐れがあり、なおかつ、俺の生存に関わるような話であれば、容赦するつもりは無い。
ノックがあった。
緊張する。
「ユーイチ、朝食を取りましょう」
「はいっ」
クロをローブのフードに入れてドアを開ける。
ティーナがまだ怒っていたらどうしようかと心配したが、彼女は昨日のことはもう気にしていないのか、普通に笑顔だった。
紅緋色の瞳をおそるおそる窺う俺。
「敬語で無くて良いから」
「わかった」
なぜか、ティーナは俺を対等に扱おうとする。封建制度で身分の違いもはっきりしているこちらの世界では、平等なんて思想が流行るとも思えないのだが、まあ、考えても仕方ない。
ティーナにとって俺が役立つ存在であれば、しばらくは宿代も食事も持ってくれるだろう。その間に、なんとか稼ぐ算段は付けておきたい。
「リム、開けるわよ」
一方のリムは、獣人だからなのか、身分の違いをすっ飛ばして、種族の違いの方に目が行くというか、何というか。
リムも俺を奴隷扱いはしていないのだが、アホの子だから、あまり深く考えていないだけだろう。礼儀作法も色々教えないとね、とティーナがため息をつくほどだ。
今も、こうしてせっかくの暖かい羽毛ベッドなのに、腹を出して大の字で寝相悪く寝入っていた。枕に噛みついていて、ヨダレが垂れているが、きっと魚を食べる幸せな夢でも見ているのだろう。
「リム、朝よ。いい加減に起きなさい」
シーツをティーナが引っ張り上げ、枕も取り上げようとするが、噛みついたまま、宙ぶらりんになっても目覚めない強者。
「寝てる振り…とかじゃ無いのよね?」
怪訝な顔で俺にも確認するティーナ。
「俺もよく知らんが、飯の匂いに反応して目が覚めてたな。リム、朝ご飯だぞー」
「ニャ! お魚かニャ?」
すぐさま左右を見回すリムは、食欲が全てらしい。
「さあ、どうかしらね。下に降りるわよ」
残念ながら、今日の宿の朝食に魚は無かった。少し残念そうに肩を落としたリムだが、ここの宿のパンが割合に美味しいせいか、笑顔でがつがつ食べている。
「じゃ、一応、ドットのところへ寄って、問題無さそうなら、次の街へ行こうと思うの」
ティーナが上品にパンを小さくちぎって口に放り込み、飲み込み終わってからそう言った。南東へ行きたいと話していたのですでに俺たちパーティーは了承済みだ。リーダーはもちろん、俺では無くティーナである。俺は奴隷だものね。
「ああ。分かった」
俺は当然だという顔でそう言い、自分が食べているパンを小さくちぎり、こっそり、足下へ差し出してやる。クロも食事中なのだ。さすがに、この世界にはペットに人間様の食事を出す宿は無いようで、予めティーナから、宿屋の主人に怒られたらクロを部屋に戻すように言われている。今のところはセーフだ。
一方、食事も満足に取れていないドットの母親の病状が不安だが、たとえ治っていなくとも、ティーナとしてはこれ以上は待たないと言う決定なのだろう。一週間も寝込んでいるからタダの風邪では無いだろうが、命にすぐ関わる感じでもなかったし、いずれこの街の医者も帰ってくるだろう。
冷たいようだが、なんて前置きもするつもりも無い。初対面のスラム街の親子に、そこまでする義務も義理も無いのだから。
高価な薬を無償で与え、何度も訪れて食事も作ってやっただけで、過剰な善意だろう。そう言えば、ティーナのカルマは低かったが、今までもこんな行動を続けていたからか。
それだけに、今後、誰かにつけ込まれるのでは無いかとパーティーの一員としては懸念するほどだ。
「リムもそれでいいわね?」
食べることに夢中になっているリムに、ティーナが確認を取る。
「んあ? ニャにが? このスープ、旨いニャー」
「ふう、ご主人、スープのお代わり、もらえるかしら?」
「あいよ」
ティーナが追加注文してやり、リムは上機嫌で出発に同意していた。
「じゃ、行きましょうか」
宿はチェックアウトして、元は山賊の物だった大トカゲをちゃっかり頂き、ドットの家に向かう。
「あ、ティーナ姉ちゃん、ユーイチ!」
ドットの明るい笑顔が救いだ。食事を作ってくれたティーナには一番感謝しているようで、扱いがお姉ちゃんだ。
「どう? お母さんの様子」
「うん! それが、あれから咳も止まってさ。な、おっかあ」
「ええ、本当にありがとうございました」
顔色も良くなっており、咳が止まったなら、大丈夫だろう。黄色い花の月見草は咳の病気に効果有りか。覚えておこう。
「じゃ、これ、後で二人で食べて」
ティーナが宿で包んでもらったパンを包みの布ごと渡す。
「わあ、美味しそう」
「申し訳ございません、お嬢様。このご恩は必ず」
母親が深々と本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
「ああ、いえ、気にしないで下さい。じゃ、私たちはもう次の街へ行くから」
「えっ! そりゃないよ!」
ドットが驚きついでに、そんな事を口にする。
「ドット、俺たちはボランティア団体じゃないんだ。後は自分でなんとかしろ。男だろ」
厳しいようだが、恵んでもらえるのが当たり前だと思ってしまったら、人間、終わりだ。渋い顔を作って言う。
「はあ? 何か勘違いしてねえか、ユーイチ。ボランチ団体だか何だか知らねえけど、そうじゃねえよ。オイラの方は借りたお金、まだ返してないじゃないか」
ああ、ドットが問題にしたのはそこか。
くそ、格好付けて言った自分が恥ずかしい…。
ごめんよ、ドット。
「それは気にしなくて良いから」
ティーナが何でも無いことのように言う。
「でも」
「私たちは用事があるし、それに、ドット、お金を働いて返してくれるのはありがたいけど、すぐのことにはならないでしょ?」
「む、それは、そうだけど…」
「じゃ、またこの街には寄るから、その時にでも」
「分かった。じゃ、約束だぞ!」
「ええ」
力一杯手を振るドットと、頭を下げっぱなしの母親に見送られつつ、俺たちはルドラの街を離れた。
「ん、元気になって良かったね、ドットのお母さん」
「そうだな」
「そうニャ」
「ニー」
「でも、あまり根を詰めて働き過ぎなきゃ良いけど…」
ティーナが心配する。
「心配しなくても期限は切ってないし、あの親子なら大丈夫だと思うぞ」
母親はそれなりに頭も回るようだったし、ドットもあの歳にしては働き者だ。何より、元気だし。
「そうね。まあ、取りに行くつもりは無いんだけど」
そう言うだろうと思った。証文も形も無し。
「それは良くないニャ。きちんと約束したんだから、取りに行くニャ」
リムは約束事は守るべきという道徳観からそう言ったのだろう。干し魚の数に換算してないよな? オマエ。
「うーん。稼げるかしら?」
「別に全額で無くても良いだろ」
言う。あのドットが思い悩むとは思えないが、一部でも返すことができれば、双方とも気が楽になるだろう。
「ああ、そうね」
「それで、次の街ってどんなところなんだ?」
魔術実験の不慮の事故により昨日は色々と立て込んでいて、聞く暇も無かった。
「ここから東に向かって街道沿いに四日ほど行けば、ヒューズの街があるそうよ」
この話し方だと、ティーナ自身は、そこへはまだ行ったことも無いらしい。なら、あまり詳しい情報は知らないか。
「魚は? 魚はあるかニャ?」
リムはそれだけが気になるようで、聞く。干し魚が彼女のリュックの中に山ほど入っているし、四日で食い尽くすなんてことは無いと思うが…ううん。
「ああ、ごめん、それも聞いてなかった。次は聞くようにするね」
「頼むニャ」
手斧は腰のベルトに引っかけ、小盾は腰の反対側にぶら下げているリム。街から街への間は、街道と言えどもモンスターや獣が出るので、武器は手放さないのが普通のようだ。
一方の俺はロドルの荷台にリュックと杖を放置。魔法は杖が無くても使えるし。もちろん、他の二人のリュックも乗せてある。俺も荷台に座って、一番楽をしているけども。
「ティーナ、旅をする上で、必要な事は?」
暇なので、レクチャーでも受けるか。薬草集めや魔法の鍛錬もやりたいところだが、探して歩き回ると四日の行程は俺のか弱い足が持ちそうに無いし、いざモンスターが出てきたときのために魔力は節約したい。
この時代の旅って、相当、ヤバそうだし。
無事に次の街へ辿り着けますように…。
「ん? 路銀と情報と武装かしら? 私を試しているの?」
「いやいや、まさか。単純に、俺が旅慣れてないから、大先輩に教えを請おうとしてるだけだよ」
「大先輩って、私もそんなに旅慣れてないわよ。馬車で連れられて王都に何度か行った事があるくらいかしらね、遠出となると」
「じゃ、リム。お前は、旅慣れてるだろ?」
「そうだニャ。一年もほっつき歩いてると、慣れるニャ。お金なんて無くても、川か海があれば、魚は捕れるニャ」
お金が一番大事だと思っていたが、コイツと一緒にいれば、飢え死にだけはしないかも。盗賊団にいたときも魚たくさん取ってきてたし。
「モンスターはどうだ? 危ないヤツがいたら、早めに教えてくれよ」
「分かってるニャ。でも、街道を行く分には、そんなに心配は要らないニャ」
「なぜ?」
「んっ? んー? なんでかニャ」
凄く頼りないです…。
「多分、街道って、モンスターの住処は避けて通ってるからじゃないかしら? そうしないと、強い冒険者以外は、誰も通れないでしょ」
ティーナが推測を述べてくれるが、理に適っているし、それっぽい。
「でも、全然出てこないって訳でも無いんだろ?」
「ええ、そりゃあね。モンスターがいないのは、街やお城の中と、祝福の場だけよ」
知らない単語が出てきた。要チェックだ。
「祝福の場?」
「ええ、なんて言ったら良いかしら、神様に祝福されて、モンスターが絶対に入ってこない場所が、時々在るの」
「安全な場所って事だな?」
「ええ。ただ、人間や獣人は普通に入れるから、モンスターがいないってだけよ」
だが、無限に広がるフィールドの中で一時しのぎ出来る場所があるなら、助かるだろう。
「他に、俺が知っておいた方が良い事って、何かあるかな?」
「うーん、そうねえ…いえ、ダンジョンにも入ったし、大丈夫じゃないかな? 旅と言っても、一度も外に出たことが無いなんてことじゃ無いでしょう? なら、焚き火のやり方と、そうね、見張りをどうするか決めておきましょうか」
「焚き火のやり方は聞いてるし、ファイアスターターの枝も持ってるぞ」
「なんだ、知ってるんじゃない。私を試したのね?」
「違うって。旅慣れてないのは本当だ。何度か野営したことはあるけどな」
そう言えば、森でサバイバルもしたっけか。
「充分じゃない。じゃ、三人いるから、野営の見張りは、私、ユーイチ、リムの順にやるわよ?」
「分かった」
「分かったニャ」
「ニー」
俺たちは思いつくままに細々としたパーティールールを決定しながら、のんびりと次の街へ向かった。




