第七話 伝記 ユーイチ=フォン=ヒーラギ男爵 中編
途中、HACCPの小難しい説明が出てきます。読みづらいと思われた方は次の◇◆の印まで適当に流し読みして下さい。
ネルロの役割以外はシナリオ上、あまり重要ではありません。
現代で実際に運用されている「衛生管理の方法の一つ」と思ってもらえればシナリオは把握出来ると思います。
2016/8/1 むう減量。
私、ヘリオス=ヨシーダは、ヒーラギ男爵の披露宴に出席できた幸運を神に感謝した。
「こちらは『テリヤキソース・ハンバーガー』、略称『テリヤキバーガー』でございます」
パンを横に二つに切り、その間にレタスや香ばしい何かを挟んでいる。
「こちらも、手にとってそのままお召し上がり下さいませ」
メイドの言葉に従い、無造作に手で掴んで、かぶりつく。
「むっ!? これは、肉!?」
簡単にかみ切れてしまったが、咀嚼してみると、やはり肉の味だ。何種類かのスパイスやハーブが加えられているようで、これも肉の嫌な臭みが無い。
また、レタスのシャクッとした食感とふわっとしたパンの食感が、肉と合わさって―――そう、これはあたかも、性格の違う親しき男女が仲良く手を取り合ってダンスを踊るような―――そんな楽しい味の寄り添い方だろう。
肉に掛けられているとろみのあるソースは、今まで味わったことのない甘みと程良い塩辛さで癖になりそうだ。
「うむっ! 旨い。これは何個でも行けそうだな! ガハハ」
大将軍のお気に召したようで、彼はテリヤキバーガーを両手に持って交互にかじっている。
美味しいのではあるが、私は喉の渇きを覚えてしまった。
「何か飲み物を」
メイドに頼むと、すぐにマグカップを渡してくれた。口の中に中身を流し込むと、ほんのりとした乳の甘みとコクがある。
「これは牛の乳ですね?」
間違いは無いと思うが、私はメイドに確認しておく。
「はい。ロフォール領から取り寄せたものです」
その割にはその場で絞ったような新鮮さだ。それに、ロフォールで畜産が盛んであったとは聞いていなかった。これは調査が必要だろう。
ただ、腹を壊さねば良いが。
私は黙ったままマグカップの牛乳をしげしげと眺める。私は一度、冒険中に古い乳を飲んで、酷い腹痛に悩まされた事があった。
「ご安心を。U-HACCPという手法で安全管理をしております」
「ほう?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
HACCPとは、Hazard Analysis and Critical Control Point の略で、
食品を製造する際に、あらゆる段階で発生する恐れのある食中毒の原因などを、まず予め、科学的・統計的に分析しておく( Hazard Analysis )。
次にそのデータに基づいて、製造工程のどの段階でどんな対策を採れば安全な製品を得ることが出来るかという必須管理点( Critical Control Point )を定める。
それを連続的に監視し運用することによって安全を確保する衛生管理の手法だ。
出来上がった製品を最終検査して不良品を取り除くのではなく、作っている段階で、重要な部分の工程の状態を一つ一つチェックしていくことで、危険な食品が作られることを予防するのだ。
牛乳の想定される危害要因は、細菌の繁殖や異物の混入である。
牛の食べる牧草から、乳を入れる桶、乳搾りの作業員の手洗い・消毒、牛の乳首の消毒、牛の健康管理、殺菌処理の温度と時間、運搬時の温度管理、毎日ネルロに毒味させる官能検査、消費期限などの段階がある。
それぞれの段階で、例えば、何時間までなら桶を洗わなくても食中毒が発生しないか、あるいは、何日までなら牛乳を保存しておけるか、それを細菌の数やネルロの日々の腹具合も見極めて許容できる限度を決めておく。
必須管理点CCPは、桶をいつ誰が洗ったか、その記録や方式も含めて管理されねばならない。
管理責任者は記入をサボったりしない真面目な人間でなくてはならない。
また、何のためにその記録が必要なのかを理解している必要がある。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ユーイチ式のU-HACCPでは、上記に加えて分析の呪文や『王の燭台』『求めの天秤』などの検査用魔道具を用いることにより、食中毒発生ゼロ件数の完璧な安全管理を実現したという。
「それは素晴らしい」
恥ずかしながらこの時点ではメイドの話の三割も理解できなかったので、後日、取材を行っている。たが、食中毒の発生がゼロと言うのであれば、安心できるというモノだ。
「こちらは『カレーパン』でございます」
きつね色のざらついたパン。
こちらは、先ほどの握り寿司やテリヤキバーガーの見た目の驚きに比べると、特に変わったところは無さそうに見える。
だが―――。
私が一口噛むと、サクッという小気味良い音と共に、パンの中に仕込まれていた具材が未知の驚愕をもたらした。
「むう、こ、これは、なんと心地良いスパイスなのだ」
舌がヒリヒリしそうな辛さなのに、旨い。独特の香味があり、これまたパンと合う。
パンは表面がカリッとしており、味も良く香ばしい。
私は瞬く間にカレーパンの虜となった。
これは焼くのでは無く、熱した油に漬けて『揚げる』のだそうだ。
「この中の具材は、なんと言うのだ?」
二つ目に手を伸ばしてから、はたと自分の職務を思い出して私はメイドに問うた。
「カレーでございます」
「ほう。カレーか」
確か、ヌービアにもこれに似たような風味の黒スープがあった。
さらに。
「こちらは『味噌ラーメン』でございます」
「ふむ」
お椀とフォークを渡され、まずはフォークで中の具材を引っ張り出してみる。
黄色く細長いモノ―――麺と言うらしい。
口に入れてみると、つるっとしていて、弾力もある。不思議な食感だ。
後に取材して分かったことだが、これは小麦と卵の練り物に重曹を混ぜて作るという。
重曹はトロナという鉱石をすり潰して得られる。炭酸水の元にもなるそうで、不思議な鉱石だ。
「ハフハフ、むう、これもまた珍妙な…」
だが、旨い。
熱く濃厚なスープは癖があるのだが、一口飲んでしまうと、もう止まらない。
麺と絡めるとこれが実に良い具合だ。もちろん、スープだけでも美味しい。
「ふう、暑いな」
体が暖まり、額に汗がにじんでくる。
これは服を脱いだ方が良いかも知れない、私がそう思ったとき。
横から爽やかな、そよ風が当たってきた。
見ると、魔術士が風魔法を使っている。
ローブ姿の娘が三人、一人は耳が尖っているのでエルフだろう。
「彼らは?」
「当家の魔術士でございます」
「ほう。男爵は魔術士もお抱えか。ま、ご本人も魔術士であったな」
「はい」
スープも飲み干したが、まだまだ物足りない。
「もう一杯、所望したいが」
「いえ、お客様、次は、『きつねうどん』をお試し下さい」
お椀の中に、三角形の平たいきつね色の何かが浮かべられている。
だが、肉ではあるまい。
フォークで突き刺しても、ふにゃっとした不気味な感触。
ええい、ままよと思い、口に入れて噛み切ってみるが、それに染みこんでいたスープがじゅわっと口の中に広がる。今まで口にしたことの無い食感と風味で、実に旨い。
「これはいったい…」
「大豆を加工した物でございます」
「なんと! 大豆がこのように変化するのか?」
「はい。一晩水に漬けておいた大豆を石臼でクリーム状になるまですり潰し、少量の石灰を入れながら煮たものに、海から取れる苦塩を入れると固まります。それを薄く切り、鍋に大量に入れた油で熱して揚げると、このような油揚げが出来上がります」
「ぬう、そのような複雑な技法が。だが、教えてしまって良いのか?」
「お館様は美味しいモノを広めたいと考えておいでですので」
普通なら商人を使って一儲けしたくなるところであろうが、ヒーラギ男爵の心意気に感心せざるを得ない。
「それより、お客様、その下の麺がうどんと言いまして、主役でございますので」
「おお。それは失礼」
先ほどのラーメンより、太くて白い麺。苦労してフォークで突き刺して食べてみると、柔らかでつるんとした心地良い舌触り。噛むとモチモチとしていて、これまた不思議な食感だ。
急いでうどんの麺を吸い込んでしまったので、ずずずっと、結構大きな音が立ってしまった。
私は思わず赤面する。
「お気になさらず。うどんは、音を立てて食べるのがマナーにございます」
「なんと! ほう、ま、郷には入れば郷に従えとも言うしな。では、失礼して。ずずずっ」
他にも油で揚げたと言う天ぷら、唐揚げ、フライドポテトや、麺類のパスタなど、未知の料理が次々と振る舞われ、貴族達は夢中になってそれを食べた。
本来なら貴族に出すのは憚られる燻製肉もヒーラギ男爵の手に掛かればベーコンとして高級食材となる。
ピザはとろけるチーズがカリッとしたパンと合わさってこれまた旨い。
「ゲフ、腹が苦しい。よしここは…」
太った貴族がそう言って中庭の端っこへと向かう。わざと胃の中のモノを吐き出して、また食べようという魂胆らしい。
私も読者に広くこの食べ物を伝えねばと思い、後に続こうとした。
「お客様、それはいけません。当家では、お腹いっぱいまでお召し上がりになりましたら、そこで終わりとさせて頂きます」
老執事が言う。
「なんだと! もっと食べたいのじゃ! 料理もたくさんある。構わぬであろう」
太った貴族が抗議したが。
「いいえ。ここに出された食材は全て民からの供出でございます。作る側に食うにも困る者がいる中で、ただ受け取る側が贅沢を尽くして良いものでしょうか? 食べ物は生きるためにあります。お館様は、貧しい奴隷の出身でございます故、どうか、ご配慮を」
「むう」
そう言われてしまっては、勝手に吐き出す訳にも行かない。何せ、この旨い未知の料理はヒーラギ男爵が主人として振る舞ったモノだ。いかに格上の貴族とは言え、家のしきたりを無視するのは風聞が悪いし、ヒーラギ男爵の不興を買えば、この先これがまた食べられるかどうか怪しくなる。
ヒーラギ家のしきたりでは、他に、ケーキを顔に向かって投げたり投げさせたりすると死罪、食材に毒を入れても死罪、ハンバーガーで早食いを競ったら罰金、と言う物が有るという。
ケーキを顔に向けて投げる馬鹿はさすがにいないと思うのだが、道理に適ったしきたりであろう。
「最後にデザートをどうぞ」
透明な大口のワイングラスに入れられた、少量の白や赤や紫など、色とりどりの塊。塊の一つ一つは直径四センチほどの一口サイズの大きさだ。
「これは?」
正体が全く分からず、見当も付かない私は老執事に問うた。
「『アイスクリーム』でございます。スプーンにてお召し上がり下さい」
まず白い塊から掬って食べてみる。
「おお! 冷たい! これは雪か!」
しかし、雪とは違い、まろやかに舌の上で溶け、心地良い甘みがある。
「白いモノは『バニラアイス』と申しまして、黒砂糖から色を取り除いたモノに、牛乳、卵、バニラ草を混ぜて凍らせたモノにございます。赤はバニラの代わりに猫の実、紫は葡萄、茶色はカカオ、緑は抹茶を入れてございます」
色が違うと味も異なる。風味の違いを楽しみながら匙で掬って食べていく。
「ぬおっ! ぐおおお!」
突如、それまでアイスをガツガツと食べていたアーロン大将軍が頭を押さえて大声で呻き出す。
すわ毒か、とヒヤリとしたが、老執事が慌てるなと言う風に両手で制した。
「言い忘れておりましたが、あまり急いで召し上がると、頭痛が起きることがございます。しばらくそっとしておけば治りますのでご安心下さい」
これは自分で試してみねばと、私も随筆家の意地を見せて口にアイスを掻き込む。
「おっ、おおっ、これがアイスか」
結構、頭が痛い。ずきずき、きーん、と言う感じであろうか。
何やら面白そうだと、他の貴族達もこぞってアイスを急ぎ口に掻き込み始める。
「うおっ! きたっ! いたたたた」
「ぬう、これが」
「おお、私も来たぞっ! くうーっ」
「いや、皆さん…なぜに…」
ヒーラギ男爵が解せぬ、という顔をしていたが、新しいモノへの挑戦はいくつになっても楽しいモノだ。
HACCPですが、宇宙を飛んでいるスペースシャトル内で食中毒が起きると病院にも行けないため、絶対安全な宇宙食を作るためにNASAがこの手法を開発したそうです。
また、トロナと言う鉱石は実在します。現在、世界の炭酸ナトリウム(略称が重曹)の28%が天然由来だそうです。
木を燃やした灰からも得られるらしいです。これらに水とクエン酸を混ぜると炭酸水になるとか。




