第三話 異変
2016/3/13 誤字修正。
森で自給自足の生活を始めて、十日が過ぎた。
食料の種類は限られるが、量は充分にある。
泉に行けば、飲める水もある。
逃げ出した奴隷がのたれ死んだなんて話も聞いたことがあったが、あれは逃がさないようにするためのプロパガンダだろう。
「ふあ…」
目が覚めたが、どうもまだ眠い。
日が暮れたらもう寝ることしか出来ないので、睡眠不足は考えにくいのだが、自給自足の生活で精神的に疲れがあるのか。
そう言えば、そろそろ罠を仕掛けて獣を捕ってやろうと計画していたんだった。
…やる気が起きない。
食い物は充分にあるし。
もうちょっと寝るか。
「ニー」
「はいはい、分かった、ご飯だな。ほれ」
リュックに入れておいた猫の実を出してやる。もう残り少ない。取りに行かないといけないが、面倒臭い。
寝不足なのか、ちょっとめまいがした。
「ニー?」
「うん? ああ、俺か、朝はあんまり食わないからな。いいんだ」
奴隷生活を送っていたときは、嫌でも食っておかないと体力が持たなかったが、今は過酷な運動も無い。
そのせいか、食べる量が減ってきている。
しかし、喉は渇く。
「ああ、くそ、空だった。仕方ないな…」
水筒に水を入れるのを忘れていた。
「じゃ、俺は水を汲んでくるから、お前は食ってて良いぞ」
「ニー」
クロも喉が渇いているのか、食べるのを中止して、こちらに付いてくる。
懐かれたもんだ。
泉のすぐ側にベースキャンプを設置しているので、水場はすぐそこだ。
ベースキャンプ、格好良い響きだ。
男の冒険のロマンだ。
それだけで、何か本格的な事をやってる気分になれる。
ベースキャンプしかないし、テントも無いけど。
水筒に泉の水を入れ、木のカップで掬って水を飲む。
「ほれ、クロ」
クロにも飲ませてやる。
前にあのヤバい方の泉に落ちたのがトラウマになったか、クロは泉には決して近づかなくなっている。
なので、俺の飲み終わったカップで飲ませてやらねばならない。
水分補給を終え、ベースキャンプに戻る。
疲れた、寝る。
「ニー」
「何だよ」
「ニー、ニー、ニッ、ニー」
「いや、何言ってるのか分かんないから」
「ニー…」
「猫の実は、明日、無くなったら取りに行けば良いから」
今度こそ、寝る。
夕方になった。
「んー、おっかしいな。腹が減ってない…」
まあ、動いてないからな。動いてないんだが…。
「ニー?」
体調は、なんかだるい。
ひょっとして、ビタミンの何かが不足しているのだろうか。
困った。
でもまあいいや、獣を罠に掛けたところで、解体が面倒臭いし、どうせ獣臭くて美味しくないだろうし。
「ニー、ニー」
「いいから、お前だけ、食べろ」
「ニー…」
翌日、やはり、体がだるい。
風邪でも引いたのだろうか?
だが、熱っぽくは無い。
「ニー」
クロが猫の実を咥えて、俺の前に持ってきた。
食えと言うのだろう。
「いや、いいや、いらない」
「ニー! ニー! ニー!」
「うるさいな、食べる気がしないんだって。腹減ってないから」
ひょっとすると、あれだ、霞を食って生きるスキルを手に入れたのかも。
俺、天才だな。
………いやー、無いだろう。
普通に考えて、病気だ。
効くかどうかは分からないが、毒消し草を食べてみる。
「これ、梅干しを思い出すんだよなあ…」
やたら梅干しが食いたくなったが、無い物は無い。
「ニー?」
「ああ、うん、大丈夫だ、元気になった、ふう」
全然そんな事は無いが、クロを心配させても悪い。
「ニー…」
喉が渇いた。
だが、一度横になってしまうと、だるい。眠い。
ああ、こりゃあ、死ぬな、と思った。
でもいいんだ。
原因を探すのも、なんかもう面倒臭い。
俺はよく頑張った。
異世界で一月以上も生き延びた。
それで充分じゃないか。
パト○ッシュ、僕はもう疲れたよ…。
クロを抱いて永遠に寝ることにする。
異世界のユーイチの大冒険 完!
「ニー!!!」
「いててて、こら、引っかくんじゃ無い。うわ何をする止めろふじこ」
お願いだから顔は止めてクロちゃん。
「ニー! ニー! ニー!」
「あーうるさい、分かった! 分かったから、まず落ち着け」
クロが俺を心配しているのは分かっているので、猫の実を食う。
これが最後の一個だ。
取りに行かないと。
立つ。
「むう」
立ちくらみ。
状態は良くない。
だが、まだ歩ける。
さて、どうする?
罠を張るか。
いや、それには時間が掛かる。
先に食糧を確保しないと。
栄養バランスも気になる。
さっきのめまいが病気によるもので無かった場合、考えられるのは栄養不足だ。
昔の船員はビタミンCが不足して壊血病になった。
ビタミンB1が不足すれば、脚気になる。
「しかし、何が足りないんだろうな…。タンパク質、鉄分、ミネラル…」
俺の勘だが、炭水化物とビタミンCと脂肪は足りている。木の実は脂肪分が高いし、野苺でもビタミンCは補えているはずだ。
足は普通に動くし痺れていないので、脚気でも無いと思う。
だが、干し肉が無くなってからは、肉を食べていないので、タンパク質や鉄分、ミネラルは怪しい。
「はあ、とりあえず喉渇いた…。むっ!」
それか!
俺としたことが、ようやく気がついた。
人間に必要な栄養素、
それは塩だ。
取り過ぎに気を付けろとよく言われるので、まるで毒物のように邪魔者扱いされることが多いが、
塩も立派な必須栄養素であり、ミネラルの一種。
不足しても、だるさ、眠気、無気力、めまいなどの症状が出て、最後には死ぬ。
一日の必要量は個人差があるが、数グラム。
しかし、十グラム以上だと取り過ぎなので、結構微妙だ。
普通の食生活を送っていれば、不足することなど無いので、見落としていた。
夏の炎天下に運動して汗を掻くと、水分と一緒にミネラルが体の外に排出されるので、
水分だけを取っても、喉が渇くことがある。
そんなときは塩をひと舐めすると良い。
さて、原因は分かってしまったが、問題はどうやってこの森で塩を手に入れるかだ。
岩塩がその辺に有ればいいが、無いとなると、やはり狩りをして獣を捕まえないといけない。
自信、無いなあ。
それでも、俺は罠を張ることにした。
しなる木の枝を引っ張り、蔓を巻き付け、ストッパーになる小枝を挟んで固定する。
しなっている枝の先には輪投げの要領で蔓をもう一つ結んで、これで動物を締め上げる仕組みだ。
その上に野苺を置いて、できあがり。
獲物がエサに釣られてストッパーに当たってこれを外すと、
しなった枝が元に戻る力で輪っかの蔓を締めながら引っ張り上げるわけだ。
俺はサバイバルブックを読んで覚えたが、基本的な罠である。
素人が思いつくのは落とし穴の方だろうが、アレはかなり深く掘らないと獲物に逃げられるし、何より穴を掘るのが重労働だ。スコップも持っていない。
近くに野苺が有る場所では引っかからないので、周りに食べ物が無い場所を選ぶ。
さらに、一カ所だけで無く、五カ所に設置。
数打ちゃ当たるだろう。
強度的に、小動物しか捕まえられないが、大物を捕まえても処理に困る。
牛の大腸にはO-157など、人間にとっては危険な細菌が普通にいたりするし。
少なくとも、生肉ではダメで、火をしっかり通せるよう小分けにするか、小さい動物が好ましい。
さて、俺は罠の方はあまり当てにしていない。
素人が付け焼き刃で作っても、上手く行くとは思えない。
一応、動作は確認済みだが、動物がストッパーに上手く引っかかってくれるかどうか、運良く投げ縄の部分が体を巻き込むか、その二点に不安が残る。
従って、岩塩や海も探すことにした。
なるべく、塩分の喪失を抑えるため、汗を掻かないようにして、森を歩き回る。
「ダメか…」
海も見当たらないし、岩塩らしきモノも見つけられなかった。
猫の実は途中で見つけたので、他の栄養素を補うためにも、しっかり食っておく。
もうじき、日が暮れる。
その前に、罠を確認してきた方が良いだろう。
一匹くらいは、捕まえているはずだ。
そう思ったのだが。
「ええ? くそ、エサだけ取って逃げたか」
五カ所のうち、四カ所で、エサとして仕掛けた野苺が消えていた。二カ所は罠が発動していたが、肝心の獲物はもぬけの殻。上手く逃げおおせたようだ。
もう一度、罠をセットする。
さらに、一カ所で見張っておくことにした。
「ニー」
「お、おう、寝てたか。くそっ」
罠を確認するが、暗くて何も見えない。
しばらく粘ってみたが、動物が来る気配は無く、よく考えたら、動物だって夜は寝てしまう。
俺も今日は諦めて、寝ることにした。
翌朝、クロに起こされた。
日はすでに昇っている。
クロが起こしてくれなかったら、ずっと寝ていたのだろうか?
ちょっと怖い。
「ありがとうな、クロ」
「ニー」
猫は人間と違って塩分をそれほど必要としない。
さて、罠だ。
その前に焚き火を起こし、パンキノコを食べる。
猫の実の方が簡単なのだが、栄養を考えると色々食べないと。
そう言えば、食品の種類は多く取りなさいって学校で習ったなあ。
誰だよ、完全食とか言ってた間抜けは。
はい、私です。ごめんなさい。
「よし、行くぞ!」
声を出して、気合いを入れる。
そうしないと、やる気が出ないのだ。
まだ軽いめまいで済んでいるが、タイムリミットは存在するはずだ。
それがいつなのかは俺にも分からない。
急がねば。
「うわあ…」
罠を見回ってみて、やられたと思った。
夜行性の動物が、すべてエサを取って逃げていた。
………。
どうするよ?
この罠ではダメだ、と言う気がする。
いや、粘って、何度も仕掛けて、数も増やせば、いつかは捕まえられるはずだ。
こっちにはスキルシステムもある。
が、生憎とこちらにはタイムリミットがある。
間に合うか、間に合わないか、その情報は無い。
なら、これには賭けない方が良い。
賭けるチップは俺の命なのだから、負けてしまえば、人生がゲームオーバーである。
後が無い。
確率で勝負すべき場面では無い。
もう一つの方法、それは、帰ることだった。
男爵のお屋敷に。
罰を受けるかも知れない。
いや、ほぼ確実にペナルティがあるはずだ。
だが、死なない罰ならば、そちらの方がマシだ。
干し肉さえもらえば、塩分不足は解決できる。
あの戦争では多くの兵士が逃げ出していた。
敵前逃亡罪は重罪に違いないだろうが、
あれだけ大勢となると、全員打ち首とは行かないだろう。
そして、俺は役に立つ奴隷だ。
それなりにだけど。
だから、殺されることは無いだろう。
帰ろう。
俺の最優先事項は、生存し続けることだ。
そのための罰なら、いくらでも払ってやろうじゃないか。
そうと決めた俺は、この森を抜けることにした。
「行こう、クロ」
「ニー」
不自由を勝ち取るために。