第十話 男爵
2016/10/2 若干修正。
日が暮れてきた。
歩きっぱなしである。
「ぎ、ギルバートさん、いつになったら男爵様のお屋敷に着くんですか?」
「明日の昼過ぎだな」
「明日!?」
徒歩で向かったので、すぐ近くかと思っていた。
「何を驚く」
「いやいや、普通、男爵家の人なら、馬やら馬車やら」
「平民がそんなモノを乗り回せるか。俺は馬は苦手だしな」
「はあ」
大トカゲ、楽ちんなのに…。
「じゃ、ここらでいいだろう。野宿の準備だ」
こんな何も無い場所で寝るのは嫌なのだが、抗議してもどうにもなりそうにない。
「具体的には何を?」
「枝を集めてくれ。焚き火をしないとな。暖かくなってきたとは言え、まだ夜も冷える。それに」
火は獣や魔物よけにもなるという。
「ここらでは襲ってくる魔物が?」
「いや、この辺りはそう攻撃的なのはいないから心配するな。夜でも動くのはスライムだが、火を点けておけば襲われないし、襲われてもすぐに気づくからな」
あのドブ臭い液体まみれにはなりたくないので、しっかりと枝を集める。ちょうどファイアスターターの木もあったので、それを持って行った。
「おお、良い物を持ってきた。これで火がすぐ点く」
「無いとどうするんですか?」
「枯れ葉を集めてやればいいが、旅に出るときは一本、持って出るのが普通だ」
ギルバートがショルダーバッグのような鞄から木の枝を取り出して見せた。
「備えあれば憂い無し、ってな」
「そうですね」
ギルバートは他にも干し肉と小型のヤカンを取り出し、焚き火の側に石を組んでセットした。
旅慣れている感じだ。
「いつも、連絡役みたいなことを?」
「いつもでは無いが、多いな。急ぎであれば騎兵を使うが、火急の用件は滅多に無い。もう良いだろう。焼けたぞ。食え」
「どうも」
肉の焼ける香ばしい臭いに、食欲が湧く。だが、噛んでみるとやたら固い。
「かった…」
「ふふ、すぐ噛めたら、腹の足しにならんだろうが」
「そんな事は無いと思いますが。むう」
縦には裂けるので、細かく切ってから噛んで飲み込む。多少獣臭いが、塩味も利いていて悪くない。
沸かした湯をコップに移して飲んで、猫の実を食べて、それで食事は終わり。ちょっと物足りないが、いつものことだ。
「明日はまともなのを食わしてやるから心配するな」
「期待してます」
「じゃ、見張りはいらないぞ。寝るとしよう」
「はい」
周囲は平原で静かだ。上を見ると星空が広がっていた。
見知った星座がないか、探してみたが、見つからないし、やたら明るい星が多い。
ああ、俺は異世界にいるんだなあと、実感する。
明日はどうなるのやら。
眠くなってきたので、もう寝ることにする。
「起きろ」
「ああ、はい」
東の空が明るくなっている。朝だ。
「朝飯はこれだけだ」
パンを半分だけ渡された。少ない。
「そんな顔をするな。お前を連れてくる予定では無かったからな。食事も一人分しか用意してなかった」
「ああ、すみません」
奴隷の俺に分けてくれるだけ、ありがたいか。
「いや。せっかく金を出して買ったんだ、すぐ死なれても困る」
世知辛い理由だった。
再び道を歩き始め、昼過ぎにようやく、お屋敷に着いた。
「あれがそうだ」
「ああ。広いですね」
ワダニの家には無かった門や塀もちゃんとある。ただ、門はレンガだったが、塀の方は木の杭に板を打ち付けていて、牧場のようにも見える。
木造の一階建ての建物が、あちこちにある。真ん中に一番大きな建物があるが、あれが母屋で間違いないだろう。
「行こう」
「はい」
門の中に入る。
庭は手入れがされていて、花壇もあり、綺麗な花が咲いていた。
ギルバートは正面玄関には向かわず、裏手へ回る。使用人は勝手口を使うのが当たり前のようだ。
ちょうど、男が、勝手口から先に出てきた。俺たちに気づく。
あごひげを生やした中年だ。
「ああ、ギルバート、戻ったか」
俺に視線が移る。
「ああ。こいつはユーイチ、奴隷を買って来た」
「んん? 村へ行ったんじゃないのか?」
「村で買ったんだ」
「そうか。じゃ、よろしくな、坊主」
「よろしくお願いします」
頭を下げる。
「アイツは平民だからそんなに気にしなくて良い。じゃ、そこに荷物を置いて付いてこい。一応、男爵様にも紹介しておこう」
「はい」
エイト男爵か。この家の主。俺の新しいご主人様。どんな人なのやら。
ドアを開け、廊下を進み、奥の部屋でギルバートがノックする。
「ギルバートです」
「おお、戻ったか。入れ」
「は」
俺も一緒に入る。
そこは執務室のようで、大きな机が正面にあった。男爵はそこで羊皮紙に書き物をしていたらしい。羽根ペンもある。
「首尾はどうか」
そう言った男爵は、フリルの付いたシャツに青いカーディガンのようなモノを羽織っていた。模様が刺繍してあり、一目で上質な物だと分かる。
歳は二十代か三十代でヒゲは無い。
神経質そうな顔つき。体格はやせ気味だ。
「は、種まきを理由に渋っておりましたが、間に合わせるよう、言いつけておきました」
「よし。これで全て済んだな。それで、その少年は?」
「はい、使えそうだったので、ワダニから買い付けた奴隷です。ユーイチ」
「はい、ユーイチと申します。ご尊顔を拝謁し、光栄にございます」
至極恐悦と繋げるのが普通かもしれないが、あまり仰々しくやって、国王のように扱っても多分、不味い気がする。
「ふっ、よせよせ、それではまるで宰相閣下か陛下に相対するようではないか。私はそんなに偉くないよ」
笑った男爵は、ふう、良かった。ワダニと違って鞭は取り出さない。
「お館様、ユーイチは大銅貨七枚でございます」
「安いな」
安いのか…。
「は。ですが私の財布ではなかなか…」
「おお、では、これでいいな。一枚は褒美として取って置け」
男爵が気づいて懐から袋を取り出し、ギルバートに金を渡す。
「ありがたく」
「うむ。では、下がって良いぞ」
「は」
ギルバートと一緒に一礼して、部屋を出る。
「あれがお館様だ。出会ったら、きちんと頭を下げるんだぞ」
「はい」
「じゃ、お前には厩舎の掃除をやってもらう」
「ああ…分かりました」
干し草の入れ替えがちょいと大変だが、畑仕事よりはマシだ。
そちらへ連れて行ってもらうと、普通の馬がいた。六頭か。ちょっと多い。
「やり方は分かるか?」
「ええと、藁を入れ替えれば良いんですよね?」
「そうだ。分からなければ、その辺の誰かを捕まえて聞け。じゃ、後で見に来るからな」
「はい」
真面目に仕事をやる。基本的にはロドルの世話と同じだ。
「失礼しまーす…」
馬の側におっかなびっくり寄って、汚れた藁を鋤で掻きだしていく。
「ブルッ!」
と馬が鼻を鳴らす度に、ぴたっと止まって様子を窺うが、襲ってくる様子は無い。
オーケー、こいつはただの馬だ。草食動物は怖くない、怖くない…。
あと、時々、家の裏の方から微かに聞こえる「それっ!」「あうっ!」「いいぞ…もっとだ!」という男達の声も気になるが、まあいい。
俺の仕事は馬小屋の掃除だ。初日はしっかりやらないとな。
六頭分の藁の入れ替えは結構大変だった。
「どうだ、ユーイチ」
ギルバートが顔を見せた。
「あ、はい、ちょうど終わりました」
「うん、きちんとやってくれたようだな。いいぞ。じゃ、後は馬に水をやっておいてくれ」
「え、ええと、水場は…」
「ああ、向こうに井戸があるから、それを使え」
「分かりました」
ふう、川まで汲みに行けと言われたらどうしようかと思ったが、この家の生活はワダニの屋敷よりずっと楽だ。
「よし、夕飯だ」
男爵の家の夕食は、パンとスープとチーズ。期待していたよりも質素で量が少ないが、味はどれもレダが出してくれた物よりも美味かった。
「じゃ、お前の寝床はここだ」
「おお」
ベッド。
ベッドだ。
ベッドがありますよ!
物置のような小さな部屋だが、藁の上よりはずっと良い。シーツも真っ白ではないが、そんなに汚れてもいない。
「お前の荷物もそこに置いておいたからな。だが、あんなにたくさんのサロン草、どうするつもりなんだ?」
「まあ、普通に筋肉痛に」
「そうか。十枚ほど、もらったが、構わないな?」
全く問題は無いのだが、ここははっきりさせておいた方がいいだろう。
「構いませんが、できれば、先に断ってからにして下さい。他人の物を勝手に取っていくのは泥棒と変わりませんから」
「む。だが、奴隷の持ち物はご主人様の物だ」
あう、そう言うルールですか…。
お前の物は俺の物、
俺の物は俺の物。
まさか、リアルでそう言う場面に出くわすとは。
とほほ。
「そうですか、分かりました。でも、物の管理というものがありますから、それでも断ってもらえると助かります」
「分かった。言うようにしよう。干した猫の実だが厨房に預けてある。ちゃんとお前の分も出るはずだから、安心しろ」
「そうですか」
安心するもなにも、実を五個で結んだ縄が四本で二十個あったんだが、まあ、独り占めは許されないだろうから、仕方ない。
元から献上するつもりだったし、また集めればいいし。
「じゃ、今日は疲れただろう。しっかり休め」
「はい」
寝る。
おお。やはり、ベッドにシーツだと、寝心地が良いな。マットがやたら固いけど。それに、なんかこの感触。
「むう、やっぱり藁か」
シーツの下にはそのまま藁が敷き詰めてあった。
まあいい、シーツがあるだけで、チクチク感が大幅に減っている。
うつらうつらしていると、猫の鳴き声が聞こえた。
「ニー」
「ああ、クロ、お前、付いてきたのか」
「ニー」
「よしよし、おいでおいで」
「ニー…」
「さすがにお前も疲れたか。飯はちゃんと食ったか?」
「ニー…」
「ええ? 食べてないのかよ。じゃあ、明日、ちゃんと食わせてやるから、今日は我慢してくれ」
「ニー…」
だいたい、お前、その辺の虫でも小動物でも取って食えるだろう。
でも、そう言えばコイツ、魚を嫌がってたな。
野苺や猫の実が好きという。チーズやパンも食う。
まるで人間みたいだ。
しかし、やってきたなら、すぐに出てくれば良いものを。そうすれば夕食、取って置いてやったのに。
翌日、ギルバートに猫のことを話す。
「ああ、猫か。まあ、ネズミ捕りになるか」
「ええ、うちの猫は優秀ですよ」
ネズミを捕ったところなんて見た事無いが、そういうことにしておく。
「よし、じゃあ、後でお館様やみんなにも言っておこう。後で魚、食わせてやるぞ」
「ニ、ニー!」
慌てて首を振って嫌がってるし。
「ああ、クロは生魚は食べないので」
「ええ? おかしな猫だな」
「そうですね。パンやチーズは食えるので。まあ、エサは僕がなんとかします。木の実とか」
「そうか、ならいい」
翌日、俺は午前中、洗濯を任された。午後は馬小屋の掃除。早めに終わらせて、ギルバートに許可をもらってから、近くの薬草や木の実を探しに行く。
裏が森になっているので、問題なく集められそうだ。
「よし、クロ、出かけるぞ」
「ニー!」
クロと一緒に木の実を探しつつ、お散歩としゃれ込む。
夕食は俺が大量に取ってきた木の実がデザートとして付くことになった。
「ユーイチ、良くやった。お館様もお前が木の実を採ってくるから喜んでおられた。これが褒美だ」
「あざーっす! ごっつぁんです!」
チューリップの刻印が入ったコインが一枚。
10ゴールドか。
2000円相当。まあ、何かの時に使わせてもらおう。
俺は風呂敷の中にお金を大切にしまい込み、腹に巻き付けた。
貴重品は肌身離さずが基本だな。
【 名前 】 ユーイチ
【 クラス 】 奴隷
【 Lv 】 1
【 装備 】 布の服、布のステテコ、革の靴、風呂敷
【 魔法 】 無し
【 スキル 】 猫の実集め(15個 / 一日)、サロン草集め(30枚 / 一日)
【アイテム】 干した猫の実、縄
【 所持金 】 10ゴールド




