第一話 目覚めたら田舎ですか?
寝返りを打つと、違和感を覚えた。
「う、うん?」
柔らかな毛布と布団……ではなく、たくさんのストローが敷き詰められている感覚。
先端が頬に当たってチクチクする。
だから非常に寝にくい。
二度寝には自信がある俺も思わずギョッとして、それが何かを確かめようとした。
「……え?」
目を開けてみると、そこにあったのは藁だった。
藁……稲の刈り取った後の茎を干した物。黄土色である。
それが大量に。
それは理解できるのだが、なぜ自分がそんなところへ寝転んでいたのか、見当も付かない。
ええと、ここに寝る前の俺は何をしてたっけ?
数秒、考え込むが思い浮かばない。
なぜだ。
早く思い出そうと思って半身を起こし、素早く周囲の様子を窺ってみる。
ここは周囲を黒い木材で囲まれているので、建物の中だということは分かる。
俺の部屋よりかなり広い。
倍の十二畳くらいはあるだろうか。
だけど、薄暗いのでよく見えない。
ぱっと見た感じで言うと……ここは、小屋というヤツだろう。
地面には土の上にそのまま藁が敷き詰められており、普通の部屋という感じではなかった。天井も平らではなく、屋根の傾斜がそのまま反映されており、組まれた梁もむき出しで見えている。その梁がぐにゃぐにゃと不規則に湾曲しているので、この建物は強度的に大丈夫なのかという不安が渦巻く。今どき鉄筋コンクリートのマンションだって手抜きで傾いちゃいますからね。
しかも、相当な田舎だ。
普通なら下はコンクリートを敷き詰め、壁はブロック塀やプレハブでというのが一般的な小屋だろう。うちの車庫だってそうだ。地面がむき出しの土だと、雨が降ったときや掃除のときに困るのではなかろうか。
臭いも酷い。
家畜の糞尿と思しき悪臭が、ずっと俺の鼻を攻撃中だ。
ともあれ、なぜ俺がこんな所に寝ていたのか、それがまだ分からない。
困った。
何しろ、見たことも無い場所である。
目覚めたら見知らぬ女の子の部屋のベッドの上だったというのなら、胸を躍らせながらじっくりと観察もできよう。
が、断じて、俺は小屋を寝室にするような女の子とはお知り合いにはなってない。なりたくもない。
ここで、気になる事が二点。
俺がどうしてここにいるかという疑問もあるのだが……それよりもまず、
アレとコレは無視できないだろう。
一つ目は、先ほどから向こう側に裸でうずくまっているアレですが。
女の子にしては、そのぅ、凄く、おっきいです……。
太くて逞しい黒いモノが股の下から後ろに伸びてます。
その長さたるや一メートルくらいでしょうか。
ええ、アレは、間違いなく、
しっぽだと思います。
シルエットがなんとなーくですが、トカゲに見えませんか?
……それ、ヤバくね?
体長二メートルはありそうな大きなトカゲ。
それがすぐそこに、うずくまっている。
人間より大きいって……
いるんだよね、飼っちゃダメだって言われても金に物を言わせてアブナイ動物をペットにしたがる人が。んで、ときどき逃げちゃって、人を襲うんだわ。そういうのはもうね、全財産没収の刑にすればいいと思うんだ。
とにかく、アレは刺激しないよう、非難の声も悲鳴の叫びも上げずに黙って静かにしていよう。
今のところ眠っているようだし、トカゲの前には板の囲いがあり、すぐに危険は無さそうな気もするけれど、その保証はない。食い殺されたくはない。
もう一つはコレ。
俺のすぐ近く、右隣に横向きに寝転んでいる男。
チッ、男かよ。
そこはさ、普通、裸の女の子じゃないの?
空気読んで欲しいな。
てか、誰よオマエ?
顔をこちらに向けて眠っているが、見たことも無いヤツ。年齢は四十くらいだろうか。
俺は人の年齢を見分けるのは苦手なのでよく分からん。
まあ、どう見ても年上だろう。
ただ、そのぅ、凄く、おっきいです……。
下手したら二メートルくらいあるんじゃないかというくらいの身長。俺よりもずっと背が高い。
横幅も、筋骨隆々としていて、首の筋肉とか、付き方がおかしいだろうと言いたくなるほどのマッチョさん。
くすんだ白い布の服を着ていて、それがTシャツでないことはすぐ分かったのだが、まあ、お世辞にもオシャレではない。
彫りの深い顔で、鼻は高く、外国人っぽいけれど、髪は一応黒髪だ。ここまで筋肉を育てるんだから、おそらくプロテインとかご愛用ですかね。俺は味わったことが無いので、もしも親切な人なら、後でプロテインを味見させてもらおう。
さて、まさかこの人が公園で胸のジッパーを下げて俺を誘ったとも思えないし、もう状況がさっぱり分かりません。だけど、まあ、起きてくれたら話を聞けば、ああなんだそんなことがという納得のいく話を聞かせてくれる……と信じたい。
……。
……俺は攫われてないよな?
そうだとすると、さっさとここから逃げないと、なのだが……
攫われたという記憶も無い。
と言うか、何も覚えてない。
それにしても、藁の上に座ってるって、手やケツがチクチクと痛いんですが。
手の方はヒリヒリするし。
「えっ!」
自分の手のひらを何気なく見て少し驚いた。
細かい切り傷がたくさんある。
ただ、ナイフやカッターで切ったような鋭利な傷ではない。
あかぎれというヤツだと思う。
しかも、ちょっと土まみれで汚れてるし、後で消毒して絆創膏、貼っておかないと。
左腕に火傷の痕もあった。
俺の知らない火傷だ。
こんなもの、いつできたんだろう?
痕は残っているが、痛みは無く傷も治っているので、昨日や今日のことではないようだ。
それは拳大の大きさで、二重丸の模様みたいになっている。
形が綺麗に整っているので、自然の火傷ではないだろう。
この紋章に力を込めると、黒い炎が出てきたり、
「おお、その印は! 間違いない、勇者様」
なんて長老が驚いたりするんだろうか?
いやいや、まさかな、なんて思いつつもちょっと念じてみたが、
何も起きなかった。
………。
ちょ、ちょっと試してみただけなんだからね!
他にも自分の体が気になり、よく見てみたが、俺が今着込んでいるのもTシャツなどではなかった。色がくすんでいて、もうねずみ色になっている布の服だ。袖はあちこちがほつれている。ふだんは少々の破れなど気にしない俺でも、もうこれは買い換えないと無理というレベル。
布地はザラザラして固く、着心地は最悪。それに肌寒い。
ズボンも、同じ布の服。
ステテコというのだろうか?
くるぶしが見える程度の物。
これはちょっとオシャレ、かもしれない……。
側に靴っぽいものが揃えて置いてあったので、今の裸足よりはマシだろうと思って、履くことにする。
普通に考えて、俺の物だろうし。
少なくとも、そこでデカい足を伸ばしている大男のものでも、あちらにいらっしゃる大トカゲさんの物でもあるまい。サイズが違う。
だから履く。
だって、逃げないと。
ここで、このお二方が目覚めたとして、俺に豪華な朝食を奢ってくれるとは、とても思えない。むしろ、凄まれて、何か色々と面倒事を……ハッ!
俺がエサとかじゃないよね?
オレサマ ヲ マルカジリ?
いやいや、注文をたくさん受けて着替えた覚えも無いんだから。
胃が冷たくなるのを感じながら、そうっと、目の前の男と向こうのトカゲを起こさないよう細心の注意を払いつつ、小屋の入り口へ向かった。
行けそうだ。
立ち上がって、音を立てないように抜き足差し足で、藁の無い所を足場に選びつつ、小屋の入り口に向かっている。
カサッと、藁が思ったよりも大きな音を立てるのでヒヤリとするが、後ろの怖い人たちは目覚める気配が無い。
先ほどよりも周りが明るくなってきたので、今は朝のようだ。
ならば、急いだ方が良い。
あの大男が目覚めたら、俺はここから逃げられなくなる可能性がある。
しかし、逃げるところを見つかってもまずいと思われる。
もう俺の心臓はさっきからドキドキしっぱなしだ。
現役中学生アイドルの寝室に合い鍵で忍び込んで、お早うございます、と囁き声で言ってるくらいのドキドキだ。
もちろん、俺はそんな下品な真似は一度もしたことは無いのだけれど。
すでに、入り口近くまで来た。
背後を振り返って、様子を窺うが、
セーフ。
あと一メートルで小屋の外に出られる。
靴が、靴というよりも堅めの靴下という感じで、材質は柔らかいが丈夫そうな布だ。ちょっとすべすべしていて肌触りはとても良い。が、厚さが無く、地面のでこぼこが直接足に伝わり、石ころを踏んづけようものならきっと痛いので、靴としては良くない。ぶかぶかの靴下の裾を紐で一応縛ってみました、という原始的なモノなので、注意が必要だ。重ねて言うが、裸足よりはずっとマシだ。
俺は外を窺う。
小屋の中が大丈夫だからと言って油断はできない。
外に犯人の仲間がいれば、それでアウトだ。
しかし、犯人はなぜ、俺をあんな布の服に着替えさせたのだろう?
俺が着ている服は普段着も寝間着もどちらも安物で、価値があるものではない。
未だに、俺が寝る前にどうしていたのか、思い出せていないのだが、どこぞの御曹司でないことだけは確かだった。
しかし、参ったね。
何がって、俺が何者なのかという肝心で根源的なことすら思い出せないのだと、今、気づいてしまった。
気づかなきゃ良かった。
もう「ココは誰? 私はドコ?」という混乱状態。
だが、今はそれどころではない。
後回しにする。
――外に出た。
小屋の外は手入れされていない庭のようで、広くはあるが、草と土と木以外には何も無い。
右手には木造のログハウスのような物が見える。
左手にはこの小屋と同じような小屋がもう一つ建っている。正面は少し行くと木がずらっと生えている森だった。
思った通り、この辺りは田舎のようだ。
いくら庭が広いと言ったって、掘っ建て小屋は金持ちのステータスではない。
とにかく、都会だろうが田舎だろうが、あのトカゲさんから一刻も早く距離を置きたい。
母屋とおぼしきログハウスの方は誰かいるのかもしれないので、その反対側に向かって俺は移動を開始した。
いいぞ。
周囲には誰もいない。
ただ少し霧がかっていて、肌寒いが。
芝生のような草を踏みつけつつ、次の小屋の前を通る。
中を窺うが、人影はここからは見えない。
そこに人がいるかどうかは分からないが、ええい、行ってしまえ! 横切れ!
小走りでそこを駆け抜けようとした俺に――
「クルックゴゲッゴッゴー!」
「うおっ!」
突然、オラオラ逃げてんじゃねーぞゴルァ! とでも聞こえそうな、けたたましい獣の鳴き声が辺りに鳴り響き渡る。
文字通り俺はその場で飛び上がって驚いてしまった。
くっそ、鶏だ!
コケコッコーという生やさしいボリュームではない。
しかも老婆が絞め殺されているのかという感じの不快な鳴き声だった。
それでも俺はアレが鶏と一発で気づいたが、状況は最悪になってしまった。
奴らが起きてくる。
それも確実に。