三匹娘の『野営地』クエスト②
トラペゾヘドロンと称する黒い捻れ双角錐に、“輝く”等と枕詞が付けばSAN値直葬が確実なのだが、マリアがアイテム名を見たところ、ただ『Trapezohedron』と記されているだけなので、警戒レベルは下げられた。
見た目も複雑なカッティングの黒い結晶体なだけで、赤い装飾要素も無ければ浮いてもいない。
ジョージの言葉の含みから、クトゥルー神話との関係は有りそうなアイテムなのだが、現状はそう心配する必要は無さそうとも、マリアには判断出来た。
が、此処は現実同様の非情さを体感出来る仮想世界『Trillion of Labyrinth』である。
「野営地クエストってのはな、この壊れた魔石〈トラペゾヘドロン〉を直して行くクエストなわけだ」
「ああっ、ああ~う~ぁ~……」
ジョージの言葉にヘタリと座り込んだマリアに驚く、モエとミュラ。
マリアから『心配~無~いの』と平常運転な言葉があったので大人しくなったが、言ったマリア自身としては、その内心は大混乱中である。
実のところ、この時代で既に誕生から百年は経つクトゥルー系のネタであるが、地味に知名度が高い割には一般メディアに大きく取り上げられる事は少ない。
いや訂正しよう。大きく取り上げるのは、意図的に避けられている、と言っていい。
理由は単純だ。どうにもクトゥルー系のネタには、放送や出版倫理に引っ掛かる物が多すぎるのだ。
本来、吸血鬼や未知の怪生物を扱い、古典的なホラーの題材として使用される程の知名度なのだが、20世紀後半当たりから映像作品においては半脱ぎ及び全脱ぎ女優要素と完全融合。当時作られた作品の大半が、日本の倫理面では扱えない故に、知名度も低い事に繋がった。
何せ、ポルノ作品ではないので、細々と修正を入れたり危険なシーンをカットしたりすれば作品自体の内容が分からなくなる物ばかりだ。
とても商品として扱えないので、配給しようとする業者も居なかったのである。
現状、その方面で厳しいコードを設定した北米系映像一色に染まった日本では、言わば本家扱いのクトゥルー物には、ほぼ触れられないのである。
が、マリアはその例外である。実家を日本と北欧に持つ関係で、しかも幼い頃から両地域を頻繁に行き来している。
つまり、両方の文化を満遍なく謳歌しているのだ。
娯楽系の情報はネットのお陰で日本からの膨大な物を世界の何処でも堪能出来る。反面、欧州から日本へは、その娯楽面が規制対象になって得られない。
だからマリアは、向こうで得る娯楽にかなり偏った物を選択するようになっていた。俗に“インディーズ系映画”と呼ばれる物で、クトゥルー物もその一つである。
洒落にならないインモラルでグロティスク作品の多いジャンルだが、芸術の名の下に既に試聴済みなマリアとしては、これからクエストで起こるであろう、未成年には過酷な未来に、清濁込みで震えてしまったのであった。
「……マリア~……、正気に帰れよ。此処は日本のゲーム内だぞ。仮にも公式クエストだ、“あっち”の常識じゃ営利運営出来んからな」
「……あ~……」
やや残念な表情を浮かべて立ち上がるマリアであった。
いくら『Trillion of Labyrinth』でも、公式を謳うクエスト内容では一般倫理を想定しないと“要らない敵”を作る可能性が大きい。
特に性方面に関しては、未だにヒステリックな行動をヒステリックと自覚もできないし、しようともしない有識者が大量に出没する。
どれ程時代が経とうとも、個人的な“戒律”を社会に蔓延させねば満足出来ないという、精神的な独裁者は湧き続けるのである。
だがそれは置いといて、日本のオタク文化と性方面の奔放さを融合させたマリアの性分は、客観的に言って年齢的には“腐っている”。
空気の読める性格であり、また個人の趣向で収めているので親友達に露見はしてないが、たまに行動に“漏れる”事もあり、身内にはバレバレな状況でもあった。
特に、『同じ穴の狢』であるジョージには“完バレ”である。
この短いゲーム生活で、それなりに“社会勉強”をしている3人娘ではあるが、モエとミュラにはまだまだ知識の面の勉強が足りない。
なので、この爛れた叔父と姪の話が理解出来ないままに、クエストの説明となる。
「まあ、クエスト内容は端折って進むぞ。ノエドの街の場合は……、先ずは〈ヌルゴロウ泥湖〉だ」
トラペゾヘドロンを手に入れると、その宝石の鑑定でNPC職人街へ。そこで情報を貰い、次は宝石の出所探しで行商人区画へ。更にそこで密輸関係の情報を得て再びガードの詰め所に戻り、現在手配中の密輸業者一覧を入手する。
後はガードから『人捜しの情報ならば、どの街にも有るスラム街の浮浪者が一番』という助言を得て、現地にてランダムに語られる内容の情報を1人1Gを払い続けて入手し、『黒ローブの男と商談していた密輸業者』の居所を知れれば、そこがヌルゴロウ泥湖、というわけである。
ただ、何の情報を得なくても、クエストが進行していれば現地に行くだけでいい。
なので、まともに進行すれば半日は潰す行程をショートカットし、モエ達はジョージのガイドでヌルゴロウ泥湖へとやって来た。
「なんていうか、なんかあんまり湖とは呼べないかも?」
「うん。寧ろ“沼”だよなー」
「泥パック~には~、最適ぃかしらぁ?」
広さは大体直径20kmの、円形の泥の湖。それがヌルゴロウ泥湖である。
その湖面は、実は水平では無く微妙に凹面形をしている。理由は水面が回転しているせいだ。遠心力で外延部分が僅かに盛り上がっているのである。
泥積層の上に数ミリの水面があるのと回転自体は緩やかなせいで、波ひとつ立たない為に流れや水面の変形にも気づき難い。
しかし、何か放り込んで波紋を立てれば、それが案外速い動きで流れていくので知覚はしやすい。
「此処の湖底にタンガロっつう地下都市があってな、密輸業者の拠点になってる」
ジョージの説明には捕捉が要る。
〈タンガロ〉とは、都市の名称として使われているが、本当は都市では無い。生物である。
サザエに似た形状の、全高500m、直径3km程の淡水性巻き貝生物なのである。
貝殻の厚さは薄い箇所でも十数mになり、その内部は鍾乳洞のような空洞の部分を持っている。そこを利用し、密輸業者は拠点としていたのである。
因みに、ヌルゴロウ泥湖の湖水が回転している原因も、このタンガロにある。
泥の中の微生物を捕食して生きる為、湖水ごと餌を吸収しては水のみを吐き出す行為で、タンガロは水流を発生させている。
その結果、タンガロは大渦の中心となっているのだ。
更に捕食の工程でタンガロ内には新鮮な空気溜まりも有る。それは貝殻内部にも充満していて、密輸業者はそこを利用して、天然の要塞のようにしているのである。
「でもでもジョージさん、じゃあタンガロって水の底なんだよね。私達はどうやって中に入るの?」
「そりゃ、こうやってだな」
ジョージがストレージから取り出したのは、野球のボールサイズの白濁した結晶体、一般素材である岩塩の塊である。
それをポイッと湖面に放ると、岩塩はポチャンという音と共に沈んで行く。そして数秒後。
「わっ、わわっ……わあ!」
突然、水面が盛り上がったかと思えば、湖底から巨大な“何か”がせり上がって来た。
濡れた光沢をまとわりつかせた“それ”は、安直に言えば“肉のトンネル”である。その正体はタンガロの有する“貝の触手口”だ。
淡水では塩分はそれなりに貴重である。現実ならば捕食した生物の塩分で生きるわけだが、そんな生態を踏襲させた設定のタンガロは、湖面の塩分濃度の変化に反応して捕食行動を取るのだ。
密輸業者はタンガロの生態を利用し、出入りの際にはこうして、タンガロを水上へ誘導するわけである。
「目立つから間違いやすいが、あの口から入るとタンガロに食われて別のクエストが発生しちまうから気をつけろよ」
「じゃあじゃあ、どっから入るの?」
「ホレ、口の隣に小さな扉があるだろ。そこだ」
ジョージが顎で指し示す辺り、触手口の途中には如何にも“人造物”な感じの扉が取り付けられていた。
ぶよぶよの軟体に思える触手口にどうやってか取り付けられた硬質な扉。それは潜水艦のハッチのような、ファンタジーにケンカを売るような身も蓋も無いデザインである。だが水密性が必要な環境のドアとしては最適なイメージの扉でもあった。
唐突なタンガロ登場で圧倒されたモエ達がみるみる呆れた表情に変わるのも気にせず、ジョージはハッチの水密ハンドルを緩めて扉を開ける。
そのままさっさと入って行くので、何かヤルセナイ気分のまま、後に続いて新エリアへと移動するモエ達なのであった。
◆ ◆ ◆
密輸拠点タンガロ。
都市国家間では公に扱えない商品が集まる場所。
世界に蔓延る犯罪者の巣窟でもあり、自力で身を守れない者にとっては入る事で自殺と同じ意味となる程、危険なところですあると伝えられる。
「……うわぁー……」
「なんとなく、秘密って意味が解る気がする……?」
「あら~あらあら~」
「遙々ようこそいらっしゃいましたー! タンガロは皆様の希望と欲望と煩悩と懊悩を満たす究極の地でございます! どうぞ末永く、骨が塵と化すまで御ゆるりと堪能してください! 後っ、取りあえず“ウェルカムドリンク”をどうぞー! お代は要りませんのでー。後、よろしければポテトをお付けしましょうかー!」
入国審査というわけでもなかろうが、肉質のトンネルを通って殻の中に作られた街へと入れば、そこにはタンガロの自警関係によるチェックゲートが設えてある。
過去にクエストを消化したジョージはノーチェックでゲートを潜るが、初めてとなる3人娘はゲート隣の審査カウンターにて、先ずは歓迎のメッセージを受付嬢から贈られたのである。
第一感想としては、『この演出、いいのか?』である。
立ったまま対面するカウンター式の審査スペースは、部分部分に異様にカラフルな配色がなされている。
特に目立つのは“赤”と“黄色”。しかし、現実に存在する“とある施設”とはトコトン、徹底的に配色が逆である。
トドメといえるのはユニフォームのサンバイザーに印されたトレードマークがしっかり“W”になっている点だろう。
カウンターの盤面には『どうやって配膳するんだ?』と不思議にしか思えない食べ物のメニューが並び、何故かレジまでがドンと置かれている。ふと気づけば、微かに香る塩気混じりの油臭。
「えーとえと……。多分、これは、“ワクドナルド”とか言えばいーのかなあ?」
「モエ~、略称~って~、“ワック”と“ワクド”~、どっち~が関東だっけかしらぁ?」
「とりあえず“ハリウッドリメイク版TSヘッド・チョンパー”のハッピレスセットのAとBとCとDを店内でー」
空気を読んでこの異常なシチュエーションに対応しようと努力するモエ。空気を読まないのが正解と見切ってボケに走るマリア。そして懐具合から現実では買い損ねたオモチャセットを速攻で得ようとするミュラである。
余談だが、この手のセットのみで購入可能なトイセットは21世紀では全国規模で広く手に入る。しかし20世紀後半までのトイセットは各州、または各店舗規模で行われた物が殆どで、マニアやコレクターにはヨダレモノのレアなゴミであったりする。
特に“TS”関係はオリジナルとは似ても似つかない不思議変形を現地業者の都合で導入しており、中には後にオリジナルへと逆に真似されるなどのカオスっぷりだ。
「はーい、承りましたー。本日の審査コスプレは“WASAMI”バーガー提供でございます。略称はカントル地方では“ワッサ”、ナニャール地方では“ワサビ”、エンディフ地方では“WASAMI”のままとなっております。トランスABCDセットはお持ち帰り専用アイテムなのでお客様のストレージへ送付しました。送付時のデータ破損による事故保証は30分となりますので、出来ればこの場で御確認願います。では、審査代とご注文を合わせて30万Gを徴収させて頂きましたので悪しからず」
「「「ええーーー!!?」」」
「ぶわっははははは」
流れるようなリアクションと強制的に金を払わされたショックに驚く3人娘。それをニヤニヤしつつ眺めていたジョージが爆笑した。
如何にもゲームデザインを無視した状況だが、この審査空間は『Trillion of Labyrinth』がシステム上で管理する正規の仕様である。
しかし、ここを初めて訪れた者は大概この状況をプレイヤーのフザケたプレイと勘違いする。そしてノリでボケたものの、平気でボケ返される事になって、今度は本気で驚くのである。
それは先輩プレイヤーにとって、極上の楽しみの一つでもあった。
ちなみに、1人あたり10万Gの支払いも通常の仕様である。ミュラが頼んだセットの代金はプライスレスであり、まあ、高額の審査代金に付属するオマケ要素でしかない。
本来、ゲームの仕様に都市国家間を出入りするために金を支払う要素は無い。だがこのタンガロは密輸拠点として機能する場所である。その演出と、高額代金を払えない新人が迂闊に入らないようにの防止策として、敢えて制限をかけているのである。
その理由は。入り口からゲームの世界感を破壊するデザインで解るだろう。
密輸、という概念で括られる物はゲーム内に設定された部分に限らず、かつて、ゲームに導入された物からプレイヤーが広めたものも含めて全て、このタンガロに封印されているのである。
言わば、『死にコンテンツの墓場』とも言えるエリアなのだ。
「まあ、正規のクエストで来るような場所に封印ってのも変な話だが、そこはまあ開発した奴らの未練とかじゃねーかと噂にはなってるなあ」
審査ゲートを潜ってタンガロの都市内に移動する途中、ジョージから街の概要を聞く3人。
“死にコンテンツ”とは、導入したものの人気が長続きせず、どのプレイヤーも遊ばなくなったゲーム内要素の事を指す。内容はゲーム内で遊ぶミニゲーム的なものからクリアする事で最終装備となるアイテムを得られるクエストをも含む。特にこの手のクエストは定期的なバージョンアップで次々と最終装備が更新されるので、初期のものは誰も利用しなくなりやすい。
サービスから十年を経過する『Trillion of Labyrinth』では毎年のように更新される最終装備の影響で、前半五年分の対象クエストがここ、タンガロ内に封印されていた。
「まあ、元々クエストが始まる場所がタンガロ内に変わっただけで、クエストそのものは生きてるのな。たまにコレクション目的でクエストをしたいって要望も出るんで、下手にコンテンツ終了も出来ないって意味での妥協案らしい。ちなみに、あのジャンクフード演出も確か六年くらい前に時限イベントで街に出来たもんの残骸だ」
現実同様の味を再現したイベントは導入当初こそ人気だったが、直ぐに『街の景観に似合わない』などの苦情も出た。しかも『現実で食ったらブクブク太るが仮想なら平気』から『存在意義は仮想でこそ有意義』『とっとと現実から去れ』と誹謗じみた晒しが氾濫し、経営ダメージを懸念したデザイン元からの実力行使を含ませる要望の結果、封印となった。
最近プレイを始めた者には知られもしない、実に生臭い黒歴史の一つである。
「そう~聞くと~、実に~哀れぇな街なのねぇ」
「てかてーか、このポテトの味は癖になるから封印が正解だよ。あー、明日の帰りも確実に寄りそう!」
「モーグモーグ!」
ポテト共有の法則。ミュラのストレージに収まった四人前のポテトSは、何故かサービスで貰えた四角いプラスチックトレーに山と盛られている。それを片手で保持し歩き食いするミュラ、御相伴のモエだったりする。
実のところ、今夜のゲーム前に打ち合わせと称した寄り道で利用し、散々食べたポテトでもある。
しかし慣れた味の魔力というか、ゲーム内では数日を過ごして味が恋しいというか、ゲートで嗅いだ香りで刺激された食欲の解消として早速消化されているのであった。
「言っとくが、ストレージ内に入れた食いもんはゲーム内時間で1ヶ月期限で腐るからな。街入って買いだめすんのは程々にしろよ」
「「おおう……」」
その言葉に“絶望”という文字を顔面に貼り付けたモエとミュラである。
これは生産職、特に食品を作るプレイヤーへの擁護的救済策なのだが、当然、利用する側のプレイヤーには反発をもらう。が、後に腐った物を利用した薬品素材が対モンスターアイテムとして効果的過ぎる性能を発揮した事で戦闘系プレイヤーにも喜ばれる仕様となった。
導入当時を知るプレイヤーには『腐った○○』という直球ネームで認知されているが、現在では『モザイク食品』とオブラートで包んだ表現のアイテム名で統一されている。
ここらの変化も長く続いたゲームの黒歴史部分といえよう。
貝殻の内部空間を利用して作られた設定のタンガロ。ジョージとモエ達は天然の洞窟に見える通路を移動し、やがて広い大空洞へと出る。
「うわあ……」
そこは、強いて例えるなら閉鎖空間に街並みを再現したアミューズメントパーク。といった印象である。
昭和の街並みを再現し、しかし周りはラーメン店ばかりな某横町などが一番似た印象かもしれない。しかし、似ているのは印象のみで、構成する店舗の類に時代や文化の共通性は欠片も無い。
日本的な店の隣には欧米の何処かのイメージの店が並び、いわゆる長屋式な縦横の建築的な統一性も無い。更に時代の違いは無視するのが当然とでも言いたげな部分も加わってカオスな状況としか言えない。唯一守られているのは、通行の邪魔にならないよう道だけは同じ広さで確保されているだけである。
「寄り道前にクエストだけは済ませるぞ」
ごっちゃな街並みの中に何故かドライブスルー型店舗の“WASAMI”を素早く見つけ、バーガーそっちのけでポテトの買いだめに走ろうとするモエ達を捕まえるジョージである。
移動する先は店と店の間に不意に途切れたようにある、人一人が通れる程の細い路地。
「えっと……“Ohma alley”?」
「ホレ、さっさと行くぞー」
奥へと続く、まるで黒い壁で作られた迷路の入り口のような通路。
わざわざ標識まで立てられたその通路の名を読んだ時、何故か、モエは不思議な悪寒が襲われたのであった。




