なんか人類とか滅ぼしてぇー
「あー、人間どもの血で淹れた紅茶のみてぇー」
「はぁ、お嬢様の頭の中には発泡スチロールでも詰まっているんですか?」
ここは魔界にあるとある森。魔族が住む(かつては上級魔族が多く生息していたが、いまや低級魔族の姿さえ少ない)この森の最深部に建っている小さな家に、彼女たちは住んでいた。
椅子に腰掛けて紅茶をすすっている少女は、かつて人間側の「勇者」に打ち取られた魔王の、娘「魔子」である。
「その容姿は、大きいが半開きの目、小さめの鼻、ぷっくりと桃色の唇、起伏のない身体、スラッとしなやかで長い手足、絹糸のようにサラサラとした金髪と長い耳、そして起伏のない身体」
「ちょっと、起伏のない身体って二回言わないで。成長期と言って」
先ほどから魔子の隣に立って、楽しくおしゃべりしているのは、彼女に仕えるメイドである。彼女は上級魔族であり、家事能力だけでなく、戦闘能力も高い。
「お嬢様はいつも『人間とか私が本気出せば余裕だから(笑)』とか言ってますけど、本当に人類滅ぼす気あるんですか?」
「あたりまでしょ! 人間はお父様を殺した仇なのよ! いつか必ず私がこの手で絶滅させるわ!」
「その言葉、何年言うんですか……」
「まさかアンタ、疑ってるの!? この魔子たる私が人類程度に勝てないとでも思っているの!?」
「いえ、そうではないのですが。というか、人類程度と言っても、向こうには魔王様を倒した「勇者」がいるんですよ? 簡単に勝てる相手ではないと思うんですが」
「うーん、そうよね、やっぱりそうよね」
魔子はウンウンと頷き、空になったティーカップをソーサーに置いた。
「やっぱり十分な準備を積んでからじゃないと、人間には勝てないってわけね!」
「まぁ、間違ってはいないですが……」
「じゃあもうちょっと修行を積んでからにしましょ」
そう言うと、魔子は膝の上に置いていた、読みかけの本を開いた。
しかしその本はすぐメイドに取り上げられた。
「あ〜ン!」
「なにが『あ〜ン』ですか! このままでは何年たってもNEETですよ!」
「ぐっ」
「お嬢様はいつも『今度やる』『いつかやる』の繰り返しで、何一つやらないじゃないですか!」
「うっ」
「せめて修行でもしているのならいいものの、それもしないで、食べて寝て遊ぶだけの生活……」
「う、うう……うわーーーーん!!」
引きこもりで口先だけで生きてきた魔子は、案の定発泡スチロールのようなメンタルだった。メイドに叱られて泣き叫ぶこの光景も、数ヶ月に一度は見られるものである。
「もう、お嬢様」
「んっ」
メイドは泣いている魔子を抱きしめて、頭を撫でた。魔子の滑らかな金糸をナデナデと、優しく撫でた。
「ひっく、ひっく」
魔子はこのようにメイドに撫でられるのが好きなので、すぐに落ち着いてきた。
「申し訳ございませんお嬢様、少々言い過ぎました」
「グスッグスッ」
魔子はメイドの胸に顔を埋めて、ふてくされているようだ。
「お嬢様、今まで私も口だけで『お嬢様は行動しない』といい続けていたようです。確かにこれではお嬢様がやる気を出してくださらないのは当然かもしれません」
「うん?」
魔子はメイドの胸元から、涙目でメイドの顔を見つめる。
「なので今から私がお嬢様の修行を完全サポート致します! まずは森の中を走り込みしましょう!」
「ええ!?」
「この瞬間から、お嬢様の地獄の修行が幕を……」
「ちょっと待って! 確かに修行するとは言ったけど、私が思ってるのはそんなんじゃないから!」
「何を言っているんですか、さあ行きましょう!」
メイドは目をキラキラ輝かせて、魔子の腕を掴んで引っ張る。行き先は当然外である。
「私、魔法使い系だから! 身体鍛えて物理で殴るような攻撃しないから!」
実は魔子はここ1ヶ月ばかり外に出ていない。なぜなら外が大嫌いだから!
「しかし体力は必要です! 人間全てを絶滅させるには、体力がなければ話になりませんよ!」
「いや! 魔法でなんとかするの! なんとかするから! 手ぇ離して! 話し合おう!」
魔子は必死に抵抗したが、所詮非力な引きこもり少女なので、結局外に引っ張り出されてしまった。
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!!! 溶けりゅううう!!」
「のたうち回らないでください。お嬢様は吸血鬼ですか?」
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!!!」
「ちょっと、奇声をあげながら日陰を探して這い回らないでください。気持ち悪い」
魔子はようやく木の陰に移動することができた。額からはサウナにでも入ったかのように、汗で滝ができていた。
「ちょっとアンタ……殺す気?」
魔子はもともと白い顔を、さらに真っ白にして、必死の形相でメイドを睨む。
「お嬢様、そんな可愛い顔してもダメですよ」
「可愛くないわ! もう修行なんて止めよ! 私は一生うちの中で暮らすわ!」
魔子はそう言うと、その場から消えた。いや、正確に言うと、目にも留まらぬ速さで移動し、家の中に入ったのだ。メイドもその動きを捉えることができず、気付いた時には、ドアの閉まる音が聞こえていた。その場には、魔子が移動した証拠に突風が吹いた。
メイドはスカートがめくれないよう、両手で抑えながら呟いた。
「全く、元魔王四天王の私でさえ見えないのに……絶対鍛えれば強くなるのになぁ」
怠けたい魔子と、修行させたいメイド、両者のほこたて対決の繰り返し、そんなかんじで今日も1日が終わる。
メイドがもう寝ようとした時、部屋のドアがノックされた。
「なんですか、お嬢様?」
そう問いかけると、ドアが開いて、魔子がひょこっと顔をのぞかせた。
「一緒に寝ていい?」
その両手には枕が抱えられていた。
「ええ、いいですよ」
「やった!」
魔子は長い金髪をぴょこぴょこ揺らせてメイドのベッドまで行き、メイドがめくってくれた布団に飛び込んだ。
「えへへ、なんだかんだ言っても私のこと好きでしょ?」
「……もちろんです、お嬢様」
「でしょでしょ! 私もあなたのこと大好きよ!……あれ、なんか間がなかった?」
「気のせいですわ」
そう言ってメイドは魔子の頭を撫でた。
「なら、まぁいいけど……私ね、よく考えたんだけど、やっぱり人間を滅ぼすためには修行が必要よね。今まで口ばっかりで怠けてきたけど、明日から本格的に修行を始めようと思うの」
「え、嘘ですよね?」
「嘘じゃない! ちょっと真顔にならないでよ! とりあえず、体力作りと魔法の初歩から始めるとして、中途半端な力じゃ絶滅しきれないかもしれないから、八千年ほど修行すれば大丈夫かなと思うんだけど、どう?」
「え、お嬢様? 何年と言いました?」
「だーかーらー、八千年よ。もしかして短すぎた?」
「あの、ひょっとして……お嬢様、人間の寿命ってご存知ですか?」
「え? うーんと、私たち魔人族が三万年くらいでしょ、だからそれより短いから……二万年くらい?」
「……約四十年と言われています」
「え、嘘でしょ?」
「真実です。なので八千年も修行されていては、お嬢様が手を下すまでもなく、人類が絶滅しているかもしれませんよ?」
「そんな……だったら……」
「そうです、もっと短期間で修行をしなくては……」
「私が修行しなくても勝手に滅びてくれるじゃないの! なんで黙ってたのよ! ああ、損した! なんでやりたくもない修行をやる気になってたのかしら! バカみたい!」
「え、お、お嬢様?」
「まったく、今まで色々考えてたのが全部無駄だわ。ねぇ、もう寝ましょ」
「いえいえいえ、修行しましょうよ! お父様の仇を自らの力でうちたくないんですか!」
「昔から言うじゃない『果報は寝て待て』ってね、おやすみ」
そういった後、魔子は満足気な顔で眠りについた。メイドは落胆すると同時に、一貫した魔子の姿勢に尊敬の念すら抱くのであった。