夜明けの唄
例えば、面白くない自分の趣味とは違う映画を彼女と見るとして。それでも好き同士なら関係なく、時間を共有するという面ではデートの意義を果たしていると俺は思う。
「天野君」
例えば、その際の食事でも。値段が高く雰囲気だけは無駄にいいカフェでランチやデザートを食べたりするのも男は口をつぐんで好きな女のためならついていくものだ。
「ねえ、聞いてる?」
例えば、告白されて断るのが申し訳なくて付き合ってしまったとして。それでも1、2ヶ月は付き合ってあげるのが筋だと思う。
「聞いてるよ、美味しいね、これ」
「調べたの!この辺で1番いい店なんだよ」
正直好きな子なんて居なくて、彼女もいらなかったのだが勢いに負けた。俺は昔からそうだ。姉がいるために年上との交流が多く、気の強い姉御肌の女や不良みたいな男にいつも振り回されていた。嫌ではないが、気づいたら抗うのが面倒臭くなっていて同級生にも流れを任せるようになった。それが、今回の仇となった。
「ありがとう、本当に美味しかったよ」
「喜んでくれたなら良かった!」
ニコリと微笑むと、いとも簡単に彼女は顔を緩ませる。彼女には申し訳ないが、ちょろい、と感じてしまう。
「今日はありがとう、またね」
「ちょっと待って!」
一ヶ月目。テスト終わりの制服初デート、彼女から言われることはもう分かっている。
「どうしたの?」
「えっと…ここでするのもどうかと思うけど…キス、してほしいなぁ」
彼女の手を引いて少し暗い所へ行き、目を閉じ彼女の唇にキスをした。
「ん、じゃあね」
そこに感情はない。赤くなる彼女をそのままにして、俺は帰路についた。
考えることはいつ振ろうか、のみ。関係としては悪くないし、理由がない。平和的に行くために、俺か彼女に好きな女が自然と出来て、別れるのを所望する。
「あら、海斗くん、遅かったのね」
「いいとこに来たねあんた。私バイト行っちゃうから舞と遊んであげてよ」
「舞、家かえっても暇だから」
「わかった」
家に帰ると、姉と姉の友達がいた。バイトで姉が家から出ると俺と舞さんは遊びをする。
「そういえば、海斗くん彼女できたんだっけ?こんなことしてていいの?」
「いいんですよ…舞さん」
彼女にしたキスとは違う、もっと激しいそれを繰り返した。いつからだろう、こんなことをし始めたのは。親があまり帰って来なくなって、家に舞さんや他の人が来るようになった。姉が友達を置いたまま家を出るようになった。それからだ。故に、俺の童貞は舞さんに捧げたことになる。同じくそこに感情は無く、時々聞こえるこの声も偽物。これは、暇を持て余した俺たちの遊び。俺はここで舞さんと遊んでも、明日は彼女に笑顔を振りまくのだろう。
俺は、天野海斗はそういう人間だ。
俺は世間一般の目からしたら顔が整っている部類に入るらしい。しかし、彼女が出来てから告白等の用事で放課後に呼び出されることはなくなった。何の障害もなく道が分かれるまで彼女と同じ帰路を辿った。今日は、違った。
終礼が終わり、友達と雑談をしていると彼女が帰ろうと側に来た。そこまではいつもと同じだと思う。
「天野いる?」
その声の主は教室の入り口から俺を呼んだ。肩まで伸びた焦げ茶色の頭髪に赤い眼鏡を掛けた背が低い女子だった。見覚えはないが俺の名前であることは間違いはない。
「俺だけど」
「話がある。少し、いいかな」
抑揚なく話す焦げ茶色の要求を果たすべく行こうとすると、シャツを引っ張られた。
「行っちゃうの?」
「え、行かないとだめでしょ」
「教室で待ってる」
「ごめん、遅くなるかもしれないから先に帰ってて」
彼女は、納得しない顔で友達の方へ行った。
俺は、焦げ茶色について行った。
「天野海斗、ね」
「そうだよ」
「貴方を見てるとイライラしてくるわ。いつまでその気色悪い性格繕うつもり?」
屋上にて、焦げ茶色の開口一番。
「私は江月唯」
「は、はあ」
「この苗字に、覚えもないの?」
俺は、怒られているらしい。初めて会った焦げ茶色もとい江月さんに、怒られているらしい。
「江月…?喋るの初めてだよね?」
「私とは、初めてなはずよ。でも、私の家族とはあるはずよ」
悪いが、江月なんて苗字の人とは関わりない、いや、苗字を知らないだけで意外と名前しか知らない人の家族かもしれない。
「ごめん、わからない」
「私のお姉ちゃん」
「お名前は」
「マイ」
マイ。まい。…舞。
「気が付いたみたいね、江月舞は私の二つ上の姉。お世話になってるようで」
遊びに気付かれたのだろうか、彼女は俺を蔑むわけでもなくただ無表情に俺を見つめていた。
「お姉さんがどうかしたの?」
「天野、舞とセックスしてるでしょ」
「……」
これはまずいことになったかもしれない。が、何かを要求してくる様子もなかった。
「だいぶ前から舞にセフレがいることには気付いていた。一回だけ家でしたことあるでしょう?そのときに、何処かで聞いたことがあると思ったの」
でも、江月と俺の関係性は皆無に等しい、いま邂逅を果たしたもののほとんど初対面だ。それにも関わらず呼び捨てや声の聞き覚え、江月は一体俺といつ関わったというのか。
「去年の文化祭発表、天野、劇で主人公やってたよね。声はそういうこと」
「よく知ってるね」
「当然よ、実行委員だったもの」
「で、江月さんは何が言いたいの?」
俺がそう尋ねると、彼女は一息ついてこう言うのだ。
「私と付き合ってください」
予想外の積み重ねで、今に至る。俺は今、スマートフォンとにらめっこをしている。
江月と別れ、家に帰ると無防備なことに舞さんだけが居た。案の定、情事に誘われるが気分が乗らず舞さんだけの性欲を満たすべく貢献した。その際の好きという言葉に反応したのは初めてだった。焦げ茶色の江月唯が思い浮かんで、何故かわからないが俺も欲情していた。
「海斗くん、今日は溜まってたの?」
「今日は…そうですね」
「泣きそうになりながらしてたけど、何かあったの?」
「何も…ありません」
舞さんは帰って、朝が来た。面倒臭いので学校を休むことにした。
そして、今に至る。俺は今、江月唯からの着信をどうするべきか、にらめっこしている。実は情事中も、着信が来ていたのだが、気付かず着信主のことを考えながら我を忘れて情事をしていた。
「…もしもし?」
「もしもし天野?今日のセックスはどうだった?」
恥じらいもデリカシーもないやつだ。
「お陰様で2回も射精したよ」
「汚い。そんなこと聞いてない」
聞いたでしょ、と俺が言う前に江月は話を続けていた。
「今日休むつもりでしょう?家行くから、外出ないでね」
そして電話が切れた。今江月が言ったことを心で反芻しているうちに鳴るインターホン。
なるほど、寝てて気づきませんでしたは通じないらしい。同時に再び着信。これは計られていたらしい。
「おはよう天野」
「おはよう江月」
しばしの沈黙。入れてくれないのかという無言の圧力に負けて、自室に招き入れた。
「舞とここでセックスしてたの?」
「ここではしてない。リビング」
「家族団欒の場所で…えげつない」
またも無言の圧力でお茶をお出しした。それと食べないままでいたお土産の茶菓子も添えた。
「ねえ、なんでこんなこと話さなきゃいけないのかな」
「昨日の話、きいてた?」
思い出すのは予想外の告白、とか。
「いや、告白以外は覚えてないかな」
「都合のいいことしか聞いてないのね、仕方ないからもう一回話してあげる」
彼女の話はこうだ。元々姉妹の仲があまり良くなく、むしろ江月は舞さんのことが嫌いだった。ある日、昔から男遊びが絶えなかった舞さんが、昔からのセフレである一人の男のことを追い始めた。しかし、その男は自分のことを見ない。この男のことを奪ってしまえば、舞さんの落ち込んだ姿を見られると思ったらしい。
「天野だよね」
「そういうことになるな」
その男、俺からすれば傍迷惑な話だ。
「俺からしてみれば舞さんも江月も同じ」
「違うわ」
「何が?」
江月は淡々と話していた声を一旦止めて、深呼吸をした。
「私は舞の事がなくても、色気仕掛けなしの天野のことが好きよ」
頬を少しだけ赤に染めた。
「話したことはないけど、あの時から最悪で最高な王子様なの」
後日談、舞台裏で実行委員の愚痴を言いながらもセリフの言い回しをあれでもないこれでもないと一人でやっていたのを見られていたらしい。
「私と付き合って」
今の彼女は勢いに負けて付き合って、後悔した。至極どうでもいいことを考えながらするデートなんて楽しくもないし、カフェにだって興味がない。愛想がよすぎてどこからどこまでが本当なのかわからない。だから俺も一線を引くようにいい彼氏を演じた。
今の彼女と別れる理由が欲しかった。これで別れられる。都合のいい解釈と見方だが、今の彼女の緩んだ顔より、江月の無表情が少しだけ反応しているほうが愛おしく見えた。
「好きにさせて」
「天野」
「舞さんより、いまの彼女より」
「させる」
いまにも抱きしめそうな自分を抑える。
都合良く思う、こんな事はじめてだって。
「好き」
真っ赤になった彼女の頬に1度だけ口付けた。
予想出来たことが今日起きた。
今の彼女に別れようと告げると大泣きされ、友達にも悪者扱いされ散々だった。
そして家に帰れば舞さんが居て、セックスしない理由を話すわけにもいかずにしどろもどろにしていると私服に着替えて出直してきた唯がうちに来た。舞さんに気づかれないように部屋に入れようとしたら見つかり姉妹喧嘩が始まってもう修羅場。
結果、今日は散々だった。
「天野、喉乾いた」
「あれだけ言い合えば乾くよね」
500mlペットボトルのお茶を唯に渡した。俺の椅子に偉そうに座っているので俺は床に正座した。
「舞帰った?」
「とっくにね」
「これで目的は果たしました」
「最悪」
唯は俺の方を見ると笑った。心がぎゅっと掴まれるみたいに苦しかった。
「だからって、捨てるわけじゃないんだから、そんな顔しないでよ」
「違う、そうじゃない」
「違うくないでしょ、早く私が欲しいんでしょ」
そう言った唯を引き寄せて抱きしめた。
「本当に、貴方って顔に出ないのね」
心臓が今までにないくらい早く動いて、もどかしくて、襲ってセックスしてしまえば嫌われてしまうような気がして。
「暖かい」
唯の匂いが自分をおかしくさせている。
「唯」
「海、斗」
「好き」
いつかみたいにその言葉が嘘にならないように、俺はまた唯を抱きしめる力を強くした。
「好きだよ」
そのとき、俺と唯は1回目のキスをした。
信じるのには都合のいい、1回目のキスをした。