8、もうひとりの私(3)
不愉快な思いを振り払うようにマンガに没頭して、多少の怒りと愚痴をカンナに聞いてもらって、帰る頃には大分気も楽になっていた。
「じゃ、また明日ね~」
駅で別れて、ホームで電車を待つ間。
私は結んでいた髪をほどき、手櫛で梳いていた。長いせいか、抜ける髪の毛が多く感じる。お風呂でシャンプーしていると、まるで禿げるんじゃないかと思うほど、どっさりと抜ける。
でも、こういう毛って犬やネコと同じで、衣替え的なものなんじゃないかと思ったりする。
あるいは、長いから余計にたくさん抜けてるように感じるのか。
別にたくさんあるから、抜けたって禿げるわけない。
うん! 大丈夫。
とか、自分に言い聞かせながら、やっぱり抜ける毛を指に絡め、それをホームに落していた。
落ちた(落した)毛は、風に乗ってどこかへ飛んでいく。
そう言えば、こういうのって、むやみに捨ててはいけないとかって法律ができたんだったな……。
でも、そんなのムリだよね。
落すなって言われても、落ちるものはしょうがないじゃない。
遺伝子がどうのとかいわれても、抜けるものはしょうがないじゃない。
これをゴミ箱に捨てたら、それこそ拾って悪いことする人が出るかも知れないじゃない。
でも、風にさらわれちゃえば、その方が危険性はゼロに等しいわけだよ。
ふっふっふ。
とか、考えていた私の視界に何かが目に入った。
その方向に目を向けると、さっき『ぬくぬく』で会ったそっくりさんが三人、少し離れたところに立っていた。
なんだぁ、同じ方向に帰るんだ……。
とは思うものの、なんだか背筋に冷たいものが走ったような気がした。
彼女たちは、じっと私を見つめてるんだ。それにやっぱり無表情。
私はカンナにラインを流した。
『さっきのそっくりさんがホームにいるよ』
汗をかいてるスタンプをつける。
すると、すぐに既読マークがついた。
帰宅途中だから、お互い忙しいわけはないんだけど。さては、カンナも暇してるんだなとか思ってしまう。
身勝手ではあるけれど、暇してくれてありがとうと言いたい気分だ。
『へぇ~。同じ方向に帰るんだね』
驚きのスタンプ付き。
『まさか、まさかだよね』
『ご近所さんだったりして』
『まさか~』
『で、彼女たちはどんな感じ?』
『やっぱり無表情で、こっちを見てる』
『ふ~ん。本当は向こうも幸菜に興味ありありだったりして』
『興味ありありなら、もっと好意的に来て欲しいね』
『シャイなんじゃないの?』
『そうは思えないけど』
電車がホームに滑り込んできて、広くドアが開く。
たくさんの人が出てきては、少数の人が車内へと飲み込まれる。
飲み込まれる中に、幸菜がいる。そして、そっくりさんも。
『そっくりさんも乗り込んできたよ』
『そりゃ、同じホームなんだから。同じ電車だろう』
『そうだけど、ずっとこっち見てるよ』
『やっぱり、友達になりたいんだよ』
『そうかなぁ』
『そうだよ。同じ顔してるのが姉妹以外にいると知って、興味を持たないわけないじゃん』
『そうだけど』
盗み見るように、そっくりさんを見ると、さっきと同様じっと私を見てる。いや、見てる方向がこっちと言うだけかもしれないけど。
……しれないけど……やっぱり、ガン見してるよ。
チョー、怖いじょ~。
新たなる恐怖!
とか自分で言ってみるけど、笑えない。
本当に、この人たちってなんなんだろう。
電車が降りる駅へと滑り込み、ドアが開く。これで、彼女たちの重い眼差しともおさらばだと、逃げるようにドアから飛び出した。
駅からは、徒歩十分。
結構駅近の物件だ。
私は駅から出ると、家目指して歩き出した。
さすがに、彼女たちは……と後ろを振り向くと、なんとびっくり、同じ駅で降りたばかりか、同じ方向ですか?!
もう、気持ちが悪くなってきた。
同じ方向に住んでいながら、今まで全く会ってなかったことにも驚きだけど、それよりも妙な怖さが湧き上がる。
まるでオカルト。
こんなことってあるのかよ~と泣きたい。
必死で歩く十分間。もう殆ど小走り。おかげでいつもなら十分かかるところ、七分程度で到着。勢いよく玄関を開けて
「ただいまー!」
と家の中に逃げ込むようにして入った。
玄関の覗き穴から外を見ても、もう彼女たちの姿はなく、安堵感が体中に湧いてくる。
そりゃそうだよね。
家まで乗り込んでくるはずないし、方向が同じだっただけなんだから。
あぁ、良かった。
玄関に座り込んでる私に、母親が不思議そうに『どうしたの』と聞いてくるけど、まさか同じ顔のそっくりさんが三人いるからなんて言えない。
だって、言ったら絶対に『えー、見てみたい!』と騒ぐに決まってる。この親はそういう親だ。
「なんでもないよ。疲れただけ」
「そう?」
いつもなら、息を切らせて帰ってくることなんてないんだから、そりゃあ変だと思うよね。
「今日の夕飯はなに?」
母親の気持ちを別の方向へ向けるために、私は夕飯のメニューを聞いた。
どうしたら、親の気をよそへ向けさせることができるかは、長年親子をしているんだから熟知してる。
「今夜はね~」
と、料理好きの母親はお玉をふりまわして説明を始めた。
そして、最後に『早く着替えてきて、手伝いなさいよ』と付け加えるのだけど。
今日はそこまで話す前に、玄関チャイムが鳴った。
誰?
一瞬、私の頭に三人の姿が浮かんだけど、すぐにあるはずないと打ち消した。
母親は、誰かしらねとか呟きながら、『は~い』と玄関の鍵を開けてる。
普通なら、玄関越しに誰が来たのかを確認するだろうに、この親はしない。誰でもウエルカムなのだ。いつかきっと、殺されるだろうなぁと思いながら、私は近所の人だったら一応挨拶しなければならないという面倒さから逃げるべく、階段の手すりに手をかけた。
玄関をドアノブを握ると同時に
『は~い、どなた?』
という母の声。そして、ドアを開けたと同時に
『あら、まぁ……』
という母の驚きの声。
私は、何が起こったのかを確認すべく、三段ほど上った階段から玄関を覗くように身をねじった。
するとそこには、もうひとりの私が三人。
「え? あれ? あれ?」
母親の頭はパニックになってる。
私だってパニックだ。
「え~と、あなたたちは?」
という母親に、私は『最近、引っ越してきたらしいよ』と声を掛けた。
「なんだ、友達? でも、もう遅いから……それにしても、幸菜にそっくりねぇ」
そっくりなだけに、気持ちが悪い。つい、数時間前までは興味でいっぱいだったけど、今となっては興味より恐怖でいっぱい。
「お母さん」
三人のうちの一人が母親に話しかける。すると、あとの二人も同様『お母さん』と言う。
言われたら嬉しいらしく、母親の方は
「あら~、娘が三人も増えた気分ね~」
とニコニコしてる。
どこまで能天気なの?
「でもね、もう遅いから今日は帰りなさい」
「……」
「おうちの人が心配されてるからね」
「……」
「また明日、遊びましょう」
遊びましょうとか、小学生じゃないって。
「……幸菜ぁ」
母親が困ったように私に声をかけると、三人が一斉に『はい』と返事をする。
「あら、名前まで同じなの? ん? でも、三人とも姉妹よね。それで同じ名前じゃ、呼びづらいでしょうに」
そこ?
違うよね、お母さん。
突っ込むところはそこじゃないよ!
「幸菜、お友達に帰ってもらって」
そんなことを言われても、友達じゃないんだから、どうしようもない。逆に乗り込んでこられて、恐怖を感じてるくらいだ。
何度も言うけど、恐怖なんだよ。恐怖!