5、超資産家の苦悩
あれから一ヶ月。
一乃上勝利に何が起こったのか?
クローン法が制定されたからって、私たちの生活が変わったわけではないけど、なぜか勝利だけは変わってしまったように感じる。
「おい、一乃上勝利~」
ある日、私とカンナは珍しく勝利に声を掛けていた。
「なんだよ、忙しいんだから話しかけるなよ」
忙しいという勝利の目の前には教科書が開かれていた。
「なんで教科書開いてんの? 授業終わったよ」
「知ってるよ」
「おまえ、熱あるの?」
私もカンナも勝利の行動を訝しく思っている。なぜって、勝利に限ってではなく、このクラスの全員が授業終了後に教科書を開いているなんてこと、天変地異以上にありえないからだ。
「あるわけねーだろー」
超資産家の御曹司にしては口が悪い。
「じゃ、なんで急に勉強虫ごっこしてるの?」
「ごっこじゃねーよ」
どうやら私が言った『ごっこ』が引っかかったようだ。でも、所詮勉強家のフリだろう。
「じゃぁ、なんでさ」
カンナが勝利の前の席に座り込んだ。
私も同様、勝利の隣の席に座りこんで、一体御曹司の身の上に何が起こったのかを聞こうと身構えた。
「……」
一乃上の御曹司は、チラッと私たち庶民を見ると、大きくため息をつき
「お前たちはいいよな」
と言った。
今までにも何度となく聞いてきた言葉だけど、今回は心底そう思っているらしい。
「おれさぁ……。真面目に参ってるんだよな」
参ってるとは、超資産家で金持ちで、警察だって怖くない御曹司がどうしたことだろう。
興味が興味を呼んで、ぞくぞくする。
「この間、俺のじい様が部屋に来て、俺の遺伝子をよこせって言うんだよ」
へぇ。
わざわざよこせといわなくても、一緒に暮らしているのだから、欲しければいくらでも手に入るだろうに。
「でさ、じい様、とうとうボケたかと思ったけど、遺伝子って要するに髪の毛とか鼻くそとか唾液とかだろ? 別にやってもいいけど、それにしても変な趣味に走ってるなって思ったりしたわけだよ。でも、小遣いもらう都合もあったから、無下に嫌だとも言えなくて、とりあえず髪の毛を一本抜いて渡したんだ」
ウンウン。
私とカンナは一緒に頷いていた。
「そしたらじい様、それを小さな瓶に入れて蓋をした」
勝利は、ちょっと黙っていたけど、次に話し出したときは涙声だった。
必死に泣くのを堪えてる感じで、ちょっとびびった。でも、乗りかかった船と言うのかな。とにかく、聞き始めちゃったわけだし、胸のうちを話せばすっきりすることもあるだろうから、親切な私たちは黙って聞いていた。
「それから二週間後のある日、俺にそっくりのヤツが俺の部屋にやってきた」
「え! それって!」
私とカンナは同時に叫んでいた。
だって、これってまさかのクローン……。
「その通り、クローンだよ。じい様はクローンを連れてきて、こう言ったんだ。『ワシの作り上げた《株式会社一乃上》を継ぎたければ、必死に勉学にいそしめ! 高校までは庶民の考えを知るために、ワシは黙ってみておった。しかし、今のお前はなんだ! まともに勉強もせんと遊んでばかりじゃ! ここから先、最高の大学へ入らなければ跡継ぎとしては認めん!』ってさ」
そんな……。はっきりいって、ここまで遊んできて、ここから最高の大学っていってもね。ムリじゃない?
「俺の父親も高校までは、適当にやってきたんだって。その代わり、大学はレベルの高いところを受けて、見事合格したらしい。それで、今は《株式会社一乃上》の代表取締役だよ。俺、このままだと真面目にクローンと入れ替わってたりするかも知れない」
と言って、頭を抱えちゃった。
それにしても、さすが金持ち。孫を脅すためにクローンを作るなんて、どこまでムダ金使ってるんだろうね。そんなお金があるなら、貧乏な庶民に恵んでくれよ。
「単なる脅しならいいけどね」
「でさ、そのクローンはどうしたの? まだ一緒に暮らしてるの?」
カンナが質問すると、勝利は力なく頭を左右に振った。
「一回目のクローンは、殆ど元と同じだからね。つまり、俺そっくりなわけだ。じい様が言うには、役に立たない人間が二人いても仕方がないってさ」
「ひどい!」
さすがにこの一言は酷すぎるだろう。
これって、勝利だけのことではなくて、私たちのことも否定してるのと同じじゃない?
「俺がこのままだったら、良質のクローンができるまで頑張るって言われたよ。そして、いつか俺じゃない俺が一乃上の跡取りになるってことだ」
「だから、そのできの悪いクローンはどうなったのよ」
酷い話だけし、かなりムカつくけど、私は作られたクローンが気になっていた。
「さぁね。多分、処分されたんじゃないかな。不用品だからね」
不用品。
金持ちにとっては、クローンと言うのはその程度のものなのだろうか。
作られたものであっても、それは命ではないのか?
この分じゃ、勝利が頑張らない限り、最低の勝利がどんどん作られ、最高の勝利ができるまで処分が繰り返されることになる。
私は処分されていく勝利のクローンを思うと、つい勝利の手を握って叫んでいた。
「勝利! 頑張れ!」
何を勘違いしたのか、妙に一乃上勝利の顔がニヤケて見えたのは気のせいだったのだろうか?
それにしても、心底『庶民でよかった』と思った一件だった。