第一節 巡礼戦争北部戦線
今次戦役――後の世にいう巡礼戦争にはふたつの戦線がある。
ひとつは南部戦線。
回廊地方南方洋側の戦いであり、一連のエルヌコンス王国での戦闘がそれに当たる。本年雷魚節二一日、ヴァンサン平野の会戦から四ヶ月近くも続いている。
もうひとつは北部戦線。
こちらは北方洋側の戦いなのだが、巡礼軍北部兵団とレアンサブラン王国は睨み合ったまま膠着していた。そのため、戦線とは呼ばれるものの、開戦もしていない状態が長く続いている。
その理由もまた、ふたつ挙げられる。
ひとつは巡礼軍本隊が南部戦線にあるため。
それ故に、北部兵団は事実上、同盟加盟国ドケルサント一国の軍勢であり、侵攻するには兵力が足りないのである。
いまひとつは、その足りない兵力がさらに引き抜かれてしまったため。
ドケルサント王国と言えば大国ではないものの、竜巣山脈を領有する飛竜の名産地である。飛竜兵三百騎からなるドケルサントの飛竜騎士団といえば大陸に知らぬ者なき勇名を馳せ、紅回廊戦争でも赫赫たる戦果を収めている。
だが、本来ならば北部兵団の主力を担うべき飛竜騎士団は、エルヌコンスに属する一隻の空飛ぶ私掠船を狩るために全三百騎が投入され、全滅してしまっていた。再建には二十年かかると言われている。
それがために、北部戦線は依然として膠着状態にあった。
なお、ドケルサント飛竜騎士団を返り討ちにした空飛ぶ私掠船の名を「三月のウサギ号」という。
山間の草原を騎乗した貴族がふたり、進み行く。
「いやぁ、すっごい田舎ですね! フロン君」
「何度も言うようですが、僕の名はフロンソフィエです。サリーデス男爵閣下」
先行する馬術の下手な男はサリーデス男爵シスク・ベルケルという。二十六歳の西方人貴族なのだが、上質とはいえ貴族らしからぬ地味な服装をしている。それどころか帯剣もしていない。
そもそも西方貴族でありながら彼は金髪碧眼ではない。というのも、彼は平民出身であり、西方人といえども貴族と違って様々な血が混ざっているのだ。
そのためか、貴族や騎士というより、シスク・ベルケルは商家の若旦那か学者といった風情であった。
「だいいち、田舎などとは失礼ですよ」
一方、シスクを窘める貴公子然とした金髪碧眼の青年は、フロンソフィエ・ゲルメルト・エードリッツという歴とした西方貴族である。
まだ若く、齢十八。白銀の甲冑に、真っ赤な聖印を染め抜いた白亜のマント――オージュサブリス聖騎士団の一員という精鋭騎士だ。
飄々、またはへらへらしたシスクに対し、フロンソフィエはきりりとした美男子だった。
「よろしいですか、男爵閣下。ここ、ウランドゥール修道院領は信仰篤き修道僧の暮らす、謂わば聖域です。修道僧の方々は神聖同盟成立以前から大神を信仰されておられるのですよ」
青年騎士フロンソフィエの言う通り、ウランドゥールは千年の長きにわたって大神を信仰している由緒ある修道院であり、同盟教会にとっては「先輩」に当たるのだ。
この後の会見で修道僧たちに無礼があってはならない。
「くれぐれも、くれぐれも礼節をお守りください、男爵閣下」
フロンソフィエは力を込めてそう訴えた。
そういうのも、彼はシスク・ベルケルの従者かつ護衛、そしてお目付役として派遣されているからだ。
巡礼軍に限らず、西方同盟の軍勢は後世でいうところの多国籍軍である。
シスク・ベルケルは経済大国フレンドルツ王国から、フロンソフィエ・ゲルメルトは軍事大国オージュサブリス王国から、それぞれ参陣している。
巡礼軍幕僚団からウランドゥール修道院へシスクが使者として発つ際、オージュサブリス聖騎士団総長たるユルノーラング大公が「是非に」と言ってフロンソフィエを随行させたのだった。
この人選は、後の史家には同盟内の主導権争いとされている。
「フロン君」
シスクが馬の足を止め、くるりと振り返った。
「だから、僕はフロンソフィエですと何度言えば――」
「減算五点」
抗議するフロンソフィエ相手にぽつりとそう言うとさっさと馬足を進めた。
「ちょ、ちょっと! なんですか? なんの点数なんですか!?」
答えが得られないまま、彼らはさらに草原を進んだ。
北ウランド山脈と南ウランド山脈に囲まれた盆地ウランドゥール。
修道院領という一種の国として千年の歴史があるも、その閉鎖的かつ敬虔さにより千年前からちっとも発展していない。
歴史年表からすれば中世の終わり――近代の直前にあるこの頃にあって、時代に取り残された風景が広がっていた。
主な産業は農耕と牧畜。交易はほとんどなく、貨幣収入は周辺各国からの喜捨。領民にとって贅沢といえば、祭りに供される修道院産の麦酒のみ。
確かに、シスクの言うように「田舎」と呼べる。
草原を進む彼らの前に、決して大きくない伽藍が見えてきた。
「あれが本院でしょうか?」
「原始回帰様式に古代聖印……あんな古臭い建物、この辺には本院以外ないですよ」
ウランドゥール修道院領の政庁たる修道院本院は千年前のままの姿であった。
飾り気のない石造りの応接室。
「男爵閣下、椅子に足を乗せないでください」
待たされて半刻、シスクは椅子に座りながらすごくだらしのない姿勢になっていた。隣に立つフロンソフィエからの静かな叱責。
「だって、僕、考え事するときこうしないと駄目なんだもん」
片膝を抱きながら、子供みたいなことを言うシスク。
青筋を立てたフロンソフィエがさらに強く注意しようとしたとき、応接室の扉が開かれた。
「典院猊下のお成りに御座います」
修道僧の宣言にフロンソフィエは姿勢を正し、シスクはそのままの姿勢を貫いている。注意しようにもそのまま修道僧の一団が入室してしまい、フロンソフィエは肝を冷やした。
「遠路はるばるようこそお越しくださいましたね」
長い髭を生やした老僧が笑顔を向けた。
「拙僧、ピエルク・ユトイン・カルソヴィランと申します。ウランドゥールの典院を相務めております」
修道院の長にして一国を治める高僧でありながら、典院カルソヴィランは柔和かつ気さくな人物であった。
なにせ、あきらかに無礼なシスクを前にしてこの態度なのだから。
「こっ、これは猊下。名乗るのが遅れ申し訳ありませぬ」
訪ねておきながら、高僧相手に先に名乗られてしまい恐縮するフロンソフィエ。
「余は、信仰の守護者オージュサブリス王の忠臣ロードリスカー伯爵長子にしてキリヒト・フィリヒ勲爵士、オージュサブリス聖騎士団が末席、フロンソフィエ・ゲルメルト・エードリッツに御座います」
フロンソフィエが長々と名乗る間、シスクはあくびまでする始末。
「ごっほん。サリーデス男爵?」
「僕はシスク・ベルケル。事前にお知らせしたように、要求の催促に来ました」
挨拶も前置きもなく、軽い調子でシスクは本題を口にした。
「然様ですか。ですが、本領における軍隊の通行は明確にお断り致しましたよ、ベルケル殿」
温和な態度を崩さず、それでもきっぱりと告げる典院カルソヴィラン。
そう、これが彼らの目的であり要求であった。
現在、北部戦線は戦力が拮抗しているため、睨み合いが続いている。なお、飛竜騎士団を引き抜き、この原因を作ったのはシスク・ベルケルの策にあった。
だが、シスクは当初から、北部戦線に迂回路を設けることでこの膠着状態を打開するつもりでいた。
そのため、事前に書簡で要求していたのだが。
「我らウランドゥール修道院は浮き世の争い事には関しない。そう自らを戒めており、大神の前にお誓いしたのです」
修道院領が千年の独立を保てている理由のひとつであると言えよう。後の世にいう「非武装中立」である。
「わかってないようですね、っと」
ただでさえ無礼なシスクが、椅子の上に立ち上がった。
「き、貴公! 猊下の御前なるぞ!」
「男爵閣下!? 何てことを!?」
修道僧やフロンソフィエの叱責が飛ぶ。
「そーんなに怖い顔しなくても。はいはい、よっと」
口をとがらせながら、シスクは椅子から飛び降りた。
そんな様子を前にしても、典院カルソヴィランは柔らかな微笑みを崩さなかった。さすが、修行にのみ明け暮れる修道僧の長といったところか。
周囲の様々な反応など気にも止めず、シスク・ベルケルは後ろ手を組み、歩き出した。まるで、講義をする学者のように。
「皆さん、よろしいですか? これって巡礼軍にとって必要なことなんですよ?」
目を瞑り、かつかつと歩き続けるシスク。
「北部レアンサブランを落とすためには国境を迂回して、敵本隊の後背を突く。そのためには、ここウランドゥール盆地ならびに北ウランド山脈の切通を通過しなきゃいけませーん。ついでに、南ウランド山脈の方も通れれば、南北の連携がうまいことできます。それもキュイーズの商人を敵に回さずに、です。つまり、これは、戦争の早期終結にも役立つ策なんです。おわかりですか?」
決して早口でもなく、相手の理解を待つような口調。だが、込められた情報が多く、軍略に明るいフロンソフィエさえ理解するのがやっとだった。
おそらく、天空に住まう大神とのみ向き合う修道僧たちには通じないだろう。
だが、さらに言えば、フロンソフィエもシスクの真意をわかっていなかった。
「ですから、それは浮き世のこと。我らには関わりのないことですと――」
「典院猊下、減算二十点」
ぴしゃりと遮るシスク。
「僕は外交使節としてここに来てるわけじゃないんですよ? わからないかなぁ?」
サリーデス男爵シスク・ベルケルはこう見えて、巡礼軍用兵指南役――いわゆる軍師なのだ。幕僚として総大将たるヴェーゲ大主教に作戦を進言する権限が与えられている。
「僕たちにはここの通行が必要で、この要求が受け入れられないってことはですよ?」
ここでフロンソフィエも気づいた。なぜ、必要性ばかりを彼が強調するのかを。
「ヴァイゼーブルヌ神聖同盟巡礼軍が、ウランドゥール修道院領へ、武力によって侵攻しなきゃいけなくなっちゃう、ってことですからね?」
さすがの典院も顔を歪めた。
※誤字を修正しました。




