第四節 迎撃
「やるじゃない」
リツカが船尾楼から上層甲板へ出ると、西方同盟の空飛ぶ軍船「天罰の決意号」は雲海から浮上し、その船体を見せつけていた。
雲上で停船していた「三月のウサギ号」を、雲に落ちた影だけを頼りに捕捉し、互いの右舷を合わせる形で浮上したのだ。
決意号の船長が懸念したとおり、彼我の砲戦能力の差は大きい。そのため、雲を利用し、一気に間合いを詰めた形である。
「アンタたちはついてきなさい」
それだけ告げると、リツカは返事も待たずに船尾楼甲板へと歩いて行ってしまう。残されたララは黙ってそれに従い、エウロデューデルはただララにくっついて行った。
「オラオラァ! モタモタすんなァ! 野郎共ォ、デイリだ、デイリ! 連中に誰を敵に回したか教えてやれェ!」
ウサギ号の船上では掌帆長ベリスカージの号令、もとい、怒号が轟いている。それに呼応し、海賊たちは手に手に武器を取った。
斬り込み刀、長槍、銛、短銃、小銃どころか、武器ですらない櫂や索止め栓でまで武装する海賊たち。
武装し右舷に集まった二十余名の海賊たちは、決意号に向かって罵声や雄叫びを浴びせ続けている。気の早い者など、まだ届きもしないのに短銃をぶっ放していた。
さらに、ウサギ号の甲板には別の一団も集結していた。
「リック! 旗印をここにっ!」
「プラニエ様、只今ッ!」
若き旗手リック・ラビネーゲ・ルバーベルによって、武家の名門クロンヌヴィル侯爵ランサミュラン=ブリュシモール家の旗印が船上に掲げられた。
その旗下に集ったのは十名の騎士たち。船上であるが故、甲冑姿ではないものの、揃いの陣羽織を纏ったプラニエ・ファヌー率いる小さな騎士団――三月のウサギ号の海兵たちである。
「ルードロン! 貴公はリツカさん――こほん、船長と王女殿下を命に替えてもお守りせよ!」
「御意にッ!」
プラニエの小さな咳払いを斟酌せず、次将格の騎士ルードロン・レスト・ミエードガールは長柄の戦槌を手に、船長リツカのいる船尾楼甲板へと駆けだした。
「他の者は委細構わず敵船へ突撃せよ! 陣形不要! 戦果を上げよっ!」
「応ッ!!」
海賊船にあって、そこだけは軍記や騎士物語そのままの姿であった。
「船長殿、王女殿下、御身守護はそれがしにお任せあれッ!」
船尾楼甲板へ駆け上った騎士ルードロンは、リツカとエウロデューデルを見つけるとさっと傅いた。
「鳥頭。船長に『殿』はいらないって何度言えば――」
リツカが呆れた瞬間、両船は互いの右舷を激突させた。
衝撃が轟き、船体が軋み、甲板が揺れる。
「ひゃうっ!?」
可愛い悲鳴と共に、エウロデューデルは尻餅をついた。
その一方で、血に飢えた船員たちは索具と呼ばれるロープを密林の野生児のように操り、相手の船へと乗り込んでいく。
その途中で撃たれる者。舷縁に辿り着けず雲間に落ちていく者。辿り着いても長槍で突き殺される者。
響く彼らの悲鳴。
そんな第一楽章はあっという間に終わり、両船の船員は次々と敵船へと乗り移り、二隻の甲板では白兵戦が繰り広げられた。
これを移乗攻撃、または接舷戦闘という。
三月のウサギ号に乗り込んだ西方同盟の水兵や海兵は次々と倒されていった。
「いひ! いひひひ! いひひひひひ! 死ねっ! 死ね死ねっ!」
不気味な笑い声をあげながら、ウサギ号航海長のフォルシ・キペーランが二听旋回砲をぶっ放している。
フォルシ・キペーランはげっそり痩せて青白い顔をした猫背の中年男だ。普段は呪詛のような小声で話す小心者の癖に、戦闘時には容赦ない射撃で敵を屠っていく。
今もウサギ号の甲板へ降り立った敵水兵に対し、構わず散弾を撒き散らした。小銃弾を束ねた散弾ならば船体を大して傷付けはしないが、普段の彼らしからぬ思い切りの良さである。
ちなみに、空での接舷戦闘は海上でのそれ以上に複雑さを帯びる。
当たり前ではあるが、海上には「高度」の概念がない。そのため、船種にもよるが、接舷戦闘ともなれば概ね同じ高さでの戦闘となる。移乗する際は渡り板を用いることも可能だ。
だが、空中ではより浮力を得た方が高い位置を占めることができ、その方が戦闘を有利に進めることができる。
現在、天罰の決意号は三月のウサギ号より高い高度を維持している。そのため、腕っ節に自信のあるウサギ号側が攻めあぐねている状態だ。
檣の高いところから策具で乗り移れない者は敵船へ飛び移れていない。なにせ、決意号の船体という城壁が立ち塞がっているのだから。
ウサギ号海兵の大将たるプラニエも、その誇り高き旗印と共にその場に留まってしまっている。器用で腕の立つ他の騎士たちはもう敵船へ攻め入っているというのに。
それを見て、リツカの傍らに立つルードロンが呟いた。
「よくありませんな」
「そうね」
平原の大会戦ともなれば軍略がものをいう。陣形がどうの、突撃の機会がどうのと。
だが、狭い船上での白兵戦は謂わば大乱闘である。ものをいうのは軍略ではなく、士気――気合と言っても過言ではない。
その点もウサギ号は自信たっぷりであるが、勇ましさなら誰にも負けない若き女騎士プラニエの存在は大きい。彼女とその旗が敵船の本丸こと船尾楼に迫れば、海賊も騎士もそれだけで勝利を確信できるのだ。
「なんとか駒を進めたいとこだけど」
それが難しいというのもリツカはわかっている。
プラニエはその騎士らしい勇ましさに反して、はっきり言って運動音痴だった。その勇敢さだってこの三ヶ月の間に手に入れたようなもの。ただただ、気弱でひ弱な少女が気を張っているだけなのだ。
だが、だからこそ、彼女が前線に立つ意味もある。
だのに、現状では敵船へ移乗することなどできない。
「リ、リー、ツリ? カリン? えっと、船長さん」
突然に口を開いたのは祝祭村のララだった。どうやらリツカの名前が思い出せなかったようだ。
「なに?」
名前を覚えていないことよりも、要領を得ない会話に苛立ちを覚えるリツカ。
「プニ、プー、プニプニ、えーっと、あの子をあっちに連れてけばいいの?」
物覚えはともかくとして、察しはいいらしい。
「……あの鷲で連れてってくれるわけ?」
「うん。いいよ」
彼女たちと深い関係になるのは、プラニエが望みリツカの考えた策にとって悪い話ではない。逡巡の後、リツカはララを見据えた。
「お願い」
「はーい」
気の抜けた返事。戦い慣れているのだろうか。
「じゃ、エウラのこと頼むねー」
「ら、ララ!?」
心配と不安と批難がない交ぜになるエウロデューデル。
「船長さんにくっついてればだいじょぶだよ。そこ、たぶん、一番安全だから」
そう言うと、鷹匠の少女は指笛ひとつ鳴らし、船尾楼甲板から上層甲板に飛び降りた。すぐ横に階段があるというのに。
「あ……」
エウロデューデルが伸ばした手は空を切った。ララの姿はすでに見えない。
「む……その……」
行き場を失った手を握ったり開いたりしながらエウロデューデルはリツカを仰ぎ見た。
「なに?」
冷たい声と光る眼鏡のレンズに怖じ気づいたのだろう。幼き王女は小さな体をさらに小さくさせてしまった。
高く聳える敵の船腹を見上げ、プラニエは下唇を噛んだ。
「このままでは……」
「乗ってくー?」
今までとは異質の風を感じて振り返ると、巨大な鷲が羽ばたいていた。その背には西国の少女ララ。
「えっ……?」
近くで見るとまさに大空の王者に相応しい威風堂々といった佇まい。戦場だというのに、プラニエはあっけにとられてしまった。
「船長さんがあっちに連れてってあげてってさー」
鷲に跨がったララがちょいちょいと手招きしている。
ぱっと船尾楼を振り仰ぐも、奥にいるのかリツカの姿は見えない。しかし、リツカに戦働きを期待されていると思うと、プラニエの心は躍った。
「ご助力かたじけない! お頼み申すっ!」
「はーい」
とはいえ、鷲の背に乗るのはなかなかに難しい。体格のいい軍馬に乗るのさえ苦手なプラニエにとっては難事業なのだが、慣れた手つきでララが引き上げてくれた。
馬のそれとは形の違う鞍に跨がり身を引き締めたプラニエに、ララは訊いた。
「あれ? 旗の人はいーの?」
旗手のリックのことだろう。確かに、大将あるところ旗印と旗手は必要不可欠だ。
「さ、三人も乗れるの!?」
思わず平素の言葉で聞き返してしまう。
「だいじょぶだよー」
どうにも間の抜けた返事だが、その分、信じて良さそうだ。
「リック! こちらに!」
「はっ、はい! 直ちに!」
ルヴィシー丘陵での戦傷もなんのその、騎士リックは鷲に飛び乗った。
「リック! プラニエ様をお守りするのだぞッ!」
「はい! お爺様!」
いつもはプラニエに付き従っている老執事ソワーヴ・モーヌ・ルバーベルは甲板に残った。今は一刻でも早く、大将と旗印を前線に立てなければならない。
「みんな、前の人に掴まってー」
手綱を握ったララがそう言うと、プラニエはララの、リックはプラニエの胴に腕を回した。
が、しかし――
「これ、リック! しっかり掴まらんか! それでは落ちてしまうぞ!」
恐るおそる手を伸ばすリックにプラニエの叱責が飛んだ。
「ハッ! いえ、しかし、主君の姫君に、えっと、その、なんというか――」
リック・ラビネーゲ・ルバーベル、二十歳。代々クロンヌヴィル侯爵に仕える騎士の家の嫡男であり、プラニエ・ファヌーとも幼い頃からの付き合いである。
生真面目さと長年秘めた想いがあれこれしてしまっているが、プラニエもララも知らないことである。
「いっちゃうよー」
鷲は大きく羽ばたくと、空へと一気に舞い上がる。
落っこちそうになったリックが思わずプラニエに抱きついたのを彼の祖父ソワーヴは見逃さなかった。
「西方同盟の勇敢なる船乗り諸君! 命が惜しくば降伏せよ!」
リツカの予想したとおり、プラニエが移乗した後、戦闘の趨勢はあれよあれよという間に決した。
「貴公らの身の安全は我がランサミュラン=ブリュシモールの家名と誇り高きウサギの海賊旗にかけて、万神の元に誓おう!」
旗手のリックやウサギ号の海賊連中を従えたプラニエが朗々と降伏を勧告する。
敵はもう船尾楼に立て籠もった船長他数人のみ。
海軍の軍船とはいえ、水兵たちを督戦する海兵はすでに全滅している。生き残った水兵たちにはもはや戦う意思など残ってはいまい。
そのうえ、年端もいかない少女にこうも堂々と勧告されては渡りに船。赤い聖印の染め抜かれた船尾の旗がするすると降ろされた。
「ふぅ……」
ウサギ号の船尾楼甲板からその光景を見ていたリツカが一息ついた。だが、それは迂闊であったと言わざるを得ない。
「あ、あの……のう、船長よ」
びくびくおどおどとした様子で、傍らの王女エウロデューデルが口を開いた。
「なに?」
リツカははっきりしない連中が嫌いである。十歳の少女でも例外はない。
「あ、あやつは何をしておるのじゃ?」
エウロデューデルが小さな指で指し示したのは敵船の船首。戦線は船尾へ向かっていたため、誰も彼もがそれを見逃していた。
「えっ? なにアイツ」
三月のウサギ号もだいぶ変わった乗組員が多い。だが、リツカの目には空飛ぶ船に教会の僧侶などあまりに場違いに思えた。
海の神と空の神の婚姻を邪魔した大神の信徒だからだ。
質素な黒い法衣を纏った男――西方同盟の従軍司祭が、なにやら樽を抱えて船首へと向かっている。
リツカは直感した。
「ガルダーン! 目標、敵船首! 弾種、散弾!」
上層甲板と下層砲列甲板に並ぶ全ての大砲を指揮する掌砲長のガルダーン・ナステオドに命じる。
「ゴメンヨ、センチョ! ハタオリタカラ、カタシチャタヨ!」
申し訳なさそうなカタコトの東方訛が返ってきた。
この嘘くさい訛を聞く度にリツカはイライラしていた。ましてや、望まぬ返事ならなおさらだ。
「グズ!」
吐き捨てるも、これではあの司祭を止めることができない。
腕の良い狙撃手でもいればいいのだが、あいにく海賊船である。どいつもこいつも斬り込み刀を振り回したいような連中ばかりだった。
「プラニエ! ベリスカージ! 戻って! すぐに!」
慣れない大声をあちら側の甲板へ投げかけるリツカ。
もちろん、その声を聞いたのは味方ばかりではない。決意号の船首に向かった従軍司祭にも伝わった。
彼は燧石を手に取ると聖印を切り、火薬の詰まった樽を抱きかかえた。
「冥府へと進撃する我らに大神の加護在らんことをォ!!」
祈り――または、絶叫と共に従軍司祭は自爆した。船首に据えられた「海と空の夫婦像」と共に。
「甲板空けて! 連中を飛び降りさせて!」
今はまだ決意号の方が高度は上だが、魔法の船首像を失ってはその竜骨は浮力を維持できない。急いでこちらに引き上げねば、敵船と運命を共にしてしまう。
「鷹匠! アンタは遅れた連中を拾って!」
「わかったー!」
上空を鷲と共に旋回していたララにも指示を出す。
海上と違い長艇や短艇で救助などできない空の戦い。墜ちゆく船に残されれば死あるのみ。
次々と無様な格好でウサギ号へ乗り移る仲間たちと捕虜たち。その中に、プラニエの姿を見つけ、リツカは思わずほっとするのだった。
魔法の力を失った天罰の決意号が、理法に従い雲海へ、地上へと墜ちてゆく。敵にしろ味方にしろ、逃げ遅れた者は決して助からない。
軋む船体の音が、エウロデューデルにはまるで断末魔の悲鳴のように聞こえた。