第一節 王女と鷹匠
雲海に浮かぶ海賊船を高空から見下ろすララとエウロデューデル。
「どーしよっか?」
彼女たちを救った空飛ぶ海賊船は風に揺られながらも、この場を立ち去る気配がない。ララは鷲のルルーヴを駆って何度か旋回するも、未だに相手の意図はわからない。
「ど、どうってなんじゃ?」
「うんと、あの船に降りてみる? 敵じゃないみたいだし」
長旅の末やっとこさ回廊地方に入ったとはいえ、ここで軍船に追いつかれてしまったのだ。
追っ手は沈んだ一隻だけとは限らない。噂に名高いドケルサントの竜巣山脈も近く、より小回りの効く飛竜が差し向けられているかも知れない。
西方横断という長旅も困難だったのだが、回廊地方とは広さが違う。空を行く以上、ララも道は選び放題だった。追っ手の気配を感じたことすらなかった。
だが、回廊地方というのはその名の通り、細くて長い。待ち伏せだろうと追撃だろうと、追っ手側に有利である。彼女たちは道程の八割を終えたが、残りの二割がより危険な旅路となるのは間違いない。
また、ララはそういった理屈ではなく、ただ狩人の勘だけで危険を感じていた。理由を訊けば、「空気がなんか変」などと答えただろう。事実、追っ手は現れたのだ。
そこに来て、謎の海賊船の登場であった。
文字通り、渡りに船。
四面楚歌の危地へ赴くのに、頼れるものはなんでも頼りたいところなのだが――
「じゃが、あれは海賊じゃないのかえ?」
そう、問題はそれが、海の無法者――海賊であること。
「うん、海賊だね」
彼女たちの祖国――グリシエヴ連合王国も海に面しているとはいえ、そこは不毛の西方洋。海洋交易の盛んな南方洋の海賊についてはお伽噺程度の知識しかない。
海賊とは粗野粗暴で残虐な賊と聞いている。
「み、身包みを剥がされたりしたら……」
奴隷として北方諸島や帝国南部に売り飛ばされてしまうかも知れない。
「でも、ウサギだよ?」
恐れるエウロデューデルに対し、ララは例の海賊旗を指し示した。
「うさっ……うむ、ウサギ、じゃな」
鷲の動きもゆっくりになり、落ち着きを取り戻したエウロデューデルにもよく見えた。髑髏の代わりにウサギの顔――海賊だなんだと恐れおののくには間抜けすぎるように思える旗。
西方同盟の軍船を撃ち落とした苛烈さを見せた一方で、今なお彼女たちを攻撃する様子はない。話くらい聞いてみてもいいのではないか。
それに――
「それに、エウラ、限界みたいだし」
突然の戦闘である。まだ幼く、育ちのいい王女エウロデューデルには酷だった。ララにしがみつく手は、意識とは関係なく今も少し震えていた。
「むっ……然様なことはないぞ! わ、妾は平気じゃ!」
「んー、夜まで休憩できないよ? 追いつかれちゃうし」
王女様はたとえ強がってみせてもあまり無茶しないことを、この長旅でララは知るに至っている。
案の定、エウロデューデルは震えながら、ララの背にぎゅっとしがみついた。
「ララ……」
「なーに?」
「あの船に降ろしてたもれ」
さて、あの船にはどんな海賊が乗っているのやら。
「はーい」
返事ひとつ、ララはルルーヴの手綱を引いた。一気に高度を落とし、雲海に浮かぶウサギの海賊船を目指す、
「あ、ゆっくり降ひゃああああああああああああ!!」
これからなにがあるかわからないし、エウロデューデルにも少し慣れてもらおう。なんて、ララは思っていた。
大砲の射線を意識して、檣の合間を縫うように滑空。翼幅三丈(約九メートル)の巨体が白い帆布に影を落とす。
「ひゃううううううううううううう……ひうっ」
甲板の上で羽ばたき、急停止。ルルーヴが上層甲板へと降り立った。
「よっと」
軽い身のこなしでルルーヴから飛び降りるララ。海賊たちは遠巻きにしていて、すぐに襲いかかってくる様子はない。
「ら、ララ」
ララが半身を引いて海賊たちを品定めしていると、背後から弱々しい呼び声。エウロデューデルだ。
王女様はひとりで鷲から降りることができなかった。
「はい、おいで」
「こ、子供扱いするでないぞ」
「はいはい、おいで」
エウロデューデルは顔を真っ赤にしているが、ララは斟酌せず両手を差し出した。
「むむむ……」
鞍に掴まり、恐るおそる足を伸ばすエウロデューデル。
「ひゃあ!!」
足も手も滑らし落っこちるエウロデューデルをララが抱きかかえ、甲板に降ろした。
「ご、ご苦労。くるしゅうないぞ」
などとよくわからないことを言いながら、エウロデューデルはスカートの裾を直している。十数人の海賊に囲まれている緊張と、自身の情けない所作への羞恥だろうか。
あたふたするエウロデューデルに対し、ララは周囲の視線などどこ吹く風。巨大な鷲の腹をぽんぽんと叩く。
「ルルーヴ、上で待ってて」
鳴き声もなく羽ばたくと、ルルーヴはざっと飛び去った。
ふたり残ったララとエウロデューデル。
彼女たちを遠巻きに囲う海賊たち。
帆布を揺らし、甲板を駆け抜ける風。
沈黙を破ったのはひとりの大男――海賊だった。
「おうおうおうおう! お嬢ちゃん方よォ」
小柄なララの二倍どころか三倍はありそうな偉丈夫が進み出た。
船乗りらしいよく日焼けした肌。南方人特有の派手な赤毛。お伽噺の海賊みたいな大きな眼帯。使い古した粗末な衣服。おろしがねのような無精髭。
如何にも海賊で御座いといった男がずずいと迫った。
「泣く子も黙る空飛ぶ私掠船『三月のウサギ号』に乗り込んでくるたぁ、てぇした度胸じゃねぇか! あァん!?」
凄味のある大音声がふたりの少女へ叩きつけられた。
「ひっ……ララ」
「ん」
涙を湛えたエウロデューデルがララの背後に隠れ、裾を掴む。ララはそんなエウロデューデルをかばいながらじりじりと後ずさり、隻眼の海賊との間合いを取った。
「もちろん、命の覚悟はできてるんだろうなァ?」
海賊はにたにたと笑いそう言うと、腰のベルトから燧石式の短銃を抜いた。銃口はララへぴたりと向けられる。
「ララ、ララ、ララ……」
エウロデューデルの震える呼び声は、爽やかな南風に攫われた。