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遥かなるかな空と海 第二部  作者: 嘉野 令
第三章 大きな魔手、小さな魔手
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第一節 帝国領聖地サントゥアン

 この地を、世界の中心と呼ぶ者もいる。

 大陸中央回廊の更なる中央。峻険霊柩山脈が城壁のように囲う広大な盆地。大神の娘たる大地母神が眠るとされる聖地サントゥアン。

 冬には雪深く、夏は湿り気のある熱気が人々を悩ますものの、その気候が四季を彩り自然をより美しく輝かせるという。今年も衛蟹節半ばに差し掛かり、降り注ぐ陽光は繁る葉を、煌びやかな水面を一層照らしている。

 盆地の中心にある姿見のような湖が、かの聖水湖である。それは、死にゆく母神が流した涙の跡と伝えられている。もっとも、口さがない連中はこれを女神の膀胱などと呼ぶのだが。

「進路前方! 膀胱――じゃねぇや聖水湖が見えーまァーす!!」

 帆桁に跨がるフリーゴルが大声で告げる。

「船は?」

「泊地に船は見えるかァ!?」

 リツカの呟きをベリスカージが大声に換えると、フリーゴルは手をかざして首を伸ばした。

「えーっとォ……右舷前方にキャラベル二隻、左舷前方にキャラック一隻、市街地の近くにジーベック一隻が停泊してまァす!」

 本来、山間のカルデラ湖に外洋船が停泊することなどあり得ない。つまり、これらすべての船は三月のウサギ号と同じく空飛ぶ帆船ということになる。

「四隻、ね」

 船首楼甲板(フォクスル・デッキ)に立つリツカが望遠鏡を湖面へと向ける。

「船長、どちらの船で?」

 ベリスカージが訊く。敵である西方同盟の軍船がいるとやっかいだからだ。傍らのエウロデューデルも息を呑む。

「……キャラベルにはどっちもテゴリーボワー商船旗」

 東方帝国自由市テゴリーボワーは地理および歴史的に回廊諸国の一角とされる。ヴェリオニ共和国とも隣接し、南方洋交易の拠点のひとつである。

 テゴリーボワーの商人たちは帝国本土の官憲とも繋がりが深いため、海賊にとっては接しにくい相手とされるも、後腐れなく襲える獲物という見方もできる。

「キャラックには南方組合旗。ああ、こっちはエスラニージ商会の船じゃない」

 一方、南方洋商業組合に列するエスラニージ商会はウサギ号とも馴染みである。戦利品を売り捌く際など、リツカも頼りにしている。とはいえ、油断ならぬ交渉相手でもある。

「ふぅん? ジーベックにはリンタルティ商船旗。遠路はるばるご苦労なことね」

 東方帝国南部リンタルティ藩国といえば帝国を支える商業大国である。南方洋に面していて良港も数多く領有している。主に南方洋全域を商圏としているが、回廊地方の中心たる聖水湖までやって来るとは商売熱心と言えよう。藩主の御用商人かも知れないし、巡礼戦争を商機と見たのかも知れない。

 リツカの呟きを聞いてプラニエがぽつり、と。

「……帝国の船が多いのですね」

「そりゃあね。二百年前から帝国領なわけだし」

「そう、ですよね」

 エルヌコンスの貴族プラニエ・ファヌーにとってはじめての異国である。しかも、隣国を跳び越えて、いきなりの東方帝国領。

 およそ二百年前の戦役――紅回廊戦争。

 それは回廊諸国が血で血を洗う過酷な戦争であったという。武門の名家、ランサミュラン=ブリュシモール家――プラニエの祖先も数々の戦果を挙げ、数々の悲劇に見舞われた。

 紅回廊戦争にはエルヌコンス、レユニース、アンシュージ、レアンサブランといった回廊諸王国のみならず、西方のドケルサントおよびアンプロモージ、東方のヨーベルムも参戦。ウランドゥール修道院の仲裁も聞かず、ヴィリヤンティエの民からもたらされた魔法まで駆使し、回廊諸侯は相争い、大陸中央回廊を真紅に染めた。

 その結果、諸王国は疲弊し、ヴェリオニ、キュイーズ、テゴリーボワーの三大都市国家は戦後数十年のうちに独立。百年後にはヨーベルム王家も滅ぶに至った。

 そして、争いの火種となった聖地サントゥアンは東方エフォンマリンド帝国に管理・統治されることとなった。

 以後、二百年もの間、回廊諸国同士や東方帝国と大きな争いを起こさなかったのは、紅回廊戦争における悲劇と荒廃、聖地統治の委任という折衷案によるものとされている。

 だが、その体制が今次巡礼戦争の原因のひとつとなっているのも、また事実である。

「まァ、帝国の船が多いってこたァちったァ安心ですな」

 と、ベリスカージの陽気な声。ウサギ号に乗り込んで以来、様々な勉強をしてきたプラニエだが、その意味はわかりかねた。

「どういう、ことです?」

「なァに、あっしらの敵――王女様の追っ手は西方同盟なわけでして。さっすがに、帝国の商船に化けて帝国領に乗り込むたァ思えねぇと」

「なるほど……」

 西国グリシエヴの王女エウロデューデルを追ってきた西方同盟の軍船二隻は、敵国エルヌコンスの上空だというのに同盟海軍旗を掲げていた。

「むむ? で、あるならば、聖地では安心して良いということかえ?」

 話を聞いていたエウロデューデルが希望を隠しきれず、きょろきょろと大人達に訊いた。

「いや、そうじゃない」

「うん、気をつけた方がいーよー」

 リツカとララが即座に否定した。

「ここに来れるの船だけじゃないもんね?」

 ララがあっけらかんと続けるものだから、解説しようとしたリツカは言葉を飲み込んだ。知識も学もないくせに的確なことをいうものだから、リツカはララが嫌いだ。

「山間の街道を行き交う商人、巡礼者、外交使節……」

飛竜ワイヴァーンなり獅子鷲グリフィンでも霊柩山脈は越えられるしなァ」

 クトリヨン以来すっかり仲良くなったプラニエとベリスカージが考えを付き合わせる。

 霊柩山脈に守られた聖地とはいえ、大陸東西の交易拠点たる中央回廊の中心地である。産業は育っていないものの、交易や外交、信仰や文化の中心地でもある。多くの人間が行き交う混沌さもわだかまっている。

「とにかく――」

 ぽんと、リツカの掌がエウロデューデルの頭に置かれた。王族に対して明らかに不敬だが、エウロデューデルは怒るどころか、少し安心を覚えた。

 また、リツカにしてみても珍しい他人との接触。

「まずは着水して、登城することね」

「う、うむ……」

 縮帆した三月のウサギ号はおもむろに高度を下げ、サントゥアンの泊地――聖水湖に着水した。ランサミュラン=ブリュシモール家の旗を掲げながら。


 聖水湖畔には大型船に対応した桟橋がない。そのため、着水すると市街の方から艀船はしけぶねが役人を乗せてやって来る。そのまま船上で諸手続を済ませると、長艇ロングボート短艇カッターでの上陸が許される。

 今回、リツカは嘘偽りを最小限にとどめ、「クロンヌヴィル侯爵ランサミュラン=ブリュシモール家との傭船チャーター契約により、グリシエヴ連合王国第三王女を乗せたエルヌコンス王国の武装商船たる三月のウサギ号」と名乗った。武装商船というのは、さすがに私掠船というのは剣呑すぎたための遠慮に過ぎない。

 ともあれ、これがリツカの狙いであった。

 各国の使節や間諜の眼前で、公的に、エルヌコンスのプラニエがグリシエヴのエウロデューデルをサントゥアンの太守に引き合わせる。そういう、布石である。

 船長艇ギグでサントゥアン市街に上陸した第一陣は漕ぎ手を除いて八名。船長リツカ、掌帆長ベリスカージ、クロンヌヴィル侯爵令嬢プラニエ、その従者ソワーヴ、騎士ルードロン、騎士リック、グリシエヴ王女エウロデューデル、その護衛ララ。

「……ここが、聖地サントゥアン」

 齢十の少女エウロデューデルが街路に並ぶ建物を見上げ、思わず呟いた。一風変わった街並を前に、意味はなくとも、その地名を口にしておきたかったのだろう。

 聖地サントゥアンの首府にあたるサントゥアン市街は人口およそ十万。他国の都と比べて随分と小規模だが、交易商、巡礼者、観光客、外交使節といった者が最大で数万は滞在しているため、宿や商店、貴族の別邸なども多い。

 建築様式はその施工主や大工によりさまざまで、プラニエやエウロデューデルにも馴染み深い西方由来の回廊様式がおよそ三分の一。彼女たちにとって異文化たる東方様式もまた三分の一。そして、残りは紅回廊戦争の戦災を免れた原始回帰様式。さすがは東西文化の結節点、山間にありながらも国際都市の様相を呈している。

 古臭く質実剛健な原始回帰様式の建物の中でも一際目をひくのはもちろん、大地母神を祀る落涙大神殿である。聖水湖に迫り出したこの神殿は、母神と大神を信仰する大陸中の巡礼者にとっての目的地であった。当然、西方同盟巡礼軍も落涙大神殿を最終目標としている。

 だが、上陸した八人は巡礼者でもなければ観光客でもない。ソワーヴ・モーヌ翁が手配した馬車に分乗し、一行は内陸を目指す。

 東西様式の混じり合った国際市場通りでは、各国の商人たちが様々な交易品を売り買いしていた。商人の活気に溢れ、珍しい品々が並んでいる。車窓から覗くプラニエは途中下車したい気持ちを堪えねばならなかった。

 国際市場を越えると、そこは官庁街。市街の外れに聳える城壁が目に入った。サントゥアン・アンダードラ城である。この東方様式の城塞こそがサントゥアン太守の政庁であり、帝国統治の象徴ともいえよう。

「余は、万神の加護厚き偉大なるエルヌコンス王の忠臣クロンヌヴィル侯爵ジュリアル・ダルタン・ランサミュラン=ブリュシモールが娘、プラニエ・ファヌー・ランサミュラン=ブリュシモールと申す!」

 アンダードラ城の大手門前にてプラニエが名乗りをあげる。役所で手続きさえすれば、納税額の多い商人でさえ謁見叶うというのに。門番達も困り顔だ。

「当家の客人と共に、エフォンマリンド帝国八君侯がおひとりにしてリンタルティ藩主、サントゥアン太守チケー・テアノス・ロコギ・キナダヤム閣下との謁見を所望致す! お取り次ぎくだされい!」

 異文化の帝国貴族相手に、あくまでも騎士としての礼節を押し通すプラニエ。

 そんな彼女を見遣り、リツカは肩をすくめた。何かしら返答しなければならない東方人の小役人が憐れに思えたからだ。

※誤字を修正しました。

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