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あの高い雲を追い 太陽に手を伸ばし

「目盛ななぁーつッ!(バイ・ザ・マーク・セブン!)」

 夜、操舵手が測鉛索レッド・ラインの目盛を読み上げた。

 洋上の船が水深を測るのと同じ方法――すなわち、船外へ測鉛レッドを投げて、三月のウサギ号は山肌までの距離を測っている。

 目盛七つとは水深ならぬ対地高度七尋(約一三メートル)のこと。霊柩山脈を登るにつれて、たいぶ浅くなったようだ。

 喫水の浅いウサギ号とはいえ、山頂を越えるまでは常に注意が必要だろう。

 今朝早くから開始された「登山」も今夜が――滑稽なことに文字通り――「山場」である。夜間の当直も増員され、酒の配給は延期された。

 船長であるリツカも今夜は船尾楼甲板プープ・デッキで指揮を執っている。

 そのため、船長室は今、プラニエひとりの空間だった。

「ふぅ……」

 船尾側の大きな窓からは暗い闇しか見えない。だが、日が昇れば山の裾野が見えることだろう。

 そこは、プラニエにとって異国である。

 過ぎ去ったウサギ号の航路は回廊最大の王国レユニース領であり、山を越えれば東方帝国領聖地サントゥアンなのだ。

 いつの間にか、故郷から遠く離れてしまった。

「私……本当の船乗りになったみたい」

 クロンヌヴィル侯領の城館から出征して以来、今も眠れぬ日々は続いている。さすがに一睡もできない夜はなくなったものの、夜遅くまで天井を眺めるのにも慣れてしまっていた。

 故郷を離れ、祖国を離れ、船に乗り、戦に臨み――

 そして、人を撃った。

 ポムポムさん――ウサギのぬいぐるみをいくら抱き締めても、あのとき覚えた恐ろしさは忘れられない。

 ルヴィシー丘陵攻防戦――

 マッサブレユ城塞へと退却する王の本隊を追撃する五千の聖騎士と相対した、プラニエ率いる二百に満たない騎士と傭兵。

 プラニエはこの戦いで敵将との一騎打ちに臨み、リツカから預かった短銃ピストルによってこれを討ち取った。

 自軍の戦死者、戦傷者合わせて百人以上。

 配下の騎士――幼馴染みのリックも傷を負った。もう癒えたとはいえ、大きな傷跡が残っているという。

 祖国の命運を背負っていたとはいえ、戦うことが貴族の義務とはいえ、プラニエ自身の決断によって戦った結果がこれだった。

 三月のウサギ号が来援しなければ、殲滅されていたことだろう。もとより、それを覚悟しての出陣だったのだ。

 戦地へ赴くプラニエを引き留めてくれたリツカの優しさと懸念が、今も胸に沁みる。痛く、苦しいほどに。

 今夜もまた、眠れそうにない。

「どうしよう……」

 寝台として与えられた長椅子の上でプラニエは思案した。隙間風に揺らぐ洋燈ランプの火を見つめても答えは返ってこない。

 リツカが戻って来たときに起きていたら、なんとなく気まずくなってしまうだろうに。

 こんなとき、海賊たちはどうしているのだろうか。

「やっぱり、お酒?」

 とも思ったが、クトリヨンの酒場で大失敗して以来、飲酒はしないようにしている。

 夜、水夫たちが飲酒と睡眠以外に何をしているかといえば――

「あっ、歌!」

 古来より、船乗りは歌を歌う。

 プラニエも、初めてこの船に乗った夜、水夫たちの歌声を聴いた。あの、短くも足を前に進めたくなる歌を。

 旅人たちに捧ぐ歌とも呼ばれる、詠み人知らずの歌。

 東西に広い大陸を旅する行商人や吟遊詩人が口ずさみ広まったという。今では船乗りもさることながら、気の緩んだ巡礼者までも歌うのだとか。

 貴族の子女であるプラニエにとって、歌といえば歌劇、音楽といえば弦楽器か横笛。自ら歌うことなどあまりなかった。

 歌を歌うにも気負いが必要なのか、長椅子から身を起こし、すっと立ち上がった。いつか王都で観た歌劇のように。

 プラニエは胸の前に手を合わせると、目を瞑り、歌を紡いだ。


 出会いと別れだけ

 繰り返される旅路

 振り返ることもなく

 道なき道をゆく


 今はまだ、この旅路を振り返ることもできない。

 いつか旅を終え、振り返ったとき、何を思うだろうか。

 そう思うほど歌に心がこもってゆく。


 あの高い雲を追い

 太陽に手を伸ばし

 抱き締めることもなく

 さよなら 愛し君


 今なら、この節の意味がわかる。

 遠き地を目指す旅人は、必ず空を仰ぐのだから。

 遥かなる空を思い描き、胸の内が洗われたような気がする。

 今夜はぐっすり眠れそうと思った、そのとき――

「うまいじゃない」

「リツカさんっ!?」

 扉のところにいつの間にかリツカが立っていた。

 そもそも気弱なプラニエ。こういう姿を見られるのは恥ずかしい。特に、感情をあまり露わにしないリツカ相手だと、特に。

「い、いいい、いつから、そ、そこ、に……?」

 顔を真っ赤にするプラニエ。

「高い雲を追い始めたあたりから」

 今夜は恥ずかしさで眠れなくなりそうだ。

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