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遥かなるかな空と海 第二部  作者: 嘉野 令
第二章 聖地へ
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第三節 不穏な巡礼路

 いつしか、太陽は遥か西へと沈もうとしていた。

 帆や旗は甲板に陰を落とし、水夫は船尾灯に火を入れ、エウロデューデルはその様を眺めている。

 船は海原の波に乗るように、茜色に染まった雲を蹴立て進んで行く。

「ララよ! 干天の慈雨、冥府に天使、これぞまさに渡りに船じゃ!」

 手摺りに掴まり、エウロデューデルはララに笑顔を向けた。

 ふたりだけの過酷な空の旅、恐ろしい追っ手、突然の戦闘……。一転して、強力な味方に守られた船旅。エウロデューデルが安心するのも無理はない。

「お主のルルーヴほどでなくとも、空飛ぶ船というのはなかなかに速いものなのじゃな」

「うん」

 鷲のルルーヴは今も三月のウサギ号に併走している。

「これならサントゥアンもすぐではないかえ?」

「三日、くらいかな」

 ララは素っ気なく答えた。

「長旅じゃったが、なんとかなりそうじゃの」

「うん」

「今宵は暖かい食事を振る舞うと海賊どもが申しておったぞ!」

 およそ四ヶ月におよぶ西方横断の旅。

 幼い王女エウロデューデルにはつらいものだったに違いない。その点はララもわかっている。三月のウサギ号との出会いは確かに喜ばしい。

「行糧も干し肉も悪くはなかったがの!」

 満面の笑み。

 エウロデューデルは上機嫌であった。二ヶ月ぶりに屋根のあるところに泊まれるから、というのもあるのだろう。

「……どうしたのじゃ、ララ?」

「うん?」

「何か、不安なことでもあるのかえ?」

 不思議そうな顔でエウロデューデルがララの瞳を覗き込む。考え事していたのを見透かされてしまったようだ。

「あー」

 ララには気がかりなことがふたつあった。

「えっとねー、嘘はついてないと思うんだよね」

「嘘……リツカ殿とプラニエ殿の話かえ?」

「うんー」

 好意に近い何かで聖地サントゥアンまで連れて行ってくれるのは間違いなさそうだった。難しい政治状況などわからぬララだが、人の気配や機微は読める。

「でも、あのふたり、なーんか隠してるんだよねー」

「なんかとはなんじゃ?」

「わかんない」

「なんじゃそれは」

 はっきりしないララに口を尖らせるエウロデューデル。

 海賊にも騎士にも悪意はなさそうだが、果たして。

「それよりさー、追っ手ってあれだけかな?」

 これがふたつめ。護衛として、ララはエウロデューデルの身の安全を気にしている。

 少女ふたりに空飛ぶ軍船二隻を差し向けるとは西方同盟も徹底したものである。だが、エウロデューデルの使命と古い血の意味を知っていればそれも無理からぬこと。

 さらなる追っ手にも警戒せざるを得ない。

「そのためにも、この船に留まるのは正しいと判断したのじゃが……」

「うん、あってると思うよー」

 心の弱さから安易な道を選択してしまったのではないか。幼き王女はそんな不安を抱いているようだ。

「だって、この船強いもん。だいじょぶだよ」

 ララも無事に聖地へ辿り着けると確信している。二隻の軍船を屠ったウサギ号の手並みはたいしたものだった。

 船のことはよくわからないが、技量がどうこうというより船員や騎士たちの士気が高い。また、例の船長も見た目によらず戦上手だった。

「そうじゃな! この船の海賊たちは存外強い! 安心じゃな!」

 エウロデューデルに笑顔が戻る。安心していたいのだろう。

「うん」

 微かな笑みを返すも、ララはこれがもし狩りなら、と考えていた。もしも、自分が狩る側であるならばどうするか。

 答えは簡単だ。

 獲物が巣穴に帰ったところを狙う。

「のう、ララよ。綺麗な夕日じゃな」

 舷縁ブルワークから身を乗り出し、船尾の先を眺めるエウロデューデル。彼女の顔も茜色に染まっていた。

「うん、そうだね」

 沈み行く夕日の先には、ふたりの故郷がある。


 千年前から姿を違えぬウランドゥール修道院本院――決して大きくはない古めかしい伽藍は草原の真ん中にぽつんと建っている。

 祭りの日を除けば、修道院の鐘の音か修道僧の祈りしか聞こえないのどかな景色が千年も保たれていた。

 しかし、それも今朝までのこと。

 夏になり青々と繁る草原に、西方同盟巡礼軍の別働隊八千が野営していた。彼らの張ったいくつもの天幕が、夕日を受けて朱色に染まっている。

 結局、修道院側は巡礼軍の通行と駐屯を認めた。

 典院ピエルク・ユトイン・カルソヴィランは修道院領の独立を維持するため、西方同盟の、またはシスク・ベルケルの脅しに屈したのだった。

 丘の上から軍勢を見下ろすシスクに、青年騎士フロンソフィエが報告する。

「明日早朝に進発。予定通り北上し、レアンサブラン本隊の後背を突くとのことです。先ほど、北部兵団への伝令も出した様です」

 北部兵団との連携さえうまくいけば、レアンサブラン王国は落ちたも同然だろう。報告に満足したシスクはうんうんと頷いた。

「ご苦労様、フロン君」

「ですから、僕の名前はフロンソフィエと――あ、失礼しました。来客中でしたか?」

 シスクの隣に見知らぬ紳士がいた。

 巡礼軍の騎士でもウランドゥールの修道僧でもない。西方人でも回廊人でもなく、色素の薄い髪や肌を見るに北方人のようだ。

「あれ? フロン君は初対面でしたか? 有名人なのに」

 そう言われても、フロンソフィエには心当たりがない。

 とはいえ、相手は身なりのいい壮年の紳士。若輩の自分が先に名乗るべきだろうと、フロンソフィエは頭を垂れた。

「ご挨拶が遅れました。余は、信仰の守護者オージュサブリス王の忠臣ロードリスカー伯爵長子にしてキリヒト・フィリヒ勲爵士、オージュサブリス聖騎士団が末席、フロンソフィエ・ゲルメルト・エードリッツに御座います」

「彼は僕の見張り役なんですよ、ハムクルプト先生」

 せっかく綺麗に名乗ったのに、すぐさま茶化すシスク。その皮肉を理解したのか、相手は穏やかに笑った。

「ははっ、それはそれは剣呑ですな」

 先生と呼ばれた紳士は低く重々しい声音の持ち主だった。

「吾輩、北方はジャミリアルム島のグドリッカ子爵サンペーリス・ハムクルプトと申す。ここへは立ち寄っただけでな。すぐまた飛び立ってしまうがよろしく頼む、若き騎士よ」

 北方洋の大島ジャミリアルムならフロンソフィエも知っている。むしろ、一般的な西方人としてジャミリアルム島しか知らない。

 北方洋は冬にはその多くが凍結し、春先まで流氷が残る過酷な海である。島々にも陽が差すことは稀だと聞く。

 そのため、古来より大きく栄えることなく、大陸と違い王もいない。作物もあまり育たず、僅かな漁業や狩猟で人々は暮らしているという。

 肥沃な大陸に暮らすフロンソフィエら西方人にとって、西方洋同様にこの世の果てといった印象である。

 事実、拡大路線を取る西方同盟さえも、北方の島々への侵攻や教化といったことは考えていなかった。

 そんな北方貴族がここ回廊地方でいったい何をしているのだろうか。

「もうやだなぁ、フロン君。グドリッカ子爵って聞いてぴんとこないんですか? これはもう減算十点かな」

 相変わらず謎の採点をするシスクだが、それはさておくとしてもその領邦の名は聞き覚えがあった。

 北方の中小領邦の地名などなぜ知っているのか、フロンソフィエ自身も不思議に思った。

 だが、確かにその名は有名であった。

「まさか……北方の死神卿!?」

 フロンソフィエはそれを実在するものと思っていなかった。

「そう、かの有名な暗殺貴族ですよ」

 噂話、または与太話の類だと思っていたのに、シスクはしれっと認めた。

 たとえばこれは、最東方に浮かぶ島国は黄金に覆われているというくらいの伝説に等しいものだと、人々には信じられている。

「目の前で言われると気恥ずかしいものだね、はっはっはっ」

 まるで、舞踏会で娘の美貌や踊りを褒められたかのような紳士然とした笑い声。

 南方グンドラン島で紳士たちの間に流行しているという山高帽にインバネスコート。貴族だが帯剣などせず、手にはステッキ。白いものの混じる口ひげは綺麗に整えられている。

 グドリッカ子爵サンペーリス・ハムクルプトは田舎者の北方貴族でありながら、その格好は粋で最先端だった。

 それがまさか、噂に聞く「暗殺貴族」だとは。

 若きフロンソフィエは驚き方ひとつにも困る有様だった。

「お、お知り合いだったんですか!?」

 さすがに「実在したのですか」と言うのは憚った。

「ハムクルプト先生は帝都の大学で一番の神学博士ですからね。在学中は随分とお世話になったものです」

「は、はぁ、先生でいらしたのですか……」

 シスク・ベルケルがサリーデス男爵位を叙勲される前、センポロフリ大学に在学していたとは聞いている。

 だが、よもや、あの暗殺貴族が大学で教鞭を振るっていたとは想像だにしなかった。

「君ら西方同盟の本営からの依頼でね、しばらくは休講だよ」

 肩をすくめて言うが、暗殺貴族への「依頼」ということは、つまり――

「誰を暗殺するんですか?」

 シスク・ベルケルは何者にも臆しない。

「ははっ、それは言えんよ、ベルケル君。そういう契約になっておる」

「そうですよねー」

 まるで、明日の天気などわからないとでもいうような会話。

「でも――」

 突然、シスクがいつものへらへらした態度を捨てた。ここ二週間あまり共に過ごしていたフロンソフィエも、シスクのそんな様子を初めて見た。

「東へ向かった二隻の空飛ぶ軍船と関係ありますよね?」

 確かに数日前、彼らの頭上をクレンヘルゲルの空飛ぶ軍船が飛び去っていったが、フロンソフィエは巡礼軍への援軍だと思っていた。

「相も変わらず君は何でもお見通しだね、ベルケル君」

 そう言うとグドリッカ子爵は微笑み、フロンソフィエは首を傾げた。

※誤字を修正しました。

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