第二節 茶番の台本
「で、その王女様がなんでこんなとこ飛んでるわけ?」
船長リツカは船尾楼の船長室に戻ると、エウロデューデルに向かってあらためてそう切り出した。
室外からは水夫たちの大声。掌帆長ベリスカージの声もする。敵船を沈めた直後であり、三月のウサギ号船内は未だ慌ただしい。
エウロデューデルも戦闘の興奮からか頭がうまく働かない。
「なんじゃ、その……旅行というか、諸国漫遊じゃ」
彼女自身もよくわかっている。我ながら良くない受け答えだと思った。
「お国は戦争してるのに、ねぇ?」
リツカの大きな眼鏡がぎらりと光る。背後に大きな窓を背負っているからだ。決して、彼女に悪鬼羅刹が宿っているわけではない。
「う、うむ……そう、じゃ」
「ふぅん?」
「……う、嘘ではないぞ」
と、エウロデューデルががんばって言い張った途端――
「嘘だよ」
ララが口を挟んだ。
「なっ!? ら、ららら、ララ!? 何をっ!?」
「使者なのは秘密ってことになってるけど、もうバレてるよー」
「なん……じゃと?」
しれっと断言するララに対し、エウロデューデルは硬直した。
「り、つり、かつ、えーっと、船長さんは最初っから全部知ってて私たちのこと助けたんでしょ?」
ララの涼しい瞳をリツカの鋭い瞳が睨みつける。
ちなみに、北方風の名前とはいえ「ヒューゲリェン」はともかくとして「リツカ」は別に覚えにくい名前ではない。だが、ララは覚えられないらしい。覚える気があるのかも疑わしい。
記憶力はともかくとして、ララには洞察力が備わっていた。
「そう、なのかえ?」
エウロデューデルがリツカを、プラニエを、ララを見る。
「はいはい、茶番はここまで」
投げやりにそう宣言するリツカ。
「ちゃ、茶番じゃと?」
王女エウロデューデルにとって、一生分とも思える波乱を味わったこの数刻を茶番だと言われてしまった。
「そうよ」
リツカは足を組み直した。
「グリシエヴ連合王国からの使者が、聖地サントゥアンを目指してこのあたりを通過すること。西方同盟の追っ手がいること。旅の目的が、東方エフォンマリンド帝国との同盟締結交渉であること。どれもこれも全部、情報通り」
「か、海賊風情が妾をたばかっておったのかっ!?」
席を立って怒鳴りつけるも、リツカには柳に風。
「ま、所詮は海賊だから。この程度の悪事はいつものこと」
「ぐぬぬ……!」
今まで騙されて怯えていたことも悔しい。
秘密の使命を帯びているというのに、自分の行動とは関係ないところで情報が漏れていたというのも悔しい。
完敗だと思った。
エウロデューデルは拳を握りしめたまま、席に着いた。
「エルヌコンスの間諜はどれほどの力を持っておるのじゃ? 妾がサントゥアンに向かっておることは秘密じゃというのに」
「馬鹿言わないで」
リツカが鼻で笑う。
「敵にバレて、空飛ぶ軍船まで差し向けられといて何を。西方同盟の船の動きは南方組合には筒抜けなの。で、うちは組合から情報を買っただけ」
あっけにとられるエウロデューデル。
回廊諸国にはよっぽどの優秀な間者でもいるのかと思ったのに。たとえば、最東方の島国に住む伝説の間諜一族ニンジャーのような凄腕がグリシエヴ王宮に入り込んでいる、であるとか。
それなのに、世界はそのように動いているだなんて。
種明かしを聞いて、エウロデューデルは自分が情けなく思えた。
「しかし、王女殿下。我らが戦い、御身をお救い致したことは、事実にございます」
放心していたエウロデューデルに女騎士プラニエが申し出た。
「本船並びにエルヌコンス王国は殿下の旅路をご支援致したく思います」
「……つまり、どういうことじゃ?」
「このまま本船にて、殿下を聖地サントゥアンにお連れしたい、と」
突然の申し出にエウロデューデルは戸惑った。
「な、なんでじゃ? 船賃でも欲しいのかえ?」
「いえ、我らエルヌコンスにとっても西方同盟は敵にございます故」
「……共闘、ということかえ?」
「然様にございます、殿下」
すらすらと答えるプラニエ。
エウロデューデルには文字通り「渡りに船」に思えたが、なにかうまくいきすぎている気もする。
不安になり、ララを見遣る。
「いいんじゃない?」
いつもの調子で答えるララ。
もう秘密を隠す必要もなく、鷲の背で振り回されることもなく、軍船が追ってきてもやっつけてくれる。
そういうことなら、頼ってもいいだろう。
「う、うむ。ならば、妾をサントゥアンまで連れて行くがよいぞ」
精一杯胸を張り、エウロデューデルはなるべく横柄に申し出を受け入れた。なぜなら、相手はエルヌコンス王族ではなく、自分はグリシエヴ王族なのだから。
「ま、金五万くらいの船賃、支払ってくれてもいいけどね」
「リツカさんっ!」
船長の軽口に女騎士から叱責が飛んだ。
船の案内を老執事ソワーヴに任せ、リツカとプラニエのふたりは船長室に残った。
さすがに一国の王女をハンモックに寝かせるわけにはいかないので、プラニエは居室として使っている集会室をエウロデューデルに譲った。
一方、ララはハンモックすらいらないというので構わないことにした。
「リツカさん……」
ふたりだけになった船長室で、プラニエがぽつりと呼びかける。リツカは応えなかったが、プラニエは続けた。
「嘘をついてるみたいで気が重いです」
騎士として振る舞っているときとは違い、気弱な姿。プラニエは本音を吐露すると共に、その小さな肩を落とした。
「そのわりにしっかり演技できてたじゃない」
「べ、別に演技ってわけじゃ――」
「そう。嘘ではない、からね」
プラニエははっとした。
「あ、ありがとう、ございます」
罪悪感を和らげるために、リツカは演技がどうのとからかったのだろう。ついつい、リツカには甘えてしまう。
「ふん。どうせ、騙してることなんかあの鷹匠にはバレバレでしょ」
リツカは前髪を掻き上げ、吐き捨てるように言った。
「なんてカンしてるんだか……。でも、あの子たちには他に選択肢なんてない。ヤクザな相手と知って、あたしたちを頼らざるを得ない」
「それが、リツカさんの作戦ですもんね」
肩をすくめ小さくなったままのプラニエが言う。
「でも、本当に、グリシエヴと帝国の同盟は成立しないんですか? もしかしたら、一緒に西方同盟と戦ってくれるかも――」
「そんなわけないじゃない」
この一連の茶番と策を発案した際、リツカは断言したのだ。東方帝国は決して、この戦役に参戦しないと。
「もし、西方同盟を脅威と感じ、巡礼軍を早々に叩き潰したいなら、今頃はマッサブレユ城塞に帝国の援軍が来てなきゃおかしいでしょ? エルヌコンスからは再三再四、使者送ってるんだから」
「そう、ですよね」
エルヌコンス王国が滅亡の危機にある理由のひとつはこれだ。未だに東方帝国どころか、他の回廊諸国からも支援を受けられていない。
「それなのに、西方も西方、西方洋沿岸の国のために同盟と敵対する?」
「で、でも、巡礼軍は帝国領であるサントゥアンを目指して進軍してるんですよ。いつか他人事じゃなくなるのに」
だからこそ、エルヌコンス上層部は帝国の参戦を期待している。
「学問と戦争では夢を見ない」
リツカは人差し指をこめかみに当てた。呆れられているようだ。
「帝国が本気になれば単独で巡礼軍と戦える。わざわざ前のめりになって群れる必要なんてない。むしろ、西方同盟がエルヌコンスなりレアンサブランなりを平らげてくれれば、回廊征服のいい口実になるんだから」
山奥の所領で無邪気に暮らしていた頃とは違う。三月のウサギ号やルヴィシー丘陵で戦った今ならプラニエにもわかる。
世界というのは、恐ろしいものだと。
「だから、帝国との同盟は無理、なんですね……」
「そうよ。それでも、なんとか他国をこの戦争に引きずり込む。王女様はそのためにも必要ってわけ」
邪道にも思える。騎士として堂々と戦い勝利を得るわけではないのだから。
非情にも思える。成功するはずのない交渉へ少女を導くという行為に。
元来、生真面目で優しいプラニエは耐え難い苦痛さえ感じる。夜はぬいぐるみを抱きかかえなければ眠れない。
だが、そこまでしなければ、祖国を救うことができないのだ。
「で、どうするの?」
奥歯を噛み締めていたプラニエに、リツカは唐突に訊いた。
思考を読まれ、祖国への思いを訊かれたわけではあるまい。
「なにが、ですか?」
「部屋」
三月のウサギ号は客船ではない。本当なら個室なんて船長にしかないところを、侯女であり少女であるプラニエのために集会室が宛がわれていたのだ。
それをさらに身分が高く、さらに年若いエウロデューデルに譲ってしまった。
「えっと、私はハンモックでもしょうがないかなって思ってるんですけど……」
先程まで威勢のいい騎士だったプラニエ。
接舷戦闘では鷲に乗り敵船へ移乗したプラニエ。
武門クロンヌヴィル侯爵家の令嬢プラニエ。
そんな彼女が顔を赤くしてもじもじし出した。
「その、よかったら、リツカさんのお部屋に、泊めてもらえない、かな、って、思って、あの……」
この船長室の奥にはリツカの寝台がある。船によってはここに船長の家族が暮らすこともあり、言うなれば船長の私室なのだ。
そんなところに、この偏屈な船長が他人を招き入れるはずがない。
案の定、怒ったように席を立つリツカ。
「ごっ、ごめんなさい! やっぱり駄目ですよねっ!」
「勝手にすれば」
ぽつり、と。危うく聞き逃しそうな小声で。
「あんたの身長なら十分でしょ、そこの長椅子」