決戦
「彼女自身を生け贄にして、『あれ』を起こすだと?」
俺は走りながら早月の話を聞いている
彼女は深夏に抱きかかえられている
「そんなことが出来るのか?、今回だって石版を4つも集めてようやく起こせる所までしたんだろ?」
「コントロールとただ起こすのとは違うわ、起こすだけなら彼女だけで可能だったわ」
「コントロールして、彼女は何をするつもりだったんだ?」
「世界中の人間を自分と同じにしたかったんでしょうね」
「なんだそりゃ?」
「両性具有よ」
「両性具有?」
「アンドロギュヌス、雌雄同体、両性体、真性半陰陽、--いろいろ言葉が有るけど、『完全なる自己完結体』とでも言うべきかしら?」
世界はこの二つに別れている。
陰と陽、光と影、男と女、
半分を持った二つがメリーゴーランドの様に巡り巡ってこの世は成り立っている、
だが、時として人間の中には、二つを同時に持つ者が生まれる。
彼女は男でもあり、そして女でもあった、と言うことだ。
彼女の人生にどんな事が有ったか、
それによって、彼女に何が有ったのか、
俺には想像もつかない、
普通の家庭に生まれたはずの彼女は、
早月や実耶子に匹敵する身体能力と、闇の住人との交渉する能力を持った、
どんな生き方をしていたのか----
「自分の身体を、性を憎んでいたというのか?」
「逆かもしれないけれどね、彼女の望むことをしようとすれば、世界の根本を変えてしまうしかない、行き着いた先が『あれ』だったと言うわけ」
しかし‥‥‥‥
「なあ、一体なんなんだ、この場所は?」
走りながら、回りを見回す。
光り輝く星々、そのなかを空中に浮いている道、
その中を走っている俺達、
「幽閉空間の気配はまるでない、だのにこの景色、さっきから30分は走ってるぞ?」
「鬼太‥‥‥疲労はない?」
「何?」
「疲れてないか、って聞いたの」
「そういえば、全然だ、おかしいな‥‥‥彼女達のペースにあわせて走ってるのに」
いつもならとっくに誰かに背負われてるはずなのに、
「そう‥‥‥なら、近いかもしれないわね」
なんだって?----
と言おうとして、急に回りが明るくなった!
「ここは?」
まるでピラミッドの玄室のような巨大な部屋---
「ようやくお越しですね、鬼太さん」
その声に振り返ると、
石版に手を翳しているエルナティスの姿、
瑞恵、悠乃も石版に手を翳し、
菱摘はジャックを伸ばし、石版とモバイルを繋いで操作している。
各自一人が一枚の石版に干渉している。
四枚の石版に挟まれた空間、
その中央には‥‥‥‥
「なんだこりゃ?」
宇宙だ、
銀河系をいくつも内包した、宇宙が浮かんでいる。
「眠っている、ヴァーストゥ・プルシャよ」
厳しい顔で早月が答える。
「美冴は?」
「飛び込んだわ、この中に」
どことなく、疲労した声は、
「実耶子、お前‥‥‥怪我を」
「実耶子、すぐここから出て」
「はい」
「おい、早月!、手当てぐらい‥‥‥」
「時間が無いの、このままいけば目を覚ますわ」
「大丈夫よ、鬼太、かすり傷だから」
弱々しく笑う、実耶子。
「この場は、私は、役に立たないの‥‥‥早月様、あとはお願いします」
「まかせなさい♪」
軽く言う早月、
「行くわよ、菱摘さん」
「あーん!、まだデータ収集が済んでないのにぃ‥‥‥」
「って、お前!、干渉してたんじゃねーのか!」
「あたしはそんな超能力なんてもってないわよ!」
「ほら!」
ああああ、と残念がる恵美奈を連れて、玄室から消えていく実耶子、
早月は恵美奈がいた石版の前で手を翳す。
「‥‥‥‥お、俺はどうするんだ?」
「適当に、その辺りに立ってて!、何もしなくていいから!」
「って言ったって‥‥‥」
「来たわよ!!」
早月の緊迫した声、
どくん、と宇宙が揺れる、
どくん、どくん、どくん、
人間の心臓の拍動にそっくりな音‥‥‥‥‥‥
瞬間---
凄まじい光が、辺りを包む!、
早月が何か、小さく呟いた気がした、
「早月!、今、なんて----」
叫びきるより前に、俺の意識は跡絶えた。
‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
がば、と俺は身を起こした。
「?、??????」
天井は、あまりにも見慣れた安アパートのものだった。
「俺んちじゃねえか‥‥‥‥」
俺は、パジャマを着て自分のアパートのベッドで寝ていたことになる。
どうなってんだ?、
「おはようございます、マスター」
えっ?!
声に振り向くと、
「‥‥‥‥紫乃?」
俺が寝ているベッドの横にパイプ椅子をおいて、そこに座り、静かに微笑んでいる美しい女の姿があった。
「あれから‥‥‥どうなったんだ?」
「経過を簡単に説明します。盤古神を再び眠りにつかせ、封印することに成功しました。」
盤古神とは、ヴァーストゥ・プルシャの中国での呼び名だ。
「藤咲の裏世界は再び碑瑠乃校長に管理権限が復帰、皆も無事に元の世界で日常に復帰しています。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「ちなみに、マスターはその後三日間、意識を失ったままでした。」
「‥‥‥ひょーしぬけしたぞ、思いっきり」
あれ程苦労して、
あれ程盛り上がって、
結末は俺のアパートで寝てるってか?
「学校のほうは、いつもの病欠という事になっています、『宝捜し』の時と同じですので違和感はないと思いますが」
「なんか、映画のクライマックスを身損ねた気分だ」
「いつもの平和、いつもの日常が戻ったのです、よろしいのでは無いでしょうか?」
「そうなんだけどな‥‥‥‥‥」
三日か、
闇鮫、影鮫なら、『業務』が元通りに復帰するには十分な時間だ。
「朝御飯はどうされますか、『宝捜し』の為の肉体維持には重要だと、いつもお召し上がりだと聞いておりますが」
「ああ、頼むわ‥‥‥‥‥」
台所に立つ紫乃。
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ちょっとまて、
「紫乃」
「はい?」
「三日間、俺はずっと意識を失っていたのか?」
「そうでございます」
「ちなみに聞くが、その間の俺の『下の世話』ってどうしていた?」
「もちろん私が。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥これからお前はどうするんだ?」
「私の管理権限は他のドール同様、マスターに帰属すると早月様より聞いておりますが?」
「‥‥‥‥‥‥ちょっと待て、待て、待て!!」
俺はずいぶんあわてた声になっていた。
「まさか、お前‥‥‥‥」
「はい、ここに置いてもらう事になります」
にっこりと何の邪念もない美しい笑顔を浮かべる紫乃。
「--------!!!」
「と言うのは冗談です♪、マスターのプライベートを邪魔するような恐れ多い真似はいたしませんわ、お隣にお部屋をお借り致しましたので、何かおありでしたらお呼びつけ下さいませ」
俺は、だはーーーっ、とため息をついた。
「つきましては、他の五人と相談して月に一度、ポート割り当てを変更して、交代でマスターのお手伝いをさせていただくことに致しました。来月は深夏さんが来る予定になっていますのでご了承下さい。」
「‥‥‥‥‥‥なに?」
ここまで話が急激にすすむと、半分パニックになってしまって、
何をどう言っていいのか解からなくなる。
「マスターが私達を近づけたくない理由は、リンクによって私達のプライベートを覗き見る事に抵抗があるためとお聞きしております、今の私のように口頭指示のみを受け付ける状態ならば何の問題もないと思われます。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
結局、今回の事件は、
周りにとってはめでたして、
俺にとっては、新たな問題が産まれた、ただそれだけの結果となった。
一月後、
---藤咲学園にて、
越智園学園との交流体育際が行なわれた。
バレー、野球、ソフトボール、サッカー、ラクロス、武道、陸上、体操競技‥‥‥
もちろん、殆どは圧倒的に藤咲が上回っている。
恥をかきに来たようなものだが、
俺等、越智園学園の連中は、非常~に喜んでいる。
何しろ、藤咲は美人どころの多い学校だ。
もちろん、こっちも結構美人は多いのだが皆売約済みになっている。
いきおい、この機会をつかってナンパを企む男たちも多く、
同時に、女生徒達も、こっちに良い男が少ない為
(ダメダメ男に惚れる超美人の女の子のカップルとそれに嫉妬する有象無象を集める学校だからだが)
女たちもイケメンの多いこの学校に期待を寄せて逆ナンを企んでいる。
そんな中行なわれた交流体育際は、
当然ながらそのドタバタだけで本が一冊書けるだけのエピソード満載なのだが、
俺のほうの目的は、それじゃない。
交流体育際の武道競技---
団体戦、棒術、大将戦。
主審が呼び出す。
「越智園学園棒術部大将、黒鮫鬼太!」
今回、人数の足りない棒術部のメンバー。
(そいつらは藤咲の相手メンバーにびびって病欠したくせに、ナンパだけはしに藤咲にきてやがる)
前半戦に勝ちを稼ぐために大将戦に逆に弱い人間を配置することは、
作戦としてよく有るパターンだが、
その為に一応病気で少し身体が弱い事になっている俺は、競技に参加しないはずだったのだが、
二戸部部長に『立っているだけで良い』と棒術部・補充要因に借り出された。
相手は----。
「藤咲学園棒術部大将、鞍馬実耶子!」
俺は立ち上がり、中央に向かって歩き出す。
ざわざわ、と藤咲の方の見物人の生徒たちが喋っている。
どうせ、俺のことを『いかにもやられ役の敵キャラの名前ね』みたいな事で話しているのだろう。
これで、学校の名前が『黒龍高校』とかだったらそのまんまなんだがな。
俺は今回、安心している。
早月に、くれぐれも俺を殺したりしないように、言いつけてくれるよう頼んだし、
先の作戦でも、彼女は意外と普通に接してくれた。
早月によれば、『紫乃の中にいれば、死んだりしないからあそこまで過激だったのよ』ということだ。
だから今回、悪くても骨の一本や二本で済ませてくれそうだと思ったのと、
生身の俺自身の技が、どれだけ彼女に通じるか、試してみたかったと言うのがある。
呼吸を整える、
どうせ元々実耶子との実力差はありすぎるんだ、
こっちゃ、失うものは何もない---、
「互いに、礼!」
俺は頭を下げると、棒を構える、
実耶子も構えた。
なんだよ、実耶子、その憐れむような顔は、
確かに、あんたと生身の俺とじゃあ、象と蟻ほども差が有るさ、
だが、蟻には蟻の戦い方がある、
いくぜ!!
俺は、思いっきり飛び込むと、棒を一気に打ち下ろしていく、
かん!、という音、
常人の棒が当たった音、
実耶子VS紫乃の時みたいな金属音はしない。
軽く受ける実耶子、
俺は次々と連打をかけていく、
それを更に軽い顔で受け流していく実耶子、
どうした!、
打ってこいよ!、
何をゆっくり動いてやがる!!、
くそ、一層哀れな目で俺をみやがって!、
こうなったら、俺の奥の手を出してやる!、
ひゅうっ!、
呼気を溜め込み、一気に膝の力を抜き、滑り込む、
その隙に、肘と膝で異なる大きさの術円を作り、
打ち込んでいく瞬間に、その軌跡が重なるようにして打ち込む、
自分が昔、深夏リンクしたときの42式の動きをビデオにとって、
生身の状態で出来るように練習した技!、
ばきっ、
「ぐっ!」
呻いたのは俺だ、
右腕に鋭い痛みを感じる。
からん、と棒が落ちる、
「一本!、それまで!!」
審判が声を張り上げる。
実耶子の表情は‥‥‥相変わらず憐れんでいるような目だ。
ふう、と俺は息を吐いて、中央線に戻る。
礼をして、自分の陣地に帰る。
「おー、ごくろうさん、黒鮫」
副将の二戸部部長が声をかける。
「まあ、彼女が相手じゃ、あんなもんだわな‥‥‥‥どうした?、えらい汗だぞ」
「だから、僕、身体弱いんですってば」
と嘘をつく俺。
限界まで身体を使って術を作ったせいだとは、解からないだろう。
「いやいやいや、すまんすまん♪、皆、彼女とやるの、嫌がってな~♪」
「素人に、全国大会3位をぶつけないでください‥‥‥」
「はっはっはっ、痛かったか?」
「いえ、一瞬痛かったですけど、今は全然。」
俺は右腕をぐるぐるまわして答える。
本当は、動かすのが辛いほど痛い。
「まあ、向こうさん、明らかに遊んでいたもんな」
「あきれてるんじゃないですか?」
「いいんだよ、どうせ部の誰が当たってもあんなもんだ」
とお気楽に笑っている二戸部、
「さあ、後は他の連中の見学だ、女の子に声をかけまくろうや」
ジャージに着替えて、外に出ると、
俺にだけ聞こえる声で小さく、マスター、と呼ぶ声がした。
振り向くと、武道場の裏手から、深夏が顔を出している。
‥‥‥‥何の用だ?
裏手に行くと、彼女はメイド服ではなく、越智園の制服を着ていた。
「‥‥‥‥どうした?」
「打ち身の薬を持ってきました」
と言って、ビンを掲げる、
「田七人参か‥‥‥‥‥」
ぱか、と蓋を開けて、さじで粉をすくう。
「口を開けてください」
「いいよ、自分で飲むから」
「右手、上がらないんでしょう?、この薬100グラム9000円なんです」
こぼしたらもったいないってことか、
文句は言えない。
彼女達は、俺の借金を払う為に働いている。
不承不承、俺は口を開ける、
深夏は粉を俺の口に入れると、水筒の水を差し出す。
俺は左手で受け取って飲む。
打ち身、出血などに特効薬的に効く薬なのだが、とにかく苦い。
「あと、湿布も貼っておきます」
深夏が俺の右腕をとって、湿布を貼っていく。
「--つぅ‥‥」
「打ち身のみです、痛みは数日で取れます」
「随分あいつと差が開いた」
「6年前の事ですか?」
「あんときゃ、骨を砕かれた、それだけ俺があいつの余裕を奪えたと思った。今回は打ち身で終わりだ」
「素材の違いです」
「だろうな」
「彼女は人形を操ることが出来ません」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「マスターが私達とリンクすれば互角です、あるいは私にやれと一言言えば、指一本動かすことなく殺せます」
「物騒なことを言うなよ、一応、仲間なんだから」
「‥‥‥‥申し訳有りません」
「行こう」
と俺は短く言う。
「はい」
深夏は静かに頷いて俺の後ろに着いていく。
歩いていく深夏と鬼太。
その後ろを悲しげに見る実耶子、
ちら、と深夏が振り返って実耶子を見る。
その目には、殺気がこもっていた。
唇を噛む実耶子、
「おつかれさん」
と言う声に、実耶子が振り返ると、緋路実が立っていた。
「あなた‥‥‥‥‥」
「この格好か?、新体操だよ、あんたらの試合が見たくてね、着替える暇がなかったんだ」
「越智園の男達が鼻の下伸ばしてるわよ」
「いいさ、気持ちはよく解かる」
「勝てた?」
「いいや、向こうはエルナティスを担ぎ出したんだ、外人のプロポーションに日本人が叶うわけがない」
そういう緋路実だが、彼女の肢体も、出るところの出た十二分に女らしいものであった。
もちろん、口を開けばそれを台無しにしてしまう男口調なのであるが。
「ずいぶんやりにくかったみたいだな」
「昔、小さい頃、さっきみたいに試合った事が有ったの、あのとき私は鬼太の腕を砕いてしまった‥‥‥‥棒から伝わってくる砕ける感触がね、とても‥‥‥その後一カ月、棒が持てなかった」
「今回はうまいこと打ち身で済ませられたって事か‥‥‥くやしかったろうな、あいつ」
実耶子はしばらく、切なそうに俯いて、静かに言った。
「‥‥‥‥‥‥他に、どうしろっていうのよ‥‥‥」
「紫乃とやり合ったときには、かなり本気モード入っていたみたいだったがな」
「耳元で彼女が言ったのよ、『私を倒せたら、鬼太と話すのを許してあげるわ』って」
驚く緋路実。
「‥‥‥‥鬼太じゃなくって、紫乃がか?」
「短い時間なら、彼女達は鬼太が操っている間にも彼に気づかれることなく表出できるのよ、もちろん彼の記憶も操作してそれを解からないようにしているけど」
「あんたが憎いのは、鬼太じゃなくって、ドール達の方だったのか」
「‥‥‥決めたのに、彼の側で、彼を守ろうって‥‥‥だのに、後から産まれて後から出てきた彼女達は私を追い出した、その役目は私達のものだって‥‥‥」
鬼太が見た夢、
あれは、産まれて間もない深夏が、実耶子に対して言った言葉だった。
鬼太が寝ている時に夢うつつに聞いた声であるため、自覚はないのだが。
「嫌がらせもしたくなるわよ‥‥‥‥けど、いつもタイミングを併せて、彼女達はひっこんでしまうの、おかげで鬼太の私への印象、最悪よ‥‥‥‥」
深夏の作った弁当を前に、俺はその弁当に手を出そうか躊躇している。
瑞恵を超えた特級メイド殿堂入りの深夏の料理、
こいつが作った料理は、
おそらく世界最高ランクのシェフの作った料理に匹敵するだろう。
そんなものに慣れてしまった日には、他の料理が食べられなくなってしまう。
宝捜しで、砂漠のど真ん中や、ジャングルの奥地まで行って、
蛇だとかを捕まえて食わなきゃならん事態に陥ったとき、
舌が肥えてしまっていると、大変なことになる。
「大丈夫です、普通のそこらへんの料理程度に手を抜いてレベルを下げましたから」
にっこり笑って深夏が言う。
普段の俺なら、こんな美人の飛び切り天使な笑顔で言われたら、
完全にまいってしまい、
一も二もなく料理に飛びつくんだが、
ううむ‥‥‥
前回こいつが作ったケーキを食べた時は、
あまりの旨さに半分中毒になりかかって、
抜けるのにえらい苦しんだ‥‥‥
「こら鬼太!、誰だ!、その美女は!」
がしっ、と後ろから俺にチョークスリーパーをかけてくる奴がいた。
「ま、真島君‥‥‥くっ、苦しい、‥‥‥‥‥‥」
「しかも、その明らかに手作りらしきお弁当!、説明してもらおうかっ!!」
「だ、だから、彼女は紫乃の友達で‥‥‥‥紫乃の部屋を借りてる変わりに、僕の食事を作るって約束したんで‥‥‥」
「なんだとおっ!、てめえ!、春雨さんだけじゃなく、こんな美女にまで強制労働させるたあ、太え奴だっ!」
ぎりりりっ、と更に強く俺の首を締め付ける。
「ギブ!、ギブ!、君にも分けてあげるから!」
「そーかそーか!、友達甲斐のあるやつめ♪」
ころっと態度を変えると、あっと言う間に弁当に食いついた。
「あ、あの‥‥‥‥‥」
それは、特級メイドの深夏ですら止められない素早さだった。
ぱくっ!
真島が唐揚げを口に放り込んだ次の瞬間、奴の動きが止まり、
そして次の瞬間、
「ぐおおおおおおっ!、この旨さはなんだあああああっ!!」
と叫んだ。
「親戚の結婚式で食べた高級料理をはるかに凌ぐ、まるで天国のような至高の料理だああああっ!」
「お、大きい声で叫ぶなよ‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「ねえ?、真島くん、ねえ!」
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
「‥‥‥‥気絶してる‥‥‥‥」
「あーっ!、深夏お姉様!!」
振り返ると、瑞恵がいた。
「す、すごい!、この料理‥‥‥‥包丁捌きも、調味料の配合も‥‥‥こ、これが特級メイドが魂の全てを捧げて作った料理‥‥‥」
「そんなにすごい物なんだ、これ」
と久々野が料理をのぞき込む、
「い、いや、だめです!、ご主人様!、見ないでください‥‥‥ご主人様がこの料理に魂を奪われてしまったら、瑞恵は‥‥‥瑞恵は!」
瑞恵はとっさに久々野の目を隠す。
俺は瑞恵と久々野のやりとりを呆然と見ていた。
深夏のやつ、嘘つきやがったな‥‥‥‥
何が『手を抜いた』だ!
顔を引きつらせながら深夏を見ると、
彼女は、てへっ♪、悪戯を見つけられた子供のように照れ笑いを浮かべた。
ごまかすな、こら、
俺を中毒にする気か!?
食わねえぞ!、俺は!、絶対!
‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥待てよ、
「瑞恵さん、一つ聞きたいんですけど」
「何でしょう、黒鮫さん」
「この料理を作るのに、どれだけ手間がかかったんでしょうか?」
「‥‥‥おそらく、道具の選定、食材の手配、本番のための予行練習‥‥‥‥深夏お姉様でも一カ月はかかっているかと思います」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
深夏は、俯いて横を向いてしまった。
「しかも、これ、鬼太さんの好みを徹底して追求してあります、おそらく、食べたときの感動は、真島さんのそれを何十倍も上回ると思います。」
「‥‥‥‥‥そうですか」
俺は、ため息をつくと、箸を取り、
唐揚げを一つつまんで、口に放り込む。
咀嚼する。
途端に広がる、深い味わい。
‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
いかん、気が遠くなりかけた。
以前俺が半分意識を失ったとき、パルミラと話す事が出来たときのことを思い出す。
俺は、『人形使い』で有るがゆえ、常人よりもはるかに意識のレベルが高いと言う。
どうやら、今回、それで救われたらしい。
俺は努めて平静を装って、
普段のキャラクターを崩さないように苦労しながら、
「美味しいです」
と静かに言った。
‥‥‥‥ああ、これで深夏の料理の中毒だ。
これから抜けるのに、しばらくかかるな。
‥‥‥‥ん?
俺の顔を、驚いた顔をして見つめている深夏。
「‥‥‥‥どうしました?」
しばらく惚けたような顔をしていた深夏だが、
ぽろっ、
急に彼女の瞳からこぼれる涙、
「えっ?」
「あ‥‥‥あれ?‥‥‥おかしいな‥‥なんで、涙なんか出るんだろ‥‥‥」
慌てて涙を拭う深夏、
だが、後から後から涙がこぼれ落ちていく、
「な、なんでかな‥‥たかが、初めて美味しいって言ってもらったくらいで‥‥‥どうみても義理でいってくれただけなのに‥‥‥」
急に立ち上がり、
だっと走って向こうに行ってしまう深夏、
「‥‥‥なんだ?」
小さくなっていく、彼女の後ろ姿。
「‥‥‥どういうこと?」
と瑞恵に尋ねる。
「知りません」
ぷい、と久々野の頭を抱きしめたままそっぽを向く瑞恵。
「思っていた以上にひどい方なんですね、黒鮫さん、深夏お姉様の料理を美味しいって言ったのが初めてだなんて」
なんつう刺のある言い方だよ、
知ってるだろうが、今までロクに話すらしたことがなかったんだぞ!




