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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
春子、三年生夏・秋
7/29

7 眠気はそのままに

2011年7月31日ブログ掲載 テーマ:風邪っぴき

紙媒体『シリーズ表集2 春子と不思議な物語~三年生、夏・秋編~』 

2011年11月3日発行 文学フリマにて販売

 風邪を引いたのは、兄のサッカーの試合を観に行った、次の日からだった。

 雨の中、ずっとジャンプしながら応援歌を唄っていたのだから、当然といえば当然だ。いくらレインコートを着ていたとはいえ、梅雨の寒い日に疲れ切ってしまったらしい。そんな時に、病魔はとり憑くものだ。

 病魔がとり憑いたといっても、ただの風邪。親戚の引っ越しの手伝いに行って、代わりに春子を観戦に行かせた母が申し訳なさそうに心配するほどではないし、春子が雨の中ずっと応援し続けていたことを知っている兄が申し訳なさそうに心配するほどではない。

 祖父が春子の部屋に塩を撒き始めたのは気になったが、母が「またおじいちゃん、変なことして!」と言って追い出し、掃除してしまった。

 まあ、大丈夫だろう、と春子は思っていた。薬を飲んで、寝ていれば、すぐ治る。

 ところが、二日寝て、未だに小康状態から脱していない。

 二日間とも、夜中にアレが出たからだ。


 それは一日目の夜に出た。

 暗くした部屋で、布団の中の風邪っぴき春子がうつらうつらしていると、小さな足音が聞こえてきた。フローリングをせかせかと歩く、ポクポクいう音。近付いてきて何者かが立ち止まる気配を感じ、熱でぼうっとした頭をその方向に向けた。

 春子が薄目を開けると、闇に慣れた目が、暗い勉強机と椅子の脚を背景に、くっきりとした黒い人影を捉えた。

 この人影が、また小さい。二十センチくらいで、春子の敷布団のすぐ外側に堂々と立っていた。

 春子は熱でぼんやりした、布団に沈み込むような感覚でそれを眺めた。やたら体が重たく、頭がはっきりしない。ただ無心に、小さい人を見上げる。

 その人は、ぴっと人差し指を天井に向けて片腕を伸ばし、もう片手は腰に当て、ポーズをとった。

 そして、次の瞬間、踊り始めた。

 腕を振り回し、上下させ、ステップを踏み、腰を振る。

 ひたすら、踊りまくる。


 と、いうことがこの二日間続いている。春子は寝れたものではない。

 迷惑というより、愉快だから小さい人影に夢中になって注目してしまう。

 延々と踊り続けた人影は、カーテン越しに外が白み始めると、ささっといなくなる。その時、春子ははっとし、初めて夜通し起きていたことに気付く。

 それから眠気が襲ってくるのだから、春子は抗えず、風邪を理由に小学校を休んでいるのを良いことに、昼までぐっすり眠ってしまう。

 風邪がすぐ治るわけがない。


 二日目にもまた人影が出た。また一晩中、目が冴えてしまった。その分ごっそり眠気がやってくるので、朝は完全に眠りの淵に落とされる。

 しかし、風邪を引いて三日目の朝は、母に起こされた。昼までぐっすり眠っている春子に流石に立腹したらしい。

 朝食のパンと林檎を用意して、母はぷりぷりして言った。

 「昼まで寝てばかりいると体に悪いわよ。せっかく治ってきているのに、治らなくなっちゃう」

 春子は眠気を全身に纏って、重たい瞼を薄く開け、ぼーっとして席に座った。朝の日差しが身に沁みる。

 熱っぽい鈍い頭で、春子は考えた。

 あれは一体何なんだろう。

 「いい?生活習慣が大切なのよ。体調管理は積み重ねなんだから」母が言う。


 春子はこんがり狐色のトーストと、一口大に切ってある林檎をぼーっと見つめる。

 とてもたくさん踊るよなぁ。


 「早寝早起きをしたら、自然と体調は整ってくるものよ。昼もぐだぐだ寝てるのお母さん好きじゃないの」


 全然疲れないみたい。

 すっごく、自信満々だし。


 「メリハリが大事。朝ご飯もしっかり毎日食べて」


 でもめちゃくちゃだよなー踊り方。


 「学校行けるようにしなくっちゃね」


 夜しか出てこないし。

 やっぱり変な奴なんだろうな。



 「ちょっと、聞いてるの?」

 「うん」


 全然聞いてなかった。


 春子はフォークを手にとって、ぐさり、と林檎を刺し、口の中に入れた。シャクリ、シャクリと噛み締めると、林檎の甘みがじわりと広がる。

 春子は格別、小学校に行きたいとは思っていない。休めてラッキーぐらいに思っている。だけどこのまま、夜眠れない状態が続くのは都合が悪い。朝眠くて仕方ないし、風邪も治らない。学校を休み続けたら、普段通りの生活から切り離されてしまうような気もする。なんだかそれは怖い。

 むぅ、と春子は考え込んだ。あまり害には思ってなかったけれど、実はあの踊りまくっている小さい人は、どうにかしなければならない存在なのではないか。このまま夜、眠れなくなってしまったら、春子は夜行性になってしまうではないか。

 少し遠くから、母が非難の声を上げているのが聞こえてきた。聞こえてくる内容からすると、祖父がまた春子の部屋に塩を撒いているらしい。

 む、と春子は気付いた。祖父は小さい人を追い出そうとしているに違いない。「塩を撒く」ことが何かを追い払うことになるのは、春子でも知っている。

 しかし、塩を撒いたところで、大した効果は上がらないだろう。母がすぐ片付けてしまう。祖父の行動は、母の目には奇行としか映らないのだ。

 うーむ。祖父がボケ老人扱いされたらどうしよう。それも困る。

 祖父の少し怒ったような声と、母の非難の声の応酬を遠くに聞きながら、春子は朝の光が満ちるダイニングでうつらうつらした。


 小さい人影。

 自信満々といった感じでポーズをとって、踊り始める。

 一晩中、踊る。

 春子はそれに視線を釘付けにされる。

 そして、それが空が白み始める頃まで続く・・・。


 アレがどこから来るか解からないし、どこに帰っていくのかも解からない。

 何で踊っているのかも解からない。

 よって、どこからか来るのを阻止できないし、止めさせる方法も解からない。


 春子はふわふわした眠気の中、くらくらと揺れるのを感じながら考える。


 疲れ知らずなんだから、アレは朝が来なかったらいつまでも踊っているのではないか。

 それなら、あいつは朝に制限されて、踊るのを止める、ということになる。

 だったら、夜という時間を作らなければいい。

 電気を消さないで寝れば・・・。


 「ちょっと、春子、座りながら寝ないの」


 あ、駄目だ、お母さんが消しに来る。

 別の意味で眠れなさそうだし・・・。


 「じゃから、塩を撒かせろとゆうとるに」

 「春子が眠いのと塩を撒くのと、何の関係があるっていうのよ?!」

 「お前には解からんわ!」


 かくん、となって、はっとして目を開けると、母と祖父が言い合いを止めて春子を心配そうに見ていた。

 母は春子の肩に手を置いている。春子の体を揺らしていたのだ。

 「春子、夜眠れないの?夜中に熱が上がるのかしら」

 「昼夜逆転してしまうのう」

 「不眠症かしら。お医者さんに相談した方がいいかしら?」

 「とりあえず、朝餉を食うてから安静にした方が良いのう」

 「そうね。春子、朝ご飯食べたらちゃんと寝なさい。ご飯はしっかり食べた方が良いわよ」

 春子はかくんと、頷いた。なるべく早めに解決したいと思う。

 母が洗い物をしに台所に行くと、祖父は春子の向かいに座って話しかけた。

 「アヤシイ気配がすると思うたら、案の定じゃ」

 「むー」

 半分寝ている感じの春子を、心配そうに祖父は見た。


 祖父は、昔祖母に恋して妖怪を辞めた、脱妖怪なのだという。

 それゆえ、その手のものに詳しい。春子はよく、おかしなもの、変なものに遭遇するため、祖父は春子を助けてくれる。


 しかし、今回ばっかりは、祖父も困っているようだ。

 「わしも詳しくない部類のことでのう。春子のところに来ているものはのう、おそらく性質の悪いもんなんじゃ。明確な悪戯意識がないからのう」

 「たち・・・」

 「そうじゃ。害虫のようなもんじゃの。一見良いように見えるゆえ、尚更性質が悪い。見ておらんから、春子のところに来て何をしとるのか知らんがの」

 「ずっと踊ってる」

 「踊っとる?」

 「うん。朝まで」

 「なんじゃそりゃ」

 祖父がいつもは瞼の被さったギラリとした目をまん丸にして、ぱちくりさせた。

 春子はトーストを咥えて、祖父でもこういうことで解からないこともあるんだなぁと思った。祖父が解からなかったら自分はどうなるのだろう。春子はちょっと落ち込む。

 しかし、春子が詳しく話すと、祖父が何かを気付いたように言った。

 「春子、踊りには節がつきものじゃ」

 「むー」

 「そやつは節をつけず踊っておるのじゃろ?」

 「ふしってなに?」

 「おおう、音楽のことじゃ」

 音楽。

 そういえば、ひたすら踊ってるだけで、音楽はない。

 祖父はぷくぷく笑って、言った。

 「もしかしたら、音楽が弱点なのかも知れんのう」



 春子はその夜、カセットデッキを用意して布団の中に入った。

 昔父が使っていたというもので、祖父が命じて兄に父の書斎を探して持ってきてもらった。

 カセットデッキには父のカセットテープが入っている。カセットテープには「テキーラ」と書いたラベルが貼ってあった。

 昼間、ぐっすり寝て、微熱程度になったし、大分楽にはなった気がする。しかし、またあいつが出てきたら、面倒だ。眠れないし、いつまでも風邪をぶり返してしまうだろう。

 電気を消して、布団に入り、春子はちょっと緊張しながらカセットデッキに体を寄せて目を閉じた。


 うつらうつらしていると、ポクポクという足音が近付いてきて、春子ははっとした。

 そっと目を開けて見ると、敷布団の外側にまた小さい人が立っている。

 春子は布団の中に入ったまま、慌ててカセットデッキに手をやって、再生ボタンを探った。

 小さい人が天井に向かって人差し指をぴんと立て、腕を伸ばし、腰に手を当ててポーズをとる。

 春子は再生ボタンを押した。

 軽快なラテン系のリズムの音楽がカセットデッキから流れる。徐々に高まる心を表すようなメロディーだ。夜だから、もちろん小音量だが、小さい人と春子には聞こえる程度だ。

 緊張して小さい人の様子を窺っていた春子は、思わぬ軽快さに拍子抜けしてぽかんとした。

 そして小さい人が、嬉々として跳び上がったので、それにもぽかんとした。

 弱点じゃないよ、おじいちゃん。

すっごく喜んでる!


 軽快で、気分が高揚するようなラテン系のメロディー。

 マラカスを持っていたらリズム感よく合わせているだろう。そんな感じで腰を振り、腕を動かし、ステップを刻む小さい人。

 何ともいえない気分だが、布団の中で春子もちょっとリズムに乗ってしまう。

 うきうきして、体が軽く感じる。


 管楽器同士の掛け合い。

 小さい人はもう、目一杯に跳び上がって、楽しくて仕方がない様子。

 春子もリズムに乗って、布団の中で体を揺らす。


 そして、曲も高まりに高まってきた。


 ちゃちゃちゃちゃちゃちゃっ ちゃん!




  「テキィーラ!」



 あ。

 

 小さい人がしまった、という様子で固まり、春子が「えっ 喋った?!」と思わず上体を起こした瞬間、小さい人はぽんっと音を立てて消えた。



 静かな部屋に、テキーラのメロディーだけが楽しげに響く。

 春子は暫く体を起こして固まっていたが、やがてカセットデッキの停止ボタンを押した。

 そして、布団の中に横になって、何ともいえない気持ちで思案した。


 一際大きく跳び上がって、甲高い声で叫んだ瞬間、消えちゃった。

 あれ、喋るんだ。で、多分喋っちゃいけなかったんだ、きっと。消えちゃったけど大丈夫かな。

 何かすごく楽しそうだったし、「あ、失敗した」って感じだったから、ちょっと申し訳ない気分。


 しかし。大きく欠伸をして、春子は瞼が重たくなるのを感じた。

 昼間、あんなに寝たのにまだ眠れそうだ。久し振りに安眠できそう。


 春子は無骨なカセットデッキに抱きついて、ゆっくり眠りの淵に落ちていった。

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