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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
春子、二年生‐三年生春
5/29

5 窓際の猫尾さん

2011年5月14日ブログ掲載 テーマ:酔い

『表集 蛇山夏子小編集』

2011年6月12日 発行 文学フリマにて販売

 春子が始業式から帰って来ると、家に見知らぬおじさんがいた。

 シルバーの髪をきちっと整え、ダークブラウンのジャケットは品が良い。

 む、何者だ、と思わず身構えた春子だったが、そのおじさんは春子を見るとにっこり笑いかけた。

 「君が春子ちゃんかい?こんにちは。山口と申します」

 何だ、優しそうなおじさんか。

 どうぞと差し出されたアーモンドのお菓子に、春子はそろりと手を伸ばした。


 山口さんは、祖父が会社に勤めていた頃の後輩なのだという。

 随分お世話になりました、と山口さんは言う。居間のソファに座っている姿は、しゃきっとした雰囲気だ。その隣で背中の丸い祖父は、愉快そうにぷくぷく笑った。

 「山口さんは、今じゃおじいちゃんよりずっと偉い人じゃぞ。」

 山口さんは目を細めた。

 「変わりませんね、その笑い方」

 「そうかのう。」

 「相変わらず、妖怪じみていらっしゃいます」

 「やっぱりそうかのう。」

 祖父は大いにぷくぷく笑った。普通、元上司相手に「妖怪じみている」なんて言うのは失礼だ。だが、祖父はそう言われるのが楽しいらしく、山口さんも心得たといった感じだ。

 春子はこのやりとりで、山口さんが祖父の特殊さを認識していることを理解した。山口さんは祖父のただ者ではないところを認知した上で、付き合っている。

 母は笑い顔で「もう、山口さんまでそんなこと言って」と流し、お茶を淹れなおしにその場を立った。

 山口さんは悪戯っぽい笑みで母の背中を見送って、隣の祖父にこそこそと言った。

 「(やなぎ)さんは相変わらずですね」

 「まあそうじゃろう。」

 ふと、卓を挟んで座っている春子に山口さんは目を留めた。

 「春子ちゃんも、あんな感じですか?」

 「春子は面白いものを見つける達人じゃ。」

 春子は首を傾げて、山口さんに訊いた。

 「脱妖怪の、おじいちゃんのはなし?」

 山口さんは、ちょっと嬉しそうに頷いた。



 春子の祖父は昔、祖母に恋をして妖怪に辞めた、脱妖怪なのだという。

 祖母と結婚し、商社で働いたというから、山口さんはその時の後輩だ。


 祖父は、今は居間に座ってお茶を飲んでいるが、いつもは縁側か、縁側に面した窓際で背中を丸くして座っている。しわくちゃの祖父が仏然として座っている姿は一見して穏やかだが、同時に何となく底知れない雰囲気も醸し出す。

 おまけに祖父の耳の先はちょこっと尖っている。

 春子は誰に説明されるより前に、それは「脱妖怪だから」だと思っている。


 山口さんは目を細めて春子を見た。

 「春子ちゃんは今、何年生?」

 「三年生です。」

 「そうか。どことなく、はるさんを思い出しますね」

 「ばあさんに確かに似ておるのう。」

 祖父も目を細めた。

 春子は祖母のはるの事を知らない。春子が生まれる前に亡くなってしまった。祖父が妖怪を辞めただけある、「綺麗なまま年を重ねた」美人だったと語り草だ。

 柔らかく微笑んだ祖母の写真は見たことがある。しかし、春子は自分が祖母に似ていると思った事はない。

 「春子、おばあちゃんと似てないよ。」

 祖父はぷくぷくと笑った。

 「目が似ておる。面白いものを見つける目じゃ。」

 「雰囲気が、どことなく思い出させますね」

 「そうじゃの。」

 「山口さんはおばあちゃんに会ったの?」

 「あるよ。(ねこ)()さんのお家に、よくお呼ばれしたからね。優しい奥さんで、お酒と一緒にめざしをよく焼いてくれた」

 めざしは祖父の好物である。

 春子は見知らぬ祖父と祖母の生活を感じた。

 祖母は当然、祖父の好物を知っていて、めざしを焼いていただろうし、祖父が会社の後輩を連れてきたら、お酒や肴を用意して迎えたのだろう。

 嬉しそうな山口さんと祖父を見ていると、それはきっと楽しい一幕だったのだろうと春子は思った。



 山口さんは長居した。山口さんが夕食前に辞去しようとしたら、母が引き止めて夕飯を一緒に、ということになったのである。

 その食後、春子はコップに注がれたビールのクリーミーな泡と、サイダーのぱちぱち弾ける泡の不思議さを眺めている。

 祖父と山口さんが晩酌を始めたのだ。


 兄はサッカーボールを持って庭に出てしまった。父は晩酌に参加したいみたいだったが、書斎に行って仕事の残りをするという。母は洗い物中。

 誰かに相手をしてもらいたい春子は、老人二人の間で、サイダーをちびちび飲む、ということになる。

 山口さんはご機嫌だった。ビールの酔いでほんのり頬が赤い。饒舌な山口さんは、面白い話を春子にも解かるように話してくれる。祖父も愉快そうにしている。そういえば今日は居間にいる時間の方が長い。

 山口さんは気持ち良さそうに、「猫尾(ねこお)さん」の話をした。

 「猫尾さん」とは祖父のこと。祖父の本名は「猫尾猫(ねこ)十郎(じゅうろう)」というネコネコしい名前なのだ。

 「おじいさんはね、『窓際の猫尾さん』と呼ばれていたんだ。事務室の窓際の、日がよく当たる特等席が、猫尾さんの席だった。ゆっくりお茶を飲んで何もしないで座っているだけでね、大体一日中そうしていて、時間になると帰るんだ。新入社員の頃は、あの人は一体何なんだろう?と腹が立ったものだよ。一生懸命働いている時に、のんびりしているんだからね。だけど、他の人は何も言わない。文句も言われていない。気軽に話なんかもしている。おじさんはある時、上司に訊いてみたんだ。『窓際の猫尾さん』は一体何をしているんだって。そしたら」

 祖父のぷくぷくと笑う声が、サイダーの泡のように弾ける。

 山口さんはおかしそうに言った。

 「『言っていなかったか?変な依頼が来たら、すぐに猫尾さんに回すんだぞ。うちは猫尾さんがいなくちゃ困る仕事が来るから』と言うんだ。おじさんは腑に落ちなかった。変な依頼って何だろう、猫尾さんじゃなくてはならない仕事って何だろう。そう思っていると、確かに猫尾さんにすぐ回される依頼や、電話があることが解かった。偶にいなくなったりしてね。それでもよく解からなかったんだけどね、会社に入って二年目に、おじさんは初めて“変な依頼”の意味が解かったんだ」

 山口さんは懐かしげだった。

 「それは電話でね、文房具の会社だったな。とても変な依頼で、とても困った調子だったよ。『お宅に 売るはずの鋏が、噛むのだけれど、どうにかできないか』って言うんだ。普通なら、そんな商品どうにもできないし、仕入れるわけがないけれど、おじさんは変な依頼ってこれか、とぴんときた。猫尾さんに回すのは、こういう依頼なんだろう、って」

 春子は山口さんの話に引き込まれていた。祖父の具体的な活躍を聞くのは、これが始めてだった。

 山口さんはとても楽しげだった。

 「猫尾さんに電話を回すと、二言三言で承諾して『じゃあ行って来る』と先方の会社に出向く。すると、不思議な事に数日後には商品が滞りなく納品された。先方からも『先日はありがとうございました』という電話を貰う。一体どういうことなんですか、と訊くと、詳しくは猫尾さんに訊いて下さいって笑って言われる。

 猫尾さんに鋏が噛むって一体何なんですか、って訊くと、お茶を飲みながら、ああやってぷくぷく笑うんだ。あるもんはあるんじゃ、わしはそいつにちぃとお灸を据えて、普通にしちゃっただけじゃ。先方も解決して、うちも商品を滞りなく流通に乗せられる。一石二鳥じゃろ、って。そこで初めて解かったんだ。猫尾さんは異常な故障のある品物の問題を解決して、うまく会社から品物を仕入れるようにする仕事をしているんだって。変に感心したものだよ。へぇ、うちの会社は猫尾さんのお陰で無駄がないわけだ、とね。

 それから色々な依頼があったよ。踊る定規、サボテンの花が咲く松の盆栽、欠けたり直ったりする茶碗、鬼火が宿るカンテラ、閉めると中から話し声が聞こえる洗濯機。そういう変てこなモノを正常に使えるようにして、滞りなく商品の売り買いが出来るようにする。それが窓際の猫尾さんの仕事だった」

 今は問題のある商品はすぐ捨てちゃうけどね、という山口さんの呟きは、蛍光灯に照らされた部屋に溶けて消えた。


 窓際の猫尾さんは、会社に入った時から当然のようにいたが、いなくなる時も、当然のようにいなくなっていた。だから暫く皆、猫尾さんがいなくなったことに気が付かず、いつの間にか後任の鬼塚さんという人が窓際にいたので大騒ぎになったそうだ。

 遅ればせの送別会を開いた時は、昔の取引先の人まで来て、とても賑やかになった。引っ張り出された猫尾さんは、迷惑そうな顔もせず、いつも通り得体の知れない雰囲気で、皆の真ん中でぷくぷく笑って鎮座していた。定年退職相応に年をとっているようにも見えたし、昔から変わらないような気もした。それを不思議に思う人もいなかった。猫尾さんがどんな人だか、皆知っていたからだ。

 物をどんどん作って、どんどん捨てて、また同じようなものを大量に作る時代になった。少しでも欠陥のある商品は捨てて、また新しいものを作れば良いようになった。

 でも、猫尾さんを不要に思っていた人はいなかった。減ったとはいえ、偶に不思議な依頼は舞い込むから、と実務に直結する理由もある。

 だが、一番の理由は、窓際に猫尾さんが居る事が、あまりにも当たり前だったからだ。



 酔いの上機嫌と、黄金色のビール、ぷくぷくという笑い声、パチパチ弾けるサイダーの泡はくたびれてきた。

 祖父の昔話を聞きながら、春子はうつらうつらした。

 暖色系のほのかな明かりの点いた居間が、ぷかりと浮いたような気がした。


 ぼんやり薄目を開けると、黒々した髪を結った、割烹着姿の背中が見える。

 食卓がそばにあって、ああ母か、と思って、いや違う、と春子は思った。

 よく似ているけれど、違う。



 上機嫌な山口さんの、懐かしさを噛み締めるかのような声が降ってきた。


 「送別会の後、物足りなくて猫尾さんのお宅に押しかけましたね。その時も、はるさんがめざしとお酒を用意してくれました」



 廊下からいくつかの足音と、明るい話し声。

 ふっと顔を上げて、振り向く。

 がに股の人物が、数名を引き連れて居間に入ってくるシルエット。

 写真より若いその人は、ぱっと笑顔になって、いらっしゃい、と口を動かした。


 春子はひんやりしたテーブルに頬を置いて、温かい気持ちで微笑んだ。



 「皆、猫尾さんのことが好きでした」



 きっと、そう。春子にも解かる。

 そうだよね、おばあちゃん。


 春子は背中をゆっくり叩く、優しい、しわくちゃの細い手を感じながら、眠りの縁に沈んでいった。

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