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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
春子、二年生‐三年生春
3/29

3 ほとけごころ

2011年3月7日ブログ掲載 テーマ:お祈り

『表集 蛇山夏子小編集』

2011年6月12日 発行 文学フリマにて販売

 渋茶色の大きなタンスの上に、ちょこんと小さな人が座っていた。

 ふくよかな体つきにゆったりとした長衣。筆で丁寧に線を描いたような顔はバランスよく整っている。ひたいにぽっちが一つついていて、黒々とした髪の毛はパンチパーマだった。

 足を組んで座り、右手は正面に掌を向けて空中に留め、左手は掌を上に向けて膝の上に乗せている。

 始終そんな格好をして、微笑んでいるような真顔で、すっと周囲を流し見るのだ。


 見つけた春子は、とりあえず合掌して拝んだ。


 居間の一面の窓際にいつも陣取っている丸い祖父は、同じ空間にいるはずのその人を見向きもしない。ちょっと顔を傾けて見上げれば、タンスの上にいるその人が見えるはずなのに。

 春子が訊ねると、祖父は渋茶色のタンスの方をチラッと見て歯切れ悪く言った。

 「アレじゃ、わし、脱妖怪じゃから、ちょっとああいうお方は苦手でのう。ほら、よくあるじゃろ、だらにで妖怪やり過ごすとか。妖怪的本能でああいう方との接触はなるべく避けたいのよぅ」

 春子は「だらに」が何の事だかさっぱり解からなかったが、祖父が恬然(てんぜん)としたふりで「あのお方」をやり過ごそうと思っていることは解かった。


 忽然と「あのお方」が現れてから、春子は偶に少し遠くから「あのお方」の様子を眺める。

 タンスの近くに行くと、タンスの上が見えなくなってしまうからだ。

 いつも、同じ格好をしていて、微塵も動かない。目だけが偶にすっと動いて、春子を見る。

 春子はとりあえず合掌しておく。

 何でそこに現れたのか、家にいるのか、さっぱり解からないが。


 とはいえ、注目しているのは家の中で春子だけのようだ。

 祖父は知りつつもスルーするつもりでいるし、

 兄に言ってみると、兄はサッカーボールを持ったまま


 「あ、ほんとだブッダじゃん」 


 と言って出かけてしまったし、

 母に言ってみると


 「あら、そういうこともあるのね。」


 と言って終わらせ、


 父は


 「え?何何、どこにいるの?」


 と春子が指差す先を視線で探して、見つからないようだった。


 家の中にミニチュアの仏様がいて、大きなタンスの上から静かなお顔で俯瞰(ふかん)していることを不思議に思うのは、春子だけなのだ。



 「ねぇ、おじいちゃん」

 「なんじゃ」


 出窓の内側で丸くなっている、草色の毛糸のカーディガンを着た祖父の背を、ぽかすか叩きながら春子は訊いた。

 「あのひと、何でうちにいるの?」

 「さぁのう。」

 祖父は少し考えて、ほんわり言った。

 「出張かのう。」

 商社マン時代を思い出したのかも知れない。

 春子の丸くて底知れない祖父は、祖母に恋して妖怪抜けした脱妖怪で、脱後、商社に勤めて定年退職したという異色の経歴を持つ。脱妖怪が妖怪なのか人間なのかよく解からないが、耳がちょっと尖ってて得体の知れない雰囲気を持つ以外は、とりあえず人間に見える祖父だ。

 商社マンで祖父の出張が多かったことは、母も証言していることだ。出張には詳しいに違いない。

 しかし、春子は首を傾げた。

 「ああいう人って、出張とかってあるの?」

 「知らんのぅ。じゃが、出張じゃったらあの方は目的を果たすまで帰れないのぅ。」

 祖父の草色の背中がぶるりと震えた。

 “妖怪的本能”のために怖いのかも知れなかった。

 それを思うと、春子は祖父が気の毒になって、また目的を果たすまで帰れないかも知れない「あのお方」が気の毒になって、「あのお方」は早く帰れた方が良いな、と思った。

 仏がいると妖怪が怖がって気の毒だと思うとか、仏もいつまでも留まっているのは気の毒だから帰ってもらおうと考えるとか、そんな話がどこの世界にあるのだという感じだが、春子にとって人間と妖怪と仏その他諸々は全部同じ心構えで相対するものだった。

 脱妖怪の孫。

 それが春子だからだ。


 「ねぇおじいちゃん」

 「なんじゃ」

 「あの人の目的って何かな。」

 祖父は少し考えて、やがてほんわり言った。

 「わからん。じゃが、とりあえず何か祈ってみればどうじゃ。大体ああいう方はそういう道に導くもんじゃろ」

 「そうなの?」

 「おぬしは脱妖怪の孫じゃし。人間のようなもんじゃし。とりあえず祈っといて聞いてくれんこともないじゃろ」


 そうかぁ。


 春子は試しにお祈りしてみようという気持ちになった。

 「仏様に、やれることをやってみる。」

 春子の小さな手で、マッサージか何だか解からない、ぽかすか叩きを背に受けながら、祖父はぷくぷくと笑った。

 「なんじゃそりゃ。面白いのう。」


 誰も家にいない、留守番時を狙った。

 椅子を二段重ねにして、それに上がる。


 春子は母が見たら激怒しそうなことをして、大きなタンスの上に顔を出した。

 丁度、仏様がいるところだ。

 今までになく至近距離であいまみえると、ミニチュアの仏様はほんのり光っていて、優しい顔で春子を見た。

 春子はごくりと唾を飲み込んだ。やっぱり動いてる。

 相変わらず右手の掌を正面に向けて空中に留め、左手は掌を上に向けて膝の上に乗せ、足を組んで座った格好で、何を考えているのか解からない顔をしている。

 春子は単純に、凄いなぁと思った。

 「あの、こんにちは。」

 仏様は何も答えない。

 「どうしてうちにいるのですか。」

 相変わらず、微笑したような真顔で、ノーコメント。

 春子はもやもやした。仏様の目的を直接聞ければ良いと思ったのだが、これでは訊いても何も解かりそうにない。

 仕方なく、春子は祖父の言っていたことを試してみようと思った。

 グラグラする椅子の上で、合掌し、神妙に目を(つむ)る。


 えーと。うーん。

 あ、お祈り何にするかかんがえてなかった。

 そうだなー。

 おじいちゃんが長生きしますように。


 「それがあなたの願いか?」


 ぱちり、と目を開けると、相変わらず穏やかなお顔をした仏様と目が合った。

 不動だったはずの仏様の唇が動き、低い声でもう一度同じ質問が繰り返される。


 「それが、春子の祈りか?」


 急いで、春子は頷く。

 仏様は柔らかな微笑をし、春子に言った。

 「その祈り、届けよう。身内を思う心を忘れないようにしなさい。そうある限り、仏の慈悲があることでしょう。」


 と、仏様はぱっとその場から消えた。


 ずっと後で知ったことだが、仏様はどんな人にでも慈悲を向けるものなのだそうだ。

 春子は、家の一番大きなタンスの上にいたんだから、仏様が言ったことは家族全員に対するものだったのだろうと思っている。

 だから、仏様のお言葉を思い出すたび、春子は祖父が「なんじゃそりゃ」とぷくぷく笑ったことを思い出す。



 この後、春子は二段重ねした椅子の上から下りられなくなった。

 落ちないで済んだが、母に見つかって事なきを得た後、母の雷が落ちたことは言うまでもない。


 怒鳴り声にひしひしと母の心配を感じながら、これももしかして仏様の言っていたことと関係あるんじゃないのかな、と春子はなんとなく思った。

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