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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
春子、三年生、冬
18/29

17 花と葉

2012.5.16ブログ掲載 テーマ:桜

『シリーズ表集4 華 春子と不思議な物語 四年生、春と夏』という紙媒体に収録しています。

2012.11.18発行

 苺ミルクを薄絹にしたような生地の、ふんわりしたワンピース。

 幾重にも襞を重ねたスカートは、ふっくら形よく膨らんでいる。


 すごい格好をして学校に来た転校生だな、と春子は思った。

 その子は「やえ」と名乗って、春子に遊びましょうと声をかけた。いきなり遊びましょうなんて、春子は度肝を抜かれた。そんなこと、初めてだったのだ。

 二言、三言交わすと、やえはするりと校庭を歩き始めた。やえは、どこに何があるかも、遊び方も知っているように、次々と遊具を渡り歩いた。すべり台と石の階段と鎖がついていて、トンネルが貫通しているコンクリート山の遊具。ジャングルジム。鉄棒。雲梯。タイヤ。上り棒。丸木のベンチの上を跳び歩く。石畳を片足で移動する。

 あらゆる遊具にするすると登り、戯れ、まとわりつく。春子を時折見て、始終笑みを絶やさない。

 春子はついていくのに精一杯だった。

 どうもおかしい、と気付いたのは、彼女の浮世離れした格好や、人間離れした動きのせいではなかった。

 彼女が色々な話をしたからだ。


 楽しいわね。

 名前はなんていうの。

 このスカート、素敵でしょう。

 いいお天気だから気分がいいの。

 わたし、あちこち行くわ。

 今しかできないことなんだもの。

 何であなたたちはあの子のことばかり好きなの。

 わたしの方が綺麗なのに。

 あの子ばっかり好きなんだから。

 ひどいわ。


 春子の身に覚えのない話ばかりするから、疑念を抱いたわけでもない。

 春子に話しかけるように、言葉を紡ぐのに、春子の反応を求めない。一緒に遊びましょうと言ったのに、春子の意に介さず、するすると移動してしまう。

 通い合わない。

 不完全なやりとりに、春子は少女の非人間性を感じとったのだ。


 春子は「脱妖怪」の孫という、異色の出自をもつ。

 そのため、変なものやおかしなものと遭遇することが、よくある。


 妖怪じゃ、ないんだろうな。

 春子は経験則から、そう判断した。妖怪なら、春子は「変なやつ」「おもしろいやつ」と認めるだろう。やえからはそんな感じを受けなかった。転校生、と言ったので、そうなんだ、と違和感なく納得した。

 やえは軽やかに校庭のあらゆる箇所で戯れる。一人でひらり。くるり。身を翻す。

 あなたは何。

 そう呼びかけることも叶わない。

 苺ミルク色の残像を、追いながら、どうしようもない。

 ひらり。くるり。惑うのは春子の心。

 足をもつれさせ、遊具からずり落ち、指を痛め、膝を擦りむきながら、息を忘れた。

 ようやく、やえが立ち止まったのは。兎小屋の前だった。兎小屋は春子の馴染みの場所で、少し前までは休み時間によく訪れていた。最近ご無沙汰している。

 やえは優雅に立ち止まってにこりとする。が、春子は立ち止まれなかった。立ち止まり方を忘れて、その場をぐるぐる、よろめきながら歩き回る。視界に時折、やえの顔が入るたび、やえはにっこり笑っていた。

 気付いたら、ランドセルは重かった。いや、最初から教科書やら筆箱やらで重たいはずなのだ。校帽と額の間がじっとり濡れている。息も辛かった。

 ようやく立ち止まると、その場にずとんと座り込んでしまった。ひりひりする喉と、ドクドク脈打つ身体。全身が熱く、脇腹は痛み、膝小僧の擦り傷と指傷に血が滲んだ。力尽きたようなものだ。

 滝のように流れる汗をぬぐいながら、春子が目の前に立つやえを見上げると、ふっと何かが横切った。

 苺ミルク色のそれを見て、はっと兎小屋より上に視点を移す。目一杯に花を咲かせた木があった。

 確か名前が。

 「やえざ・・・」

 八重桜。

 襞をたくさん重ねてボンボンにしたような、華やかな桜。苺ミルク色の花弁は風に煽られて、砂色の校庭を次々に渡ってゆく。

 少女はにこにこしながら、春子を見ていた。

 「あら、やっと気付いた?人間て馬鹿ね。それに、なんて酷い格好をしているの」

 さんざんあちこちを走り回り、登ったせいで、くたくたの春子は声も出ない。

 やえ―――おそらく八重桜の―――はくすくす笑って、春子の顔を覗き込む。

 「ねぇ、何で人間はあの子ばかり好きなの?わたしは同じくらい、綺麗でしょう。あの子はこんなにひらひらしていない。可愛くない。なのに、何で?毎年毎年、あの子の下に集まって、楽しそうにしている。わたしの下でも、そうすればいい。どうして?」

 春子はかなり不機嫌になりながら、訊ねた。

 「『あの子』って何のこと」

 やえは面食らったような顔をした。春子のぶっきらぼうな態度が予想外だったらしい。やえは拗ねたように答えた。

 「分からないの。校庭の脇にも、門の近くにもいるわ」

 「・・・ああ」

 ソメイヨシノのことだ。春子は軽く驚く。なんだっけ、こういうの。嫉妬?だろうか。

 何であの子ばかり好きなの、なんぞ、そんなの知らんのぅ、と祖父の口調で、心の中でぼやく。春子は別に、人間すべての意見が分かるわけではない。代表でもない。春子に訊いても答えが得られるわけでもないのに、随分見当違いだ。それに、何故、春子がやえに教えなければならないのだ。

 心中ぼやきながら、予想など容易についた。

 おそらく、この小学校の兎小屋に咲いている八重桜の化身にとって、春子が捕まえ易かっただけなのだ。

 春子がむっつり黙り込んでいると、やえは今度は苛立ったようだった。

 「答えなさいよ。どんくさいわね。馬鹿なの?」

 口を利いてやる気にもならない。

 「おい」

 低い、渋めの男声が割り込んだ。

 びくり、と肩を震わせて、やえはキッと兎小屋の方を向いた。

 思わぬ方面の介入に、春子も目を丸くして声のした方を見る。

 緑の細かい金網の向こうに、耳の先が黒い、目が赤い大きな兎が、寝そべっていた。

 「なんでここに」

 やえが思わず零した呟きに、それは、思いがけなく男らしい低い声を発して静かな怒気を返した。

 「何をやっているんだ、あんたは」

 兎小屋のボスであり、白い可愛い兎マルちゃんの夫であり、五羽の兎の父である、ちょっと只者ではない兎、トトだ。

 春子はトトが介入してきたことに驚いていた。兎小屋の飼い兎バージョンではないトトに一度接触したことはあったが、それ以降は一線を引き、トトは悠然と春子を知らんぷりしていたはずだからだ。それに、予想がついたものの、やえの呟きを鑑みるに、どうやら現状、普通の状態ではないらしい。

 やえは可愛らしい顔をしかめて、トトを睨んだ。

 「あなたには、関係ない」

 「お前の領域に人間を連れ込んで、何言いやがる。その人の子には借りがあるんだ。言わせてもらうぜ」

 「何よ、わたしは何であの子ばっかり、人間がちやほやするのか訊いているだけよ!!」

 怒りに合わせて、八重桜の花弁が、壮絶に舞う、舞う、舞う。

 春子はやっぱり、と思った。やえに連れ回されている間に、八重桜が主体の世界に引っ張り込まれたのだ。やえの都合に合わせて花弁は幻惑のように散りながら咲くし、舞い、校庭の隅々に運ばれてゆく。ああ、馬鹿やった、と春子は自己嫌悪した。校庭はある。校舎もある。風景はいつも通りだ。だが、放課後に遊ぶ子が一人もいないのがおかしい。八重桜ばかりが華やぐ世界。人間世界と重なっているけれど、異なる世界。春子はどう帰れば良いのか分からないのだ。

 しかし、トトは異なる世界だと分かっていて、ここに出現しているようだ。

 トトの冷静な声が、その世界を震わして、響く。

 「桜は春の先触れだ。ヨシノが斉放することで、百花斉放が成る。春を知らせ、春を呼び、他の花々を目覚めさせる契機を作る。人もヨシノで春を悟り、寿ぐ。万象とヨシノの一致は人の中の秩序とも一致する。だからだ、やえ。お前はヨシノとは違う。ありのままの御身を解せよ」

 「わたしだって、綺麗に咲いている!」

 怒りの形相で、やえはトトに噛みつくように言う。耳を傾けないやえに、トトは鼻を鳴らした。

 八重桜がどんどん咲き、散り、春子の座り込む場所が花弁に埋め尽くされていく。

 おいおいおい。

 慌てた春子を、トトがちらり、と見た。

 「分からねぇかなぁ。どうにもそれが身の程だというのに。言っておくが、ヨシノは人間のどんちゃん騒ぎを喜んでいるばかりじゃねぇぞ」

 白い体を起こし、緑の金網に右の前脚をかける。

 「根を痛めつけられ、酒をかけられ、五月蠅いのに我慢する。酔っ払ってばかりで、咲いている自分を見てくれやしない」

 ちら、と春子をまた見た。

 「毎年辛いと嘆いていたぞ。異なる存在に好かれるというのも面倒なものだ」

 ぐっと、春子は足腰に力を入れ、両手で地面を押して体を起こした。

 トトは淡々と、烈然たるやえに語りかけた。

 「お前、それができるのか?」

 カッと目を見開いて、やえはトトに怒りを向けた。

 「五月蠅い!!」

 苺ミルク色の花弁が吹き荒れ、視界を埋め尽くした。

 その瞬間、春子は地面を蹴って、飛び出していた。

 やえがはっとするかしないかのうちに、花弁に埋まっている地面に足をとられながら走って、最後はスライディングするように兎小屋に駆け寄った。金網越しのトトの前脚に、手を重ねる。

 その途端、ぐいっと引っ張られて、景色がブレたと思ったら、花弁が一切消えた兎小屋の前に、金網の冷たさとトトの前脚のふあふあを掌に感じながら春子は地面に転がっていた。

 呆然としたが、顔を向けると落ち着いた赤い目と会った。

 「大丈夫か」

 春子は慌てて金網から手を離し、身体を起こして正座する。

 「ありがとうございました」

 ついつい敬語だ。トトは鷹揚に頷き、金網から前脚を下した。

 「まったく。無闇にあんなのについていくからこうなる」

 「ごめんなさい」

 「少しは気を付けろ」

 春子は目を丸くする。なんだか嬉しい。

 「心配してくれてありがとう」

 ふん、とトトは鼻を鳴らした。

 「まだ安心するなよ。俺はお前を俺たちの世界に引っ張り込んだだけだ。人間世界に戻りたければ、この世界にいてもお前のことが分かる人間を見つけて、引っ張り戻してもらえ」

 「はい」

 「変なやつに話しかけられても、絶対返事をするなよ」

 「はい。どうして助けてくれたの?」

 トトはぴょこんと片耳を震わせ、暫し沈黙した。

 「放っておいたら寝覚めが悪いだろう。たまたま俺の領域のすぐそばで起こったことだったからだ。まったく、女の悋気(りんき)ってものは分からないものだ」

 いいから、とっとと行け、と、トトは素っ気ないふうを装って言った。


 俺の世界、といわれていたから、まだ春子にとっての現実世界に戻れたわけではないことは分かっていた。

 春子は人が一人も見当たらない、学校から家までの道のりを歩いた。動くものは雀や鳩ばかり。風はそよぐ。草花は鮮やか。それでも、人の靴の足音や声はするのに、人間をはっきり捉えることができなかった。

 きっとトト視点の世界なのだろう。よくは分からない。春子は誰にも見つからないかも知れないと、絶望しかけた。

 異様な下校路を歩いて、最後の砦の脱妖怪の祖父を目指して、家に帰ろうとひたすら道を急ぐ。

 が、家の近くまで来て、思わぬ人影を見つけた。

 その人は、何故か変な顔をしてしゃがんでいて、春子と目が合うと目を丸くした。

 春子は駆け出した。

 「お兄ちゃん!」

 少し大きめでまだ体に合わないサイズのブレザーを着ている兄は、なんだか凄い形相で走ってくる妹が手を伸ばしてくるのに、手を差し伸べた。

 軽い衝撃と共に、春子は再び、ぐいっと引っ張られる感じを受け、景色が一瞬ブレたのを感じた。

 次には聴覚に、下校途中の子供たちの声や主婦の立ち話、車が通り過ぎる音や窓を開閉する音が鮮明に戻ってきた。いつも通りの音だ。

 ああ、帰ってきた。

 ひんやりしたブレザーに頬を当てて、春子は力が抜けかけた。座り込みそうになったのを支えたのは、(みのる)だ。

 状況の把握がし切れていない実は、不可解な表情をして妹の様子を見下ろす。下校して家の門前で鍵を出そうとしていたら、足元の空間に、なんだか小さい妹の画面があるように見えたのだ。しゃがんで覗いてみたらそれが妹の声をして自分を呼んだ。

 手を差し伸べられたのでその手を掴んだら、急に立体的になって妹が尋常通りの大きさになった。して、慌てて立ち上がって受け止め、今に至る。

 さっぱり意味が分からない。激しく混乱する頭を落ち着けようと、実はひとつ深呼吸してから、当事者に問うた。

 「春子、お前、変なところから出てこなかったか?」

 春子は足腰に力を入れ、兄から少し離れて見上げる。

 「む。そうなのかも」

 「そうなのかも?」

 と、妹の全容を目に入れたポーカーフェイスの眉間に皺が刻まれた。

 「春子、おまえ、怪我してねぇ?」

 「む。そうかも」

 「む」

 とりあえず、と実は鍵を取り出して、家の門の前に立つ。実はまたも妹が何やらに巻き込まれたことを理解して、苛々するのを抑えながら言った。

 「家に入って、手当てして、休んで、それから話せ」

 「わかった」

 春子ははぁーと息をついて、いつも通りの家の門前に立っていることに言いようのない喜びを感じた。自分が安堵しているのをとても深く実感していた。

あたりはすっかり夕方だった。日も沈みかけているらしく、薄ら暗い。随分長い放課後を過ごしてしまったようだ。

 兄に門と玄関の開錠を任せながら、春子はむぅと今回の出来事を思い返す。

 自然の化身のようなものって、何だか話が通じないことが多い。龍の件もそうだった。

 それにしても、やえの言い分は酷いものがあった。何が駄目って、春子を引っ張り回した上に、全く意思疎通の相手として尊重していなかったのだ。あの子が八重桜の総代表ということではないだろうが、あんなんで、人間が寄りつくわけがない。

 最近の春子は分かる。人間には、相互の理解と、お互いが近付こうという努力が必要なのだ。

 所詮花と人間の意思が一致して、疎通ができるものではないのかも知れないけれど。

 春子はふと、隣家に植わっている、もう花を散らし淡い葉を繁らせたソメイヨシノを見上げる。

 近寄ろうとする、努力は、異なる者同士でも全く関係ないとも思わないのだ。

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