ハーフ・ファンタジー
目が覚めると、見慣れた天井が見えた。私はゆっくり起き上がると、大きく伸びをした。それから、本棚の上に置いている時計で時刻を確認する。…現在、午前9時30分。
「げ!?」
思わず間抜けな声を出す。それからバタバタと洗面所に向けて走り出した。共働きの両親も中学生の妹も、もう家にはいなかった。私は完璧に遅刻だ。寝坊した。
「起こしてくれればよかったのに」
ぶつぶつ言いながら、高校の制服に着替える。夏用の制服は、白色のセーラー服に紺色のスカートという組み合わせだ。私は鏡の前で、自分の制服姿をチェックしてから、ため息をついた。
どうせ遅刻するなら、ゆっくりして行こう。
私は朝ご飯を食べるために、のろのろとリビングへ向かった。その時だった。
ドンドン。
玄関のドアをノックする音が響いた。私はドアの方を見て、首をかしげる。この家にはインターホンがついてるのに、なんでノック?
ドンドン。
…しつこい。勧誘か何かかもしれない。無視してしまおうか。
ドンドン。
…しつこい。
私はドアにチェーンをかけると、そっとドアを開けた。
そこに立っていたのは、見知らぬ男の子だった。年齢は私と同い年くらい…15歳くらいに見える。だけどその男の子の服のセンスは奇抜だった。黄緑色の服に、茶色のブーツ。なんていうか、なにかのRPGのキャラクターのような…。
「…どちらさまですか」
私がさも不審そうな声で尋ねると、男の子は困ったように言った。
「道に迷ってしまって。リオル村に行くにはどっちに行けばいい?」
なんだそのリオル村って。近所に、そんな地名はないはずだ。聞いたこともない単語に私は混乱した。この子はいったい何者なんだろうか。
「すみません、分かりません」
そう言うと彼は、落胆した。それから
「それじゃ、ここはどこなんだ?」
と訊いてきた。というか、独り言のようにぶつぶつ言っている。私が自分の家の住所を告げると、彼は眼を丸くした。
「…聞いたことのない地名だ」
私だって君みたいな恰好してる人は、コスプレの会場でしか見たことないよと突っ込みたかった。彼はどういうことなんだと、ぶつぶつ呟いている。私はそんな彼を見ながら、悩んでいた。この、よく分からない人をどうすればいいんだろう。
「とりあえず、市役所とかに行ってみたらいいんじゃないですか。多分その…ナントカ村のこと、調べてくれますよ」
「シヤクショ?」
どうも、市役所のことを知らないらしい。困ったなあ。
「その、シヤクショにはどう行けばいいんだ?」
彼に訊かれたが、私の家から市役所までは少し距離がある。この人は土地勘が全くなさそうだし、口で説明するのも難しそうだ。
…私は今から通学のために駅へ行く。方向は一緒だし、ちょうどいいか。
「途中までなら、案内しますよ」
私はドアのチェーンを解除した。そして、朝ご飯を諦めた。
私の制服姿を見て、彼は驚いた顔をした。何をそんなに驚いているんだろう。私にとっては、彼のファッションセンスの方がよっぽど不思議だった。
「…その鞄の中に、武器が入っているのか?」
「は?」
私は自分の鞄を見下ろした。中に入ってるのはもちろん、勉強道具くらいだ。武器なんてものは一切入ってない。そう言おうとした私は彼の背中を見て、ぎょっとした。
彼は背中に、鞘に入ったでっかい剣を斜めがけしていた。
「ちょっ…思いっきり銃刀法違反ですよ!!」
私が剣を指さして言うと、彼は不思議そうな顔をした。
「これがないと、モンスターと戦えない。常識だろう。むしろ君が丸腰だということの方が、信じられない」
この人の常識はどうなってるの?私は首をかしげながら、彼の隣を歩いた。
普段は駅まで自転車に乗って行くんだけど、今日は彼がいるから自転車に乗れない。二人乗りをするつもりはなかったので、私は自転車を押しながら彼と一緒に歩いた。自転車は駅まで持っていっておかないと、帰宅するときに不便だ。
彼は自転車を、不思議な生き物でも見るかのようにじろじろ観察した。そんな彼を私はじろじろと観察した。彼は本当に不思議な生き物だった。
「…どうやってここまで来たんですか?」
自転車から目を離さない彼に、私は話しかけた。どうやって道に迷ったんだろうこの人は。その…ナントカ村から。
「それが、モンスターと戦闘しているときに」
そこまで聞いただけで、私は吹いてしまった。モンスターと戦闘ってそんな、ゲームじゃあるまいし。だけど彼は真剣な表情で続けた。
「敵のモンスターに術をかけられてしまって…。戦闘離脱の術だった。戦闘から離脱した俺は、気付いたらここにいたんだ」
彼はあたりをきょろきょろと見渡しながら言った。…今、私はきっととてつもなく間抜けな顔をしているだろう。
モンスター?戦闘離脱?なにそれ。
彼の話は筋が通ってるのか何なのか、いまいちよく分からない。そもそも私は、RPGのゲームをしたことがなかった。
とりあえず私は、自分の常識を言ってみることにする。
「あなたがいたのは、地球だよね?」
すると今度は彼が、ぽかんと口を開けて私の方を見た。
「…チキュウ?」
「この星のこと」
「ゼルト星じゃないのか?ここは」
…私も彼も、顔が真っ青になったと思う。完璧に、話がかみ合ってない。
この人は、地球人ですらないってこと?
彼の話を要約すると。彼は、ゼルト星というところに住んでいた。そして旅をしていた。そこにはモンスターがいて、モンスターと戦闘するのは当たり前だった。そしてモンスターとの戦闘中に戦闘離脱の術をかけられ、気付いたら地球に来ていた、と。
思いっきり広大な嘘をついてるのか、それとも真実なのか。私は彼のことを信用していなかった。けれど何故か、彼の話が嘘だとも思えなかった。
「ゼルト星では、俺は勇者だったんだ」
彼が困ったように、だが誇らしげに言った。
「はあ」
「それで、仲間たちと旅をしていたんだ。…今頃、仲間はどうしているだろうか」
「さあ」
としか言いようがない。
「…武器も持っていないということは、お前は魔導師か?」
まさか。私は笑った。
「地球はね、平和なんだよ。モンスターもいなければ勇者も魔導師?もいないの」
「そうなのか…」
彼は不思議そうだった。
「…魔導師って、魔法を使える人のこと?」
そういうことに疎い私は、彼に訊いてみた。
「ああ。旅をしているパーティーには、たいてい一人は魔導師がいる。もちろん、俺の仲間にも魔導師がいた。…一応俺も、基本の術くらいは使えるんだが」
「へえ、どんなの?」
私が訊くと、彼は道端に落ちていたペットボトルのゴミに、手のひらを向けた。そして
「ホムラ!!」
彼がそう叫ぶと、ペットボトルがボッと音をたてて燃えた。
私は、燃えているペットボトルを見たまま凝り固まった。何の手品だ今の。
彼は自分の手のひらを見ながら、「この世界でも術は使えるのだな」と呟いている。
「い、今のどうやったの?」
私はあたりをきょろきょろと見回しながら言った。幸い誰にも見られていない。
「手のひらを対象に向けて、炎をイメージしながら術を唱える。それだけだ」
彼は至極簡単そうに言ったが、私の知ってる世界ではそんなことしたって魔法は使えない。
「お前も多分できるはずだ」
「ええ!?」
「魔導師のような力を、お前から感じる。もしかしたら魔導師の資質があるのかもしれん」
「そんな馬鹿な。ここは地球だよ?」
私は笑った。その時だった。
建物の影から、熊のような生き物が出てきた。
熊のような、というのは、その生き物は厳密には熊じゃなかったから。全体的に熊に似ているけど、恐ろしく長い爪と牙を持っている。それに付け加えて、ものすごく凶暴そうなその顔。もしもこれが熊だとしても、私はこんな熊を見たことがなかった。
「いるじゃないか、モンスターが!!」
彼が剣を引き抜きながら叫ぶ。だけど私の頭は完全にその思考を止めていた。私の知ってる町のはずなのに、あり得ないことが起こっている。
彼は剣を構えると、熊のような生き物に向かって勢いよく走っていった。けれど彼の初撃は、あっさりと避けられた。図体のでかい熊は、思った以上に素早かったのだ。熊は彼の攻撃を避けると、私に向かって突進してきた。
「うっうわあ!!」
思わず、両手を前に出した。それを見て、彼が叫ぶ。
「唱えろ!!『ホムラ』だ!!」
「ほ、ホムラ!!!」
ほとんど反射的に言っただけだった。が、
熱を持った空気が、チリッと音を立てた。そして
「グオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
熊のようなモンスターが、私の目の前で、燃えた。
「え…?」
呆気にとられてその様子を見ていると、彼がこちらに向かって走ってきた。ひるんでいる熊に剣を振り下ろす。一撃で、熊は倒れた。
茫然としている私に、剣を鞘に収めながら彼は言った。
「使えるじゃないか、術」
そう、確かに、私の術でこの熊は燃えたのだ。
「…どういうことなの?だってここは私の住んでる町だよ?何の変哲もない…」
私は混乱しながらあたりを見渡した。確かに私の知っている風景のはずだった。だけど。
「さっきから思っていたが、この町には人がいないな」
彼に言われて気付いた。そういえばさっきから、誰にも会っていない。車すら通っていなかった。彼はあたりを見回してから、倒れている熊のモンスターを指さした。
「こいつは、俺の世界に現れるモンスターだ。だけどお前が住んでる世界には、…つまりここにはモンスターは出ないと言っていたな」
私は頷いた。頷くことしかできなかった。
「だが、出てきた。お前の知らない、出てくるはずのない、モンスターがな」
彼はそう言うと、私の顔をまっすぐ見た。
「…ここは、お前の知ってる世界か?」
私は答えられなかった。それを見た彼がため息をつく。
「つまり…」
彼が言わんとしていることを、私もぼんやりと理解していた。認めたくないけれど。
「つまり。俺もお前も、自分の世界ではないどこかへ飛ばされてきたということだ」
彼はきっぱりと、そう言った。
私と彼は黙り込んだ。その沈黙を破ったのは
ピロリロリン
私の鞄の中から鳴った、間抜けな電子音だった。
「え…メール?」
私は鞄から携帯を取り出して、開いた。差出人のアドレスには、見覚えがない。
そのメールの本文はたったの1行。
『ハーフ・ファンタジーへようこそ!』
添付ファイルを開くと、地図が出てきた。
…見た事のある地形だけど、ところどころに知らない森や洞窟がある。
「アウネスの森。ララギアの洞窟。…俺の知っている場所だ」
地図を隣から覗き込んでいた彼はそう言った。私は彼の方を見る。おそらく、真っ青な顔で。彼は地図を見ながら、冷静な口調で言った。
「お前の住んでた世界と、俺の住んでた世界が、半分ずつ混ざってるみたいだな」
私は頷いた。少なくともここは、私の知っている世界ではない。
「…多分、元の世界に帰る方法はある」
彼はそう言うと「お前も来るだろ?」と私に向かって問いかけた。
「え?どこに?」
「どこっていうか、旅に」
「旅って…行くあてはあるの?」
私が尋ねると彼は頷き、
「ここ」
地図上の、黒く点滅している部分を彼が指さした。
「多分ここに、魔王がいる。俺の知ってる世界と同じなら、な」
「…どうするの」
「戦う」
きっぱりと、彼は言った。
「なんで」
「多分それが、この世界から脱出する方法だから」
彼はそう言うと、地図から顔を上げた。
「俺の世界が半分混ざってるなら、すべての元凶は魔王にある。だから、魔王を倒したら元の世界に戻れるんじゃないかな」
「…そっか」
あなたはともかく、私は普通の女子高生なんです。なのになんでこんな目に?
私が呆けた返事をしているのにも構わず、彼は私の自転車を指さした。
「それ、乗り物か?」
「…そうだけど」
「歩くより早いのか?」
「…そうだけど」
「じゃ、それに乗って旅しよう」
「ええ!?」
考えてもみなかった提案に、思わず大声を出す。彼は訝しげに、私の顔を見た。
「なにか問題があるか?俺は早く元の世界に戻りたいんだ。お前もだろ?」
「…うん」
「だったら、少しでも早い移動手段を使った方がいいと思うんだが」
「…そうですね」
私は薄ら笑いを浮かべたまま、答えた。
こうして、なんでか魔法が使えるようになった私は、自称勇者の彼と、旅をすることになってしまった。
ママチャリ、二人乗りで。