虚空渡りの魔術師(短編版)
王立エルシア学院の大講義室。そこは、血統と魔力がすべてを決める貴族社会の縮図だ。 その中央で、異物のように座る少女がいた。
「……アステリオス家の『不義の子』が、なぜここにいるのかしら」
扇を広げ、蔑みの視線を送るのは、縦巻きロールの髪を揺らす公爵令嬢ノエル・レナート。彼女の背後には、虎の威を借る取り巻きたちが、さも汚いものを見るような目でフィア・アステリオスを囲んでいた。
フィアは頬杖をついたまま、昨日配られた教科書を無造作にめくっている。
「血筋の汚れは、アステリオス家の歴史すら汚すものです。あなたがここに座っているだけで、学院の空気すら濁る……そうは思いませんこと?」
ノエルの言葉は鋭い。しかし、フィアはあくびを噛み殺し、一度だけ視線を上げた。
「……血、ね。そんな自分で選んだわけでもない不確定な要素にしか縋れないなんて。あなた、よほど自分自身には語るべき価値がないんですね」
「なっ……!」
「血筋なんて、先人が積み上げた歴史を少しばかり分けてもらった『借り物』の器でしょう。中身が空っぽなのを、器の装飾で誤魔化すのはもうやめなさい。時間の無駄です」
フィアの声音は、怒りすら感じさせないほど淡々としていた。それが、ノエルの誇りを粉々に打ち砕いた。
「黙りなさいッ! 卑しい身分で、私を愚弄するか!」
激情に任せ、ノエルが魔力を練り上げる。教室内に、攻撃魔法特有の焦げ付くような熱気が満ちた。 パチ、パチリ。彼女の指先に、荒々しい火花が散る。
「教室内での攻撃魔法? 怖いですね、お嬢様は」
「うるさい! 消えなさい!」
ノエルの叫びと共に、巨大な火球が膨れ上がった。 だが、今日は湿度が低い。閉鎖された室内で火属性を暴走させればどうなるか――未熟な彼女には、その計算ができていなかった。
「……あ、熱い! 嫌、嫌ぁぁ!」
制御を失った火球が、主であるノエルを飲み込もうと爆ぜる。 悲鳴が響き、周囲の生徒たちが我を忘れて逃げ惑う中、フィアだけがゆっくりと立ち上がった。
彼女の掌には、一滴の水の欠片。 『魔法の等価性』――生成したい物質の「一片」さえあれば、消費魔力を十分の一に抑えられる。
「――水界」
フィアが指先を弾いた瞬間、極小の魔力から生まれた巨大な水塊が、咆哮する火を丸ごと飲み込んだ。「ジュッ……」という断末魔のような蒸発音と共に、教室内を包んでいた熱波が、一瞬で鎮静化する。
そのあとには、ただ、魔力を使い果たし、煤で汚れ、腰を抜かしたノエルが呆然と座り込んでいた。
フィアは歩み寄り、ノエルの頬に残った煤をハンカチでそっと拭った。
「どうして……私をかばったの?あのまま何もしなければ、私は勝手に自滅したはずなのに」」
ノエルの瞳には、傲慢さは消え、救いを求めるような震えがあった。フィアは、子供を諭すような柔らかな、しかし有無を言わさぬ微笑みを向けた。
「ここであなたを失うのは、この国にとって『損失』だからよ」
「……損失?」
「失敗を糧に己を律することを覚えた魔導師は、何も知らない秀才よりも価値があるわ。感情で魔力を散らす愚は、死にかけた今日で卒業なさい。……あなたには、その才能があるのだから」
フィアは最後に一度だけ、慈しむようにノエルの頭を撫でた。 それは勝利者の余裕ではなく、圧倒的な「真理」を知る者の振る舞いだった。
「……次は、もっと魔術を理解して使いなさい」
自席に戻り、再び教科書に目を落とすフィア。 騒ぎを聞きつけて駆け込んできた教師に対し、彼女は平然と言い放った。
「失礼しました。魔道具が少し、暴走したようです。……ねえ、そうでしょう?」
フィアが向けた氷のような、それでいて温かい微笑みに、ノエルたちは弾かれたように頷いた。
アステリオス家の汚点と呼ばれた少女が、学院の、貴族の常識を根底から揺るがした瞬間だった。
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彼女の魔法の実力の理由などを書いています。




