まりあ、悪に触れる
誠史郎に案内され、まりあが応接室へと入ると、鬼龍政影──裏社会を牛耳る存在としてその名を轟かせる男が、やわらかなソファに腰掛けていた。
「よう、誠史郎。遅かったじゃねぇか」
軽く片手を上げて挨拶をする政影は、拍子抜けするほどフランクだ。
柔らかなカールが揺れる髪に、切れ長のタレ目、彫刻のように整った容貌。全体的にユルい印象のある政影だが、纏う空気がどこか危険な匂いを醸している。
まるでこの世の理から一歩外れているような──そんな風に思わせる人物だった。
「桔嘉は元気にしてるか?」
「お陰様で。本日も政景様に会えないことに不満を申しておられました」
政影が気さくに声をかけると、誠史郎も似た調子で応じる。
先ほどの桔嘉と誠史郎の会話から、誠史郎と政影は相性があまりよくないのではないかと考えていたまりあだったが、どうやらそういう訳でもないらしい。
「ハハッ、本当にアイツは可愛いな。……けどまぁ、アイツと俺じゃあ住む世界が違いすぎる」
己を慕う桔嘉を思い浮かべたのか、愉快そうに笑う政景だったが、一瞬だけその表情に翳りが見える。
それにまりあが気づくと、政影がまりあへとゆっくり視線を移した。
「初めまして、皇財閥のご令嬢。……こんな可愛らしい情婦を連れて来るなんて、お前も隅におけねぇな、誠史郎」
「ご冗談を。……政影様へのお客様でございます」
「ほう、俺に……?」
政影が唇の端を吊り上げ、興味深げにまりあを舐めるように見定める。
その瞳と視線がぶつかった瞬間、まりあの背筋にゾクりとする冷たい感覚が走った。
「っ……!」
思わず身を強張らせるまりあに、政影は声を上げてクックッと笑う。
「おいおい、目が合ったくらいでそんなに怯えるなよ。可愛がりたくなっちまうだろ?」
冗談めかして笑うその声の裏に、どこか人を試すような鋭さがある。
まりあが何もいえずに拳に力を込め続けていると、傍らで誠史郎がやれやれとばかりに小さくため息を漏らした。
(まあ、この段階でこの男の恐ろしさを感じ取れるのであれば、合格点でしょう……)
まりあを買いかぶるつもりはないが、評価はできると誠史郎は思う。
軽薄さの裏に巧みに隠されたこの男の本質に気づける程だ、ある程度の修羅場はくぐり抜けてきたのだろう。
「ご安心くださいませ、まりあ嬢。この場で突然取って喰われるようなことはございません。……せいぜい、頬を舐められる程度でございます」
「えっと……それはそれで嫌なのですが……」
「ハハハ。オメェの顔こそ舐めてやろうか、誠史郎」
「……大変魅力的なお申し出ではございますが、遠慮させていただきます」
まりあを安心させるためなのか軽口で茶化す誠史郎だったが、ほんのりと場に冷たい空気が流れたのは気のせいではないだろう。
やはりこの二人、あまり相性は良くなさそうだ。
「それで? 清楚で可愛らしいお姫様が、こんな生業をしている俺にどんな用があるんだ?」
「……ただ、傍に。政影さんのことを、知りたいんです」
まりあにしては控えめな要望だが、それが今の本心だ。
だだ、知りたい。どうして誠史郎が政影に会わせようと思ったのかを。必要悪という存在を。
「なら、ちょいとばかり借りていくぜ?」
「本日中にはお返しくださいますよう、お願いいたします」
立ち上がってまりあの手を取り、早速連れ出そうとする政影に対し、誠史郎が即座に牽制する。だが、政影は楽しそうにニヤリと笑うばかりだ。
「おいおい、冗談言うなよ。丑三つ時こそが俺らの領域だぜ?」
「本日中にはお返しくださいますよう、お願いいたします」
全く同じ言葉を、音程すら変えずに繰り返す誠史郎。
有無を言わさぬ誠史郎の笑顔に、交渉の余地はないことを悟った政影がため息を吐いた。
「わーったよ。……ったく、厳しいママだな」
「監督責任がございますので」
「心の中では『どうでもいい』と思ってる癖にか?」
「ノーコメントでございます」
政影と誠史郎が腹の探り合いのようなやりとりを繰り広げる中、まりあはただ黙って二人を見ていた。
この短い会話だけでも分かる。どちらも一枚も二枚も上手だ。まりあにはない『毒』を持っている。
―――だからこそ、この二人から学ばなければならない。
どんな手を使ってでも自分の意志を貫き通す、強かさを。
「それじゃあ行こうか、お姫様」
「よろしくお願いします……!」
「じゃあな、誠史郎。桔嘉によろしくな~」
まりあの肩に気軽に腕を回すと、政影は挨拶もそこそこに、ヒラヒラと手を振ってそのまま応接室を出て行く。
予定していた会談など、もはや意味を持たないかのように。




