まりあ、作戦を立てる
この世界は『心の強い者』が、すべてを手にすることができるように創られている。
『心』などという不確かなものの優劣をどうやって計っているのかは分からないが、この世界に生きる人間は、学校、企業、国家……あらゆるヒエラルキーが例外なく『心の強さ』で順位づけされている。
法律や秩序はあっても、実質的な権力は『心の支配者』が握るのだ。
「心を強く持ちなさい、まりあ。誰に何を言われても揺らぐことのない、大きく太い柱を心の中に育てるんだ」
それが、父の口癖だった。
「私の柱は、まりあとママの幸せだよ。君たち二人を守るためなら、私は閻魔大王ですら支配してみせる」
そう言って自信たっぷりに笑う父は、母との結婚が決まり、皇家の当主を継ぐ際に『帝王眼』を覚醒させたのだと聞いていた。
『心の強さ』の源は、自信、信念、誇り、執念、支配欲、信仰など多様だが、特に愛情や憎悪などの『強い感情』は力に直結しやすい。
母と自分にたくさんの愛情を注いでくれた父は、特に愛情を力に替える能力に優れていたのだろう。
母へと告げた求愛の誓い「君を世界一幸せにする」。それは、ありふれた言葉だけれども、何よりも強い決意になったようで、父はたった一代で皇財閥を世界有数の大財閥へと引き上げてしまった。
……けれども、その強さと地位は『心』が揺らぐと、途端に脆く崩れ去ってしまう。
―――お母さんが亡くなって、3ヶ月。
何よりも大切な心の支えを失った父は、ずっと苦悩していたのだろう。
「どうして……気づいてあげられなかったんだろう」
「必死で気づかせないようにしていたからよ」
独り言に返事をされて、そういえばノアとの作戦会議の途中だったことを思い出す。
慌ててノアに視線と思考を戻すと、フンと荒く息を吐いたノアが言葉を続けた。
「皇財閥の当主が嫁を亡くして弱ってるなんて聞いたら、そのチャンスをモノにしようと企む輩は掃いて捨てるほど湧くでしょうからね」
万が一にでも皇財閥が乗っ取られることのないように、父は実の娘にすら悲しみを気取られぬように必死で虚勢を張り続けていたのだろう。
だからまりあが気に病む必要はないのだと言うノアだが、自分ばかりが母の死を嘆き悲しみ、寂しさを父に癒してもらってばかりいたことを、今さらながらにまりあは悔やむ。
(お父さんだって、悲しくない訳なかったのに。そんなことにも気づかずに、私は自分のことばかりだった……)
父を失ったことで、自分がどれだけ子どもで、甘やかされていたのかを痛感する。
だが、立ち止まっている暇はない。今度こそきちんと自分の足で立って、自分の意思で歩き続けなければならないのだ。
優しい父を、探し出すために。
「それじゃあ『敵』と渡り合うために、まずは自分の武器を把握しなきゃね♡ まりあは『帝王眼』についてはどこまで知ってるのかしら?」
「屈した相手に『絶対服従の本能』を抱かせることのできる能力だということと、誰もが開花できる訳ではないということくらいしか……」
「それが分かってるなら充分だわ。優劣については明確な基準はないし……こればかりは感覚で慣れていくしかないわね」
『心の強さ』同様、『帝王眼』についても明確な基準はなく、分かっているのは力の強さが『心の在り方』と直結しているということだけだ。
つまり、何をどれだけ大切に想っているかが支配力の質を決めるのだ。一時的な激情よりも『揺るがぬ意志』や『長期的ビジョン』がある者の『帝王眼』ほど強く、持続性も高い。
それぞれの領域を納めるエリートたちも、帝王眼を有しているのは確実だろう。
「5大エリートを手中に納めるために、あなたがやるべきことはたったの2つよ。
①相手の帝王眼に屈さない
②相手を恋に落として、絶対服従させる」
「……気の遠くなるような話ですね」
たったの2つの条件ではあるが、その内容は途方に暮れそうなほどに壮大だ。
だが、こんなところで心折れている場合ではない。
この程度で挫折するような人間に、トップエリートを5人も手中に収めるなど、夢のまた夢だ。
「それから、アタシと組む上で一つ約束があるわ」
「約束、ですか?」
「アナタは絶対に、エリートたちに惚れたらダメよ。恋だけは、絶対にしないで……!」
そう言って切なげな表情でまりあを見つめるノア。
それは約束というよりは、懇願のように聞こえた。
「誰か1人を選んでしまったら、すべての領域は手に入らないわ。そのときはお父様のことはスッパリ忘れて、男の尻でも追い掛けてなさい」
突然、突き放すように言い放つノアに、まりあの心臓がドキりと跳ねる。
父よりも大切な相手ができる……それは、今のまりあには想像もできないことだが、「心が弱ることは許されない」と、釘を刺されたように聞こえた。
「いい、まりあ。アナタがすべきはエリートとの甘酸っぱい恋愛じゃない。絶対服従なの。それだけは絶対に忘れないで」
「分かりました。肝に銘じます」
強い言葉に応えるように、まっすぐに頷く。
まりあとて、無事の分からない父を放って恋愛に興じる気などさらさらない。
彼らは父を助けるために利用する道具なのだと、改めて心に刻んだ。
「それじゃあさっそく、最初にコンタクトを取る相手だけど……」
「大倭桔嘉さんは、いかがでしょうか……?」
ノアが名を挙げる前に、まりあがおずおずと声を上げる。
驚いたように目を開いたノアだったが、けれどもすぐにニヤリと口元を歪めた。
「あら、奇遇ね。アタシも大倭を指名しようと思ってたのよ♡」
大倭桔嘉は、若くして皇位を継いだこの国の皇太子で、政界を治めるエリートだ。
「皇太子である大倭桔嘉を味方につければ、他の領域にも繋がりを作りやすくなるものね♡」
もちろん、まりあもその理由を大前提として桔嘉を指名したが、最初のターゲットとして選んだのには、別の理由がある。
彼は先ほど述べた、既にまりあとの接点を持つ人物でもあるのだ。
皇財閥の令嬢としての立場上、政界の催しに参加する機会の多かったまりあは、言葉を交わす機会こそなかったものの、何度もその姿を目にしている。
(桔嘉さんはいつも、何人もの女性を連れていた……)
煌びやかなドレスに身を包んだ、華美な印象の女性たち。
その誰もが自信に満ち溢れ、桔嘉の隣を我が物顔で歩いていた。
(気の強そうな華やかな女性。……それがきっと、桔嘉さんの好みだ)
ただでさえ目立つ集団だ。その印象は、しっかりとまりあの記憶に残っている。
「大倭邸では給仕を行う住み込みのメイドを雇ってるし、拠点にするのにも申し分ないわね♡」
「拠点……? 住み込みで働くんですか?」
「そうよ。相手の懐に入っちゃった方が、色々と手っ取り早いでしょ?」
さらりと放たれたノアの言葉に、まりあはパチパチと目を瞬かせる。
まさか、父を失ったその日に、家も出ることになろうとは……。
「行動を見張るにも、好みを知るにも、物理的な距離がいちばん効くわ♡」
そう言われてしまっては、従う他ない。
恋愛経験のないまりあには、ノアのアドバイスがなければ男のオトし方など分からないのだ。
ノアが距離を詰めろというのならば、大倭邸に住み込んで距離を詰めるだけだ。
「皇財閥のほうはアタシに任せて。お父様がいなくなったことは、ちゃーんと隠し通しておいてあげるから♡」
ノアは当然のようにそう言うが、その言葉はまりあの胸にじんと染み渡る。
当主の不在が外部に漏れれば、皇家も財閥もたちまちハイエナたちの餌食になる。
しかし、その懸念をノアが払拭してくれるのならば、まりあは前だけを向いて突き進める。
「……本当にありがとうございます、ノア」
もう何度めかになる感謝を口にするまりあに、ノアが無言で微笑む。
そして、どこからともなく一着の衣装を取り出した。
「はい、これ。アナタの戦闘服よ♡」
「私の……戦闘服……」
差し出されたのは、漆黒と白のコントラストが美しいクラシカルなメイド服。
戦闘服にしてはファンシーなそれを、ノアから両手で受け取る。
(これを着て、戦地に赴くんだ……)
これから着るのはメイド服で、向かうのは皇太子の邸宅だが。
それでも戦地に赴く兵士のように、まりあは覚悟を胸に刻む。
負けるわけにはいかないのだ。
父を取り戻すために、どんな手を使ってでも5人のエリートたちを手に入れてみせる。
さあ、支配と服従の、戦いの幕を開けよう。