2-07 霊獣の王女様〜ラグニクスの子供達〜
ある日少女は天馬と出会い、今は亡き神ラグニクスより神託を授かった。
それから七年の時を経て誓った夢が
霊獣たちの 王国を築く理想が
動き始める────
私は 霊獣たちを統べる王になる。
その旅立ちに 相応しい朝だ。
森林は 葉擦れを奏で
木漏れ日のなか 小鳥達は歌っている。
壊れかけの窓は 風に律動し
煮湯の蒸気で 鍋の蓋が踊っている。
静かに食卓につく 私の周囲は
青白い光の霧に 満ちていた。
私がその光に呼びかければ
彼らは徐々に形を変えて、『耀く獣の姿』となる。
健気にも笑ってくれている。人の様に表情が豊かでなくとも、私には分かる。
「では、これより壮行会を始める!
私の旅路に ラグニクス様の加護がありますよう」
ひびわれた盃を掲げる。
霊獣達が 腐りかけの天井に咆哮して
家中が その轟音に震える。
隙間に溜まった埃が ふわり煌めいて
荘厳な星霜の湖、その畔のように
朝が 流れ去っていく。
「それじゃ行くよ」
私はそれだけを 別れの言葉にした。
天馬の霊獣 レインの背にまたがる。
普段から無口なレインは蹄で土を掘る。
その白銀の翼を一度だけ強くはためかせた。やる気は充分、といったところか。
ふと 振り返る。
一角ウサギ・三つ目のフクロウ・十字の瞳孔を持つヤギ…………その他にも大勢。
彼らはこの土地に住まう霊獣だ。ここでずっと、ずっと、私の良き友人として接してくれた。
人里が恋しいなどとは微塵も思わなかった。私はここで幸せだった。
正直、別れは名残惜しい。でも、この決意が冷めないうちに、行かなければ。
この道の先が、私を救い出してくれた彼らへの恩返しにもなるのだから。その為の7年間────
「レイン」
胸と喉の奥が熱くて つい語気が強まる。
私の気持ちに呼応して
レインは頷いて 森の中を縫うように駆けだした。あっという間に草原地帯の開放的な光に包まれる。
とにかく北方へ。北へ。北へ走るのだ。
霊獣を結集させるために。先ずは四眷獣の一角 『氷楼の竜』に会いに向かわねば。
慣れ親しんだ景色を惜しむまもなく、私たちは進む。
進んで進んで、三日間北へ 進んだ先で────
少し、旅立ちに浮かれていたのだろう。
気を許したとある旅人と薪を囲って
それからの記憶がない。
────私は今、半裸で檻の中に囚われている。
腰のぼろきれ一枚しか与えられず
冷たい土が体温を絶え間なく奪ってくる。
ネズミが頻繁に走り回り、ハエもどこからともなく湧いてくる。昨日は清潔かも分からない水と、カビが少し生えたチーズを与えられた。
ひどく最悪で、情けない。
ここにきて早、一日。
レインとの契約を媒介する誓霊器まで彼らに盗られてしまった。まだ近くにあることだけは感じる。
だが誓霊器無しでは、レインは顕現できない。本当にまずいかもしれない。焦燥感で頭の中が熱くなる。
「こんな格好させるなんて……外道め!」
必死に悪態をつくが、一向に見張りに相手にされない。
ジョーダマ、とか、高くサバケル、とか、聞き慣れない単語が飛び交うが、私にとって危険な話題であることは間違いない。でなければこんなふうに惨めな格好をさせるものか。
「あ」
その時、見覚えのある顔が新たな見張り番となる。昨日の晩、薪を挟んで過ごした男の顔。
旅人を装った彼が、どういう立場で私たちに近づいたのか、もはや察するに余りある。
「あなたは!よくも騙してくれたな」
そう。私は確実に、この男によって囚われたのだ。旅人を装っていたこの男に。
あの気難しいレインですら、ある程度寛容さを見せるほどに聡明かつ律儀な雰囲気を持っていた。私たちはまんまと騙された、多分。
そのうえ私の家族との繋がりまで絶ってきた。誓霊器は私の命と同等だ。絶対に許せない。
敵愾心をむき出しに、鎖の長さいっぱい彼に思い切り近づき、睨みつける。
「知らないな。それにあれは騙される方が悪い」
「なんだと」
悪びれる様子などなく、彼は逆に呆れる様な表情をする。それでいて流麗で澱みない動作で、椅子に腰掛けた。見るからに他と比べて貧相な装備……反面、言動は雅な雰囲気すら感じる。
薄気味悪いほどの対照。
「もう遅いけど……こんな山中で、その日出会った他人の用意した水を飲まないことだね。誰も教えてくれなかったのか?」
「…………あ!」
思い出した。あの夜あなたからもらった水……。
「なんてことを、この卑怯者」
激しい怒りに唇を震わす私に対し、彼は全く話にならないなと言わんばかりに、両手をあげて軽薄に微笑む。神経を逆撫でするしぐさに、ただ悔しさが込み上げてきた。
そのあとすぐ、彼は少し考え込むように上を向いてから……少しだけ慎重な様子で口を開いた。
「見て欲しいものがあるんだ。君だけに、とっておき」
懐から出した白布を、彼は小さく広げて見せる。周りに見えない様に。
中には金色の指輪があった。
「盗賊はこりごりでね。金目のモノを宝物庫からいただいて消えるつもり」
「は?」
「単刀直入に。君に宝の目利きを頼みたい」
「目利き……?」
「そう。目利き。飯時の、捉えたやつの見張り番は週次制だし、機会は今週しかない……ここに一つずつ持ってくる。金目のモノを鑑定でき次第君を逃そう。もちろんその時は誓霊器だって返す」
そんなの、信じる根拠になるわけがない。人をこんな目に合わせておいて!この男は何を言っているんだ。
「お前が私に何をしたか、忘れたか?」
「怒りはもっともだ。申し訳ない。ただ、盗賊のお仕事とは違って、今回は個人的な頼みだから話は別さ。それにほら!君だって、脱出の手立てなど他にないだろうに」
「は………宝遊びなら独りでやれ。話は以上だ」
確かに今この場で代案など思いつかない。だがこの男は信用できない。したくない。
底知れない怒りが沸々とこみあげてくるのを抑え込みつつ、私は怒りを込めてそっぽをむいた。
目の端で捉えた、彼の小汚い土塊のついた頬が、上品に、柔らかく崩れた。本当にこの男が何を考えているのか、わからない。
彼は私の態度など意に介さず続ける。
「君は霊獣使で、霊力を感じ取ることに長けているはずだ。この宝物が誓霊器であるなら……絶対に君なら分かるはず。なんせ、あの霊獣といったら……いや、なんでもない」
「何をぶつぶつと言っている」
「気にしないでくれ、独り言だ」
「……とにかくもう黙ってくれ」
…………たしかに。私は10の歳からレインや霊獣に育てられてきた。だから人の世のことをあまり知らないが、優れた霊獣使は確かに霊力に対して多感だ。この男はそれを知っている?常識なのだろうか。
「まあ、とにかく。他の面子は霊獣を武器として使役する人間くらいの知識しかない。おそらく、ここで霊獣使の知識があるのは俺と君だけ。……彼等は信じられんほど無教養だ」
こちらの意図を読み取るような言葉にハッと顔をあげる。彼はいつのまにか、宝物を懐にしまい直していた。こちらの動揺を見抜くような、深く探るような視線に寒気を催し、咄嗟に目を背けた。
「また明日、新しいものを持ってくる。素知らぬ振りを頼むよ」
「顔を見せるな。2度と見たくない」
────其の夜、夢を見た。
私の身体はレインになっていて、街の中を、家々の屋根上を懸命に駆けていた。
方々から火の手が上がっていた。剣戟のけたたましい音、人々の雄叫びや悲鳴、鉄のツンとした香り。
「もうダメだ。レイン、王宮に戻り殿下を……ぁ」
ここで姉さんの声が途絶えた。
彼女の重心が左に傾いたのを感じた。
ここで目が覚めた。
恐怖を落ち着かせようと深く息を吸って、身体を冷や汗が流れる。この夢は知ってる。
霊獣使と契約霊獣は、互いの感情の質が近い状態で眠りにつくと、過去の記憶が結びついて追体験を起こす場合がある。つまり、今、こちら側に干渉できないレインは、私と同じで、強い不安を感じているということだ。────あれは、レインが私の姉さんを喪った時の記憶だった。
誓霊器がなければ、レインは私を知覚できない。姉さんの次は私を喪わないか、気が気じゃないのだろう。
「ごめんねレイン」
レインの気持ちに激しく同調したせいか、涙まで溢れてくる。ただ、聴こえてなくても続ける。私自身の決意のために。
あなたたちが安心して暮らせる世界を創るまで、私は
「死ねない。必ずやり遂げるから」
変えてみせる。レインと私にはその使命がある。
「物騒な独り言だな」
ハッとして起き上がると、彼がいた。完全に聞かれていたのか。優越感に浸った微笑みが腹立たしい……。
慌てて涙を拭った。
「咎めやしない。レィアドゥスは信仰してないからな……恨んですらいる。それより今日の分を見てくれ」
今日は宝石を埋め込まれた腕輪。
そして、完全に思いつきだった。
私は腹を決めて、霊力を感じないそれを指さして告げた。悟られない様に。平常であろうと努めて。
「誓霊器だった、と思う。名残の霊力がある」
彼は一瞬虚をつかれた様に驚いた顔をするが──笑った。今度は小馬鹿にした様子はない。ただ、小悪党とは思えない、強さに輝く眼がそこにあった。
「ありがとう。今日の夜出るぞ」