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2-05 龍神の花嫁〜全てを失った姫君は龍神に溺愛される〜

十六の誕生日、小国の姫である揚羽(あげは)は、千年に一度選ばれるという『龍神の花嫁』の証である虹色の瞳を授かった。

龍神の花嫁を捧げた国に与えられるという龍神の加護を巡り、巻き起こる争い。それに巻き込まれ国も家族も全てを失った揚羽は、元凶たる龍神を討つべく、龍神が住むと言われる最南の山に一人乗り込む。

しかし肝心の龍神は代替わりしていた上に、『龍神の花嫁』にまつわる話を何も知らなかった。

その事実に呆然とする揚羽に、今代の龍神である金剛(こんごう)は、地上の争いを治める為の形だけの婚姻を持ちかける。

行く宛も新たな目標も何もない揚羽はひとまずそれを了承したものの、人間とはズレた価値観を持つ神々に振り回される事に……。


これは、運命に翻弄され全てを失った少女が、新たな絆を育んでいく物語。

「貴様の命、貰い受ける。龍神よ」


 刀を手にしたその少女は、目の前の巨大な龍にそう言った。

 少女の左目は、鮮やかな虹色を宿していた。



 ——伝承に曰く。

 世を統べる神の一柱、最南の地に棲まう龍神は千年に一度、人の嫁を取るという。

 龍神の花嫁に選ばれた乙女は、虹色の瞳を新たに授かる。誰が龍神の花嫁となるかは、その時まで誰にも分からない。

 そして龍神の花嫁を、龍神へと捧げた国は——。



「『龍神に花嫁を捧げた国は、千年の間龍神の加護を得る』……か。……実にくだらない」


 侮蔑の表情で龍を見据え、少女が吐き捨てる。


「貴様は考えた事があるのか。妻に選んだ女にも、大切な者がいたかもしれない事を。そういった事を、一度でも考えた事はあるのかっ!」


 少女が吼えた。様々な感情の入り混じった左目の虹は、悲しい程に美しかった。

 だが龍はそれを見ても、ただ静かに佇むだけだ。


「下界の今の様子を貴様は知っているのか。……戦だ。どこかの国が私を貴様に捧げぬ限り、終わらぬ戦だけが今の下界の全てだ」


 そんな龍の様子に、少女が刀を握る手に力を込めた。


「これで満足か。この地獄が、貴様の望みなのかっ!」


 刀の切先が、遂に龍へと向けられる。虹と黒の双眸が憤怒に血走り、赤みを増す。

 それでも、なお、龍は何も答えない。


「みんな! みんな、私を巡る戦のせいで死んだ! 貴様さえ! 貴様さえいなければっ……!」


 そう叫んだ少女の頬を、涙が流れる。それは顎から地面に落ちて、小さな染みを作る。


「だから私は、自らここに来た! 貴様の命で、全てを終わらせる為にっ……!」

『……あー、盛り上がってるとこ大変悪ィんだが……』


 突如、少女の叫びを遮るように声がした。まだ若い男性のものであるそれは、少女の脳に直接響いてくる。


「この声……まさか龍神……!?」

『さっきから、龍神の花嫁とか何とか言ってるが……正直……』


 そして、その困惑した声はこう言った。


『悪い。何の話か、さっぱり分からん』



「……つまり貴様は、つい最近龍神の座を継いだばかりだと」

『そうだ。お前らの時間で言や百年くらい前になるか。親父が寿命で逝っちまって、息子の俺が自動的にな』

「そして貴様は、父親から何も聞いていないと」

『全く。最近やけに、下界が騒がしいとは思っちゃいたが……』

「……そんな……」


 呆然とした少女の手から、刀が滑り落ちた。瞳から激情は消え、ただ虚無だけがそこに在った。


「なら、私は……何の意味もなく、全てを奪われたと言うのか……」

『……あー……その……』


 少女の様子に、龍が気まずそうに声をかける。それはどこか、優しげに聞こえる声であった。


『……聞かせてくれねえか。お前に、一体何があったのか』

「……聞いたところで、今更何になる」

『確かに何にもならねえな。だが俺には、それを知る義務があると思った』

「……」


 その言葉に、虚ろな虹が僅かに揺らぐ。少女はしばし無言のままだったが、やがてぽつりぽつりと語り始めた。



 揚羽(あげは)という名のその少女は、小国の姫君として生を受けた。

 揚羽の両親は大らかで、男児に混じって刀を振るう揚羽の事を優しく見守った。歳の近い兄だけはそんな揚羽をよく諌め、それが原因で喧嘩に発展する事も多かった。

 ののという乳姉妹がいた。揚羽とは対照的な大人しい娘であったが、本当の姉妹のような仲だった。気の強い揚羽も、彼女を怒らせた時だけは全力で謝った。

 隣国の城主の嫡子である佐内(さない)秋吉(あきよし)とは、産まれてすぐに許嫁となった。恋愛感情こそなかったが関係は良好で、彼を妻として将来支える事に何の不満もなかった。

 所詮は小国の姫、暮らしはそれほど豊かな訳ではなかったが、揚羽は幸せだった。こんな暮らしが、ずっと続くのだと思っていた。


 だが十六の誕生日を境に、揚羽の運命は急転する。


 十六になったその日、揚羽は高熱を出し意識を失った。熱は三日三晩下がる事はなく、皆が揚羽の回復を心から祈った。

 そうしてようやく、揚羽が目を覚ました時。


 揚羽の左目の色は右目と同じ黒から、鮮やかな虹色へと変わっていた。


 そこから先はあっという間だった。

 父親はこの事を秘匿しようとしたが、『龍神の花嫁が現れた』という噂はすぐに大陸全土へと広まった。

 始めは揚羽を穏便に手に入れようと、あらゆる国々が婚礼を申し入れた。しかし両親は決して、そのどれにも頷かなかった。

 揚羽の両親は、心清き人物だった。何よりも、ただ娘の幸せだけを願った。

 しかしその娘への愛こそが、彼らを最悪の結末へと導いた。

 業を煮やした諸国は結託し、揚羽の国へと攻め入った。唯一秋吉の国だけは揚羽の国に加勢したが、小国二つでは大軍の相手になぞなるはずもなかった。

 最早死は免れぬと悟った父親は、残された力を全て揚羽の為に使うと決めた。揚羽はそれに反対したが、父親を始め、皆の決意を変える事は出来なかった。

 揚羽の影武者としてののが立てられ、秋吉が揚羽を国外へと連れ出す事で話は纏まった。他の者は揚羽の不在を悟られぬよう、最後まで抵抗を続ける事となった。

 出立の前夜、揚羽は問うた。何故自分一人の為に、ここまでするのかと。

 その問いに、皆はこう答えた。


 揚羽がいつかまた幸せを得る事こそが、この理不尽に自分達が出来る最大の抵抗なのだと。


 そう言われ、揚羽は何も言えなくなった。翌朝揚羽は秋吉と共に城を出、国境へと歩を進めた。

 しかし、国境にはどこも厳重な警備が敷かれ。強行突破しかないと、揚羽が腹を括った時。


『——私が見張りの注意を引き付けます。揚羽殿はその隙に国境を』


 秋吉が、揚羽にそう言った。揚羽は当然、首を横に振った。


『何を仰います、秋吉様。あなたまで捨て石になると言うのですか』

『私達の総意は、あなたを自由にする事。それを叶えるならば、それしかありますまい』

『ですが……!』

『……力ではあなたを守れぬ男の、最期の意地です。どうか、聞いてはもらえませぬか』


 そう告げた秋吉に揚羽は悟った。自分にはもう、この人を止める事は叶わぬのだと。

 皆の覚悟を無駄なものにしない為には——己一人、どこまでも逃げ続けるしかないのだと。


『……秋吉様の許嫁で、私は幸せでした』

『私もです。……叶うなら、あなたの花嫁姿が見たかった』


 それが二人が交わした、最期の会話となった。秋吉が囮となり生まれた隙を突いて、揚羽は国外への逃亡に成功した。

 だがそれからも、揚羽の苦難は続いた。左目の事が知れると人々は我先にと、揚羽を捕らえようとした。

 逃亡を重ねた果て、揚羽は決意した。全ての元凶たる龍神を、自ら討ち果たす事を。

 そうして揚羽は、龍の元へとやってきたのである。



 揚羽の話が終わった。重い静寂が、辺りを支配する。


『……人間が、そこまで愚かとはな』


 ようやく口を開いた龍は、深い溜息と共にそう言った。しかしすぐに、小さく首を横に振る。


『……いや、違うな。ここまでの混乱が生まれたのは俺達神々の責任だ。……お前の怒りは正当だよ』

「……私の瞳は何故こうなった」

『それは俺にもサッパリだ』

「……私が……」


 揚羽の瞳に、また涙が滲む。涙はみるみるうちに瞳から零れ、地面をまた濡らした。


「私さえいなければ、みんな死んだりしなかった! みんなみんな、私がいたからっ……!」


 慟哭。これこそが、揚羽の本音なのだろう。怒りと憎しみで包み、今日まで押し殺してきた後悔と自責。

 その小さくなった肩を龍は見つめ、そして。


『……ならいっそ、本当に俺の嫁になるか』

「……え?」


 突然の言葉に、揚羽が顔を上げた。驚きのあまり、涙も止まってしまったようだ。


「……嫁? ……え、は?」

『それが一番いい気がしてな。捧げられた訳じゃねえから当然、千年の加護とかはナシだ』

「いや、待て、え?」

『そうなるとここで暮らす事になるか、なら不足は遠慮なく言ってくれ。何せ人間に必要なモンが、俺にゃ全く分からん』

「だから待てと言っている!」


 龍の言葉を遮るように、揚羽が大声を上げた。その声に、龍の目が少し丸くなる。


『どうした? 大声出して』

「貴様っ……急にそんな事を言われてはいと言えるか!」

『そうは言うがお前、下界じゃもうまともには生きてけねえだろ』

「そ……れは」

『それになぁ……ムカつくんだ。お前がこの先、ずーっと自分を責めながら生きてくなんてのはよ』

「……っ」


 その言葉にまた、揚羽の虹が揺らいだ。戸惑いと不安に満ちた顔で、揚羽は龍を見つめ返す。


『まぁ、後は、アレだ。……一緒にいれば、そのうちお前の笑顔も見れるかも、ってな』

「は!?」


 揚羽の頬が、一気に朱に染まった。その反応は龍が初めて目にした、揚羽の娘らしさであった。


「な、ななな何なんだお前は! 人間を口説くとかそれが神のする事か!」

『え、今の口説いてたか?』

「無自覚か! これだから神というものは!」

『何で怒ってんだ……人間こわ……』


 その剣幕に、龍が僅かに体を後ろに引っ込める。そんな龍を揚羽は睨んでいたが、やがて深い溜息を吐いた。


「……分かった。今は、そうする」

『……そうか』

「貴様の事は何と呼べばいい。……一応、夫婦となる訳だからな」

『俺は堅苦しいのは嫌いだ。金剛(こんごう)と、そう呼べばいい』

「分かった。……金剛」


 そう言った揚羽に龍——金剛は、笑むように軽く目を細めた。



 ——かくて、この日、龍神の婚姻は成立せり。

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