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2-04 百合の嵐〜王太子と王太子妃が仮面夫婦だから離婚させてわたしが主役になります

「王太子妃ローズよ、この俺王太子ヴィクトワールはお前との結婚を破棄する。離婚だ」


 政略結婚で隣国に嫁いだ王太子妃ローズは、離婚を言い渡される。

「王太子殿下と妃殿下は、白い婚姻が条件と伺いました。本当の夫婦じゃないなら、別れてください」

 王太子を奪ったと言い放ったのは、可憐な風情の伯爵令嬢であり親友のリスグラシュー。

「離婚などという世迷い言は聞かなかったことにしてあげます。わたくしたちの別れは戦争ですもの」

 王族の義務として、両国の架け橋であることを選ぶローズ。もし離婚となれば、均衡は崩れ、戦争になりかねない。


 リスグラシューは暗い炎を目に宿し、一人つぶやく。

「国も外交も……戦争なんて知らないわ。あなたを絶対に、ここから追い出してみせる」


 気高い薔薇よ、さようなら。百合の嵐がみなさまを動乱へいざないます!

                                

 初夏の朝露に濡れた薔薇のしっとりした花弁は、優美さもさながら官能的にも見えた。四阿(あずまや)を中心にいくつもの花壇がシンメトリーに配置されている。さまざまな薔薇が咲き乱れ、けぶるように淡い庭は印象派の絵画のようだった。

 この薔薇園(ロズレ)はスタニング・ローズ・オブ・キングダム王太子妃に贈られたものである。ローズ妃殿下のプライベート空間でもある。

 己の砦ともいえる庭で、ローズは目の前の闖入者をしっかと見ていた。背筋をぴんと伸ばし、これぞ王太子妃という姿で口を開く。

「……今、なんと。わたくしと離婚すると聞こえましたが」

 男が――王太子であるヴィクトワールが胸を張り、頷く。

「そうだ。スタニング・ローズよ、この俺ヴィクトワールはお前との結婚を破棄する。離婚だ」

 すがるような風情で隣に立っていた少女をさらに引き寄せ、ヴィクトワールは口を開く。

「俺はリスグラシューのおかげで真の愛に目覚めたのだ。お前とはその場しのぎの外交でしかない。そもそもキングダムと我がルワームの平和なんぞ、ありえん。どうせお前は内側から食い破り我が国に滅びをもたらす。無表情な冷血女など伴侶にしたくない」

 一番最後の言葉が本音に違いない。鹿毛(かげ)のような茶褐色の髪色は、ヴィクトワールの健康美あふれた精悍な顔によく似合う。太陽のまぶしささえある。

 翻ってローズの美しさは夜の月。細い金の巻き毛はいわゆるプラチナブロンドで、陽の光の下でさえ温度のなさを感じさせる。琥珀色の瞳は、太古の昔を閉じ込めた宝石のようである。が、嫁ぎ先の異国で『狼の目を持つ女』と言われていることをローズは知っていた。

 狼そのもののように険しくにらみつけるローズの視線は、王太子だけでなく傍らの少女にも注がれている。少女、リスグラシュー・クリドゥクール伯爵令嬢は射すくめられるように怯えた素振りを見せたあと、果敢にも顔を上げ、まっすぐにローズを見据える。

「王太子殿下と妃殿下は、白い婚姻が条件と伺いました。成人するまで……ど、同衾せぬ誓い、と。本当の夫婦じゃないなら、別れてください。わたしはヴィクトワール様と愛し合いました。ラマンシュの海を越え、お帰りになって」

 そう言い放つと、リスグラシューはヴィクトワールの腕をそっとつかみ、その体を添わせた。それだけで、『愛し合う』の意味がわかろうものだった。

 リス……。リスグラシュー。黒く豊かな髪は白い肌を強くひきたて、名の通り優美な百合を思い起こさせる。少し幼さの残る顔は庇護欲をかきたてるに十分だった。

 ローズも庇護欲に引っ張られた一人と言えた。王妃のサロンの部屋のすみ、うつむいているリスグラシューに声をかけたのだ。

 ――あなた、お名前は。

 王太子妃が王妃のサロンで最初に声をかけたのはつまはじきの伯爵令嬢だった。つまり、友となるという宣言である。その小さな肩があまりに寂しそうであったから、というのは欺瞞だったろう。ローズも独りだった。異国(・・)で一人で佇むローズこそが寂しかったのだ。

 リスグラシューは、ローズの独りよがりを嘲笑うかのように敵愾心をこめた目を向けてきている。

「……親愛なるリスグラシュー。わたくしがここにいるのは愛のためではないのです」

 ヴィクトワールが嫌そうな顔をした。リスグラシューの顔は敵愾心をあらわにしたままだったが、虚勢が見えた。

「ヴィクトワール殿下。わたくしとあなたの関係は外交の一環です。両国の平和と互いの興隆のあかし。離婚などという世迷い言は聞かなかったことにしてあげます。わたくしたちの別れは国の別れ、すなわち戦争ですもの。真の愛にお目覚めになったのでしたらけっこう。わが父もこちらの国王陛下もおおやけに愛人をお持ちです。それにならうのならご自由に」

 そう言って、見事な一礼を見せると、ローズは後ろを向いた。拒絶そのものの姿であった。彼女は王太子妃として完璧すぎる貴婦人である。春の終わり、夏が近づくこの季節でも首筋まで隠れるハイネックは薄折の紗で、袖も布で幾重も重ねられ肌は見えない。ドレスさえ拒絶を表していた。

「ち。行くぞ」

「そんな、ヴィクトワールさま、お約束は」

 足早に去るヴィクトワールにリスグラシューが引きずられるように連れられていく。ローズは耳をふさぎたかったが、耐えた。

 人の気配が消えた庭で、ローズはようやく息を吐き、四阿に置かれたテーブルに手をついた。

「ああ、リス。あなたはいつから……」

 うつむき加減の少女とローズは少しずつ心を通わせ、もはや二人は親友だった。少なくともローズはそう思っていた。政略結婚で常に値踏みされ王妃のサロンで鎧をもって挑んだ日々の中、リスグラシューはローズにとって心の拠り所でもあった。

 ――スタローさまはわたしにとって、お姉様のようです。

 僭越な言葉ですが、と頬を染めながら必死に好意を伝える少女にローズは微笑んだものだった。あれも、詐術だったのか。

「この国で、わたくしの愛称はあなただけのものよ、リス。でももう、聞けないのね」

 妃殿下、という声に氷の響きを感じ、ローズはうつむき続けた。枯れゆく薔薇のように。


「わたしはヴィクトワールさまと結婚できないんですか! わたしまで日陰の身だとますますクリドゥクール伯は淫売の家と言われてしまう」

 わ、と子供のように泣き出すリスグラシューに、ヴィクトワールがあやすように体を撫でた。薔薇園から抜け出たそこは、王宮にあるポプラ並木であった。薔薇園は王太子妃の許可がなければ一歩も入れないが、こちらは王宮に通う誰もが行き来できる。

 そんな場所であるから、ちらほら人はいたのだが、王太子と女性の愁嘆場を目の当たりにしてそそくさと立ち去っていった。

「リスグラシューの家が淫売など誰が言うもんか」

「王宮に来る貴族、みな言ってます。子供だましの慰めなんて辛いだけ」

 ヴィクトワールの適当な慰めにリスグラシューは呻くように言った。この伯爵家は破産寸前で富豪の地主を婿に迎え息をついた。それだけの話なのだが、カネで民に娘を売った家と陰口を叩かれ、その娘は社交界で浮いていた。令嬢に開かれた、王妃を中心としたサロンはさまざまなコネクションを作る場でもあるが、それどころではない。リスグラシューが当世流行の良いドレスを着ていただけに惨めさが際立った。

「わたしはあなたの正式な妻となりたいのです。愛人なんて嫌。あの人を、ローズ妃殿下をキングダムへ追い返してください」

 涙を浮かべ、ヴィクトワールにしがみつくリスグラシューは、いじらしささえあった。ヴィクトワールは優しくその肩を撫で、

「母上に相談してみよう」

 と言って、立ち去った。女に頼られた男の自信が見て取れる背中であった。

 リスグラシューはその背を虚洞のような目で一瞥したあと、ヴィクトワールが撫でてきた肩を拭うように何度も払った。実際、汚らしいと彼女は思った。

 くだらない男。処女と引き換えに、さらにそのくだらなさを知った。猿のように何度も請い、あの女は体を許してくれないと愚痴る。王太子も父も女を搾取する意味では変わらない。

 ――山百合のように俯くあなた、お名前は?

 あの日の差し伸べられた手を思い出し、リスグラシューは本気の嗚咽を漏らした。琥珀の中に確かな慈しみのある、もっとも美しいスタニング・ローズ王太子妃殿下。リスグラシューは彼女に名を問われ、最も近い友となり、生まれて初めて幸せを知った。

 ……ローズの腕には痣があり、首筋に絞められた跡を見た。薔薇園でヴィクトワールがローズを殴っているのを見てしまった時、リスグラシューの幸せな世界は壊れた。

 気高いローズは傷跡を化粧で覆い隠し、慎ましやかな肌を見せぬドレスでその潔癖を表す。リスグラシューにさえ憂いの顔を見せず、逆に励ましてくる。

『スタローお姉様は異国でお辛くないですか。わたしにできることはないでしょうか』

 ある日、リスグラシューは、せめて力になりたいと、暗に相談にのるという意味で必死に尋ねた。

『ありがとう、リス。わたくしが辛いだなんてあってははならないわ、あなたがいますもの。それにキングダムとルワームがより良い関係になりますのよ。大切なお役目を果たせるわたくしは幸せものです』

 ローズが意識していたかどうか。彼女はリスグラシューの気づかいを完全に拒絶した。建前こそが大切なのだと言う。

 その時、リスグラシューはローズのために全てを捨て祖国へ帰そうと決意した。体や名誉はもちろん、国や家族がどうなってもいい。ローズの親愛さえ失っても良い。

 ローズはリスグラシューに他意なく接し、無償の愛とも言える慈しみと友情で幸せをもたらしてくれた。リスグラシューのローズに対するものは無償ではない。もらった全てを何倍にして返す。恩返しと言えなくともないが粘性の情愛が確かにあった。

「国も外交も……戦争なんて知らないわ。スタローお姉様、あなたを絶対に、ここから追い出してみせる。薔薇の姫は薔薇の国で幸せになるの」

 リスグラシューは薔薇園の佳人を思い出しながら、強く呟いた。

 彼女の一言から始まるこれを、ヴィクトワールの変という。が、世間では『百合の嵐』のほうが馴染み深い。優美な百合の美しくも歪んだ愛の、亡国物語として。

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