2-25 その恋、叙述トリックですか?
作家志望のボクこと荒牧真琴は、力試しと文章修行のため、書き出し祭りにエントリーする。鳴かず飛ばずだったこれまでの戦績を真琴なりに分析し、今回は叙述トリックを盛りこみ意外性で挑むことにする。
大学で執筆していると、友達以上恋人未満と勝手に思っている山賀愛がやってくる。真琴の原稿に目を通すと、愛は呆れたような声を出した。「またアイとマコトなの?」真琴はついつい主人公に自分と愛の名前をつけてしまうのだ。「ま、好きだからいいけどさ、真琴の小説」
愛の言葉を追い風に執筆を続けていると、作中のアイとマコトが想定以上の話をしだす。キャラが勝手に動くってこういうことか、と感心していると物語の中のアイから話しかけられた。「ハッピーエンドにしなかったら呪うからね」
交錯し始める物語と現実。アイとマコトと真琴と愛の織りなすおかしな四角関係。真琴の仕掛けた叙述トリックとは。
【「じぇ、じゅじゅちゅとりっく?」
「アイ、全然言えてないわよ。ここで指摘されているのは叙述トリック」
「きゃう~ん! マコトちゃん、すごい。どうしてそんなすらすら言えるの? 女子アナみたい!」】
会話文から始めるのはボクの手癖だけれど、動きのある書き出しになるからこれはこれで正解。しかも重要な情報を盛りこんである。
主人公二人の名前も入れたし、女子アナって露骨なキーワードで性別もわかる。でも、マコトは男にもつけられそうな名前だし、女子アナみたいな男子がいる可能性もゼロではないから、念のため地の文で補足は必要かな。マコトちゃんはもちろん女の子。
この書き出し、作品テーマを冒頭に持ってきたところがボクとしてはヒットなんだよね。
叙述トリック。
そう、ボクは今回、叙述トリックに挑む。
書き出し祭りにはもう五回以上エントリーしてるし、そろそろ上位に食いこみたい。異世界ものの方が人気は出るのかもしれないけれど、時々ミステリっぽいのが票を獲得しているし、何よりボクが書きたいと思ったから。今回は意外性で勝負する。
って、地の文みたいなことを頭の中で考えているけれど、これもボクの癖。誰に聞かせるわけでもないのについつい頭の中で語ってしまう。一人暮らしになってから独り言が増えたんだよね。
本当はフォントでも変えて、これはボクの頭の中の独り言ですよー、って分かるようにしたいところだけど、現実世界でフォントがどうとか言いだしたらさすがにやばいやつだからね。それはわかってる。フォントがダメなら、例えば小説本編は【 】で囲うとかするとよいのかなあ。フォントを変えるのも叙述トリックで使えそうだよね。
おっと、独り言ばっかり捗って、本編のこと全然考えてないや。もし、これが地の文になった書き出しだとしたら、文句なしに落第だね。
「完全に他のこと考えてる顔になってるけど、小説書いてたんじゃないの?」
急に目の前から声をかけられて、驚いて顔を上げる。
テーブルの向かい側の席に、今日もシンプルにまとめられた服装で、今からニュースを読み上げるような女子アナ然とした麗人の姿。
「あ、愛さん、いつからそこに?」
「ボクは今回、叙述トリックに挑む、あたりから」
「フォント変えてないのにどうしてボクの頭の中が分かるの?」
「いや、真琴さ、ちょこちょこ口に出して言ってるから。聞いてるこっちが恥ずかしくなるから気をつけた方がいいよ」
勘のいい読者ならすでにお気づきかと思われるけれど、作中のアイとマコトは、愛さんとボクの名前から取っている。性格や外見は逆にしているのだけど、どうしてそんなことをしているかというと、
「いや、だから口に出てるって」
「うわ、ホントだ! 指摘されると思った以上に恥ずかしい!」
照れ隠しにグラスに残っている水に口をつける。ボクは大学のカフェの水が大好きだ。こんな美味しいのにタダだから。
「で? 今度はどんなの書いてんの?」
そう言って愛さんは、するっとボクの手からスマホを抜きとっていく。怪盗のセンスがありすぎる。これまでに盗られた一番大きなものはボクの心です。
「また、アイとマコトなの? ま、いいけどさ。でも今どき、~わよ、なんて言う女、見たことないよ。きゃう~ん、とかも絶対言わないじゃん」
「きゃう~ん。愛さん、それは役割語って言ってキャラクタを分かりやすくするためのテクニックなのじゃよ。ほら、じゃよ、とかつけるとおじいちゃんの博士っぽくなるでしょ? ~でござる、とかもそうだし、語尾に、にゃん、をつけるだけでも他のキャラと区別できるでしょ?」
「登場人物全員、前世がネコだったらどうすんの? で、一人だけ生粋の人間が紛れこんでるんだけど、自分も前世がネコだって擬態してる設定」
「そ、そういう時はさ、にゃんじゃよ、とか、にゃんでござる、とか言うんだよ、きっと。ってか、その設定、面白そうだな」
しどろもどろになるボクにスマホを返しながら、「ふーん、ま、がんばってね。できたらまた読ませてよ。真琴の書く小説、好きだからさ」と、天然ジゴロなことを言う。
ボクの飲んでいたグラスの水をぐっと飲みほして、席を立つ。
「じゃ、わたし三限あるから行くね。真琴は授業いいの?」
「きゅ、きゅ、休講」
間接キスだ、と中学生じみた動揺を隠しながら、颯爽とした後ろ姿を見送る。颯爽って漢字ほど、愛さんに似合う文字はない。
勘ぐり深い読者のために付記しておこう。愛さんもボクも純粋な女子大学生であり、授業をする側ではない。
まあ、勘ぐり深い読者って、愛さん以外にはボクの脳内にしかいないんだけどね。
今は、まだ。
◇◇◇
【「いい? 叙述トリックを仕掛ける対象は読者なのよ」
マコトは牧師になったような気持ちでアイに語りかけた。
「いわゆるミステリ小説で使われることが多いけれど、ミステリに限らず色んな小説で使われているわ。叙述トリックは作者によって仕掛けられた読者を欺くための文章技術のことなの。だから叙述トリックで人を殺すことはできない」
アイはきょとんとした顔でマコトの話を聞いている。この顔はたぶんきっと理解できていない。この迷える子羊をどうやって導いてあげようか。
「浅はかな叙述トリックを使っている小説を読んだ時は、作者に対して殺意のような感情が浮かんでくるから、そういう意味では叙述トリックで人を殺すこともできるのかもね」
アイの顔のきょとんが二乗になる。アイがマイナス1になってしまう前に、話題を変えた方がよいかもしれない。】
うーん、ちょっとマコトに語らせすぎかな。
ボクはポメラのキーボードを叩く手を止めて、画面から目を外した。物語の海底から浮上して、現実世界で呼吸する。
そんな地の文が頭に浮かぶ。それを口に出してしまっても、ここは大学から徒歩五分、家賃七万三千円の1DK。部屋にはボクしかいないから、どれだけ独りごちても誰にも聞かれない。
アイのきょとんが二乗でマイナス1って、虚数iのことなんだけど、分かってもらえるかな。虚数を二乗するとマイナス1になるって一般的だよね? 専門知識じゃないよね? 自分が知っているから大丈夫ってのは危ないから、虚数はいつ習うのか、あとで調べとこ。
【「明かされた時にそれまで見えていた世界が反転するくらいじゃないと叙述トリックとは認めないわ」
「どういうこと?」
アイの分からないなりに理解しようとする姿勢はとても愛らしい。アイっぽいという意味ではなくて、かわいらしいという意味で。
「単に性別や年齢を誤認させるだけじゃ価値がないってこと。トリックが明らかにされた瞬間、それまでのなにげない描写が重要な意味を持つようになったり、全然違う意味を示すようになったりして、読者の心にトラウマとも言えるような強い爪痕を残すのが真の叙述トリックなの」】
いや、話題変えるんじゃなかったの?
真の叙述トリックとか言っちゃって、ボクってばハードル上げすぎだよ? ここまでマコトに言わせるつもりはなかったんだけどな。ついつい筆が滑っちゃったかも。キーボードだけど。
【「ねえねえ、マコトちゃん。そろそろわたしの順番じゃない? マコトちゃんのかわいさと頭のいいとこアピールさせて」
そう言ってアイは、フリルのついたブラウスの袖のボタンを外して、腕まくりした。どんな意味があるのかよく分からないけれど、やる気はおおいに伝わってくる。
「作者に任せておいたら、延々と叙述トリックについて話して終わりになっちゃいそうだからさ」】
作者とか言っちゃって、メタなセリフも叙述トリックによくあるけど、こんなことアイにしゃべらせる予定もなかったんだけどな。もしかして、これが噂の『キャラが勝手に動きだす』ってやつ? あー、ついにボクもその領域に踏みこんじゃったか。やったね。キャラが動きだしたらその勢いは殺さずにどんどん突き進んで、冗長なところはあとから削ればいいって先生が言ってたな。
【「残念ながらこの作者は色々経験不足みたいだから、私たちがリードしてあげないとダメみたいね」
「それってあれでしょ! 作家は経験したことしか書けない説!」
「普通の作家なら、きちんとした調査や取材と比類なき想像力で、未経験のことも作品に昇華させられるんだけどね。私たちの残念作者にはそこまでの力はないみたいね」
「大好きな相手が同性だからってしりごみしてるようじゃねー」】
おかしいな。
ボクはこんなこと、書こうと思ってない。
キャラが勝手に動きだすなんてレベルじゃなくて、強大な力に指が乗っ取られた感じ。まるで呪いでもかけられたみたいな。
【「そうよ。私とアイのこと、ハッピーエンドにしなかったら呪うからね」】
なんかボクと会話しているみたいになってるけど。
【「会話みたいっていうか、会話そのものだよねー。ホント理解力も対応力も低いなぁ。作家は自分より頭のいい人物を書くことはできない、っていうのも間違いだって証明できたね」】
ねえ、これってどういうこと?
【「どうもこうも、見たままよ。あなたの創りだした私たちアイとマコトが、自分たちの手で私たち自身の物語をハッピーエンドにするため、あなたに力を貸してあげるわ」
「今ならサービスで愛さんへの恋慕も取り持ってあげちゃうよー】
ボクの頭がおかしくなったのか、それとも夢を見ているのか。
叙述トリックと銘打って、実は多重人格でしたとか、夢オチだけは絶対しないって決めている。
でも、この状況を解決できて、しかも納得性の高い叙述トリックなんて、本当にある?