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2-22 禁断の想

 明るく元気な女子生徒、藤河浅香。

 その裏に深い闇を抱えていると気づきながらも、高校教師の高本佳祐は深く踏み込むべきでないと自分に言い聞かせていた。

 しかし、孤独と絶望の中で助けを求める彼女に対して想いが募り、やがて一線を越えてしまう。

 愛してはいけないと知りながらも、想いは止まらなかったが、すれ違いと社会の目に追い詰められていく中で、高本はやはり駄目だと言い聞かせ藤河を遠ざけた。

 するとある日、高本のもとに藤河が自殺を図ったと情報が入る。

 見つかった遺書に書かれた『高本先生に愛されたい』という、たった一行。それが藤河のすべてであり、高本の首は余計に締め付けられた。


 禁じられた想いは、愛なのか、それとも罪なのか。

 教師として、人として、男として。

 正しさと想いの間で揺れたひとりの男の、苦くも切ない人生の記録。

 高台にある普通科高校の正門には、満開の桜が咲き誇っていた。

 風が吹き、桜の花びらが舞い上がる。青空に浮かぶ桃色を眺めながら、新しく始まる新学期に期待を抱いた。

「高本先生、おはようございます!」

「おはようございます!」

 元気いっぱいの生徒たちに手を振りながら、僕は職員玄関へ足早に向かう。

 教師生活、9年目。また今日から、希望に満ち溢れた1年が始まる。


 新学期の職員室は慌ただしかった。

 新任教師の指導や、始業式の準備、新しく受け持つクラスでの段取りなど、やることは数えきれないほどある。

 僕は1年生と3年生に数学を教える傍ら、3年1組の担任を受け持つことになった。高校3年生といえば、大学受験や就職活動など、生徒も担任も大変で大切な時期だ。3年を受け持つこと自体は初めてではない。ただ、久しぶりの大仕事にすこしだけ緊張をしていた。

「高本先生、今日からお願いします」

「田中先生。こちらこそ、よろしくお願いします」

 丁寧な挨拶をしてきてくれたのは、3年1組の副担任を受け持つことになった田中先生だ。現在31歳の僕よりも遥かに年上で、ベテランの国語教師である田中先生は、心から信頼のできる人である。

 僕は軽く頭を下げて、自身のデスクと向き合った。そして、真新しい3年1組の出席簿を開く。綺麗な紙には35人の生徒の名前が印字されていた。


「はい、席についてください!」

 騒がしい教室に一歩踏み込むと、生徒たちは大人しく席に座り正面を向いた。

 見慣れた生徒が輝く瞳で僕の方を見つめてくれる。この瞬間が、何物にも代えられないくらい、教師としての幸せな時間だ。

「安達くん。号令をお願いします」

「はい。きりーつ」

 その掛け声に合わせて、みんなが椅子から立ち上がる。そうして安達くんが「気を付け、礼」と言葉を継ぐと、一切揃わない礼と共に、「おはようございます」と教室全体から声が上がった。

 その後、僕は出席簿を開いて、番号順に名前を呼んでいく。生徒たちの名前を呼びながら顔を見る。担任ならではの特権が、僕は大好きだ。

「次、藤河さん」

「……」

「藤河浅香さん」

 他の生徒の陰に隠れて気が付かなかったが、よく見ると席がひとつだけ空いていた。その席こそ、返事のない藤河浅香の席である。

「休みとは、聞いていませんね」

 疑問に思いながら出席簿にバツ印を記入し、次の人の名前を呼ぶ。

 確か、2年生の時もこういうことがあった気がする。無断欠席が多くて、当時の担任も頭を悩ませていたのだ。

 親も子供に関心がないとか。それで、児童相談所が絡む事態に発展したこともある。

 厄介な子を引いてしまった。そう思ってしまう自分に嫌気が差しつつも、彼女の対応について先輩教師からいろいろと聞いておこうと、心に決めた。


 始業式とロングホームルームを終え、職員室で一息をついた僕は、生徒から回収した提出書類や宿題を確認していた。

 たったひとり、藤河浅香だけ未提出。

 朝の点呼後、僕は職員室に戻って藤河の個人名簿を開き、自宅に何度も電話を掛けてみた。だが呼び出し音が鳴り響くだけで、何度掛けても繋がることはなかった。

 緊急時のみ、生徒個人の携帯電話への連絡が許されている。僕は教頭に確認を取り、今度は藤河浅香本人に連絡をした。

 しかし、そちらは呼び出し音が鳴ることなく、無機質な女性の声が淡々と聞こえてくるだけだった。

「……高本先生」

「はい」

 急に聞こえてきた暗い声色に、つい背筋が伸びる。

 背後から近づいてきた保健医の生駒紗香先生は、すこしだけ深刻そうな表情をして、僕の顔を見つめていた。

「高本先生、藤河さんが来ました」

「え、登校して来たってことですか?」

「そうです。ただ、ちょっと……」

 切れの悪い言葉を吐き出しながら、目を伏せる様子が気になる。

 言えない理由があるのかと深く問うと、「保健室まで来てくれますか?」と生駒先生は言葉を継いだ。


 職員室を出て、同じ棟の1階にある保健室へ向かう。その道中も生駒先生は無言で、何やら不穏な気配がしていた。

 藤河に何かあったのだろうか、そう頭では思うものの、その疑問を口にすることはできない。

「どうぞ、高本先生」

「失礼します」

 生駒先生に導かれ、保健室の中に入る。恐る恐る室内を見回すと、勢いよくベッドを囲むカーテンが開き、「生駒先生!」と保健医の名を呼ぶ元気な声が聞こえてきた。

「藤河さん、新しい担任の先生がきましたよ」

「え、私の担任って高本先生なんですか!?」

 えんじ色のネクタイを緩く締めて、制服をすこしだけ着崩している女子生徒の姿に、僕は見覚えがあった。その生徒はカーテンをすべて開き、脱いでいた上履きを身に着ける。

 彼女こそ、僕が何度も連絡をした藤河浅香だった。藤河は明るい声色で僕に声を掛けて、飛び跳ねるようにこちらへ向かってくる。

 ただ、どうしても彼女の顔が気になってしまった。

「え、顔……どうしたのですか?」

「えへへへへっ!」

「えへへ、ではなくて……何かあったのですか?」

「秘密」

 藤河の左目は赤黒く腫れ、頬は軽いみみず腫れのような感じになっている。

 彼女は笑っていた。

 けれど、その様子はとても笑えるものではなかった。

「生駒先生、病院に連れて行った方が……」

「できる限りの応急処置はここでしたのですが、病院となると保護者の付き添いが必要になります。でも、いくら連絡をしても、電話に出ないのです」

「私の両親なら電話に出ないよ。学校の電話番号、着信拒否でもしているんじゃない?」

 すこしだけ開いた窓から、春の爽やかな風が入ってくる。

 僕の目の前でお腹を抱えて笑う藤河の様子が、とにかく異常に思えた。

「笑いごとではないですよ……」

 生駒先生は小さく溜息をついて、僕の顔を困ったように見つめる。

 これが、児童相談所が絡む事態にまで発展した要因。子供に無関心な両親が、藤河のすべてなのかもしれない。

「ねー、高本先生。私、昼から授業に出るよ。今日の科目は何?」

「今日は休み明けテストです。昼からは社会と国語だったと思います」

「えー、テストかぁ。生駒先生、やっぱりここで過ごしてもいい?」

「別にいいですけど……」

 大袈裟に喜んだ藤河は、保健室の中央に置かれた椅子に座り、通学鞄から小説を取り出した。難しそうなタイトルの表紙が意外すぎて、つい目が奪われる。

 ところで、顔は痛くないのだろうか。そのような心配すら言葉にするのを躊躇った。

 そのくらい、彼女の態度は〝普通〟であった。


***


「高本先生、さよならー」

「はい、さようなら」

 新学期初日を終え、放課後となった校舎内では、吹奏楽部が奏でる楽器の音色が響いていた。

 職員室前の廊下から外を眺めて、楽しそうに帰っていく帰宅部の生徒たちを見る。その一方で、僕の脳裏には藤河の姿が焼き付いて離れなかった。

 結局、藤河はほんとうに保健室で過ごしていた。

 生駒先生によると、読書をしたり予習をしたりしていたようだ。

 いろいろと問題のある生徒だが、実は成績だけは優秀だった。

 今回のようにテスト自体を受けないことも多々あるが、根は真面目で勉強家。学年順位も1桁台で、問題さえなければ完璧で優秀な生徒らしい。僕はその情報だけを取り急ぎ、引き継いだ生徒資料からインプットした。


 仕事を終えて、学校から家への帰り道でのこと。

 電車通勤をしている僕は、学校から駅まで徒歩で向かう。その道中、見慣れた制服を着た人がひとり、街路灯にもたれかかって立ち尽くしていた。

 頭からキャラクターの描かれたタオルを掛け、それを顔の左側に流している。何もせずに、呆然とアスファルトを眺めているその人に、僕はすこしずつ近づいた。

「……藤河、さん」

「……」

 小さく名を呼ぶと、顔を上げた藤河は冷たい目で僕を睨んだ。けれど、〝僕が誰なのか〟を理解したのだろう。藤河は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべて、その後すぐに笑顔になる。

 いつもの笑みだった。だがその表情は、無理をして取り繕っているようにしか見えない。

「えー、高本先生!? こんなところで何をしているの!?」

「帰宅です。藤河さんこそ、どうしたのですか?」

「私はねー、人を待っているみたいな。でも来ないから帰ろうかなー、みたいな。えへへへ」

 待ち合わせ場所にしては、あまりにも暗すぎる。それこそ陽が落ちると、人もそれほど通らないであろう。そのような場所で待ち合わせる、その相手とは――。

「……藤河さん、電車通学ですよね。駅に向かいますか?」

「うーん、えへへへ」

「……」

 笑って誤魔化すのは彼女の癖だと思った。

 これまでは数学の授業でのみ関わったことがあったけれど、当然だがここまで関わったことはない。今日初めてそれに気が付いた。

 そして、その笑いには藤河の本心が隠されている。

「藤河さん。誰と待ち合わせをしているのか分かりませんが、早く帰ってくださいよ。さらに夜が更けると危ないですから」

「分かっているよ! あ、そうだ先生。私、明日は教室に行くから!」

「え?」

「じゃーねー!」

 藤河は頭から掛けたタオルはそのままで、僕に両手を振りながらその場を去っていった。

 その方向は駅とは真逆だ。だが、それを彼女に問うのも違う。

「……結局、顔はどうしたんだろう」

 聞きたかった。だけど、聞けなかった。

 あまりにもいい笑顔を浮かべる藤河に対して、その怪我の理由を聞くことができなかった。

 踏み込みたくない、だけど気になってしまう。

 藤河に対してどのように接するのが正解なのか。僕はそれを考えながら、重い足取りで駅に向かった。

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