2-19 半端なルゥはドラゴンスレイヤーと暮らしている
とある事情から村の人々に嫌われている半端な子、ルゥ。
故郷をドラゴンに滅ぼされて、ドラゴンスレイヤーとして名を馳せた居候のおっさん、ケンゾー。
そんな二人の、日常ドキドキスローライフ?
床に叩きつけられた木の器が真っ二つに割れた。
それを割った張本人であるルゥは癇癪に身を任せて、家中に響き渡る叫び声を上げる。
「イヤだ! こんなみすぼらしい食事なんて、食べたくない!」
それに応えるのは、お玉を片手にした居候のケンゾー。今年四十歳を迎えるというケンゾーは、ボサボサの焦げ色の髪に燈色の瞳に髭面。大きな体に似合わない生成りの生地に黄色い花柄のエプロンをしている。村の人に譲ってもらったそうだ。
「うるせぇ。口答えせずに食べろ!」
鍋のスープをよそう直前だったからか、食材の散乱は免れられたものの、せっかく作った食事に難癖つけられて機嫌が悪くなっているのがわかる。
それでもルゥは、堪忍ならなかった。
冬に入ってからすぐの頃はまだよかった。
毎日と言わずとも一日おきに肉料理があったのに、なぜか冬の深まってきたこの頃になってから、ずっと豆のスープと麦のパンの日が続いている。
「毎日、豆豆豆豆……豆のスープばかり! わたしは成長期なんだぞ! そんなものでお腹がふくれるわけない! 肉を食べさせろ!」
「その肉がねぇんだよ! 今は冬でほとんどの動物が冬眠しちまってるからな。おまえが秋に狩りをサボるから悪いんだろ! 恨むべくは、おまえの怠惰だ」
ケンゾーの言っていることはもっとも。
秋の頃、ケンゾーに狩りに行けと言われても、いまいちやる気が起きなかったから狩りをサボった。
そのツケが回ってきているのは、ルゥも知っていた。
今は冬だし、外は雪が降っているし、動物は冬眠しているかほとんど隠れていて姿を現さない。モンスターもルゥがいる森にはほとんど近寄らないし。というかほとんどのモンスターはマズくて食えたものではない。
それでも成長期のルゥにとって、毎日豆のスープでお腹は膨れない。
味付けもいつもと同じ塩辛いだけのスープだし、そんなもの食べるぐらいなら雪をほおばったほうがマシだ。
口を尖らせると、ルゥはフンっと鼻を鳴らした。
ケンゾーが自分の頭をガシガシと掻く。最近鏡を見ては、頭髪の確認をしていたからてっきり薄くなってきているのが悩みなのだと思っていたのに、そんなことをしたら毛が抜けるんじゃないか。いや、むしろ抜けろ。ハゲちまえ。
そんなルゥの心の声が聞こえたのか、頭を掻く手を止めるとケンゾーはお玉を鍋に戻した。
「もうめんどくせぇガキだな。スープ食わねぇなら飯は抜きだ。働かざる者は食うべからずというからな」
「……居候のくせに」
「その居候に家事全般押し付けて、日がな一日ダラダラしているのはどこのどいつだ?」
「だって、ルゥ、まだ十歳だし」
「うるせぇ、見た目通りの年齢じゃないくせに」
ルゥは銀色の長髪に赤眼の少女だ。見た目はまだ十歳と言ったところだが、歳は人間の成長とは少し違うので、実際の年齢はもう少し上。それでもケンゾーよりは子供。正確な年齢はルゥ自身もわかっていない。
「とにかくスープを食うのか、食わないのか。どうするんだ?」
ルゥが割った器を片付けたケンゾーが、食器棚から新しい木の器を取り出す。
器に豆のスープをよそって、机の上に置いた。
スープに浮かんでいる豆と野菜くずのようなものを眺めて、空腹から喉の奥がゴクリと鳴る。が、ルゥはやはり堪忍ならずに癇癪を起こした。
「食べないもん! ケンゾーのおたんこなすのあんぽんたんのばっかあああああ!」
もう、ケンゾーのことなど知ったことではない。
ルゥは家から飛び出すと、姿を変えて空高く飛び立った。
ルゥは、人間とドラゴンの間に産まれた。
詳しい経緯はわからないが、ドラゴンの瘴気を浴びた娘が妊娠して産まれたのがルゥだった。
母は、ルゥが三歳ぐらいの時に亡くなった。ルゥが産まれた時にすでに弱っていたそうだ。村の人たちが「可哀想だよ。ドラゴンのせいで」と呟いていたのがルゥの記憶にこびりついている。
ルゥは村の人々から嫌われている。
肌には竜の鱗があって、鋭い牙に爪を持っている。いくら人間の姿を真似ていようと本物の人間にはなれない。
ルゥは、人々の視線から逃れるために森の中にある木の屋根の家で暮らしていた。
そんなある日、ルゥのもとにやってきたのがケンゾーだった。
彼の名声は辺境のこの村にまで伝わってくるほど高かった。
曰く、ドラゴンを殺せる唯一の人間だと。
ケンゾーは故郷をドラゴンに焼かれて、一人生き残ったという過去がある。
ドラゴンを殺すためだけに力をつけ、ドラゴンを殺すためだけに旅に出た。
そして二十年ぐらいドラゴンを殺し続けて――。とうとうこの村にまでやってきたのだ。ルゥを殺すために。
だけどルゥは幼い娘の姿をしていた。
それを憐れに思ったのか、ケンゾーは自分が面倒を見ると言い出したのだ。ドラゴンスレイヤーの自分がいれば、ルゥが暴走した時に止められるだろうと村人を説得して。
それからまだ一年ほどだけど、口が悪いながらも、なんやかんやルゥのお世話をしてくれている。
本物の竜と比べると、ルゥはまだ小柄だ。人間としても、ドラゴンとしても子供だから仕方ない。とはいえ、本物のドラゴンの力も持っている。
ドラゴンのときの姿は蜥蜴よりも頑丈な白銀の鱗に覆われていて、爪は生き物を切り裂けるほど長く鋭利。尻尾は先端に向かって細長くなっていて、先端は炎を灯している。
炎のドラゴン――ファイアードラゴンとしての特徴を持っているルゥは、ひとたび怒ると全身が真っ赤に染まり、触れると火傷どころではすまない熱を持つ。口からも炎を吐くことができる。
ドラゴンはそこにいるだけで、モンスターなど魔力が感じられる存在にとっては脅威だ。
ルゥがいる森にはほとんどモンスターが寄りつかず、村人はモンスターの脅威に怯えずに済んでいる。だからケンゾーが村に訪れるまで、村人はルゥのことを恐れて毛嫌いしておきながらも、剣を向けてくることはなかった。
だが成体になればいくら人間の姿をして人間の言葉を喋るルゥでも、手が付けられないモンスターになるかもしれない。それを恐れて、村人はドラゴンスレイヤーであるケンゾーに助けを求めたのだ。
ルゥは居場所がない。
だから空高く飛んで、遠く離れたところに行って人に紛れようとしても、こんな見た目ではきっとまた同じように嫌われるだけだろう。ドラゴンも半端なルゥのことを受け入れてくれるはずがない。
「お腹、すいた……」
ルゥはしばらく上空を飛んでいた。
木々には雪が降り積もり、ドラゴンの鱗が無ければ、きっと極寒の寒さを感じているだろう。木の家はルゥの魔法で温かいが、しばらく家を空けているから魔法ももう解けているかもしれない。そうしたらケンゾーは、凍え死ぬのではないか。
「……っ、そんなの自業自得だ!」
翼で空を切り、また高く飛ぶ。限界まで高く、高く――。
ふっと、力を抜く。
ドラゴンの身体は重力にしたがって、下に落ちていく。
どんどん、どんどん。
落ちて落ちて――。
地面が見える前に、翼を広げた。
再び飛び上がると、遠くに煙が見えた。
森の中だ。煙突の煙かと思ったが、先ほど遠目で見た煙はもっと細長かった。
今は広い範囲にまで、淀んだような煙が広がっている。
まるで山火事のよう。それも、ルゥの家の方角。
「っ、家が!」
慌てて木の家に戻る。材質の影響で火の回りが早いからか、家は炎に包まれていた。
「あいつか!」
家の周りに数匹の飛行型モンスターの姿が見える。
蝙蝠のような翼に鷲のような脚。それから蛇のような頭に尻尾。
「おのれ、ワイバーンめ!」
ドラゴンに似ているが、ドラゴンより小柄で、なおかつ孤高のドラゴンと違って群れで行動している。
見渡す限り十匹以上いる。炎を吐くモンスターだから、木の家が燃えているのもヤツラの仕業だろう。
この村のはるか東の方に行くとワイバーンが巣くう山脈がある。普段はルゥの魔力を恐れてこちらの森には近づいてこないが、ルゥがいなくなった隙を狙ってやってきたに違いない。
「お母様との思い出がっ! どうしてくれるんだ!」
瞬間、脳を焼く怒りが沸き起こる。
魔力を体内で増幅させると、白銀の鱗が赤く染まった。
口から炎――ファイアーブレスを吐きだしてワイバーンを攻撃する。
焼け落ちたワイバーンが地面に落ちていく。
そこでハッとした。
「ケンゾーは……!?」
我を忘れてしまい、彼の安否を確かめるのを失念していた。
豆のスープしか作れない居候だし、いつか自分を殺す男だ。
だから助ける義理なんて欠片もないが、もし今のブレスで死んでしまっていたらさすがに寝覚めが悪い。
赤眼で周囲を見渡し、炎に包まれた家の前で剣を片手に呆然と見上げている髭面を見つけて安堵する。
さすがドラゴンスレイヤーだ。ケンゾーの周囲には剣で切り裂かれたワイバーンの死骸がある。どうやらケンゾーは一人で奮闘していたらしい。
姿を見て安堵して、ルゥは軽率にケンゾーに近づいた。
ドラゴンの姿のまま。
ケンゾーの燈色の瞳に力が戻る。
その瞳はまるで怒りを湛えているようで、目の前にいる存在を憎んでいるようでもあった。
再び大剣を構えたケンゾーが跳躍して、ルゥに向かってくる。
その剣の切っ先が、ルゥの眼前に迫っていた。