2-18 望まれぬ命を還す仕事 ~堕胎医・久遠~
過疎に悩む村で、貴重な医師の一人が高齢で引退を決意した。村を出て都内の大学で学んでいる青年は、村長を務める父から、後任を探す様に頼まれる。
そして彼は、ある女医と出会った。本来の専門は産婦人科だが、勤務先の病院と方針が対立して退職を決意し、再就職先を探していたという。
村に赴任した女医は、真面目で誠実な仕事ぶりで、村民から慕われる。しかし彼女にはもう一つ、望まれぬ子の命を還す、堕胎医としての顔があった。
〝自分の様に生まれて苦しみ続ける子を無くしたい。生まれる前に楽にしてあげたい〟
それこそが彼女の切なる願い、そして生き続ける理由である。
心に闇を抱えながらも、信念に基づいて職に向かう久遠に対し、次期村長として村の将来を担う青年は、彼女を支えたいと思う様になり……
僕の実家は代々、村長を務めている。
民主主義の日本といえども、田舎では家柄が物を言うので、はるか昔に選挙制度が出来てから今まで、ずっと我が家の当主が無投票当選を続けてきた。
もっとも、それで儲かったりする訳では無い。おかしな事をすればすぐに村中へ知れ渡るから、実にきゅうくつな立場である。
僕は大学進学を機に上京し、僻地の束縛からどうにか抜け出せた物の、卒業後は呼び戻され、父の秘書として、村長の後継準備に入る事が確定している。
せいぜいその日までは都会生活を満喫しようと、学業はそこそこに、休日にヲタクライフをエンジョイする日々だった。家業があると就職活動しなくていい分、そういった趣味生活に時間をさける。
田舎には同人誌即売会もなければ、TRPGコンベンションもない。コスプレ撮影会もなければメイドカフェもない。ゲームセンターもアニメショップもありゃしない。
流石にネット環境はあるし、通販で欲しい物は買えるが、リアルに楽しめるのは都会ならではだ。
三年次の一月四日。
年始の帰省を終え、帰り支度を始めた時、父が困り顔で僕に相談してきた。
村で貴重な開業医の一人が、高齢で引退を考えている旨、村の有力者が集まる新年会で告げたのだという。大阪在住の息子宅で隠居したいそうだ。
県の医師会に、引き継いでくれる医師の紹介を依頼したが、いい返事がなかったらしい。
「で、僕にどうしろと? 医者がいなけりゃ困るのは解るけどさ。なり手がないのは、人口が少なくて商売にならないからでしょ?」
「東京にいるんだから、誰か、医者の知り合いとかおらんのか。先生が使っていた診療所が居抜きで、家賃無償。旧いが設備もあるぞ。この際、医師免許さえあれば、どんなのでも構わんから」
「……まあ、ダメ元で当たってみるけど、期待しないでよ?」
当てのない事だが、僕は断り切れなかった。
*
帰宅後、初の日曜。
期待するなと予防線を張った物の、どうした物かと考えながら、僕は有明で行われている、同人誌即売会の会場へと向かった。
開場待ちの列に並びながらパンフレットをめくる内、ふと目に入ったのは、評論系と呼ばれるジャンルのページだ。
評論系は漫画やアニメ、ゲームと行った、一般的にヲタク趣味と呼ばれる物だけではなく、様々な物事についての評論や資料といった同人誌を出すサークルが並んでいる。その中には、医療関連のサークルもあった。
普段はアニパロしかチェックしていなかったので、興味の薄かったジャンルなのだが、あわよくば過疎地医療に関心がある医師がいるかも知れないと思い、行ってみる事にした。
評論サークルの中でも、医療系は比較的多い様だ。健康は誰しも共通の関心事だからだろう。内容も様々で、一般的な病気や怪我から、レアな難病、さらには戦時の野戦病院とか、東洋医学、司法解剖といった題材まである。
それらのサークルを一件づつ廻ってみて話してみたが、結果は芳しくなかった。そもそも医療評論とは言っても、医師が直接に関わっているサークルは存外と少ない。現役の医師がいたとしても、簡単に僻地へ赴任してくれる筈もない。
話は一応聞いてくれるのだが、難しいと思うという様な回答ばかりだった。
もっとも、成果は元より期待していない。医師を探すという、父に対する義理を果たしたまでなので、大して落胆もしなかった。
医療系サークルを一通り廻った後、本来の目的であったアニパロ本を数冊購入し、会場出口へ足を向けた時、後ろから声を掛けられた。
「あの、過疎地に赴任する医師をお探しだそうですが」
振り向くと、声の主は、淡い金のロングヘアに蒼い瞳の白人女性だった。外国人にしては随分と自然な日本語である。
年齢は恐らく三十歳前後。服装は屋外作業用の防寒具、いわゆるドカジャンで、ファッション性のかけらもない、実用性一本槍のスタイルだ。〝ワークマン女子〟という言葉を聞いた覚えはあるが、こういうスタイルの事だろうか。
「はい、あなたは?」
「申し遅れました。私、こういう者です」
差し出された名刺には、「**産婦人科病院 医師 幽世 久遠」とある。
日本人名なので、帰化しているか、ハーフなのだろう。興味を持ってくれたのはいいが、専門が産婦人科というのは、うちの村の需要に合うかどうか。
「産婦人科の先生ですか。ご興味を持って頂けたのは有り難いのですが、若い夫婦がほとんどいない過疎地なので……」
「通常の外科・内科も対応出来ますよ。免許は同じですし」
「病院にお勤めの様ですが、そちらはどうされます?」
「実は、病院の経営陣が代わって方針が合わず、今月いっぱいで退職する事になって…… 寮住まいなので、新たな落ち着き先を探していたんです」
「そういう事でしたら、居抜きの住居兼診療所ですから、ご希望に添えるかも知れません」
医師なら再就職も難しくないと思うが、何か訳ありなのだろう。不祥事がらみかも知れないので、深く聞く事は避けた。
現地に関して詳しい話をしたかったが、幽世さんはこの後の予定があるという事だったので、僕からの紹介として村役場に直接連絡を入れて欲しい旨を伝えて、その場は別れる事にした。
僕としては義理を果たしたので、後は幽世さんと父の判断である。
半月後、父から電話が入った。
幽世さんはあの翌日、直に村役場まで赴いた様だ。父と引退予定の医師を交えた面談の結果、診療所の引き継ぎが決まったという。
「いい先生を見つけてくれた。お前には感謝しているよ」
「紹介しておいて何だけど。偶然に出会っただけで、元々の知り合いじゃないから、少し不安でさ。身元とか調べた?」
「当然、興信所に依頼した。卒業医大、医師免許、経歴も問題なし。遺棄児童として施設で育ったらしいな。奨学金で国立医大に進んだ苦労人だよ」
誰でもいいとは言っていたが、流石に人命を預かる仕事なので、父もきちんと調査は行った様だ。
身元保証してくれる家族や親族がいないから、医師でも再就職が厳しいのかも知れない。
白人的な容貌という事から、色々な事情が連想されるが、詮索する様な事でも無いし、捨て子というなら本人でも解らないだろう。
「前の職場を辞めたいきさつは解った?」
「本人から聞いた。経営難だったのを、ミッション系の医療法人が買収して理事長が代わったとかでな。クリスチャンとはそりが合わなかったそうだ」
まあ、医療現場に宗教的価値観を持ち込まれたくないというのは、感覚的に納得出来た。
*
三年次が終了し、春休みになったので、再び帰省する事にした。
出発の当日、僕が支度をしていると、スマホの着信音がなった。表示された発信元は幽世さんだ。
「どうされました?」
「今日、ご実家に戻られると聞いて。ついでに、患者さんを乗せて来て頂けないかと」
「ここ、都内ですよ? わざわざ、そちらに受診しに行くのですか?」
「はい。少々、事情がありまして。高速バスが満席で、チケットが取れなかったそうなんです」
「わかりました。そういう事でしたら」
過疎地ではあるが、村には高速道路が通っている。建設時の地元対策としてインターとサービスエリア、高速バスの停留所も設置されていて、意外と交通の便は悪くない。その為、都内から日帰りの往来も、一応は可能だ。
幽世さんから指定された時間に、待ち合わせ場所の駅ロータリーへ車を停めると、いかにもなギャル風の少女が、窓をノックしてきた。
「あの、済みません。診療所の迎えの方ですか?」
「はい。どうぞ、お乗り下さい」
見かけに反して、口調は丁寧である。普段はどうあれ、必要ならば、わきまえる事が出来る子なのだろう。
少女は車中でうつむいたまま、一言も話そうとしなかった。
都内にはいくらでも病院があるのに、わざわざ遠方の産婦人科を受診する、十代の少女。
どう考えても訳ありだ。性病か、妊娠か……
事情が察せられたので、僕も無理に話しかけたりはせず、無言のままハンドルを握り続けた。静かすぎると気まずいのでラジオを付けたが、相手の趣味が解らないので、普段は全く聞かないNHKのAMである。
村に着いたのは、夜七時頃だった。辺りはすっかり暗くなっている。診療所は既に診察時間を終えていたが、灯りはついていた。
少女は僕に礼を言うと、一人で大丈夫ですからと車を降り、診療所のドアをくぐっていった。
*
実家に戻り、僕は夕飯の席で、診療所の様子を父に聞いてみた。
「僕が紹介しておいて言うのも何だけど、幽世さんの診療所、採算とれてるのかな?」
「村から補助金も出しているが、大丈夫な様だ。日に二、三人は、遠くからわざわざ来る患者さんがいてな。お前も今日、一人連れてきただろう?」
「知ってたんだ……」
父は、僕が診療所の患者を、東京から乗せてきた事を知っていた様だ。
「先生の専門は産婦人科だ。どういう患者さんか、薄々は気付いてるかも知れんが……」
「解るよ。でも、村のみんなは、どう思ってるんだろう?」
狭い村だから、変わった事があれば、すぐに広まってしまう。
「ああ。誰も先生に失礼な事はせんし、心配せんでいい。それに、誰かがやらにゃならん事だろう。立派な先生だよ」
幽世さんに声を掛けたのは僕である以上、彼女が村で安心して暮らせないなら、責任は僕にもある。だから父の言葉に、少しホッとした。
この村の住民は、良くも悪くも、現実的な人ばかりだ。医者が村に居着いてくれるなら、それでいいのだろう。中絶反対論を振りかざす様な理想主義者なんて、まずいないと思う。





