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2-11 冥婚希望の亡霊(と書いてストーカーと読む)

『ヨノア、冥府の者と、交わしてはならないよ』

祖父の教えを守ってきたのに、ヨノアはその夜、夜を凝縮したような青年と出会った。

彼は人ではない。だって彼は、ヨノアにしか見えていないのだから。

「アンタ、俺が見えているよねぇ?」


 ――頷いてはいけない。

 現世と冥府には明確な線引きが存在しないからこそ、気付いていると知られてはならない。

 幼い頃から、祖父はヨノアにそう教えていた。

 ソレがはたして祖父のいう『冥府の者』だったのかはわからない。

 しかし普通とは違う出で立ちと発言から、見えてはいけないものだのだと判断して祖父の教えに則り視線を逸らした。


(…っあ、だめ…!)


 しかし視線を逸らしたことで、ヨノアは己の失敗を悟った。

 見えていない人は、聞こえていない人は、無反応でなければならない。

 目前に迫ったそれから視線を逸らすのは、見えていることの証明だ。

 ヨノアが察したように、相手も察した。それだけの知能がある相手だった。


「――……へーぇええ、へーえぇえ、へぇええ!」


 平淡だった声音がどんどん高く楽しげになり、最後には昂揚の隠しきれない子供のように、笑い声を高らかに響かせた。

 闇夜の中響く哄笑。

 それが聞こえるのは、恐らくヨノアだけ。

 わかっているからこそ、その笑い声に身が竦んだ。震えるヨノアに、彼は更に愉しげに声を上げる。


「見えてんだ! 聞こえてんだ!! ははっねえねえ! 触れたりもする?」

「…ひっ!」

「あ! 触れるぅ!」

(や、やだ!)


 ヨノアの目前まで迫っていたそれは、無遠慮に腕を広げて正面からヨノアを抱き込んだ。人肌からほど遠い、ひんやりした温度に鳥肌が立つ。

 それは成人男性の形をしていた。

 足に絡まりそうなほど長い黒髪。弓なりの目は目付きが悪く、闇の中でも光る赤。人ではあり得ない眼光は、獰猛な肉食獣を連想させた。しなやかで、けれど大柄な身体はヨノアをすっぽり包み込む。

 大柄な男性に抱き込まれたのもはじめてだし、冥府の者に触れられたのもはじめてだ。

 ヨノアでは振りほどけない腕の力と硬さ。何が起こるかわからない恐怖から身体が固まって動かない。


 美しい男だ。

 美しく、恐ろしい男だ。


 何をされるのかわからず、ヨノアの全身から血の気が引いた。

 そんなヨノアを気にすることなく、彼はぺたぺたと楽しげにヨノアの身体を触っている。


「わあ、わあ、やわらかぁい。ちっちゃい。あったかぁい」

(ひい…っ)


 背中を、腕を、腰を撫でられて息を呑む。声にならない悲鳴を上げるヨノアに、彼は心底嬉しそうに笑った。


「あっはははごめぇ~ん。でも君が悪いんだよ。俺が見えるのに誤魔化そうとするからさぁ。だから俺がこうして確かめてんの。まさか触れるとは思ってなかったけど!」

「…っ、っ」

「あ、声も出ない程怖い? あははぁかーわいぃいーっ」


 怖い。


 異性に全身を触れられていることよりも、ヨノアを包む冥界の冷気が、体中から温もりを奪いそうで怖い。

 可愛いと言いながら、ヨノアをぎゅっと抱きしめる存在が怖い。


「可愛い可愛いかわいいかーわいぃ…ふふ、はは、ひぃはははははっ!」


 急に抱きしめる力が強くなり、長い爪がヨノアの肩に食い込む。裂けるほどの痛みではないが、肌が圧迫される感覚に震えた。

 このまま、引き裂かれたらどうしよう。

 心臓が、破裂しそうだ。


「何十年ぶり? 何百年ぶり? 何千年ぶり? 億行っちゃう? 気分的にはそれだけ久しぶり! まさか――俺を見つける奴がいたなんて!」


 今にも踊り出しそうな声音が響く。

 そんな彼の足下では、粘着質な水音が忙しなく響いていた。


「嬉しいなぁ嬉しいなぁまさかこんな可愛い子が俺を見つけてくれるなんて思わなかった」


 彼の長い足が、無造作に何か蹴りつける。

 ばしゃんと水面が叩かれた様な音がして、水音が遠ざかった。

 足元が冷たい。けれどヨノアに飛沫は掛からない。

 何故ならヨノアは、乾いた土の上に立っているから。


「かぁーいくてかーぁいそう、はははっ」


 より強く、より密着した身体。

 ヨノアの旋毛に頬を寄せていた彼の鼻先がヨノアの肩に落ちる。無防備な首筋に、冷たい吐息が掛かる。


「俺を見つけて、俺に見つかって、可哀想」


 晒された喉に、長い指が絡まる。


「見つけたからには逃がさない。可愛い可愛い…可哀想な子」


 ヨノアの鼓動が、氷のように冷たい唇に食まれた。

 戯れに、弄ぶように、細い首を冷気が這う。


「ねえ、ねえ君。俺と結婚して」

『ヨノア、冥府の者と、交わしてはならないよ』


 祖父が繰り返した言葉が、真っ白になった頭の中で何度も回る。


 冥府の者と、交わしてはいけない。

 視線を、言葉を、契約を。

 気付かれてはならない。

 見えること、聞こえること、認識していること…。

 気付かれてしまえば最後。


『お前は二度と、人の世には帰れない』


 だから。


『目を向けず、耳を貸さず、立ち止まることなく、家に帰りなさい』


 立ち止まれば冥府の者に捕まってしまうから。


 祖父はたくさん注意してくれたのに、ヨノアは一度の失敗からなし崩しで存在を認識されてしまった。


(ごめんなさい、お爺さま…このままだと私…)


 言いつけを、守れそうにない…。


「教会生まれ教会育ち教会住まいなんて聞いてないぃいいいい~!!」


 守れた。


 息を切らしながら飼い犬のワンチャを抱き上げて、ヨノアは安堵から床に座り込んだ。

 身動きできず硬直していた身体は、ヨノアを迎えに来てくれたワンチャの吠える声に助けられた。

 動物は、多分ヨノアと同じ物が見えている。

 今まで確信はなかったがそう感じることもあり、今回の件で確信を抱いた。

 飼い犬の真っ白い犬、ワンチャは闇夜の中で小さな光を弾いて目立ち、この子の唸るような鳴き声にヨノアは我に返ることができた。我に返ったヨノアは決死の覚悟で暴れ、拘束から転がるように抜け出した。その勢いでそのまま逃げた。

 背後から迫ってくる気配は感じたが、彼は悠々と歩いていた。

 恐らくどこに逃げても追い詰める自信があったのだろう。ヨノアは青ざめながら、ワンチャが先導してくれる道を走った。


 そして、住まいである教会に逃げ込んだ。

 途端に、悠々と追いかけていた彼は大袈裟に嘆いて地面に崩れ落ちた。


「くそ! よりにもよってそこかよ! 俺が唯一入れないところに住んでるとか神様俺に厳しすぎ! そうだね当然か天敵だもんな! 俺に厳しくせず誰に厳しくするんだって話だよな! 畜生神様見てろよ絶対結婚してやるからな!」


 なんか言ってる。

 地面に崩れ落ちて拳を叩き付けていた彼は、涙のにじんだ声音で何か叫んでいる。


「絶対逃がさないぞかわいこちゃん! 俺と視線を交わしたからには責任とって娶ってやる! 俺が絶対責任とってやるからな!」

(あちらに責任問題が発生している)


 恐ろしくて外を覗くことはできないが、駄々をこねる幼子の気配を感じる。

 先程見たのは、恐ろしくなるくらい美麗で、声も出なくなるほどの色気を放つ成人男性だったのに。


 ヨノアは早鐘のように鳴り響く心臓を押え、唸り続けるワンチャを抱き、教会の奥へと歩を進めた。真っ白でつぶらな瞳の可愛い小型犬のワンチャは、小柄なヨノアでも抱き上げることができた。


(彼が何者か、わからないけれど…)


 震える手で扉を開き、教会の物置に滑り込む。その更に奥にある扉を潜って、教会の敷地内にある我が家へと戻った。

 そこは、年老いた神父とヨノアの二人が暮らす小さな家。

 暖炉に残された小さな火種が闇夜を照らし、暖められた室内に肩から力を抜く。抱いていたワンチャを降ろすと、心配そうにヨノアの足下をぐるぐる回り出した。


「大丈夫、大丈夫よ…」


 全身が冷えていた。それも徐々に回復している。


「大丈夫。大丈夫なの…」


 言い聞かせるように呟いて、しゃがみ込み、ワンチャの毛並みを撫でる。真っ白い、穢れなき毛並み。

 褐色の、ヨノアの肌とは正反対の白。


「それに、あれは、彼は…彼はね」


 震える声で思い出す。

 恐ろしいけれど。冥府の者だけど。


「多分…助けて、くれたのよ」


 知能のない、形の崩れた冥府の者から。

 黒きモノと呼ばれ、忌み嫌われるヨノアを。


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