1-8 おでことわたし
さっきのお話で出て来たおでこのことを書きたくなりました。
本日二投目です。
わたしの大切な相棒のおでこのことを紹介しておこうと思う。
今住んでいる村はラタタ村といって国の北西の端っこに位置している。村の西方は沼が広がりその向こうに険しい山々が連なっている、その山並みはそのまま北へ連なっていて村の北と西は山に囲まれている。そこが国境になっていると思うのだが山を越える道はなく、山の向こう側がどうなっているのか知っている人はこの村に誰もいない。
山並みは東にも回り込んでいるが随分と低くなだらかになっている。東へ抜ける街道が伸びていてずっと先に進むと峠を越えて別の街に通じているらしい。南側はだんだんと開けていき、傾斜もなだらかになってやがてほぼまっ平になってそのまま続いている。そこにわたしが通って来た王都へ続く街道がある。
村はそこそこ広く、北西、東、南の各地区に大きく分かれている。どの地区も数軒~十数軒の小集落が農地の中に点在している。わたしの住んでいる家はそんな村の北西の端にあった。
村では大抵の家でにわとりを飼っている。うちは他に牛を飼っているけど牛のいる家はどちらかと言えば少数派だ。南の方では豚を飼っている家もあるらしい。ヤギとか羊とか他の種類の家畜はこの村では見たことはない。
牛小屋で寝ているわたしの同居人が牛のおでこだ。おでこという名前は私がつけた、全体的に黒っぽい体をしているのだが、額のところに白い模様がついているので’おでこ’という愛称をつけてあげた。ちなみに’おでこ’と呼んでいるのは私だけである。マンフェもマルテアもおでこのことはただ牛とだけ呼んでいる。
ここに来た当初牛小屋で寝るよう言われたときは大層驚いた、そして実際に暮らしてみて、その臭さにさらに驚いた。馬ほどではないが牛も汗をかく、夕方になると汗の匂いというか体臭というかとてつもなく匂ってくるのだ。とにかく臭くてはじめのうちは寝られなかった。眠れない月明かりの夜などは窓から入る月影におでこをながめていた。おでこは涎を大量にたらしながらずっとお口をもぐもぐさせて一晩中右左にゆらゆらと揺れている。テレビで牧場で寝そべっている牛を見たことがあるので、牛は寝そべって寝るのだろうと思っていたがおでこは寝っころがない。横になっている姿はついに見ることはなかった。わたしの寝ている隙に横になっているのか、どうなのか。忘れた頃に時折シャーという大きな音がしたかと思うと一瞬の間をおいて湿っぽい鼻を突くような刺激臭が漂ってくる。その意外に大きな小便の音で目を覚まされた後に嗅がされるさらなる悪臭に精神的なダメージも半端なかった。そういうわけで、この家に引き取られてからしばらくは寝不足とストレスでかなり弱っていた。公園にある公衆トイレの悪臭を一掃したといわれる光触媒塗料を持ってこいと何度切望したかわからない。
朝目を覚ますと真っ先におでこと目が合う、白目のほとんどない真っ黒な目が無表情に私を見つめている。わたしはぞっとして慌てて寝床から這い出した。牛の世話は朝から始まる、おでこを外に連れ出して牛小屋の横につなぎ、よだれとおしっこにまみれたおでこの寝床の敷き藁をあつめて堆肥の上に放り上げる。水で床を流してわらを束ねたものでこすり洗いする。その程度ではにおいは落ちないが、少しはましになったのかなとは思う。昼間はたっぷり働き、夕方になっておでこを連れて帰る頃には床が乾いているので敷き藁を入れ小屋に入れる。朝外に出したときに洗うよう言われているが、朝はざっと洗うだけにして、寝るときに少しでも匂わないように、夕方川に入れてみっちり洗ってやるようにしている。それでも匂いは少しもましになった気はしないが、お尻の周りなどにこびりついているかぴかぴの糞などをとって体全体を磨いてやることができるので少しでもましになったと毎日自己満足している。一所懸命に世話をするからか、おでことはすぐに仲良くなった。今では慣れてしまって匂いもすっかり気にならなくなっている。
おでこの仕事は田んぼや畑を大きな牛用の犂で耕すこと。この犂は私の両手を広げたよりも幅がある。ガンテツさん謹製の逸品である。それから、収穫した作物や道具などいろいろな荷物運び、糞尿や敷き藁を使ったたい肥作りも大事なお役目かな。
私たち家族の暮らしを豊かにしてくれる大切な仲間、それが『おでこ』だ。
牛ってかわいいですよね、あのどこを見ているのかわからない水ようかんみたいな目がたまりません。