1-6 嗚呼、頼もしきかな我が相棒
一夜明けて朝ごはんを終え、今日は土木作業になるのでお気に入りのマイ鍬を持ってヤエイさんの手伝いにわたしは出かけた。この鍬で大概の作業をこなしている。
ヤエイさんの田んぼまで来ると、どう話が付いたのか、畔にガンテツさんの修理した水門が放置されている。それを横目に通り過ぎ、ヤエイさんの家まで行って声をかけた。
「ヤエイさん、水門直ってるみたいですけど?」
「ああ、ノラちゃんよぉ、遅かったなぁ。水門を取り付けて岩をどけてくれないかい」
「わかりましたぁ」
のんびりした返事をかえしてから田んぼへ戻ると、水を抑えていた岩を邪魔にならないようにぽいと横にどけた。押しつぶされてぐしゃぐしゃになった水路を鍬で整えて水門を据えようとしていきなり戸惑った。なんだこの水門は?複雑でへんてこなその形に頭の上にはてなマークが並んだ。いろいろと動くところがあるし取り付ける向きすら判別できない。あちこち動かしながらくるくる回してどう取り付けようかと考えていると、のっそりとヤエイさんがやってきた。
「そうじゃないよ、こっち向きに取り付けるんだ」
わたしの手もとの水門を指さしてヤエイさんが指示する。でも、その向きだと水路にはまらないぞ。
「ノラちゃん、一旦水門を置いてくれ。水路をこうして・・・」
と水路の改造方法を指図してくる。ヤエイさんの指示では複雑な水の流れを作るために細かい細工が必要だったが、柔らかい土を固めて作るには物理的に無理がありそうだった。わたしは一度それらしく作ろうとしたがすぐに崩れてしまう。
「そんな細かく作るのは無理だよ、すぐに崩れてしまう」
と泣き言を言うと、
「それはだめだ、なんとかしてくれないと困るよ」
「でも、見てください。作るそばら崩れてゆくじゃないですか」
「’でもでもだって’なんて言ってはいけないよ、言い訳する暇があるんならどうしたらできるか工夫をしなさい」
と理不尽な要求に、
「わかりません、どうしたらできるのか教えてください」
「自分で考えないと、すぐに人に頼るのは良くない癖だよ」
人に頼っているのはヤエイさんなのに理不尽だ。どうやったらうまくいくのか、たぶんヤエイさんもわかってない。わたしが再び水門をぐるぐる回しながら観察している間も、じっと見ているだけでなんのアドバイスもくれなかった。
水門をカチャカチャ動かしながら、ヤエイさんに指示された水路に当てはめているとなんとなくその構造がわかってきたような気がする。地面に何本か筋を引いてその上に水門を置いてたずねた
「あの、水がこう流れて、ここがこうで」
水門についているひれのような邪魔板を動かしながら一所懸命にわたしの理解したことを説明した。水がひれを押すとギギギと水門が開閉する仕組みのようだ。このひれで水流を受けてその力で自動的に水門の開度を調整するようにしたいらしい。
「水の力で水門を動かして勝手に調整してくれるようになっているんですよね」
すると感心したようにヤエイさんが褒めてくれた。
「ガンテツでも理解できなかったのに、見ただけでわかるなんてノラちゃんはすごいなぁ」
「でも、このひれの部分は小さすぎて水門を動かす力は出ないんじゃないですか」
水門は鋳物で重い、付属のひれでは動かせそうにない。
「それに、水の高低差を利用するんですか、流れを利用するんですか?この形だと中途半端でうまく水の力を取り出せないと思うんですが」
水門を動かすエネルギーは水流からもらうのだが、水の高低差すなわち位置エネルギーを利用するのか、水の流れる速さすなわち運動エネルギーを取り込むのか、ひれの形状とそのストロークを見るとどっちつかずでいずれにも効率が悪く結局どうしたいのかよくわからない。さらに動かしていてわかったのが、ひれの動きは梃子の原理で水門に伝わるようになっているのだがいくつかある軸と軸受けの面の仕上げが荒くてスムースに動かなかった。せめて▽▽▽くらいの仕上げをしないと摩擦が大きいため、ただでさえひれからの力が弱いのに水門が全く微動だにしないというのが現実だった。
「これだけ力をいれないと水門が動かないのに、水の流れからそんなに力はもらえませんよ。もっとひれを大きくするとか動く範囲を稼ぐとかしないといけないと思います。それから軸も荒くて動かすのに余計な力が要ります。せめてやすりで磨くくらいしないといけなんじゃないでしょうか」
わたしは思いつく限りの改善点を一所懸命に提案した。ヤエイさんは惚けたような表情で聞いていたけど、「はぁ」と気のない返事だけした。どちらにしても、当初の想定していた通りうまく動くようには設置できないので、わたしなりに水路を整えて水門をとりあえず据えた。自動調節は無理だが、ひれを手で操作して水門を動かすことはできる。不出来な水門を据えると一応動くことを確かめて作業を完了することにした。ヤエイさんの水門は複雑でやたらと部品点数や可動箇所が多い、水門はあまり上手に修理できてはいなかった、壊さないように慎重に作業したのでえらく気疲れした。
わたしは、水門を開けたり閉めしたり、開度をいじって流量を調節したり動作を確認した。まぁ、普通の水門としては機能しているようだ。すっかり作業が終わって、そろそろ帰ろうかという時分になって、さっきまでぼんやりしていたヤエイさんが、
「やぁ、取り付けは終わったかい、どれどれ」
そう言うと水門をチェックしはじめた。
「あ〰ぁ。少し斜めになってるなぁ、きちんと取り付けなおしてくれ」
「大丈夫ですよ、水門はちゃんと機能しています。ぱっと見てもまっ直ぐについていると思いますが。」
「でも、俺は気になるんだよなぁ」
「問題ありません、趣味の範囲のことはご自分で納得いくまで調整してください」
ここで手直しする振りだけでもしたら納得してもらえるのだろうが、いいかげんうんざりしていたわたしはそのまま捨て置いた。マンフェの手伝いに急いで戻らなければならないので私はそう言って帰ろうとした。
「ちょっと、無責任なこと言うなよ、仕事はちゃんと完了させてくれよ」
「別に、私の仕事ではありませんけど、困ってそうだったので手伝っただけなんですが。水門はちゃんと動いてるので問題ありませんよ」
「ほんとうなら自動的に水量を調節してくれて田んぼを見回る必要がなくなるはずだったんだが。取り付けが上手に出来ないからうまく動かないや」
手で動かさないといけなくなった自動調整弁を見てヤエイさんはぼやいた。
彼は自称村の発明家でいろいろなガラクタを思いつくのだが、自分では物を作ることができないのと、いつも作らされることになるガンテツさんがヤエイさんの思いついた仕組みについて全く理解できないで作るので、満足に機能するものができ上がった試しがない。この水門もそんな悲しい出来具合であった。なんとか今シーズンの間、開閉機能だけでも壊れないことを祈るばかりである。
ごそごそ、水門をいじっているヤエイさんを置いて帰ることにした。
「困るよー」という声を背中に聞きながら私は自分の畑へ向かって歩き出した。ヤエイさんはとても細かく凝り性で付き合っているといつも日が暮れても放してくれない。今回もどう見てもまっ直ぐに取り付けて問題ないのに、ケチをつけないと気が済まない性分のようだ。変にいじって曲がってしまったらかえってトラブルの元になる。取り付けに細かい注文をつける割には水門の作りはとても大雑把だったんだけどね、公差の範囲で収まっている取付角度を調整するより、水門そのものをもう少しきっちり調整した方がいいと私には思われた。
「マテリアに相談しなければならんかなぁ」
ぼそっとヤエイさんが云う。マテリアさんに言いつけるつもりなのだろう。なぜだか彼女はヤエイさんをお気に入りで、いつもヤエイさんの仕事を最優先にさせる。だからといって家の仕事はなおざりにさせてくれず完璧にしないと許してくれないんだけどね。
ふうっ、と私はため息の混じった笑みをこぼした。このやりとり、なんか懐かしいなぁ。サラリーマン時代課長に無理難題をわたしはよく押し付けられた、課長が前にいた部署にトラブル対応のため何度となく派遣されて散々苦労させられたことを思い出す。その部署では私が現れるとトラブル請負人の登場だといつも歓迎された。おかげでその部署の仕事内容までそこの部員の誰よりもも詳しくなってしまった。それでも本来業務が立て込んですぐに助けに行けない時がある。部下が自分の思うように動かない時の課長の口癖が
「部長に相談しなきゃならんなぁ」
だった。あの頃は手当のつかない深夜残業は当たり前、徹夜や休日出勤もしょっちゅうだったよなぁ。そのせいで妻には浮気を疑われ、探偵まで雇って身辺調査をされたことがあった。毎日遅くまで俺が働いているという、ご丁寧に夜食を買い出しにコンビニへ出入りする様子や日付が変わってから会社の玄関を出る姿などの証拠写真付きの報告を受けた妻は誤解をとき大感激した、わたしのほうは釈然としなかったのだが、そのことで夫婦の愛情が深まったという苦い笑い話のような思い出もある。若い間の苦労は勝手でもしろと言われ、困難であるほど仕事はやりがいがあるとその頃のわたしは思っていた。人に頼られると嬉しくなってもっと頑張る厄介な性格のわたしなのだ。「当てにしてください」と感慨に耽りながら、結局「しかたがないなぁ」と水門を調整する振りだけするとやっとヤエイさんの気が済んで解放された。
日はもう傾きかけている。岩をぽいと脇にどけて水の通り道を開けると、水路の水は勢いよく田んぼに流れ込んだ。近々再度の出番がありそうな岩は山へ返すのでなく道の脇の邪魔にならないところへ置いた。ヤエイさんもそう思っているようである。
「ヤエイさん、とりあえず岩はここに置いておきますね、」
「おいよ、また水門が壊れた時たのむわ」
「また、何かあったら声をかけてね」
そういって、やっとヤエイさんの田んぼを後にしてうちの畑へ急ぎ戻った。
カラフルなパラソルをご機嫌にクルクルするお嬢様を気取って、肩に担いだ鍬をくるくるとまわしながら鼻歌まじりで畑に向かう、途中でカーツに会った。
「おう、今日は遅いな、今からで大丈夫なのか、手伝おうか」
カーツは野良仕事を終えて帰るところのようだったが帰るのと方向が違うのにわたしについてきた。彼は仲良しグループのひとりでとても面倒見がいい。こちらに来て右も左もわからないころからおおいに世話になってる。一個しか違わないのに年上面してわたしをいつも子ども扱いする。おせっかいを焼いてくるので最近は少しわずらわしくなってきていた。そんなふうにカーツはお人よしで性格がとてもいい。うっとおしいけどそんなカーツがわたしは大好きだった。でも仕事はからっきしできない、にこにこしながら見当はずれのことをしでかして毎度まわりを混乱に巻き込んでしまう。仕事の邪魔になるから家族に放り出されて暇を持て余してこの辺をぶらぶらしていたのだろうが今日は時間が押しているので相手をしている暇はなかった、もちろん、手伝おうかとの罠にはまってはいけない、手伝ってもらったが最後足手まといとなって今日の仕事が終わらなくなってしまう。
「ヤエイさんの水門を直してきたんです。畑は大丈夫ですよ、おでこがいますから」
カーツを振り切ってわたしは、自分の畑へ向かった。畑へ着くと大急ぎでおでこに犂をつけ耕し始める、でも暗くなるまでには結局いくらも進めなかった。
おでこはわたしの寝泊まりしている牛小屋の主だ、わが家の最大労働力でわたしが来るまではマンフェと畑を耕していたが、彼が腰を痛めて農作業がつらくなってからは力仕事はわたしが代わってやっている。体の小さなわたしでも大きなおでこがいれば農作業も難なくこなせる。今は大切なわたしの相棒だ、よろしくな相棒。農作業に、荷物の運搬にその力を存分に振るって欲しい、その頼もしい我が相棒を労うようにわたしはやさしく撫でてやった。
<註>文中の▽▽▽は表面をどのくらい滑らかに仕上げるかの記号で▽三個は最上級で、この上は鏡面仕上げになります。つまり、水門が自動で動くようにするのは無理ですよということです。
読んでくださった方、ありがとうございます。来週もよろしくお願いします。