1-3 朝のばたばた
こんにちは、2週目の投稿です。よろしくお願いします。
家に帰りつくころにはすっかり日が昇ってしまっていた。
『遅くなってしまった』
急いで家へ入ると養父母はすでに起きている。
「たっだぁいまぁ、すぐに支度するね」
母屋に声をかけると急いでへっついさんに火を熾す。
水回りは母屋のお勝手口を出たところにある、屋根がかかっているので少しくらいの雨には濡れないようになっている。流しは日本でおなじみの御影石ではなくなんだか知らない石でこさえてある、わたしは石には詳しくない。流しの横に水瓶をよっこらせと据えた。足下は昨日こぼした水が凍って地べたがつるつるになっているので滑らないように気を遣う。やっとこさ火が大きくなって来たのでへっついさんに抱きついて少し暖をとった。
ごそごそと支度をしていると家の中からのそっりと養母のマルテアが出てきた。
「おはよう、遅かったじゃないか、とうに日は昇ったよ。」
「おはようマルテア、ヤエイさんの田んぼの水門が壊れてて、手伝ってたんです。」
「またかい、いつも人騒がせだねぇ、ほんとに。」
マルテアはどうしようもないという仕草をした。
マルテアは私がこの世界に来てからお世話になっている、いわゆる里親である。
旦那さんのマンフェと共に私を育ててくれている、二人のおかげでわたしはこの世界で命を長らえることができている、召喚されてから一番の恩人である。
火が安定していよいよ鍋に水を入れる。へっついさんの火口を一所懸命覗いていると寒いのに顔だけが火照ってくる。背中は相変わらず極寒である。前は大火事、背中は寒波という感じで気持ちが悪い。
「おや、今からかい」
私が薄いスープを煮ていると、養父のマンフェが後ろから声を掛けてきた。
「こいつもどうかな」
菜っ葉を一束突き出してきた、畑からさっき摘んできてくれたのだろう。スープにはほとんど具がないから大いに助かる。
「ありがとう」
そう言うと菜っ葉をざく切りにして鍋に放り込んだ。それから、穀物粉を水で練ったものを一握りとり一口大の団子にして鍋に放り込み団子汁を煮てゆく。いわゆるすいとんのようなものである。すいとんにする粉は小麦粉や雑穀などいろいろな穀物の粉がまぜこぜになったものだ。この村の主食は基本的に米食である、でも水汲みからもどるのが遅れたので今日はご飯を炊く時間がなかった。だから今日の朝ごはんはすいとんにした。マルテアからは特にお小言はない。味付けは塩気のみ、だしを取りたいが海から遠いこの地はカツオ節やあごだし、削り節も昆布もない。秋にはきのこでだしをとることもしたが、ここでは塩すら入手が難しいのだ、塩味ですらありがたい。ちょっと味見してみる、「ももなー」我ながら相変わらずの味に思わず言葉がこぼれた、しかし味については不可抗力とさせていただこう。
森を抜けたところにある崖のふもとの剥き出しになっている土に塩分が含まれている、それを土ごと煮て塩分の溶け込んだ上澄みをそっとすくったものをうちでは煮炊きに使っている。薄い塩味で決しておいしいとは思わないが、ないよりはずっとましだ、腹が膨れるだけましというものだ。
朝ごはんが少し遅くなってしまったことを詫びながら二人に給仕する。
「構わんよ、人助けはいいもんだ。」
マンフェは物わかりのよい優しい笑顔で言ってくれた。
出来上がった団子汁をよそっていると、マルテアに声を掛けられた。
「後はこっちでやるから、早く牛小屋に行きな」
二人が朝ごはんをとっている間にわたしは急いで牛小屋へ行って牛の世話をする。
うちでは農耕用に牛を1頭飼っている、なまえはおでこだ、おでこに丸い斑点があるのでわたしがそう名付けた。おでこと呼んでいるのはちなみにわたしだけだ。
朝起きた時に一旦外へ出しておいたおでこに水をやり飼い葉を与えた。
「寒かったね、ごめんね」
おでこの寝床の敷き藁を回収し、小屋の隅に積んである堆肥の上に放り上げた。
牛独特の小便の臭いが小屋いっぱいにムッと広がる。
ちょっとかき混ぜて堆肥の出来具合を見てみる、下のほうはいい具合に発酵が進んでいるようだ。
少しもらって庭の隅に持ってゆき、穴にほうりこんでかき混ぜる。
隣の穴には先日埋めたのがいい感じにぼけてきている、すぐにでも肥料に使えそうだ。
それから、床に水を撒くと藁を束ねてごしごしと磨いた。
ひとしきり掃除が終わると小屋の隅の夜具を表に掛ける、今日は天気が良さそうなので干しておこう。そう、この牛小屋はわたしの寝室でもあるのだ。 朝が早いので、夜具の乱れはそのままにして水汲みに出たのだった。マンフェたちは母屋で寝ているので朝早く起きだしても、気兼ねする必要がないので気が楽である。
用事がひと段落してから、母屋へ入った、二人のふとんを表に干して洗濯物を回収し、部屋を掃除する。汚れ物を持って川へ洗濯に行こうとすると、マルテアが食卓から怒鳴ってきた。
「今日は天気がいいから洗濯はあとからでいいよ。はやく朝ごはんを食べな、片付かないだろう」
『片づけるのはわたしなんだからあなたが急く必要ないでしょ』
と思いはしたが、
「はーい、すぐに」
と素直に返事して、私は朝ごはんをとることにした。
鍋を覗くと菜っ葉の軸がひとすじふたすじ泳いでいる、昔聞いた落語の”時うどん”に出てくる'きーこ'の気持ちがよーくわかった気がした。
'きーこ'よろしく鍋に残った汁をさらえると、へっついさんの灰を掻きだしてすこしもらい、急いで鍋と椀をその灰で洗った。
さっき団子汁を作るときも感じたが、へっついさんがなんかグラグラする、足元をみると少しぬかるんで緩んでいる。
「マンフェ、へっついさんがグラグラする」
母屋へ声を掛ける。
「そうさな、昨日の雨はだいぶきつかったで。」
「はやく直さないと、料理中に鍋がひっくり返ったら」
危ないよね、私がそういう前にマンフェは複雑な表情をして向こうへ行ってしまった。
マンフェは腰が悪いので重いへっつさんを直すことはできない、遠ざかる背中に向かって、
「直しとくね」
を声を掛けた、マンフェは何も反応せずすたすたと言ってしまった。へっついさんはこのうちのものだから勝手に手を加えるわけにもいかない。これで一応了解をとったことにした。
食事の後を片付けると洗濯物を持って急いで川へ向かった、洗濯場へ着くともうご近所のおばさん方があらかた洗濯をお終いにしている。
「おやぁ、遅かったじゃないか」
おとなりのチャーコおばさんが声をかけてくる。
「私はもう終わりだから、ここを使うといいよ」
といって、自分の場所を親切にも譲ってくれた、
「ありがとう」
お礼を言ってわたしは洗濯を始めた。
洗い終えると、大急ぎでとって帰った。洗濯物を干していると表の方からマルテアの話す声が聞こえてきた。相手はお向かいのチャーコおばさんであった。
「あんたとこのノラはだめだねぇ、さっきだって、みんなが洗濯を終わった頃になってやっと現れたんだよ。甘やかしてばかりいないで、もっとびしっと言ってやらないと。とんだなまけものだよあの子は。このままだとあんたばかりが苦労じゃないか。」
とさっきのことを告げ口している。
「今日は天気がいいから、洗濯より先に牛の世話をさせたんだよ。」
マルテアが弁護してくれている。
「それにしたってさぁ、牛の世話ならもっと早起きしてすりゃいいことじゃぁないか」
「暗いうちから牛を外に出してどうするんだい、凍えちまうよ。ノラのことは私がしっかり躾ているから口を出さないでおくれでないかい」
「だってねぇ、どこの馬の骨だか知らないけど、あんたらがあの娘の面倒見る義理なんてないじゃないか、マンフェだってもう年だし、あんたの家に必要なのは男手だろう?役立たずを置いておく余裕なんてないだろうに。まだ小さいから婿を取るにしたって何年も先じゃないか」
そう言っていると裏でわたしが洗濯物を干しているのに気付いたのか、さっさと話をきりあげてチャーコおばさんはそそくさと自分の家へ戻っていった。
洗濯物を干し終わるとマルテアに声を掛けた
「マルテア、今日は洗濯するのが遅くなってごめんなさい」
ばつがわるそうに私が謝ると
「湿気るから遅くならないうちに取り込むんだよ」
そう言ってマルテアは母屋の中へ入ってしまった。
「ふぅ」じぶんの段取りの悪さにうんざりして思わず溜息がもれる。
私はへっつさんを直すことにした。マンフェはもう年だし、腰も悪くしていたのでへっついさんを直すなんて力仕事はできない。この家に必要なのは男手であるのは本当のことだった。わたしはじっともみじのような自分のお手てを見る、それは赤切れからにじむ血で紅葉したかのように赤く染まっていた。
私は気を取り直してぐらついたへっついさんを直す作業に取り掛かることにした。一旦どかしてから、足元に溝を掘り直して石ころを放り込み土をかぶせて踏み固めた。わたしは体重がないので思うように踏み固めることができない、丸太に持ち手を付けてたこにしなんとか土を締めた。整地を終えるとへっついさんを元の通りに据えなおし、ぐらつきがなくなったのを確認してこれでひと安心。
野良着に着かえて、鍬を担いで畑へ向かおうとすると養母のマルテアに呼び止められた。
「ヤエイさんとこの田んぼが大変らしいのよ、助けにいってくれないかい」
「ええ、さっき水くみから帰る途中で会いましたよ、水門が壊れたの、今は水を岩で仮止めしてます、水門が直ったらまた来てくれということなのでその時にまた手伝いに行ってきます。」
「ああ、さっき言ってたねぇ、よろしくたのむよ」
ヤエイさんのおかけで今朝はいつにも増してばたばたしてしまった。遅まきながら私は畑へ向かった。
畑へ着くと先に野良仕事に取り掛かっていたマンフェに遅くなったお詫びをして、へっついさんが直ったことを報告した。それから
「ヤエイさんの田んぼの水門が直ったら手伝いに行くね。」
と声を掛けた。
「ええ?毎度々々ヤエイさんにも困ったもんだ」
マンフェはあきれたように言葉を返してきた。それから朝の野良仕事にふたりでせっせと取り掛かった。
いかがだったでしょうか。せわしない朝でしたね。ノラの住む世界は日本によく似ているようでいろいろと違っているみたいです。なじみのない言葉もあったかと思いますので少し説明します。
・へっついさん:煮炊きをするための火を焚くところ、今のガスコンロです。いわゆるおくどさんのことです。
・たこ:たこ焼きに入ってるのじゃないです。短く切った丸太に持ち手の棒を付けたもの。角樽みたいな形をしています。とんとんと地面を叩いて地ならしに使います。
・ぼかし肥:有機物を発酵分解して肥料として直ぐに使えるようにしたもの。ノラの世界ではこれを『ぼける』と表現するようです。
また来週もよろしくお願いします。