1-2 困った村人
よし、今日も一日精いっぱい頑張ろう、妄想を振り払うと淵の中の自分を励まして、わたしは水瓶を担いだ。
村が近くなるにつれて畑の香水が強く香って来る。かまわずわたしはずんずんと進んだ。春が近いとはいえまだ冬なので香りはそれほどきつくはないのだが、冬の土つくりは始まっており村の衆はどんどん肥しを入れている。
村の取っ掛かりには鍛冶屋があり、朝が早いというのに炉にはもう火が熾きている。びゅびゅうとふいごが鳴るたびに、ごーごーと火の勢いが増してゆく、その音が外まで聞こえてくる。もうすぐ威勢のいいトンテンカンがいつものように始まることだろう。
そういえば、家の牛犂がかなりガタついてきていておでこ、あっ、『おでこ』ってうちの牛のことね、がやりにくそうにしていた。田起こしが始まる前に直してもらわないといけないことを思い出した。
忘れないようにメモ、といってもメモ用紙も筆記用具もわたしは持ってない、頭の片隅に忘れないように記憶した。この世界にも文字はあるのだが、識字率は低く一般の人はほとんど読み書きができないらしい、この村に来てから文字が使われているのを見たことがない。こちらに来たときに自分のステータスを見せてもらったが、その時文字を読めたので、召喚されたわたしたちはこちらの文字も読めるようだ。しかしその時以来文字に接していないし書いたこともなかった。
「おはようございます」
鍛冶場を覗き込んで、いつものように挨拶をする。作業場の済みに得体のしれない鉄のオブジェが転がっている。趣味が悪いなぁと思った。
「牛犂の具合がよくないので今度見てもらえませんか?」
ちらとこちらを見やったが鍛冶屋はすぐに自分の仕事に意識を戻す。
否やはないということか。安定の不愛想ぶりにかえって安心した。今度牛犂を持ってきても修理してもらえそうだ。
鍛冶屋の前の四つ辻を南に折れてわたしは家を目指す。田んぼを両脇に見ながら歩いているといきなり声をかけられた。
「すまん、少し手伝ってくれんか」
畔の陰からヤエイさんがわたしを手招きしている。
「どうしました?」
と返事を返してわたしはヤエイさんの方へ進んだ。
ヤエイさんは若い村人だ。この極端に狭い世間ではほとんどの村人は知り合いである。
わたしもヤエイさんとは話したことがある間柄であった。
近づいてみると、水路から田んぼへ水を引き入れる水門のところでヤエイさんがやっさもっさしている、
「水門が壊れて、水が止まらん」
見ると、壊れた水門から水がどんどんヤエイさんの田んぼへ流れ込んでいる。
産業廃棄物のような鉄くずのような物を彼はいじくっている、水門のようだが、なにやらごちゃごちゃと不思議なものがくっついていてうまく動かない理由が想像できる。
畔塗りの途中水門のところまで来たところで、水門をいじって壊してしまったらしい。いらんことをしてしまったようだ。
「このままじゃと、水を取り込みすぎて、下のみんなに迷惑をかけることになる」
確かに下流に水がいかなくなっているようだった。
「随分と早くに水をいれるんですねぇ」
のんきに答えると。ヤエイさんは返事する余裕もなくあわあわしている。
「わかりましたぁ」
わたしは、水瓶を置くと少し山の方へ引き返し、途中で見つけた差し渡し2mくらいの手ごろな岩を担いできた。
「とりあえず、これで水を止めておきましょう」
水門のあったところに岩を据えて田んぼに流れ込む水を止めると水は下の方へ流れ始めた。
これで暫くは時間稼ぎができる。
「おう、ありがとう。水門を直しておくから、そしたらまた来ておくれ。あんたでないと岩をどかせられん。」
岩がちょっと大きすぎるんじゃないかいというような顔でヤエイさんが言う。
「了解でーす」
再び、水瓶を担いでわたしは家路を急いだ。
「ノラちゃーん」
なんやかんやで遅くなってしまった。家路を急いでいるとミィムねぇちゃんに声を掛けられた。
ミィムねぇちゃんはわたしより6つも年上で、なにかと気にかけてくれる。気のいい世話焼きおねぇさんだ。
「相変わらず精が出るわねぇ。ヤエイさんとなにかあった?」
わたしがヤエイさんと話をしていたのを見かけて声を掛けてくれたようだ。
さっきあったことをわたしは話した。
「あのひと、何かにつけて余計なことをしでかして、自分が困ってしまって、にっちもさっちもいかなくなってから、結局まわりに泣きついて巻き込むんだよねぇ。畔塗りするならそれだけやってろって。」
困った人ねぇと苦笑した。みぃむねぇちゃんは朝ごはんに畑の作物を少し掘り出してきたみたいで、土のついた芋が入った籠を担げている。
「ほんとに、水門なんかいじらなきゃよかったのに、なんで今頃畔塗してるんだろ」
わたしが疑問に思っていたことを話すと。
「去年ヤエイさんの田んぼの床が緩んで水が抜けたことがあったんだよ、それで田起こしの前に締めておこうとしたんじゃないかな。そのために一旦水を入れようとしたんだと思うよ。」
ミィムちゃんが説明してくれたが、何を言っているのか理解できなかったので
「ふうん」
と生返事をした。
「ヤエイさんの田んぼだけいつも何か起こすんだよね、去年もそれでお米を台無しにしたんだよ、田床が緩むってことある?お父さんは田んぼをいじりすぎだと言ってるけど。今度は床が抜けるんじゃないかしら。」
「困った人だね。」
「ほんとほんと、うちのお父さんもしょっちゅう振り回されて困ってるよ。こないだも『我がのケツは我がで拭けっ』とか言ってぷんぷんしてたから。」
「ケツ?」
わたしが若干引くと。
「お父さんに叱られて、自分一人で何とかしようとしたんじゃないかしら。でもそうやってかえって仕事を増やすんだよねぇ、あの人。で、結局他人に頼って来るの、調子いいんだから。」
どうしようもないという風に溜息をつくと、
「それじゃ、わたし帰らないといけないから」
と言って踵を返し、自分のうちの方へ歩き去った。
ミィムねぇちゃんはヤエイさんのトラブルに巻き込まれてるんじゃないかと心配して声を掛けてくれてたみたいだった。正にその通りなんだけどね。
「さよなら、またね」
わたしも挨拶をすると水瓶を担ぎ上げ、ヤエイさんに呼び戻されないうちにと家へ急いだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
がんばりました、初日は豪華3連投です。
いよいよノラちゃんの血沸き肉躍る大冒険活劇、にはなりそうにないお話が始まりました。彼女の異世界生活にいったいなにが待ち受けているのかいないのか、どうぞやさしい気持ちで見守ってあげてくださいね。
次回からは毎週木曜日に投稿したいと思います。
これから、よろしくお願いいたします。