1-12 馬鹿とつくしはほろ苦い
ええと、もう午前1時になってしまいました。朝九時までは木曜日ですよね。
マンフェに肥撒きの方法を教わってからそれはわたしの仕事になった。今日も肥を撒き撒き耕している。米作り、野菜作りは土作りというのはこちらの世界も同じでこの時期の仕事は秋の収穫を左右する大切なものだ、手を抜いてはいられない。
「おはよう」
「おはよう」
仕事が忙しくなるにつれ仲良し五人組とも顔を合わせることが多くなり、毎朝野良へ出るときに誰かしらと出会うようになった。春の陽気に気分が高揚するせいか挨拶の声もはずむ。
今日も今日とて自慢のマイ鍬を肩に担いでくるくると回しながら鼻歌まじりに畑へ向かっていると後ろからいきなり声をかけられた。
「それ粋ななー」
こないだの悪ガキ三兄弟だ。一番上と思われるのがわたしの鍬を指差して意味不明な言葉をわめいている。たしかにわたしの鍬はガンテツさんに無理を言って作ってもらった特注品である。単なる平鍬ではあるが普通のと違って体格が小さくて力の強いわたしのために刃の角度や柄の長さが調整されている。わたしとヤエイさんで何日もああでもないこうでもないと相談しながら出来上がった逸品だった。難癖付けられるいわれはない、特に三馬鹿のおまえには言われたくないという気持ちが強くしたので相手にせずずんずん歩いていると。
「粋ななー、その鍬粋ななー」
とわたしの前へ後ろへとしつっこくまとわりついて頻りにいちゃもんをつけてくる。うっとおしいけれども相手をしたら余計どつぼにはまるのが目に見えているのでそのまま無視して歩いているととうとう畑までついてきた。このままでは仕事の邪魔なので終にわたしは口を開くと
「あなたたち、おしごとは?おうちの手伝いはいいの?」
と少し嫌味を込めて言ってやった。するとさっきまで囃し立てていた一番上のが何故か一瞬嬉しそうな表情をしたかと思うと、直後に怒った顔になり
「俺とこは、手ぇ足りてるさかい、てったいいらんねん」
と威嚇するように呪文のような言葉をぶつけてきた。さっきからこの子の言ってる意味が分からない。この世界に来てから初めて言葉の壁にぶち当たってしまった。とはいえ、こいつらの言っていることを理解することも、相手をしてやることも無用なので、そのまま放置して野良作業の段取りをしようと後ろを向くと急に頭が引っ張られた。道具を抱えていてこけるわけにもいかないのでぐっと踏ん張るとあたまががくんとむち打ちのようにのけぞった。なおもぐいぐい引っ張られるのでなにごとかとむりやり首をひねるとさっきから騒いでいる一番上の子がわたしのおさげを握って怒りに我を忘れたかのようなすごい形相で思いっきり引っ張っている。こちらの人はどちらかというと間延びした人が多く表情もすこしぼやけた人が多いのだが、顔が歪むくらい怒りに支配された人を久々に見て驚かされた。
「なにむししてんねん」
怒りのために呂律のまわらなくなった口から泡を噴きながら相変わらず意味不明な言葉をがなり立てる、心なしか体が少し痙攣しているようにも見える。わたしはそのまま体を捻ってその子を正面から見据えた。わたしの髪を握っていた彼はそれに引っ張られてバランスを崩しつんのめってその拍子に手を離した。態勢を立て直して彼はわたしに密着するくらいに近づくと思いっきり見下ろしてきた。彼の方が随分と背が高い。わたしを覗き込んできた彼の目は完全にイッてしまっていて目尻には涙すら滲んでいた、そこには他の感情による揺らぎなどは一切見られず、純粋な怒り一色に染まっている、恐らく何に対して怒っているのかすら今の彼は忘れているのではないだろうか。そのくらい怒りに澄み切った目だった。非常に単純で直情的な性格をわたしはそこに見て取った。さて困ったどう気を逸らしたものか、少しでも刺激すると今度はきっと鉄拳が飛んでくる。わたしとて痛いのは嫌だ。『困った、困った』と考えあぐねていると、次男がいい仕事をしてくれた。
「おまえなにさまじゃむしすんなゆうてんねん」
とこれまた謎の呪文。それに気を逸らされた長男の殺気が一瞬それた。その機を逃さずわたしには似つかわしくないため息を『ふう』と大きくつくと、一旦しゃがんでさっき髪の毛を引っ張られた時に驚いて取り落としてしまった鍬を拾い上げた。それにより長男から視線を自然に逸らすことができ、おかげでその場の張りつめた空気が一気に緩んだ。わたしの行動が予想外だったのか長男は混乱しつつも自分の気持ちの持って行く場所を失って毒気が抜かれてばつの悪そうな顔をしている。おそらく一連の自分の行動が彼自身にも理解できていないのだろう。弟も急に変わった場の雰囲気に戸惑っているようだ。
「今から畑仕事をしないといけないんだけど。手伝ってくれるのならありがたいんだけど」
そう言いながら、手にした鍬をわたしは長男へ突き出した。さっきしきりに因縁をつけられたその鍬である。
「あほかっ」
彼はそう言うと一足後退り、踵を返して走って行ってしまった。その後をキツネにつままれたような表情の弟が追いかけてゆく。さらにその後ろからどこに隠れていたのかこれまた末弟が手に持った荷物のせいかバランスを崩して転びそうになりながら必死に走ってついて行ってしまった。あっけにとられてそれを見送っていると
「大丈夫?」
と声をかけて来た人がいた。さっきまで隣の畑からこちらの方をちらちらと見ていたサイツにいちゃんがそばまで来ていた。今のやり取りを見ていて心配になって様子を見に来てくれたようだ。
「大丈夫じゃないよ、どんだ邪魔だったよ、仕事が遅れちゃった」
まったくうんざりしてつい愚痴をこぼしてしまった。と同時に見てたんなら助けに来てくれよと思った。
「うう~ん」
と煮え切らないような返事をしてサイツ兄ちゃんはそのまま自分の畑へ戻っていった。今度困ったことがあったら声をかけてねくらいは言って欲しかったから肩透かしを食らったような気がした。その日は仕事を始めるのが遅れてしまったのでそれを取り返すためにいつもの倍働いた(あくまで個人の感想です)。
仕事を終えた帰りしなにサイツ兄ちゃんやコトちゃんなどと一緒になり結局仲良し5人組がそろって家路についた。途中水路が分岐する所まで来るとおばさん連中が群がって何かをしている。近づくとしきりにおしゃべりをしながらしゃがんで何かを採っていた。その中にマルテアの姿を認めるとわたしは声をかけた
「マルテアぁ、わたしもう帰るね」
すると彼女は起き上がってこちらを振り向いた、手にした籠は芹で山盛りになっている。すると他のおばさんたちも芹摘みをやめて体を起こした。
「ありゃ、もう日が傾いてるねぇ。すっかり夢中になっちまっていたよ」
そう口々に言うと、まだ足りないというようにおしゃべりしながらそぞろ歩き始めた。
「きょうはどっさり芹を摘んだからね、ごちそうだよ」
マルテアは上機嫌だ、心が清いという訳でもないわたしは芹が少し苦手なのでそれを聞いてもあまり嬉しい気持ちにはならなかった。
「つくしを摘んで行こう」
コトちゃんが突然飛び出して行った。
「捲れなや」
おばさんのひとりが声をかける間もなくコトちゃんのからだは畔の向こうに消えた。あわててそれを追いかけると畔の法面にぽつぽつとつくしが顔を出してる。コトちゃんは無心にそれを摘んでいた、わたしたちもそれに混ざってつくしを摘んだ。あたりに生えていたつくしをあっというまに採り尽くすとそれぞれ採った分は15,6本ずつになった。畔の上からおばさんが
「もう気が済んだかい、早く上がっておいで」
と声をかける、わたしたちは急いでおばさんたちのところへ戻り籠の中へ獲物を献上した。
「おやおや、随分採れたじゃないか」
マルテアも感心してくれた。それからみんなで仲良く家まで歩いた。今夜はどの家庭の食卓も芹の香りに包まれることだろう。わたしはあの独特な香りが苦手なんだけどね。
その日の夕食はマルテアの宣言通り芹三昧だった、つくしも下ごしらえの仕方を教わってわたしが料理した。はかまを取るのは手の小さいわたしのほうがむしろ上手かった。久々の味変に冬の保存野菜に飽きていたマンフェも満足したのか食べ終わってからゆったりくつろいでいた。
わたしが食事を始めるとマンフェが降りてきて今日のことを聞いてきた、
「きょうはなんか、そのぉ、大丈夫だったかい?」
始めは何を聞かれたのかわからず
「ふぇ?」
と間抜な返しをしてしまった。
「なんかそのぉ、ミナミの子供たちが来ていたようだが」
ああ、そのことか
「朝邪魔されて仕事に取り掛かるのが遅くなってしまって、取り返すのが大変だったよ」
実のところはぷりぷりしながらも集中して仕事ができたのでいつもよりかえって捗ったのが実態だったのだが。
「そうか、そのぅ、あの子たちは、やっぱり、そのぅ、ずいぶんと乱暴なようだな」
と、奥歯にものが挟まったような言い方をする。
「そうだね、面倒くさいったら」
「そのぅ、怖かっただろう?」
「うん?ああ、少し怖かったかな」
マンフェに言われて今初めて気が付いた、いたいけな女児としてはあの場面では怖がるべきだったのだと。確かに、発育不良でやや小柄ではあるけどあの長男は中学生くらいの歳のはずだ。いきった中坊は何をしてくるかわからない、確かに大人でも怖がる相手だ。
『いやぁ、失敗、失敗』
と心の中でわたしは反省した。面倒くさいのが先に立っていた、今度からは怖がるようにしよう。態度の今後の方向性について微調整を入れることにした。
わたしたちの話を少し離れてマルテアは聞いていたが、会話に入ってはこなかった。いつもなら何かひとこと声を掛けてくるのに、割り込んで欲しくないという雰囲気を出していたわけでもないつもりだが、なにか心配事でもあるのかなぁ、それが少し気にはなった。まぁ、そんな世間話をしながらその日は終わったのだった。
芹を摘んでいると知らない間に足が濡れていますよね。謎だ。