1-10 悲しい出来事の後には小さな幸せが
こんにちは、今週もよろしくお願いします。
「あっ、ぶたのしっぽだっ」
飛んできたものをカーツくんが見つけて拾い上げた、横でことちゃんがうらやましそうにそれを見ている。悪ガキ3人組が投げて来たのは豚の尻尾だった。“ぶたのけつ”ってのはそういうことだったのか。
あの謎の呪文のようなものは豚の尻尾のことを言っていたのだろう。
「あいつらの家は豚を飼ってるからな、最近子豚が生まれたんだろう」
サイツにいちゃんが教えてくれた。
「そのしっぽって、その子豚のなの?」
意味の理解できないわたしは訊ねた。
「他の豚に尻尾を嚙み千切られると、そこから病気になることがあるんだ。だから、噛み千切られる前に尻尾を切っておくのさ」
と説明してくれた。サイツにいちゃんは家を継がないといけないのでいろんなことをよく勉強している。この村のこともよく知っていていろいろなことを教えてくれる。
「あの子たちミナミの子でしょ。こんな所へ来るなんて珍しいね」
村の南の地区のことをこのあたりでは”ミナミ”と呼んでいる。ミイムおねえちゃんもあの子たちのことは知っているようだ。
「あいつらはミナミでも有名な嫌われ者だ。大方あっちでは誰にも相手にされなくなってこっちまで出向いてきたんじゃないかな」
「迷惑な話ね」
「乱暴な奴らだから、カーツとコトとノラはあいつらを見つけたら一目散に逃げるんだぞ」
サイツにいちゃんの言葉に年少組の3名は不安そうに頷いた。カーツくんはさっきコトちゃんがうらやましそうに見ていた豚の尻尾をそっと彼女に手渡した。今の話で怖くなってしまい、もういらなくなったのかコトちゃんはそれを持て余している。サイツにいちゃんはコトちゃんからそれを受け取った。後で聞いた話だが、豚の尻尾はその夜のお鍋に入っていたそうだ。コトちゃんもおいしそうに一口齧ったそうである。
そんなことがあってからもわたしたちは野良仕事の手伝いに精を出した。暖かくなるにつれ忙しくなり1日のほとんどを野良に出ているので、5人組が顔を合わせることも自ずと多くなっていった。時にはそれぞれの畑に集まって力を合わせて作業することもある。要所々々で人工を集中してかけると効率よく仕事が捗った。ご近所の農地を共同で管理しているようなものである。わたしが来る前からご近所の4軒は協力関係にあったそうだ。今日もカーツくんちの畑をみんなで手伝って帰ってきたところだ
「今日はカーツくんの所だっけ?、ノラはよく働いてくれて助かるとお礼を言われたよ。マンフェが腰を悪くしてからうちは肩身が狭かったからねぇ。ありがとうよ、ほっとするよ」
マルテアがそういうとマンフェが居心地悪そうに身じろぎした。
「マンフェは体を壊すくらい働き過ぎたんだよ、少しは楽させてもらいな」
一応のフォローは入ったがマンフェのプライドはずたずたにされたようでしょんぼりと元気がなくなってしまっていた。
あくる日もいつものように畑へ出る前に苗床を外に出した。本葉も出てきてマンフェの作っている苗は順調に育っている。そこでとんでもないものをわたしは見てしまった。わたしが虚ろな目をして苗の前でしばし呆然としていると、野良へ出る途中に通りがかったカーツくんが近づいてきた。
「大丈夫?ノラちゃん、お腹痛いの?」
ただならぬ様子のわたしを心配して声を掛けてくれた。はっと我に返ったわたしは自分の苗を見下ろした。カーツくんの視線もそれにつられる。
「あぁっ、苗、ダメになってる」
かれの発したその言葉はわたしの傷ついた胸を深く抉った。今にも涙が出そうになる。
2、3日前からなんだか様子がおかしいのには気が付いていた。となりに並べてあるマンフェの苗に比べてひょろひょろで元気がないように思えた。だから、念入りに水をやって世話をしていたのに、それは日を追ってひょろ長く伸びた、葉の緑もマンフェのより薄いように感じる。今まで見ないふりでいたのだがカーツの言葉は苗の異状をいよいよわたしに突きつけた。
「あはは、徒長してしまってるな」
後ろからいきなりマンフェの声がした。深刻な事態を前にしてマンフェの目は穏やかに微笑んでいる。その優しい眼差しがあざけりの笑いではないことはわかる。
「うぅむ、こりゃ少し細工をしなけりゃならんな。大丈夫だよノラ、大丈夫、大丈夫」
と言いながらわたしの苗をじっくりと観察していたが、にっこりすると納屋の奥から木箱を持ってきてそこに清浄な土を入れたっぷりと水をかけた。
そして肥後守のような小刀を取り出すと、わたしの苗を引っこ抜いて根っこを切った。
『あっ、なにしてくれるの』
と思ってその手もとを見つめているとマンフェはにっこりとわたしを見てから持ってきた木箱の土に指で穴をあけて切った芽を優しい手つきで挿した。
「これは挿し芽といってな、こうやって植えなおせばちゃんと育つよ」
「根っこを切っちゃって枯れないの?」
「何本か枯れるじゃろうが、苗は余分に作ってあるからな、大丈夫、大丈夫」
何度も大丈夫と言われ、わたしもなんだか大丈夫なような気がしてきてやっと安心することができた。
小刀を使うことは危なくてわたしにはまだ許されていないため残りの苗でだめになったのはみんなマンフェが挿しなおしてくれた。作業の間中カーツくんはその手もとを食い入るように見ている。
「おとうさんはだめになった苗は捨ててしまってるよ」
カーツくんはその大きな目をさらに見開いてマンフェに向かって言った。
「そうだな、面倒だし、一部だめになるのを見越して余分に苗を作るからいちいち挿しなおさなくてもいいかな」
一部どころかリカバー不能なくらい多くの苗をだめにしてしまっていたのでわたしはその場に居辛くなった。
「さあ、もう大丈夫、あと水はわしが見るから、ノラは水やりはいいよ、朝夕の出し入れだけお願いするよ」
「はい、わかりました」
まあ、やらかしてしまったからには水やりを任せてもらえないのは納得するしかない。こうして、ここ数日のわたしの悩みはマンフェの神業によって見事に解決されたのだった。
苗のことが終わってわたしが畑に出ようとするとマルテアに今日はヤエイさんの手伝いに行くように言いつかった。ヤエイさんの畑はそんなに広くはないのだが、作業する手もとが何分一人だけなのでなかなか捗っていないということだ。わたしに言わせると余計なことをしないで淡々と仕事をしていれば作業が遅れることもないのだが。とにかく益体もないことに時間をかけすぎていると思う。ヤエイさんの畑に行ってみると案の定半分もできていなくて、得体のしれないからくり物が転がっていた。その物体をわたしは見ないようにして畑を手伝った。畑仕事を効率化しようといらん工夫をしようとしたのだろうが、そのために作業が遅れてしまっては本末転倒である。ヤエイさんは物事の優先順位をいつも間違えていると思う。なにか言いたそうに彼はちらちらとこちらをみながら自分の仕事をしていたけどわたしは全力無視を貫いてひたすら黙々と作業をし、その日のうちに畑をなんとか形にした。帰りしなにお礼だと言ってヤエイさんは野菜を持たせてくれた。
「冬越しの野菜が少し余ってるから、俺一人暮らしであまり食べないから」
と言うことだが、今年の収穫が始まるまでの今の時期が一番足りないはずなのになんと太っ腹なことか、お陰で今日は少し贅沢ができそうだ。
いただいた野菜を恭しくマルテアに献上すると随分と喜んでくれた。
「さすがヤエイさんだねぇ、まだ瑞々しいじゃないか」
とマルテアは絶賛する。
ひと冬越したのにヤエイさんの野菜はまだ新鮮味が残っていて見るからにおいしそうだ。対してうちのはもう随分としなびてきている。こんなにすばらしい野菜の保存技術をいつか教わりたいもんだ。それにしてもいつもながらヤエイさんに対する評価が不当に高過ぎる気がする。いずれにしても自分の持ち帰った稼ぎを家族が喜んでくれた。ヤエイさんのおかげでわたしも久々に満足感を味わうことができた。その夜はわが家としては少しだけ豪華な夕食で幸せに時を過ごすことができたのだった。
徒長した苗を見るとぞっとします。植えなおした苗が無事育つといいですね。




